1757年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代 1770年代 |
年: | 1754年 1755年 1756年 1757年 1758年 1759年 1760年 |
1757年(1757 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]- 干支 : 丁丑
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2299年 - 2300年
- イスラム暦 : 1170年 - 1171年
- ユダヤ暦 : 5517年 - 5518年
- ユリウス暦 : 1756年12月21日 - 1757年12月20日
カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 1月21日 - フレンチ・インディアン戦争: かんじきの戦い起こる。
- 6月23日 - プラッシーの戦い。イギリス・イギリス東インド会社軍がフランスのベンガル土侯連合軍を破る。インドのイギリス支配が決定。
- 6月25日 - 第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュがイギリス首相を辞職。
- 7月2日 - 大ピットと初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズの和解により、第二次ニューカッスル公爵内閣が成立。
- 11月5日 - 七年戦争:ロスバッハの戦い
- 12月5日 - 七年戦争:ロイテンの戦い
- オスマン帝国の皇帝がオスマン3世(在位:1754年-1757年) からムスタファ3世(在位:1757年 - 1774年)に交代する。
- プラッシーの戦いが起こり、イギリス東インド会社がインド全域における覇権を確立。
- 清の乾隆帝が貿易港を広州1港のみに限定し、公行に貿易独占権を与えた。
- アムルサナーがジュンガル再興のために清に反乱を起こすが、敗北。
誕生
[編集]- 5月30日 - ヘンリー・アディントン[1]、政治家、イギリス首相(+ 1844年)
- 9月6日 - ラファイエット、軍人・政治家(+ 1834年)
- 10月9日 - シャルル10世、フランス王(+ 1836年)
- 11月1日 - アントニオ・カノーヴァ、彫刻家(+ 1822年)
- 11月9日(宝暦7年9月28日) - 大槻玄沢、蘭学者・蘭方医(+ 1827年)
- 11月28日 - ウィリアム・ブレイク、画家・詩人・銅版画職人(+ 1827年)
死去
[編集]- 1月9日 - ベルナール・フォントネル、著述家(* 1657年)
- 1月22日(宝暦6年12月3日)- 松浦篤信、第6代平戸藩主(* 1684年)
- 3月27日 - ヨハン・シュターミッツ、作曲家(* 1717年)
- 4月17日(宝暦7年2月29日)- 本多忠統、江戸幕府若年寄・神戸藩主(* 1691年)
- 7月23日 - ドメニコ・スカルラッティ、作曲家(* 1685年)
- 8月3日 - カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯(* 1712年)
- 8月16日(宝暦7年7月2日)- 徳川宗直、第6代紀州藩主(* 1682年)
- 10月17日 - ルネ・レオミュール、昆虫学者(* 1683年)
- 11月17日 - マリア・ヨーゼファ、ポーランド王アウグスト3世の妃(* 1699年)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ "Past Prime Ministers Henry Addington 1st Viscount Sidmouth". GOV.UK (英語). イギリス政府. 2021年2月27日閲覧。