アラベスク (歌手)
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Arabesque | |
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Arabesque original Michaela Rose | |
基本情報 | |
出身地 | 西ドイツ |
ジャンル | ユーロ・ポップ ディスコ キャンディー・ポップ (日本) |
活動期間 | 1977年 - 1985年 (日本) 2006年 - 現在 |
レーベル | EMI→Metronome Records→Monopol Records ビクター音楽産業 |
共同作業者 | ヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes) ジーン・フランクフルター (Jean Frankfurter) |
公式サイト | Arabesque original Michaela Rose [1] |
メンバー | ミシェーラ・ローズ (Michaela Rose) ザビーネ・ケンパー (Sabine Kaemper) ジルケ・ブラウナー (Silke Brauner) |
旧メンバー | サンドラ・ラウアー Sandra Ann Lauer (1979-1985) ジャスミン・フェッター Jasmin Elizabeth Vetter (1978-1985) メリー・アン Mary Ann Nagel (1977-1978) カレン・アン Karen Ann Tepperis (1977-1978) ハイク・リンボウ Heike Rimbeau (1978-1979) エルケ・ブルクヘイマー Elke Bruckheimer (1979) |
アラベスク (Arabesque) は、当時の西ドイツにおいて音楽界の大立物であったウォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)により結成された『女性3人組のボーカルグループ』である。1977年に西ドイツでデビューし翌年1978年4月に日本でデビュー、1985年頃まで活動していた。その後、2006年からオリジナル・メンバーの一人によりArabesque original Michaela Rose として活動が再開されている。
概要
[編集]1977年、西ドイツの実業家であるヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)は、当時ヨーロッパから世界に向けてヒットを連発していたアバやボニーM、バカラ等に触発され、自ら傘下の音楽出版社でプロジェクトチームを立ち上げ、プロトタイプとして「ハロー・ミスター・モンキー」を制作、初期メンバーによるアラベスクを誕生させた。
1978年、ビクター音楽産業は、「ハロー・ミスター・モンキー」の日本での発売権を獲得しリリース、日本のユーロ・ビート・ブームに乗り大ヒットし、オリコン洋楽シングルチャートで通算3週第1位(総合チャートでは第8位)、実に42週に渡るランクインを記録した。その後も「フライデー・ナイト」「フライ・ハイ」「今夜もロック・ミー」と連続ヒットを飛ばしたが、この間にミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)を除くメンバーの脱退や加入が相次いだ。メンバーの変遷は、レコードジャケットやメインボーカルの声質の変化でその違いが分かる。
1979年、メンバーが何度も入れ替わってきた「アラベスク」は、音楽プロデューサーにジーン・フランクフルター(Jean Frankfurter)を迎え、メインボーカルにサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)、ボーカル兼コーラスにオリジナルメンバーのミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、コーラス兼振り付けにジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)というメンバーで活動するに至り、以降、「ペパーミント・ジャック」から日本での最終シングルとなる「恋はナイト・アンド・デイ」までこのメンバーが継続した。この時に加入したサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Ann Lauer、愛称は、サンディー)は当時17歳、小顔で手足の長いモデル体型の美少女で、この頃の日本のアイドルにはいないタイプが注目されアラベスクの人気をさらに押し上げた。
