オハイオ州立大学

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オハイオ州立大学
モットー Disciplina in civitatem
ラテン語、"市民のための教育")
モットー (英語) Education for Citizenship
種別 旗艦
公立
セメスター制
設立年 1870年
資金 1.870億米ドル[1]
学長 クリスティーナ・M・ジョンソン[2]
職員数
5,584 academic faculty, 21,693 non-academic staff (not including students)[3]
学生総数 55,014人(コロンバス)、63,217人 (全校)[3]
学部生 38,479人(コロンバス)、46,690人(全校)
大学院生 13,339人(コロンバス)、13,657人(全校)[4]
所在地 アメリカ合衆国
オハイオ州コロンバス
キャンパス 1,762エーカー (7 km2) Columbus campus
15,904エーカー (64 km2) total(都市)[3]
スポーツ 男子19競技、女子20競技のチーム
スクールカラー         緋色とグレー
ニックネーム バックアイズ
マスコット ブルータス・バッカイ
公式サイト www.osu.edu
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Aerial view of the main campus, with Drinko Hall
Hale Hall
OSU Wexner Medical Center(看護大学院含む)
フィッシャー・ビジネスカレッジ(経営大学院

オハイオ州立大学(オハイオしゅうりつだいがく、Ohio State University, OSU)は、オハイオ州コロンバスのダウンタウンの北約4kmに位置する州立総合大学。学生数は学部生・大学院生合わせて50,000人を超え、全米最大の規模である[5]。「OSU」と呼ばれる大学はオクラホマ州立大学オレゴン州立大学など数多くあるが、米国では同校のことを指すのが最も一般的。また同大学は、公立の名門校群であるパブリック・アイビーの一つに数えられる[6]看護学は全米TOP10で名高く、経営大学院フィッシャー・ビジネスカレッジは全米40位前後となっている。

沿革[編集]

オハイオ州立大学は1862年モリル法により、1870年土地付与大学としてオハイオ農工大学(Ohio Agricultural and Mechanical College)の名前で創立され、同校は当初、コロンバス北端の農場集落の中に立っていた。1878年に現在の「オハイオ州立大学」に改称、総合大学となった。1906年にオハイオ州立大学のオハイオ州の旗艦大学としての地位が、イーグルソン法を通じてオハイオ州議会によって法律に明記された。1916年には同校はアメリカ大学協会(The Association of American Universities、NAIU)のメンバーに選ばれている。

学問分野[編集]

全米有数の規模の総合大学であるオハイオ州立大学は専攻の幅が広く、あらゆる学問分野において教授陣が充実している。特に評価が高い分野としては、オハイオ農工大学からの伝統である農学や、大学独自の空港を持つ航空工学が挙げられる。また、経営学の分野にも秀で、特にロジスティクス研究においては全米でも屈指の高い評価を得ており、ロジスティクス業界に多数の人材を輩出している。消費者行動研究で著名なマーケティングエキスパートロジャー・ブラックウェル博士も同校教授として教鞭をとっていた。これまでに卒業生及び教員の中から、レオン・ニール・クーパー (1972 物理学賞)、ポール・フローリー (1974 化学賞)、ウィリアム・ファウラー (1983 物理学賞)、ケネス・ウィルソン (1982 物理学賞)、ピエール・アゴスティーニ (2023 物理学賞[7])、の5名のノーベル賞受賞者、9名のピューリッツァー賞受賞者を輩出している。また、U.S. Newsによる2015年全米州立大学ランキングでは、テキサス大学オースティン校ワシントン大学 (ワシントン州)と並んで、16位にランク付けされている。[8]

ランキング[編集]

主要世界大学ランキング[編集]

TIMES世界大学ランキング(2013年度)[9]

  • 総合:第59位
  • 人文科学分野:第52位
  • 医学分野:第74位
  • 工学分野:第53位
  • 生物科学分野:第56位
  • 自然科学分野:第54位
  • 社会科学分野:第29位

その他世界大学ランキング

  • CENTER FOR WORLD UNIVERSITY RANKING:第49位 (2015年度)[10]
  • 上海交通電気大学ランキング:第65位 (2015年度)[11]
  • QS World University Rankings:第99位(2015年度)[12]

全米大学ランキング[編集]

  • 全米大学総合ランキング:第52位(2015年度)[13]
  • 全米州立大学ランキング:第16位(2015年度)[8]

スポーツ[編集]

オハイオ州立大学のスポーツチームは"Buckeyes"(バッカイズ)と呼ばれている。Buckeyeとは「トチノキ」の意味で、オハイオ州を別名"Buckeye State"と呼ぶことからこの名がついている。

同校はカレッジフットボールの名門として知られ、これまで8回の全米チャンピオンに輝いている。NFLにも多数の出身者を輩出している。1950-60年代は「伝説のコーチ」と称されるウッディ・ヘイズ監督に率いられ、同校の黄金時代であった。1968年にはローズボウルO・J・シンプソンを擁する南カリフォルニア大学トロージャンズに勝ち、全米優勝の栄冠を手にした。最近の優勝は2002年で、2003年正月にアリゾナ州テンピフェニックス郊外)で開かれたフィエスタボウルで2度の延長の末マイアミ大学ハリケーンズを31-24で破って連勝を34で止め、32年ぶりの優勝を果たした。また、2015年1月、初めて行われたカレッジフットボール・プレイオフで本命と見られていたアラバマ大学、オレゴン大学を下しての優勝を飾った。

