ジュール・ヴェルヌ

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ジュール・ヴェルヌ
Jules Verne
ヴェルヌの肖像。写真家で飛行研究家の友人ナダールによる撮影
誕生 (1828-02-08) 1828年2月8日
フランス王国
ロワール=アンフェリウール県ナント
死没 (1905-03-24) 1905年3月24日(77歳没)
フランスの旗 フランス共和国
ソンム県アミアン
職業 小説家
国籍 フランスの旗 フランス
ジャンル サイエンス・フィクション
冒険小説
児童文学
代表作 海底二万里(1869年)
八十日間世界一周(1873年)など
配偶者 Honorine Hebe du Fraysse de Viane (Morel) Verne
子供 ミシェル・ヴェルヌ
署名
ウィキポータル 文学
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ジュール・ガブリエル・ヴェルヌフランス語: Jules Gabriel Verne1828年2月8日 - 1905年3月24日)は、フランス小説家ハーバート・ジョージ・ウェルズヒューゴー・ガーンズバックとともにサイエンス・フィクション(SF)の開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。

生涯[編集]

フランス西部ペイ・ド・ラ・ロワール地方ナントで生まれる。家はロワール川中州の一つであるフェイド島にあり、子供時代はほとんどこの地で過ごした。そして、この人里離れた環境が彼の想像力と兄弟の絆を育んだ。また、この当時のナントは交易が盛んで、異国情緒豊かな港町であった。そのようなナントを訪れる船乗りたちの冒険譚もヴェルヌの冒険心と想像力をかきたて、彼は海の英雄になることを夢見たという。

父のピエールは地元の弁護士であり、論理的な人物であったという。その性格を示す逸話として、自宅から事務所までの徒歩数を知っていたことや、望遠鏡で教会の時計の時刻を確認して行動していた逸話が残されている。このような父の性格はヴェルヌ作品の登場人物にも受け継がれることになる(例:『月世界旅行』のインピー・バービケイン)。母のソフィーは船乗りの家系の出で、父とは対照的に、ヴェルヌに「まるで竜巻のよう」とたとえられるほどの想像力の持ち主であった。ヴェルヌは5人兄弟の長男で、自分と同じく海に憧れを持つ弟のポールと特に仲が良かった。ポールはのちに海軍に入隊したが、長男のヴェルヌは父の後を継ぐために法律を勉強した。学校はナントのリセに通った。成績は普通であったが、特にラテン語を能くし、数学好きでもあった。運動も得意であり、学校の外では「広場の王様」とあだ名されたという。

ヴェルヌは11歳のときに、初恋の相手である従姉のカロリーヌ(1826-1902)にサンゴの首飾りを買ってあげようと、密かに水夫見習いとしてインド行きの帆船に乗船した。しかし途中で父に見つかり、「もうこれからは、夢の中でしか旅行はしない」と語ったとする逸話は有名である(これについては否定的な見方もある)。

また、親戚で元船乗り、ブランの市長を務めた Prudent Allotte de la Fuÿeと話しをしながら、鵞鳥のゲームをするのが楽しみだった。そのおじは 『征服者ロビュール』にアンクル・プルーデントとして登場し[1]、鵞鳥のゲームも著作の『ある変人の遺言フランス語版』に登場する。

1848年、ヴェルヌは父の勧めによりパリの法律学校へ進んだ。そこでヴェルヌは多くの芸術家たちと交流する。これは、息子の才能を目にした母が、パリにいた親戚に取り計らったことによるものであった。パリでの生活は充実していたが、金銭面においてはあまり余裕のない生活であったらしい。そのうちアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志すようになった。1849年に書かれ、大デュマがプロデュースした、ヴェルヌの処女作である戯曲『折れた麦わら』は好評を博し、2週間上演された。また、この時期には詩を書き、戯曲も、喜劇やオペラなど30編以上を書いたが、大半は上演されずじまいだった。

1853年、25歳のヴェルヌ

その一方でヴェルヌは、自然科学の論文も読んでいた。そのような中、1840年代に彼のお気に入りの作家であったエドガー・アラン・ポーが、小説に科学的事実を取り入れることによって、物語に真実味を持たせる技法に興味を持つようになっていった。

友人フェリックス・ナダールが製作した気球に触発されて、1863年に書いた冒険小説『気球に乗って五週間』が大評判となり、流行作家となる。そして彼は編集者のジュール・エッツェルと契約を結び、以後、生涯にわたり科学・冒険小説の傑作を生み出した。また、ノンフィクションやエッセーなども書いている。

1883年にはアミアン市会議員に当選し、死ぬまで在職した。晩年には甥ガストン・ヴェルヌに襲撃(拳銃で脚を撃たれ、以後跛行を余儀なくされる)され、悲観主義的傾向が強くなったと言われるが、近年偶然に発見された初期の作品『二十世紀のパリ』(作中で文明批判を展開)に見るように、悲観主義的な一面は当初から持ち合わせていたようである。

ジュール・ヴェルヌの墓 (墓碑はアルベール・ロゼ作)

1900年に白内障を患い、糖尿病も悪化し、1905年3月24日アミアンのロングヴィル大通り44番地の自宅(現・ジュール・ヴェルヌ記念館 Maison de Jules Verne)で死去、市のマドレーヌ墓地フランス語版に埋葬される。ロングヴィル大通りは後にジュール=ヴェルヌ街と改名されている。

ヴェルヌの社会思想[編集]

ヴェルヌは平和主義者・進歩主義者として有名であった。目立った活動はしていないもののボナパルティズムを奉じるナポレオン3世に常に批判的であった。また被圧迫民族解放の擁護者で、彼の作品にはネモ船長をはじめとする「虐げられた民族」が登場する。