アラベスクは、「ハロー・ミスター・モンキー」(Hello Mr. Monkey) の大ヒットを皮切りに、日本をはじめとするアジア諸国や旧ソ連、南米で人気を博した。しかし、興味深いことに、彼女たちの本国である西ドイツではそれほどの人気や知名度を得ることがなかった。西ドイツにおいては、彼女たちの音楽は主流のポップシーンには浸透せず、ヒットチャートでの上位進出もほとんどなかった。理由として、当時のドイツの音楽市場が他のジャンルやアーティストに対する関心が高かったことや、彼女たちの音楽スタイルが国内のリスナーの趣向に必ずしも合致しなかったことが考えられる。このように、アラベスクは本国での成功には恵まれなかったものの、国際的には特に日本での大成功により、1980年代前半の洋楽ポップス・シーンを牽引したグループとして記憶されている。
来歴
[編集]アラベスクは、1979年11月に日本テレビ(共同制作、読売テレビ)の「11PM 10周年記念特別番組」に招待され初来日(ほぼ極秘来日)し、1981年5月に初の日本公演の為に二度目の来日を果たしている。この日本公演を記念してリリースされたシングル「恋にメリーゴーランド」(In for a penny, In for a pound)はオリコン洋楽部門第1位(総合部門第13位)、初のベスト・アルバム「グレイテスト・ヒッツ」は洋楽部門第1位と総合部門第2位という大ヒットを記録した。また、この来日中には、フジテレビの夜のヒットスタジオやMBS毎日放送のヤングおー!おー! (YOUNG OH! OH!) に生出演し、「ハロー・ミスター・モンキー」や「恋にメリーゴーランド」を披露している。
翌1982年5月4日から5月24日には、全国13都市(北は仙台から南は鹿児島まで)17公演と言う当時の海外アーティストとしては異例の規模でコンサートを開催し、新宿厚生年金会館に於いて公演の模様が収録された。後にNHKで特番として放映されるとともに、唯一のライブ・アルバム「ファンシー・コンサート アラベスク・ライブ イン・ジャパン」 も同年10月にリリースされた。この来日期間中にも夜のヒットスタジオに出演し「キャバレーロに夢中」を披露している。
なお、この時期に前後して、公認のファンクラブ(Arabesque Fan Club Japan)が日本で設立され、会報の発行やノベルティグッズの販売が行われていた。
これらの来日以外では、「アラベスク グレイテスト・ヒッツ DVD」(ビクター独自規格のVHDとして販売され、後にVHSカセットが販売された。DVD化されたのは2002年)に収められている映像の撮影の為に来日している。その際、ドイツのテレビ局が帯同し(本国とは違う)アラベスクの日本での人気についての取材等が行われ、新宿のディスコ"XENON"他で収録を行った。
二度の来日公演の前後がアラベスクの人気のピークだったと考えられる。それまでのディスコブームから始まったユーロ・ビートやキャンディポップといった音楽のトレンドが日本でも変わり始めたからだ。1983年を過ぎるとアルバムのリリース(同年の新譜は、何れも同一アルバムからのシングル・カット)も途絶えたりと人気も徐々に陰りを見せ始めた。さらにメンバーのソロ活動への関心が高まっていて、これがアラベスクの活動に影響を与え、最後は不自然なカタチでの解散となった。
解散後
[編集]サンドラ・アン・ラウアー(Sandra Ann Lauer)はアラベスクとしての活動停止後、1982年の日本公演やアルバム「キャバレーロに夢中」に参加していた、キーボード奏者でソロアーティスト兼プロデューサーとして活動していたマイケル・クレトゥのプロデュースによりソロ・デビューを果し、数々のヒット曲に恵まれてドイツのみならずヨーロッパを代表する女性シンガーとなった。1988年にはマイケル・クレトゥと結婚、その後1995年から2001年まで子育てで音楽活動を休止、復帰後、ENIGMAのアルバム数作に参加したが、後に離婚している。
一方、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)とジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)の二人はドイツで「Rouge」(ルージュ)と言うユニットを組み音楽活動を再開した。そして1988年に、「Loving Me Totally」(邦題「恋はノータイム」)で第18回東京音楽祭に出場したが日本では目立った活躍はなく、以降、数年に渡り本国ドイツを中心に音楽活動を行なっていた。
2006年12月、アラベスクのオリジナルメンバーであるミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)は、新メンバーのザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)、ジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)の2人と共にモスクワで開催された、第2回「レトロ・FMフェスティバル」にArabesque original Michaela Roseとしてゲスト出演し、アラベスクの往年のヒット曲を披露しカムバックした。その後、世界ツアーやニューアルバムのリリースも噂されたが、アラベスクの往年のヒット曲を再リリースしたが、世界ツアーには至らなかった。現在も少ないながら東欧やロシアの音楽フェスティバルに参加している。