同校が所属するビッグ・テン・カンファレンスはフットボール最激戦区のひとつである。特にミシガン大学ウルヴァリンズとのライバル関係は熾烈を極めており、1977年11月19日にミシガン大スタジアムで行われた試合では、100,624人とレギュラーシーズンの試合ではカレッジフットボール史上最高の観客動員記録を作った[14]。同カンファレンスには、その他にも名将ジョー・パターノが長年率いていたペンシルベニア州立大学ニタニー・ライオンズや、ウィスコンシン大学バッジャーズなど実力校が揃う。

同校フットボールチームのホームスタジアムは、オハイオ・スタジアムである。上空から見ると馬蹄形をしていることから、Horseshoeとも呼ばれる。同スタジアムはキャンパス内に所在する。収容人数は100,000人を超えるが、ホームの試合は毎試合売り切れで、特に対ミシガン大学戦のチケット入手は極めて困難である。

同校のフットボールチーム応援歌は"Across The Field"という。試合で勝利すると、"Carmen Ohio"と呼ばれる同校の美しい校歌が流れ、選手・監督・観客全員で斉唱する。また、"OH"という呼びかけに対して"IO"と答えるのが、同校およびコロンバスでの伝統的なあいさつになっている。

また、ハーフタイムにはマーチングバンドの演奏が行われるが、楽器を演奏しながら、フィールドいっぱいに人文字を描くというもので、225人のバンドメンバーが一糸乱れぬ統一された動きで巧妙な人文字を描く様は圧巻の一言であり、好評を得ている。[15]

また同校バスケットボールチームは2007年NCAA男子バスケットボールトーナメントにおいて決勝に進出したが、連覇を狙うフロリダ大学に敗れた。そのチームの中心となったグレッグ・オデンマイク・コンリーJrデカン・クックの3人は1年生ながら2007年のNBAドラフトに於いて1巡目で指名されている。

伝統[編集]

ミラーレイク

2017年現在、140年を越える歴史を持つ同校では多種多様の伝統が校風に影響を与えている。その大多数は、フットボールチームの応援と関係し、生徒たちの日常生活にも大きく関わっている。その例としては、ミシガン校との毎年恒例のフットボールの試合前の木曜日から金曜未明にかけ、亡くなった伝説的なヘイズ監督の霊をコロンバス市に呼ぶために、11:00PMから翌日の4:00AMまで11月の寒さの中ミラーレイクと言う同校の池に飛び込み、泳ぎ回る生徒は毎年千人を遥かに超える。

事件・事故[編集]

  • 2016年11月28日、ソマリア移民の学生が車で歩行者の集団に突っ込んだ後、刃物で周囲の人々に切りつけ11人が重軽傷を負った。容疑者は、駆け付けた警官に射殺されている[16]

日本とのかかわり[編集]

大学の国際化の一環として、オハイオ州立大学は米国外の有力大学と提携し、選抜された優秀な学生を相互に留学生として派遣・受け入れを行っている。日本の大学では、北海道大学慶應義塾大学早稲田大学南山大学筑波大学静岡県立大学国際基督教大学(ICU)などが同校と提携している[17]。また、郊外のメアリスビル市に本田技研工業を抱えるためコロンバス都市圏には日本人の人口が比較的多く、同校にも日本人学生が在学する。

著名な卒業生[編集]

ノーベル賞受賞者 (Nobel laureates)[編集]

ピューリッツァー賞 (Pulitzer Prize) 受賞者[編集]

  • ポール・H.・バック (Paul H. Buck) 1938年 歴史報道 (1921年 BA 取得 1922年 MA 取得 )[19]
  • メアリー・オリバー (Mary Oliver) 1984年 詩報道[20]
  • ウォルト・ボグダニッチ (Walt Bogdanich) 1988年 特別報道 2005年 国内報道 2008年 調査的報道 (1976年 MA 取得)[21]
  • ジュディス・ミラー (Judith Miller (journalist)|Judith Miller) 2002年 解説レポート (学部在籍)[19]
  • ダイアナ・サグ (Diana Sugg) 2003 年 最優秀レポート賞 (1992 年 MA 取得)[19]
  • ニック・アンダーソン (Nick Anderson (cartoonist)|Nick Anderson) 2005年 社説漫画賞 (BA 取得)
  • ジュリア・ケラー (Julia Keller) 2005年 特集執筆 (1995年 Ph.D 取得)[21]
  • ジム・シェーファー (Jim Schaefer) 2009 年 現地取材報道 (BA 取得)[22]

科学・工学・建築[編集]

