オレウデ・ホセ・リベイロ
ウィキペディアから無料の百科事典
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | オレウデ・ホセ・リベイロ Oleude José Ribeiro | |||||
カタカナ | カピトン | |||||
ラテン文字 | CAPITÃO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1966年9月19日(57歳) | |||||
出身地 | コンセリェイロ・ペナ | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カピトン (Capitão) こと、オレウデ・ホセ・リベイロ(Oleude José Ribeiro、1966年9月19日 - )は、ブラジル・ミナスジェライス州コンセリェイロ・ペナ出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーだが、ディフェンダーを務めることもあった。
経歴[編集]
1994年の1年間、ヴェルディ川崎に所属。リーグ戦18試合、天皇杯1試合に出場した。得点はなし。
Jリーグには「外国籍選手の登録は3名以内」という規定があり、当時のチームはベンチーニョ、ビスマルク、ペレイラの3人を出場させることが多く、出番は少なかった。
しかし、NICOSシリーズ後半からベンチーニョに代わり出場機会が増えた。サンフレッチェ広島とのJリーグチャンピオンシップでは本領を発揮し、加藤久やペレイラらとの"100歳最終ライン"による献身的な守備でチームの優勝に貢献。特に、広島の中心選手だったハシェックを徹底的にマークして得点を許さなかったため、「陰のMVP」と評価する声もあった。
派手さはないものの、ポジショニングのうまさは評価が高かった。
所属クラブ[編集]
- 1986年 - 1988年 カスカヴェルEC
- 1988年 - 1993年 アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス
- 1994年 ヴェルディ川崎
- 1995年 - 1997年 アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス
- 1998年 サンパウロFC
- 1999年 グレミオFBPA
- 2000年 グアラニFC
- 2000年 AAポルトゥゲーザ (サンパウロ州)
- 2001年 ボタフォゴFC (サンパウロ州)
- 2002年 スポルチ・レシフェ
- 2002年 - 2004年 アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | V川崎 | - | J | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 |
通算 | 日本 | J | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 | |
総通算 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 |
その他の公式戦
- 1994年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
タイトル[編集]
- ヴェルディ川崎
- サンパウロFC
- カンピオナート・パウリスタ : 1998
- グレミオFBPA
- コパ・スル=ミナス : 1999
- カンピオナート・ガウショ : 1999
その他[編集]
顔が「くしゃおじさん」に似ているという声もあった。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- オレウデ・ホセ・リベイロ - FootballDatabase.eu (英語)
- オレウデ・ホセ・リベイロ - WorldFootball.net (英語)
- オレウデ・ホセ・リベイロ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- オレウデ・ホセ・リベイロ - J.League Data Siteによる選手データ
- ME AGAINST EVERYBODY (カピトンを紹介したページあり)
- 2004サントリーチャンピオンシップ
- あの人は今? - ウェイバックマシン(2005年3月5日アーカイブ分)