ディスコグラフィ
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]- 『アラベスク・ファースト』Arabesque Ⅰ 〜FridayNight〜 (1978.12.5)(日本・独ともに1st)
- 『ペパーミント・ジャック』 Arabesque Ⅱ 〜Peppermint Jack〜 (1979.10.25)(日本・独ともに2ed 、独は〜City Cats〜)
- 『ハイ・ライフ』 Arabesque III〜High Life〜 (1980.5.21)(日本・独ともに3rd、独は〜Marigot Bay〜)
- 『さわやかメイク・ラブ』 Arabesque IV〜Make Love Whenever You Can〜 (1980.12.5)(日本4th)※独は、タイトルや収録曲が違う
- 『ビリーズ・バーベキュー』 Arabesque V〜Billy's Barbeque〜 (1981.8.21)(日本5th)
- 『キャバレーロに夢中』 Arabesque VI〜Caballero〜 (1982.4)(日本6th) (注)
- 『愛のリプライ』 Arabesque VII〜Why No Reply〜 (1982.12)(日本7th)
- 『恋のルーザー』 〜Arabesque VIII〜Loser Pays The Piper〜 (1983.12)(日本8th)
- 『恋はナイト・アンド・デイ』 〜Arabesque IX〜 Time To Say "Good-Bye" 〜 (1984.12.16)(日本9th、ラスト・アルバム)
※『In For A Penny』(1981)(独4th、日本盤の『さわやかメイク・ラブ』と『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでは最後のオリジナルアルバム。
※『アラベスク・ファースト』から『ビリーズ・バーベキュー』は後にCD盤が発売されている。
(注)ジャケットの裏にキーボード:マイケル・クレトゥ(後のサンドラの独立を促したとされる人物)の参加が確認できる。
主な実績(オリジナル・アルバム)
[編集]オリジナル・アルバムでは、『ペパーミント・ジャック』 〜Arabesque Ⅱ 〜と『ビリーズ・バーベキュー』 〜Arabesque V〜 が共にオリコン洋楽チャートで第1位(総合チャートでは第2位)を獲得している。 また、『ハイ・ライフ』 〜Arabesque III〜 が洋楽チャートで第1位(総合チャート第9位)を獲得している。
ベスト・アルバム/企画アルバム/DVD
[編集]- 『アラベスク・グレイテスト・ヒッツ』 〜Greatest Hits〜(1981.5)来日コンサートを記念して発売されたアラベスク初のベストアルバム。
- 『カラフル・アラベスク』 〜Everybody Likes Arabesque -Hit Medley- 〜 (1982.04.01)第2回来日公演を記念したノンストップ・リミックス。
- 『ファンシー・コンサート アラベスク・ライブ イン・ジャパン』 〜FANCY CONCERT -Arabesque Live In Japan- 〜(1982.10.21)第2回来日公演のライブアルバム。
- 『ラジオ アラベスク』 〜RADIO ARABESQUE〜(1983.9)「メンバーがラジオ局からDJとしてアラベスクの曲紹介をする」という設定の企画盤、A面はシティサイド、B面はトロピカルサイドと曲調がそれぞれ異なる曲調を楽しめるようになっている、初回限定盤あり。
- 『アラベスク グレイテスト・ヒッツ VHD』(1983)アラベスク唯一の映像作品で、1983年に来日して撮影が行われたもの。当時のビクターの独自規格であるVHD(Video High Density)で発売されたが、残念ながら普及せず、後にVHSでリセールされ、さらに2002年にDVD化された。
- 『ハート・オン・ファイア / アラベスク・スーパー・ベスト』 〜ARABESQUE SUPER BEST〜(1984.8.21)全14曲。
- 『アラベスク BEST ONE』(1990.11.25)全18曲。
- 『アラベスク・ベスト・ヒット36』(1992.11.26)全36曲。
- 『アラベスク/決定版』(1993.11.13)全18曲。
- 『ABBA vs Arabesque』(1994)全120曲、うち60曲がアラベスクの楽曲。
- 『アラベスク NEW BEST ONE』(1995.10.27)全18曲。
- 『アラベスクのすべて』(1996.08.21)5枚組ベストアルバム、全75曲。
- 『ハロー・ミスター・モンキー・リミックス』(1998.02.21)「 ’98ニュー・ラジオ・バージョン」「’98ニュー・エクステンデッド・バージョン」「P.K.G.ミックス」「クラブ・リング・ナイト・ミックス」で構成された全4曲の企画盤。
- 『アラベスク・ノンストップ・ベスト・ヒッツ』(1998.3.4)全27曲。
- 『アラベスク〈TWIN BEST〉』(1998.11.06)2枚組、全40曲。
