ジャック=ベニーニュ・ボシュエ

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ボシュエ司教像、イアサント・リゴー画、ルーヴル美術館

ジャック=ベニーニュ・ボシュエJacques-Bénigne Bossuet1627年9月27日 - 1704年4月12日)は、フランスカトリック司教神学者。レーグル・ド・モー(L'Aigle de Meaux = モーの鷲)の呼称がある。その説教と演説で特に有名であった。著書に『哲学入門』『世界史叙説』『棺前説教集』等がある。

経歴[編集]

Oeuvres, 1852

ディジョンの裕福な弁護士家庭の五男として生まれ、8歳から聖職者となるべく学んだ。1650年から1652年にかけ、ヴィンセンシオ・ア・パウロ (fr) の元で学んでいる。

1657年メスにおいて王太后アンヌ・ドートリッシュルイ13世妃)を前に説教を行い、その結果「王の説教師および助言者」の賞賛を得て、宮廷へ入った。1670年から1681年までドーファン(王太子)ルイの家庭教師を務めるなど王に厚遇された。1681年にはモー司教となり、プロテスタントを攻撃する一方、フランス・カトリック教会のローマからの自由をめぐるガリア論争で雄弁を奮い、また静寂主義をめぐる論争ではフェヌロンと論争して勝利し、“モーの鷲”と呼ばれた。

晩年はかつての婚約者デヴィユー嬢との節度ある交友で知られ、彼女に与えたパリ近郊のモレオンをたびたび訪れたという。

王権神授説の提唱[編集]

ボシュエは、フランス教会の独立を擁護し、ルイ14世の宮廷説教師として、専制政治王権神授説を支持したことで知られる。『世界史叙説』(1685年)では「神は国王を使者としており、国王を通じて人びとを支配している。……国王の人格は神聖であり、彼にさからうことは神を冒涜することである」[要出典]という王権神授説を展開している。

補説[編集]

英語話者によく知られるボシュエの業績は、イングランド王妃ヘンリエッタ・マリアオルレアン公爵夫人ヘンリエッタ・アン、そして大コンデらの葬儀での3つの追悼演説である。

参考文献[編集]

関連項目[編集]


前任
ダニエル・アイ・デュ・シャストル・ド・シャンボン
アカデミー・フランセーズ
席次37

第2代:1671年 - 1704年
後任
メルキオール・ド・ポリニャック