  • アグネス・マイヤー・ドリスコル (Agnes Meyer Driscoll)「日本海軍の暗号を解読」 (1911年 B.S. 取得)
  • ジェームズ・M・アーリー (James M. Early) 「バイポーラトランジスタのアーリー効果 (Early effect) を発見 (1952年)」 (1951年 Ph. D 取得)
  • ジェウェル・J・エバース (Jewell James Ebers) 「バイポーラトランジスタの数学的モデル (Ebers-Moll model) を開発 (1954年)」 (1950年 Ph. D 取得)
  • 榎本忠儀 (Tadayoshi Enomoto)「動画像処理プロセッサLSIを開発 (1987年)」 (1975年 Ph.D 取得)
  • メルビン・デ・グルート (Melvin De Groote) 「エジソンに次いで2番目に多くの特許を取得」
  • チャールズ・ケタリング (Charles Kettering) 「自動車用電気スターターを発明」 (1904年 B.S. 取得)
  • ダウォン・カーン (Dawon Kahng) 「LSIの基本素子であるMOSFETや浮遊ゲートMOSFETを発明 (1959年)」 (1959年 Ph. D 取得)
  • ジョン・ダニエル・クラウス (John Daniel Kraus) 「ビーム・アンテナを発明、電波望遠鏡 (ビッグイヤー) を設計 (1994年)」(名誉教授)
  • ベンジャミン・G・ラム (Benjamin G. Lamme) 「直流鉄道モーターを開発、誘導モーターを実用化」 (1888年 B.S. 取得)
  • ジョン・L・モル (John Louis Moll) 1954年 「バイポーラトランジスタの数学的モデル (Ebers-Moll model) を開発 (1954年)」 (1952年 Ph. D 取得)
  • ラッセル・C・ニューハウス (Russell C. Newhouse) 「航空機用電波高度計を開発」 (1929年 B.S. 取得)
  • ジュリー・パレ (Julie Palais) 「ロイ・プランケット、テフロンを発明」 (1936 年 Ph. D 取得)
  • ダグラス・プラッシャー (Douglas Prasher) 「緑色蛍光タンパク質 (GFP) 遺伝子を発見」 (1979年 Ph. D 取得)
  • カール・プロブスト (Karl Probst) 「ジープを開発」 (1906年 B.S. 取得)
  • ウォレス・クレメント・サビーヌ (Wallace Clement Sabine) 「ボストンのシンフォニーホールの音響設備を設計」 (1886年 B.S. 取得)
  • R. トム・ソーヤー (R. Tom Sawyer) 「ガスタービン機関車の実用化、ディーゼル機関車の開発」 (1923年 B.S.、1930年 M.S. 取得)
  • 植之原道行 (Michiyuki Uenohara)「GaAsパラメトリック増幅器を開発 (1957年)」 (1956年 Ph.D 取得)
  • マービン・H・ホワイト (M. H. White) 「MNOSフラッシュメモリを開発」 (1969年 Ph. D 取得)[23]
  • 山村昌 (Sakae Yamamura)「誘導機型リニアモーターの理論的研究 (1970年)」 (1953年 Ph.D 取得)

日本人卒業生[編集]

日本人教授[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2010 NACUBO-Commonfund Study of Endowments” (PDF). National Association of College and University Business Officers (NACUBO) (2011年). 2011年1月27日閲覧。
  2. ^ Office of the President
  3. ^ a b c OSU Statistical Summary
  4. ^ Ohio.state.edu Autumn 2007 Enrollment Report[リンク切れ]
  5. ^ http://www.dispatch.com/live/contentbe/dispatch/2006/10/17/20061017-D3-00.html OSU is No. 1 again ? in enrollment[リンク切れ]
  6. ^ Ivy League Online
  7. ^ 2023年ノーベル物理学賞
  8. ^ a b US NEWS学部ランキング(全米大学総合ランキング)
  9. ^ TIMES世界大学ランキング(2013年度)
  10. ^ CENTER FOR WORLD UNIVERSITY RANKING
  11. ^ 上海交通電気大学ランキング
  12. ^ QS World University Rankings
  13. ^ US NEWS学部ランキング(全米大学総合ランキング)
  14. ^ 力と力 男のスポーツ アメリカン・フットボール 読売新聞 1977年12月9日夕刊3ページ
  15. ^ アメフトNewsjapan:ハーフタイムにファンが釘付け、OSUマーチングバンド
  16. ^ オハイオ州立大襲撃、容疑者にISISの影響-捜査当局 CNN(2016年11月30日)2016年12月2日閲覧
  17. ^ Office of International Affairs
  18. ^ ピエール・アゴスティーニ 2023年ノーベル物理学賞
  19. ^ a b c The Pulitzer Prize” (英語). Office of Academic Affairs, The Ohio State University (2017年7月20日). 2021年5月17日閲覧。
  20. ^ Mary Oliver” (英語). Poetry Foundation. 2021年5月17日閲覧。
  21. ^ a b Pulitzer Prizes awarded to three Ohio State graduates” (英語). Ohio State News (2005年4月4日). 2021年5月17日閲覧。
  22. ^ The 2009 Pulitzer Prize Winners”. The Pulitzer Prize. 2010年3月22日閲覧。
  23. ^ M. H. White/Emmy Award)

外部リンク[編集]