- 『アラベスク〈New Best One〉』(1999.07.07)全18曲。
- 『アラベスク グレイテスト・ヒッツ DVD』(2002.04.24)1983年に日本でのみ発売されたアラベスク唯一の映像作品のDVD版。
- 『<COLEZO!>アラベスク』(2005.06.22)全18曲。
- 『<COLEZO!TWIN>アラベスク』(2005.12.16)全40曲。
- 『ベスト・オブ・アラベスク』(2009.09.16)全22曲。
- 『アラベスク SUPER BEST』(2009.12.04)全16曲。
- 『アラベスク コンプリート・シングル・コレクション』(2010.08.25)アラベスクの全シングル20枚のAB面完全網羅のコンプリート・シングル・コレクション、全40曲。
- 『アラベスク PLATINUM BEST』(2013.10.23)大人のための2枚組CD「プラチナム・ベスト」シリーズ、全40曲。
- 『アラベスク コンプリート・ボックス』(2015.02.04)本邦初CD化も含む全オリジナル・アルバムと企画アルバムで構成、映像特典、ボーナストラック、未発表曲、初CD化音源をなどを収録した、全105曲。
- 『アラベスク 40th アニヴァーサリー・ベスト』(2017.06.21)アラベスクのデビュー40周年記念盤、全20曲。
- 『アラベスク 45th アニヴァーサリー・ベスト』(2022.06.22)アラベスクのデビュー45周年記念盤、全20曲。
※「6.アラベスク BEST ONE」は、解散後に発売されたベストアルバムや企画盤でタイトルを変えた廉価版も含まれている。DVDの発売は、2008年11月19日だが2009年に期間限定出荷盤(廉価版)が発売されている。なお、現在オンライン販売で入手できるDVDには、韓国盤で日本語のパッケージのものがある。
主な実績(ベスト・アルバム/企画アルバム)
[編集]『アラベスク・グレイテスト・ヒッツ』は、アラベスクのアルバムの中で最も売れたアルバムであり、オリコンで洋楽チャートと総合チャートで共に第1位を獲得すると共に、50万枚を上回る販売実績を誇っている。さらに、当時としてはまだメジャーだったカセット部門でも第1位を獲得しており、販売実績は実に35万本を上回った。
シングル
[編集]※ 日本でのシングルリリース曲
発売日 | 規格品番 | 面 | タイトル |
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1977年12月1日 | VIP-2601 | A | ハロー・ミスター・モンキー Hello Mr.Monkey |
B | バギーボーイ Buggy Boy | ||
1978年9月25日 | VIP-2653 | A | フライデイ・ナイト Friday Night |
B | 貴方を待って Someone Is Waiting For You | ||
1979年1月25日 | VIP-2695 | A | フライ・ハイ Fly High Little Butterfly |
B | ギブ・イット・アップ Give It Up | ||
1979年7月5日 | VIP-2753 | A | 今夜もロック・ミー Rock Me After Midnight |
B | ディスコ・フィーバー In The Heat Of The Disco Night | ||
1979年10月25日 | VIP-2783 | A | ペパーミント・ジャック Peppermint Jack |
B | ルシファーズ・ラバー Lucifer's Lover | ||
1980年2月21日 | VIP-2811 | A | ハイ・ライフ High Life |
B | ローラー・スター Roller Star | ||
1980年6月5日 | VIPX-1509 | A | 恋のペントハウス Parties In A Penthouse |
B | ジングル・ジャングル・ジョー Jingle Jangle Joe | ||
1980年10月21日 | VIPX-1539 | A | さわやかメイク・ラブ Make Love Whenever You Can |
B | ひとりぼっちの朝食 I Dont Wanna Have Breakfast With You | ||
1981年2月5日 | VIPX-1559 | A | ミッドナイト・ダンサー Midnight Dancer |
B | 狼に気をつけて Keep The Wolf From The Door | ||
1981年5月21日 | VIPX-1572 | A | 恋にメリーゴーランド In For A Penny In For A Pound |
B | 私のナイス・ヒーロー The Hero Of My Life | ||
1981年8月21日 | VIPX-1586 | A | ビリーズ・バーベキュー Billy's Barbeque |
B | インディオ・ボーイ Indio Boy | ||