日本におけるヴェルヌ[編集]

ヴェルヌの日本への紹介は、1878年(明治11年)、川島忠之助が『八十日間世界一周』の前編を翻訳刊行したのが最初である(標題は『新説八十日間世界一周』。後編は1880年(明治13年)に刊行)。なお、本書は日本における最初のフランス語原典からの翻訳書である。

1883年(明治16年)には、黒岩涙香が『月世界旅行』を翻案(翻案途上で中絶し、出版もされていないという説がある[2])。

1896年(明治29年)、森田思軒が『二年間の休暇』の英訳版を「十五少年」という標題で翻訳し、雑誌『少年世界』に連載、単行書として刊行した。これは少年文学の傑作として評価され、多くの読者を獲得した。ヴェルヌの作品の翻訳は、翻訳文学史において大きな位置を占めた。

現代のヴェルヌ[編集]

ヴェルヌの作品の多くは、子供用の物語として書き直されたり、映画やアニメのような映像作品の原作になったりと、広い人気を誇る。これは21世紀にまで続いており、ヴェルヌ作品は一種の共通認識になっていると言っても良い。

そういった人気の一例として東京ディズニーシーのテーマポート「ミステリアスアイランド」がある。これは『海底二万里』『神秘の島』に登場するネモ船長が築いた秘密基地という設定である(かつてディズニーは『海底二万里』を映画化している)。

2008年3月に打ち上げられた欧州宇宙機関欧州補給機の1号機には彼の名を冠している。生誕183年の2011年2月8日には、google検索のロゴが「海底二万里」をイメージしたものになった。

名言[編集]

人間が想像できることは、人間が必ず実現できる(仏: Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables

  • この表現はヴェルヌの作品中にはなく、アロット・ド・ラ・フュイの伝記では、『海底二万里』執筆中のヴェルヌが父親に宛てた手紙の一節ということになっている(Allotte de la Fuye, Jules Verne : sa vie et son oeuvre, Paris, Kra, 1928, p.162)。「先日、本当とは思えないようなことが思い浮かぶと書いた。でも、そうじゃないんだ。人に想像できることはすべて、ほかの人が実現できるんだよ」この手紙は実物が発見されていない。また『蒸気で動く家』には「可能性の範囲内にあることはすべて実現されるべきだし、きっと実現される[注釈 1]」という台詞があり、ディズニーランドパリの園内で引用されている。また、鹿島建設テレビCMにも引用されている[3]

ヴェルヌの評価[編集]

ジュール・ヴェルヌ博物館
(2005年)

1978年には生誕150年を記念し、故郷であるナントにジュール・ヴェルヌ博物館フランス語版が開館。博物館にはヴェルヌの著作、写真、手紙や生前使用していた文具や家具などが展示されている。

ヴェルヌ作品は近年まで「子供向け」「低俗」と批評されていた。21世紀初め前後から、その驚くべき科学技術の進歩に対する先見性や、『二十世紀のパリ』に代表される文明批評・風刺精神を再評価され、新訳が多く刊行している。

関連資料[編集]

  • 『ジュール・ヴェルヌの世紀 科学・冒険・〈驚異の旅〉』東洋書林、2009年(平成21年)
    • フィリップ・ド・ラ・コタルディエール/ジャン=ポール・ドキス監修、私市保彦監訳、新島進訳
    詳細な伝記研究で、コタルディエールは元フランス天文学会会長。ドキスは元アミアン・ジュール・ヴェルヌ国際センター長
  • フォルカー・デース『ジュール・ヴェルヌ伝』石橋正孝訳、水声社、 2014年
  • 『特集ジュール・ヴェルヌ 水声通信27号』 (2008年(平成20年)11・12月合併号、水声社
  • ミシェル・ラミ『ジュール・ヴェルヌの暗号:レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社』高尾謙史訳、工作舎 1997年 ISBN 978-4-87502-291-6
  • ユリイカ 特集 ジュール・ヴェルヌ 空想冒険小説の系譜』1977年5月号(青土社

作品リスト[編集]

『世界の終わりの灯台』は、ヴェルヌの文学段階で最高の小説の 1 つと考えられている。
空中艇アルバトロス号フランス語版の模型。『征服者ロビュール』の別邦題ともなる[4]

※ 日本語タイトルが複数ある場合は代表的なものを選び、別タイトルや直訳(斜字)を適宜併記した。日本語訳がない作品については直訳のみを斜字体で示す。死後に子息が完成させた作品等も挙げた。より詳しい書誌情報に関しては#外部リンクの「ジュール・ヴェルヌ作品リスト」も参照。

中・短編集[編集]

書影[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 原文(フランス語):Tout ce qui est dans la limite du possible doit etre et sera accompli

出典[編集]

  1. ^ Château de la Fuye” (フランス語). Mouterre-Silly Vienne (86). 2023年8月28日閲覧。
  2. ^ 『明治・大正・昭和翻訳文学目録 国立国会図書館編』風間書房、『黒岩涙香集』黒岩涙香 筑摩書房、『黒岩涙香』伊藤秀雄 三一書房、『随筆明治文学1』柳田泉 平凡社、『改定増補黒岩涙香』伊藤秀雄 桃源社、などによる。
  3. ^ 広告・CMライブラリ”. 『ホタルが棲む渋谷』、『天の川が見える新宿』. 鹿島建設. 2020年11月13日閲覧。
  4. ^ 空中艇アルバトロス号. コトバンクより。
  5. ^ 講談社文庫BX『華麗なる幻想』巻末解説による。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]