さらばラバウル
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さらばラバウル | |
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Farewell Rabaul | |
監督 | 本多猪四郎 |
脚本 | |
製作 | 田中友幸 |
出演者 | |
音楽 | 塚原晢夫 |
撮影 | |
編集 | 岩下広一 |
配給 | 東宝[1][2] |
公開 | 1954年2月10日[3][2] |
上映時間 | 106分[1] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『さらばラバウル』は、1954年(昭和29年)2月10日に公開された日本の戦争映画[4]。製作、配給は東宝[2]。モノクロ、スタンダード[1]。監督は本多猪四郎。脚本は橋本忍・馬淵薫・西島大。特殊技術は円谷英二。
解説
[編集]太平洋戦争でのラバウル戦線を題材とした映画[5]。本多猪四郎と円谷英二が、前年の『太平洋の鷲』に続いてコンビを組んだ作品である。
題名は、戦時中の流行歌「ラバウル小唄」の歌詞から取られている[6]。
本多によれば、戦時中の男女の恋愛を中心としており、戦争に巻き込まれた民衆の生き様を描き、戦争の罪悪を問うことをテーマとしているほか、当時はまだ駐留軍が居て大っぴらには語り合えないものの、戦時中を懐古する風潮があったと述べている[6]。
あらすじ
[編集]この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
昭和19年、ラバウルにいる海軍基地航空隊の零戦乗りの若林大尉は撃墜の多さと同時に、部下に厳しいことで鬼隊長の異名をとっていた。出撃のたびに損耗が多く、特に「イエロースネーク」と呼ばれる敵機に、味方機は次々と落とされていった。
キャスト
[編集]- 若林大尉:池部良
- 小松すみ子:岡田茉莉子
- 片瀬大尉:三國連太郎
- 野口中尉:平田昭彦
- キム:根岸明美
- 道代:中北千枝子
- 春子:木匠マユリ
- トーマス・ハイン米軍大尉:ボッブ・ブース
- 伊藤亮:村上冬樹
- 清川二整曹:谷晃
- 島田二飛曹:久保明
- 航空隊員:中台正
- 吉田少尉:小山田宗徳
- 須藤中佐:恩田清二郎
- 菅井隊長:西條悦郎
- 航空隊員:井川敏明
- 神山少尉:水野匡雄
- 矢田二飛曹:鈴木豊明
- 指揮所の参謀:帯一郎
- 軍医:鴨田清
- 岡部正
- 河野兵曹:広瀬正一
- ラバウル兵:門脇三郎
- 島崎喜美夫
- 葉山中尉:岡豊
- 指揮所の参謀:片桐常雄
- 三上淳
- 南国酒場の女給:花房一美、江幡秀子
- 五十嵐和子
- 寺沢弘子
- 南国酒場の女給:上野洋子
※以下ノンクレジット出演者
- ラバウル兵:天見竜太郎、越後憲三、坂本晴哉、佐田豊、橘正晃、千葉一郎、津田光男、堤康久、中島春雄、松本光男、吉田新、渡辺白洋児
- 若林隊の航空隊員:緒方燐作、渋谷英男
- 補充要員の特攻隊員:石原忠、伊藤実、藤木悠
- 整備兵:篠原正記
- 指揮所の兵:今泉廉
- 看護婦:小沢経子、黒岩小枝子
- 南国酒場の女給:司美智子
- 現地人の男:宇留木耕嗣
- 輸送船の船員:夏木順平
スタッフ
[編集]本編
[編集]- 製作:田中友幸
- 脚本:馬淵薫、西島大、橋本忍
- 音楽:塚原晢夫
- 撮影:山田一夫
- 美術監督:北猛夫
- 美術:阿久根巌
- 録音:宮崎正信
- 照明:猪原一郎
- 編集:岩下広一
- 助監督:古澤憲吾
- 製作担当者:黒田達雄
- 音響効果:三縄一郎
- 振付:平野宏果
- 現像:光映新社
- 監督:本多猪四郎
特殊技術
[編集]特撮
[編集]円谷英二による特撮は『太平洋の鷲』よりも技術が進み、操演や合成が多用された[5][7][2]。監督の本多猪四郎は、飛行場爆撃シーンでの人物合成や零戦不時着シーンでの本編映像と息のあったミニチュア特撮などを高く評価している[6]。プロデューサーの田中友幸は本作品の出来によって特撮映画に手応えを感じ、同年のうちに本多や円谷とともに『ゴジラ』を手掛けるなど、特撮映画の制作を重視するようになっていった[8][9]。造形助手の開米栄三は、寒天で作られた海のセットが好評であったと証言している[10]。一方で、特殊技術撮影の有川貞昌によれば、円谷は苦労して撮影したカットが入っていなかったことを本多に意見していたといい、本作品の時点では映画業界全体で特撮の重要性が認識されておらず、円谷は悔しがっていたという[11]。
ラバウルの街並みは、オープンセットが組まれた[3]。オープンセットでの夜間の爆撃シーンの撮影では、火薬の爆発音があまりにも大きかったため、撮影所の近隣住民からの苦情が殺到したという[5][7]。