1981年11月21日 | VIPX-1600 | A | 幸せのジャックポット Hit The Jackpot |
B | フラッシュ・イン・ザ・パン A Flash In The Pan | ||
1982年3月21日 | VIPX-1627 | A | キャバレーロに夢中 Caballero |
B | 愛しのストーリー・テラー Tall Story Teller | ||
1982年7月21日 | VIPX-1651 | A | ヤング・ファースト・ラブ Young Fingers Get Burnt |
B | ザンジバル Zanzibar | ||
1982年11月21日 | VIPX-1677 | A | 愛のリプライ Why No Reply |
B | ディスカバー・ミー Discover Me | ||
1983年 | VIPX-1698 | A | あの愛をもう一 度 Pack It Up |
B | ステュッピッド・ボーイズ Stupid Boys | ||
1983年 | VIPX-1716 | A | 気分もエアロビック Dance Dance Dance |
B | サンライズ・イン・ユア・アイズ Sunrise In Your Eyes | ||
1983年 | VIPX-1729 | A | 恋のルーザー Loser Pays The Piper |
B | 天使と悪魔 Angel Face | ||
1984年2月 | VIPX-1753 | A | ハート・オン・ファイア Heart On Fire |
B | それならムーヴ・オン You Better Get A Move On | ||
1985年1月 | VIPX-1793 | A | 恋はナイト・アンド・デイ Time To Say -Good Bye |
B | サンセット・イン・ニューヨーク Sunset In Newyork |
主な実績(シングル)
[編集]アラベスクは、日本でリリースしたシングルレコード全20曲のうち実に12曲がオリコン総合チャート50位以内にランクインしていて、デビュー曲「ハロー・ミスター・モンキー」は総合チャートで第8位を獲得している。 洋楽チャートに限っては、デビュー曲から「キャバレーロに夢中」まて連続13曲がTOP10入りをしていて、「ハロー・ミスター・モンキー」「フライデー・ナイト」「恋にメリーゴーランド」が第1位、「ペパーミント・ジャック」「ハイ・ライフ」「ビリーズ・バーベキュー」か第2位、「フライ・ハイ」「恋のペントハウス」か第3位を獲得した。
また、洋楽アーティストセールス部門では、1979年と1980年は第2位(第1位は共にABBA)、1981年は第1位(第2位はノーランズ)を獲得、また、昭和56年度の日本国内ベストセラー(オリコンコンフィデンシャルによる)アーティスト・セールス・ランキングでは、第6位(第5位はオフコース)と、当時ヒットしていたシャネルズや田原俊彦、近藤真彦等の日本のアイドルを上回るセールスを記録していた。
その他のリリース
[編集]1曲を除き、活動再会後のメンバーで録音されたもので音源も改められている。日本では、Apple Music または YouTube Music で試聴が可能。
- 『Zanzibar (DJ FA vs. Arabesque)』サンドラがボーカルのZanzibarをアレンジした曲。Radio Edit とExtended Edit がある。
- 『Marigot Bay 2008』 (2008) (faet. Michaela Rose)
- 『Zanzibar』 (2017.10) 「Radio Version 2017」 と「Radio Retro Mix 2017」 がある。
- 『Arabesque Upgraded Collection』 (2018.10)唯一のアルバムで全13曲、主にミシェーラ・ローズがボーカルを担当した曲と「Midnight Dancer」や「Marigot Bay」も含まれ、「Sukiyaki Song」も収録されている。
- 『Танцуем диско』Midnight Dancerのロシア語アレンジ曲で、DAS Music & Pictures よりリリースされている。
- 『Friday Night』 (2021.7)(The Oriental Night Mix)
- 『Dance into the Moonlight』 (2024.5)(feat. Michaela Rose) - Mkk X Techoed Remix 他全5曲(全て同一曲の別リミックス・バージョン)Happy Sheep Records よりリリースされている。
- 『Music Is Always The Key』(2024.7.5)Michaela Rose の歌うオリジナル曲。
その他
[編集]- アラベスクの初期メンバー(デビュー時)は、メリー・アン(Mary Ann Nagel)、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、カレン・アン (Karen Ann)で、「ハロー・ミスター・モンキー」のリード・ボーカルはメリー・アンである。当時の西ドイツのテレビに出演した映像がファンによりYouTubeに公開されている。
