1号型ミサイル艇

1号型ミサイル艇
フォイルボーン中のミサイル艇1号
フォイルボーン中のミサイル艇1号
基本情報
艦種 ミサイル艇
運用者  海上自衛隊
建造期間 1991年 - 1995年
就役期間 1993年 - 2010年
建造数 3隻
前級 11号型(魚雷艇)
次級 はやぶさ型
要目
基準排水量 50トン[1][2]
満載排水量 60トン[3]
全長 21.8 m(水中翼降下時)
最大幅 7.0 m(水中翼除く)
深さ 3.5 m
吃水 1.4 m(艇走時)
機関方式
推進器 スクリュープロペラ×1軸
出力
  • ガスタービン:5,000馬力 (3.7 MW)
  • ディーゼル:180馬力 (0.13 MW)
速力 最大46ノット[1][2]
航続距離 400海里 (40kt巡航時)[1]
乗員 11名[2]
兵装
C4ISTAR OYQ-8戦術情報処理装置
レーダー
電子戦
対抗手段
  • NOLR-9電波探知装置
  • Mk.137 6連装デコイ発射機×2基
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    1号型ミサイル艇(いちごうがたミサイルてい、英語: PG-821 class guided-missile patrol boats)は、海上自衛隊が運用していたミサイル艇の艦級。海自初のミサイル艇として、平成2年度計画で2隻、平成4年度計画で1隻が建造された[2][3]。建造費は1隻あたり66億円(平成3年度計画艇)[4]

    来歴

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    海上自衛隊では、局地防衛兵力として魚雷艇を配備してきた。その後、魚雷よりも優れた対艦兵器として艦対艦ミサイルが台頭してきたことから、1970年代第4次防衛力整備計画において艦対艦ミサイル装備艇の導入が計画された。このときの計画では、魚雷のみを装備した100トン型PTと、魚雷と艦対艦ミサイルを併載した160トン型PTLを3隻ずつ建造する予定であった。また同時に、最大50ノットの速力を発揮できる全没型水中翼艇として、180トン型PTHの研究開発も予定されており、こちらはポスト4次防での実用化が目標とされていた[5]。しかし、1973年第四次中東戦争に伴う石油輸出国機構 (OPEC) 各国の原油価格値上げに端を発した第一次オイルショック(第一次石油危機)による物価高騰の直撃を受け、防衛予算の枠内で予定隻数を達成することは不可能となり、4次防の建艦計画は大混乱に陥った。これを受けて180トン型PTHの研究開発は未着手に終わり、また魚雷艇の建造計画も縮小されて老朽更新分の2隻のみが建造されることになり、艦対艦ミサイル装備の艇は実現しなかった[6][7]

    その後、1980年代61中期防において、再度ミサイル艇の整備が計画された。この際には、オペレーションズ・リサーチによる詳細な検討が行われ、大湊舞鶴佐世保地方隊に6隻ずつを配備するという基本計画が策定された。これは、運用コンセプト上、1つの目標に対してミサイル艇2隻で1つのチームを組み、大規模な目標に対しては2チーム4隻で対処する計画であったことから、地方隊ごとに4隻ずつを稼動状態に置くために所要の隻数として算定されたものであった[8]。これに基づき、まず61中期防の最終年度にあたる平成2年度計画で1チーム分2隻が建造された。その後、1990年代03中期防で4隻の追加建造が予定されたが、1992年12月18日安全保障会議閣議で2隻に削減された。更に、このうち平成4年度計画の1隻のみが確定とされ、残る1隻は平成6年度以降のオプションとされた[6]

    設計

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    船体

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    本級の最大の特徴が、全没型水中翼船型の採用である。イタリアフィンカンティエリ社からのライセンス生産として[9]イタリア海軍が配備していたスパルヴィエロ級から技術を導入しているが、これはもともと、アメリカ合衆国ボーイング社がアメリカ海軍の依頼で開発した「トゥーカムカリ」(旅客型はボーイング929)に源流を有するものであった[10]

    船体設計はほぼスパルヴィエロ級が踏襲されており、艇体は耐水アルミニウム合金アルゴン溶接、上部構造物は板厚が薄いことから約15,000本のアルミリベットによる鋲接構造とされている。水中翼はステンレス製の全没構造で、前1枚・後2枚のエンテ型配列とされており、前翼のタブ(動翼)を動かして操舵を行う。旋回時は、自動コントロール装置によって傾斜角約10度のバンクド・ターンを行うことで、遠心力による乗員への影響を軽減していた[1]。なお、後述のとおり装備面ではタイプシップとは大きく異なることもあり、重量・重心位置の制約は非常に厳しく、グラム単位での重量管理が行われた[11]