江ノ島ロケでは零戦の実物大造形物が用いられたが、撮影初日にこれを実物と誤認した在日米軍のヘリコプターが偵察に訪れるという一幕もあった[6]。本多は、米軍も錯覚する美術の出来栄えを高く評価していた[6]。田中によれば、この造形物はジュラルミン製で、当時の金額で100万円かかったという[12]。実物大造形物は、空戦シーンのスクリーン・プロセスによる撮影でも用いられた[3]。
空中戦のシーンは特撮だけでなく、アメリカ空軍所蔵のフィルムが併用されている。
映像ソフト
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関連作品
[編集]2001年公開の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(監督:金子修介)では、作中世界における1954年のゴジラ出現シーンに本作品のポスターが登場している[14]。このポスターは、東宝の宣伝部が保管していた本作品のマイクロフィルムから起こしたものである[15]。
脚注
[編集]- ^ a b c 本多全仕事 2000, p. 122, 「本多猪四郎作品リスト」
- ^ a b c d 円谷英二特撮世界 2001, p. 37, 「さらばラバウル」
- ^ a b c 本多全仕事 2000, p. 11, 「本多猪四郎特撮映画の世界」
- ^ ゴジラ大全集 1994, p. 51, 「東宝特撮映画リスト」
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 89, 「東宝特撮映画作品史 前史」
- ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, pp. 61–62, 「本多猪四郎 私と特撮映画」
- ^ a b 『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、50頁。ISBN 4766927060。
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 53, 「田中友幸 特撮映画の思い出」
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 52–53, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラ誕生」
- ^ 別冊映画秘宝編集部 編「開米栄三(構成・文 友井健人/『映画秘宝』2010年7月号、8月号の合併再編集)」『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日、196頁。ISBN 978-4-8003-1050-7。
- ^ 有川貞昌「1954-68 GODZILLA ゴジラは新しさへ挑戦する精神 特撮は映画界の裏街道だった」『ゴジラ映画クロニクル 1954-1998 ゴジラ・デイズ』企画・構成 冠木新市、集英社〈集英社文庫〉、1998年7月15日(原著1993年11月)、214-215頁。ISBN 4-08-748815-2。
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 446, 「特別対談 東宝特撮映画未来へ! 小松左京 田中友幸」
- ^ a b 日本特撮映画図鑑 1999, p. 96, 「特撮映画 裏のウラ[3]」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2001, pp. 28–29, 「BEHIND the SCENE」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2001, pp. 32–33, 「[インタビュー] 清水剛」
参考文献
[編集]- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X。
- 『東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54』特別監修 川北紘一、成美堂出版〈SEIBIDO MOOK〉、1999年2月20日。ISBN 4-415-09405-8。
- 竹内博 編『本多猪四郎全仕事』朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション〉、2000年5月1日。ISBN 4-257-03592-7。
- 『円谷英二特撮世界』勁文社、2001年8月10日。ISBN 4-7669-3848-8。
- 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』東宝〈東宝SF特撮映画シリーズ SPECIAL EDITION〉、2001年12月15日。ISBN 4-924609-80-3。