エセル・バリモア

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エセル・バリモア
Ethel Barrymore
Ethel Barrymore
1940年撮影
本名 Ethel Mae Blythe
生年月日 (1879-08-15) 1879年8月15日
没年月日 (1959-06-18) 1959年6月18日(79歳没)
出生地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 Russel Griswold Colt (1909-1923)
著名な家族 モーリス・バリモア(父)
ジョージアナ・ドリュー(母)
ライオネル・バリモア(兄)
ジョン・バリモア(弟)
 
受賞
アカデミー賞
助演女優賞
1944年孤独な心
その他の賞
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エセル・バリモア(Ethel Barrymore, 1879年8月15日 - 1959年6月18日)は、米国の舞台女優、映画女優。

来歴[編集]

ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。本名エセル・メイ・プライス。父はイングランド人[1]俳優モーリス・バリモア(Maurice Barrymore、本名 Herbert Arthur Chamberlayne Blythe)、母は米国[2]の女優ジョージアナ・ドリュー(Georgiana Drew)。

1894年から舞台女優として活躍、サイレント映画にも出演した。

ライオネル・バリモア、弟ジョン・バリモアも俳優で、後に3人は「バリモア一家」と呼ばれる名優たちになった。1932年『怪僧ラスプーチン (Rasputin and the Empress)』では3人が初共演した。

ジョン・バリモアの死後、ライオネルとエセルは1953年の『ブロードウェイへの道(Main Street to Broadway)』で共演するが、偶然にもライオネルの遺作になった。

映画、舞台、そしてTVでも活躍した。

1951年、アカデミー賞授与式でジュディ・ホリデイが欠席したため、彼女の代理として、オスカー像を受け取った。

重要な役回りを演ずる作品では、彼女がしばしば病気がちの女性を演ずるか、時にはベッドの上で死んでしまう配役が多かった。

エセルと兄ライオネルは、最初にオスカーを獲得した兄妹である。

1944年『None But the Lonely Heart』(日本劇場未公開だが後に『孤独な心』の邦題でテレビ放送された)に出演してアカデミー助演女優賞を受けてから主な活動の場は映画に移り、品の良い老婦人を演じ続けた。1959年79歳で死去。

主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1917 大偉力
The Greatest Power
ミリアム・モンロー
1944 孤独な心
None But the Lonely Heart
Ma Mott アカデミー助演女優賞 受賞
1946 らせん階段
The Spiral Staircase
ウォレン夫人
1947 ミネソタの娘
The Farmer's Daughter
アガサ
愛の交響楽
Night Song
ミス・ウィリー
パラダイン夫人の恋
The Paradine Case
レディ・ソフィー・ホーフィールド
1948 ジェニイの肖像
Portrait of Jennie
ミス・スピニー
1949 赤きダニューブ
The Red Danube
修道院長
ピンキー
Pinky
ミス・エム
1951 脱獄者の秘密
The Secret of Convict Lake
おばあちゃん
1952 デッドライン〜USA
Deadline - U.S.A.
マーガレット・ガリソン
1953 三つの恋の物語
The Story of Three Loves
ヘイゼル・ペニコット
ブロードウェイへの道
Main Street to Broadway
本人
1954 ヤング・アット・ハート
Young at Heart
ジェシー・タトル

脚注[編集]

  1. ^ インド生まれのイングランド人。後にアメリカに帰化。
  2. ^ 父ジョン・ドリュー(John Drew)はアイルランドから幼い時にアメリカに移民して来た俳優。母ルイーザ・レイン・ドリュー(Louisa Lane Drew)はイングランド人の舞台女優。

外部リンク[編集]