    機関

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    主機関は海上自衛隊独自のものとなっている。水中翼艇であることから、翼航走(フォイルボーン)時と艇体航走(ハルボーン)時の2種類の推進装置を備えていた[12][13]

    翼航走時は、主機関としてはゼネラル・エレクトリック LM500ガスタービンエンジン石川島播磨重工業ライセンス生産)によって、荏原製作所300CDW型ウォータージェット推進器1基を駆動していた。このウォータージェット推進器のための吸水口は後部水中翼の下端に設けられており、ここから吸い上げられた海水はウォータージェット・ポンプによって加速されて、マスト直下の船底にある2ヶ所の開口から噴出された[12][13]

    一方、艇体航走時には、いすゞマリン製造製の4サイクル直列6気筒機関である6BD1TCディーゼルエンジン(180馬力 / 2,700 rpm)によってスクリュープロペラ1軸を駆動していた。このスクリュープロペラは、翼航走時には船体取付部を軸として右舷側に90度回転させ、船底レベルより上に引き上げられていた[12][13]

    なお、速力46ノット自衛艦としては最速であった[14]

    装備

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    兵装は完全に海上自衛隊独自のものとなっている。主兵装は国産の90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)であり、連装に配した発射筒を2セット、艇尾に装備する[2]。これは陸上自衛隊向けの88式地対艦誘導弾(SSM-1)を艦載化したものであり、護衛艦に搭載されてきたハープーンの後継となる予定であったが、本型が一足先に搭載することになった[1]

    砲煩兵器も、遠隔操作型の20mm多銃身機銃に変更された。これは、潜搬入する工作員、ゲリラ等を収容した不審船舶に対する威嚇射撃を考慮した措置であった。対空防御や直接対艦攻撃までは想定していなかったことから、対空兵器としては近接SAM(仮称)を将来装備することとした[15]

    本型は、OYQ-8戦術情報処理装置[16]によってリンク 11の運用に対応し、小型艇ながら、P-3C哨戒機との連携運用も可能となっていた[11]電子戦装置としては、マストトップにNOLR-9電波探知装置(ESM)を、また上部構造物直前にMk.137 6連装チャフフレア発射機を2基備えていた[17]。なお無人偵察機(RPV)用ターゲッティング・データ等の送受信装置の将来装備も検討されていたが、実現しなかった[15]

    なお、上記の通りにきわめて厳格な重量制限が架されたことから、予備品・用具をはじめとする物資の搭載は最小限に限定されており、給食給養を含めて、陸上を車両で移動するMLS(Mobile Logistics Support)部隊による後方支援に依存する運用形態となっていた[11]。このMLSは、ミサイル艇の進出先の港湾等において、出入港支援、整備・補給支援を行うことを目的として整備され、連続機動支援日数を最大2週間とし、I段階整備(乗員とMLSの共同整備)及び弾薬(20mm弾)の運搬・補給支援、燃料・真水等の補給支援を行うこととされており、74式特大型トラック4両と指揮官車(トラック1/4t 4×4)で編成されていた。またミサイル艇1・2号の引渡し後の回航の際には、これにマイクロバス1台を加えて、総勢46名が陸路を並走して行動した。ミサイル艇が長期間の行動が難しかったこともあって、浦賀を3月24日に出港したのち、大湊入港が26日午後、余市への到着は28日夕方となった[15]

    同型艦

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    一覧表

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    艦番号 艦名 建造 起工 進水 竣工 除籍
    PG-821 ミサイル艇1号 住友重機械工業
    追浜造船所
    浦賀工場
    1991年
    (平成3年)
    3月25日
    1992年
    (平成4年)
    7月17日
    1993年
    (平成5年)
    3月22日
    2008年
    (平成20年)
    6月6日
    PG-822 ミサイル艇2号
    PG-823 ミサイル艇3号 1993年
    (平成5年)
    3月8日
    1994年
    (平成6年)
    6月15日
    1995年
    (平成7年)
    3月13日
    2010年
    (平成22年)
    6月24日[14]