- エルケ・ブルクへイマー(Elke Bruckheimer)は、日本では幻のメンバーとして知られているが、メンバーに加入して半年を経たずに脱退している。本来、進むべき音楽の方向性がユーロポップではなかったとされる。ライブ活動に数回参加したか、彼女の歌っている(録音された)アラベスクの楽曲はない。
- アラベスクの活動期間は、日本では1985年までと解説されていることが多い。これは日本でのラストシングル「恋はナイト・アンド・デイ」のリリースが1985年1月であることが根拠だ。しかしながら、本国ドイツでは1984年の時点で既に表だった活動がなく、サンドラ・アン・ラウアーはその年にソロで「Japan ist weit」と言うカバー曲を密かにリリースしており、これはサンドラのファンの間では周知の事実になっていた。片や日本ではアラベスク解散に至る経緯は明らかにされてなかった。実際はサンドラの独立問題の進展が早まった為に、アラベスクとして収録を終えていた楽曲のリリースが時期を逸してしまい、日本では発売が年を越したと言う事のようだ。従って、日本以外ではアラベスクの活動時期は1984年迄となっている。
- オリジナルメンバーのMichaela Roseの日本でのカタカナ表記は、当初はミカエラ・ローズと紹介されていたが、後にミシェーラ(またはミッシェーラ)に変更された。ドイツ語発音を参考にしたものと推測されるが、若干、違和感がある。
- 「フライデー・ナイト」は、シングルとアルバム収録曲でサビの繰り返しパターンがほんの一部で異なる。
- 「Rock'n'roll Fan」(ロックンロール・ファン)と言う(どのアルバムにも収録されていない)未発表の曲があり、ファンによりYouTubeで公開されている。
- 「インディオ・ボーイ」には、日本で収録されているものとアレンジが違うドイツバージョンがり、ドイツ発売盤にのみに収録されている。
- 第17弾シングルは、当初、B面の「サンライズ・イン・ユア・アイズ」もA面として検討されていたが、ファンクラブメンバーが視聴して好評だった「気分もエアロビック」に決まったとされている。
- ルージュ(Rouge)の「恋はノータイム」は、テレビ朝日系列で放送された「ゴリラ警視庁捜査第8班 」で挿入歌に採用された。また、ジャケットには「東京舞踏倶楽部」と言う副題が付けられている。
- ルージュ(Rouge)の解散後、ジャスミン・エリザベス・フェッターは、ソロで「Tick Tack」と「Friday Night Ivan spell Remix」をリリースし、「ミッドナイトダンサー」他のパフォーマンス映像をYouTubeで公開している。
- 解散後は、アラベスク時代の歌を歌う事はなかったとされているサンドラ・ラウアーだが、YouTubeには、彼女のコンサートらしき映像の中に「Ecstasy」(エクスタシー)を歌っているシーンがある。
- 2017年にakaneが振付・演出・指揮を務めた大阪府立登美丘高校の「バブリーダンス」において、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」の前半と後半の間奏に、「ハート・オン・ファイア」(Heart On Fire)のイントロ部分が使用されている。
- NHK「天才てれびくん」の歌のコーナー、MTK(ミュージックてれびくん)の2002年度の曲の中には、タケカワユキヒデとThat's on Noiseが訳詞編曲し、SPACE FAIRY(俵有希子、中村有沙、白木杏奈)が歌う「恋にメリーゴーラウンド」がある。天才てれびくんのアルバム「天てれ上カルビ~MTK the 6th~」に収録されている。
参考
[編集]- アラベスクの本国西ドイツでに於けるヒット曲は、1980年にシングル「Take Me Don't Break Me」がドイツのヒットチャートのトップ40に入り、次のシングル「Marigot Bay」が唯一のトップ10入りを果したのみで、日本との人気の差は歴然としていた。なお、日本以外では、アルゼンチンでアルバムがチャートで1位を獲得している。
- キャンディー・ポップとは、1970年代後半から1980年代前半に日本の音楽シーンで注目を浴びたガールズ・ポップで、その音楽スタイルはディスコ、ポップ、ユーロディスコの要素を含んでいる。特徴としては、キャッチーなメロディー、ダンサブルなビート、明るく軽快なサウンドがあり、アラベスクをはじめノーランズ、ザ・ドゥーリーズ、ニュートン・ファミリー、バカラなどが日本でヒットした。
- グループの最後のアルバムに収録された「Time To Say Goodbye」と「Ecstasy」は、1980年代半ばからヨーロッパで人気だったイタロ・ディスコ(日本ではユーロビートと呼ぶ)に非常に近いサウンドだったため、解散後にヨーロッパの市場でヒットした。 これらの曲は、ダンス/ポップ・ミュージックのLPコンピレーションやブートレグ・テープを通じて広まり成功を収めたとされている。