    運用史

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    3隻とも神奈川県横須賀市浦賀町住友重機械工業追浜造船所浦賀工場で建造され、余市防備隊に新編された第1ミサイル艇隊へ配備された[3][8]

    しかし就役後、波浪中の船体強度や耐航性の不足が発覚し、特に冬季の日本海での運用上問題となった。水中翼艇特有の問題として、フォイルボーンでの高速時とハルボーンでの低速時との間に速力や運動性の面で大きなギャップがあり中速域での運用が困難であった。また艦船でありながら地上部隊の支援を必要とする問題もあった。これらはいずれも運用上重大な制約となったことから、平成6年度以降で検討されていた1隻の追加建造は実現せず、本型の建造は3隻で打ち切られた[3]。後継としては、滑走型船型の採用と船型の大型化によって汎用性と独立行動能力を強化した200トン型ミサイル艇が設計され、平成11年度計画より建造が開始された[8]

    2008年6月6日付で1号と2号が除籍され、残った3号も2010年6月24日に除籍された[14]

    脚注

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    出典

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    1. ^ a b c d e 戸田 1993.
    2. ^ a b c d e 朝雲新聞社 2006, pp. 256–257.
    3. ^ a b c d 海人社 2004, p. 194.
    4. ^ 藤木 1995.
    5. ^ 海人社 1977.
    6. ^ a b 中名生 1993.
    7. ^ 香田 2014.
    8. ^ a b c 石井 2002.
    9. ^ 冨田 2015.
    10. ^ 海人社 1993, pp. 82–91.
    11. ^ a b c 技術研究本部 2003, pp. 107–108.
    12. ^ a b c 海人社 1993, pp. 92–97.
    13. ^ a b c 阿部 2004.
    14. ^ a b c 海上自衛隊大湊地方隊. “ミサイル艇「3号」艦番号823 平成22年6月24日除籍”. 2021年6月25日閲覧。
    15. ^ a b c 海上幕僚監部 2003, §10.
    16. ^ 山崎 2011.
    17. ^ 海人社 1993, pp. 1–5.

    参考文献

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    • 朝雲新聞社 編『自衛隊装備年鑑 2006-2007』朝雲新聞社、2006年。ISBN 4-7509-1027-9 
    • 阿部安雄「機関 (自衛艦の技術的特徴)」『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、238-245頁、NAID 40006330308 
    • 石井, 幸祐「海上自衛隊の最新鋭ミサイル艇「はやぶさ」型のすべて (特集・ミサイル艇)」『世界の艦船』第597号、海人社、2002年6月、88-97頁、NAID 40002156363 
    • 海上幕僚監部 編「第5章 61中防時代」『海上自衛隊50年史』2003年。 NCID BA67335381 
    • 海人社(編)「海上自衛隊が計画中の水中翼ミサイル艇」『世界の艦船』第239号、海人社、1977年4月、94-95頁。 
    • 海人社(編)「海上自衛隊哨戒艦艇のテクニカル・リポート」『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、82-97頁。 
    • 海人社(編)「海上自衛隊全艦艇史」『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、194頁、NAID 40006330308 
    • 香田, 洋二「国産護衛艦建造の歩み 第17回 4次防, 「しらね」型その1」『世界の艦船』第797号、海人社、2014年5月、154-161頁、NAID 40020022939 
    • 技術研究本部 編「技術開発官(船舶担当)」『技術研究本部50年史』(PDF)2003年。 NCID BA62317928https://web.archive.org/web/20130124150822/http://www.mod.go.jp/trdi/data/pdf/50th/TRDI50_05.pdf 
    • 戸田, 孝昭「海上自衛隊初の水中翼哨戒艇 ミサイル艇1号型 (特集・海上自衛隊の哨戒艦艇)」『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、98-101頁。 
    • 冨田, 悠一「ミサイル艇(50トン型)建造の思い出」『第6巻 機関』水交会〈海上自衛隊 苦心の足跡〉、2015年、368-379頁。 
    • 中名生, 正己「海上自衛隊哨戒艦艇の戸籍簿」『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、74-81頁。 
    • 藤木, 平八郎「高速戦闘艇の今日と明日 (特集・現代の高速戦闘艇)」『世界の艦船』第502号、海人社、1995年10月、70-75頁。 
    • 山崎眞「わが国現有護衛艦のコンバット・システム」『世界の艦船』第748号、海人社、2011年10月、98-107頁、NAID 40018965310 

    関連項目

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    外部リンク

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