ダッソー

ウィキペディアから無料の百科事典

ダッソー
Dassault
本社所在地 フランスの旗 フランス
パリ
設立 1929年
業種 持株会社
代表者 エリック・トラピエフランス語版(最高経営責任者)
主要子会社

ル・フィガロダッソー・システムズ

・ダッソー・アビアシオン
関係する人物 マルセル・ダッソー(創設者)
セルジュ・ダッソー(前CEO)
テンプレートを表示

ダッソー (Dassault) はマルセル・ダッソーが創立したフランス複合企業で、親会社はグループ・ダッソー (Groupe Industriel Marcel Dassault (GIMD)、または単にGroupe Dassault)。

航空機メーカーのダッソー・アビアシオン (Dassault Aviation) がグループ起源の企業であり、グループ・ダッソーがダッソー・アビアシオンの株式50.21%を保有している。大手日刊紙のル・フィガロCADソフトウェアCATIA V4,V5,V6で知られるダッソー・システムズなどを傘下に持つ。

ダッソー・アビアシオン[編集]

第一次世界大戦中に航空技術者マルセル・ブロックMarcel Bloch; ローマ字の読み方でブロシュとも)はプロペラ機の設計を担当し、1930年にマルセル・ブロック飛行機社 (Société des Avions Marcel Bloch) が創設された。1936年、同社はシュド・ウエスト (SNCASO) (Société Nationale de Constructions Aeronautiques du Sud-Ouest) に統合され、国営化されたが、ブロック自身は設計者としてとどまった。ブロック社は第二次世界大戦で戦闘機MB.150などを開発したが低性能な上に欠陥が多く、しかも生産は遅延して戦力とならなかった。ブロックは、1936年12月12日、SNCASOとは別にSAAMB社Société Anonyme des Avions Marcel Bloch)を設立し、この会社が現在のダッソー・アビアシオン社の創設とされている。

マルセル・ブロックはユダヤ人であったため、戦争中は収容所に入れられた。マルセルの兄、ダリウス・ブロックレジスタンス運動において名乗った変名であるダッソー(「突撃」を意味する)というマルセル・ダッソー (Marcel Dassault) に戦後改名し、社名も1947年12月20日マルセル・ダッソー社 (Avions Marcel Dassault) に変更した。1971年ブレゲーと合併し、ダッソー・ブレゲー社 (Avions Marcel Dassault-Breguet Aviation; AMD-BA) 社となったが、オーナーへの配慮で1990年にダッソー・アビアシオン社(Dassault Aviation)に改名した[1]

本社所在地はサン=クルー

製品[編集]

グループ企業[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ Management changes since 1986, Dassault Aviation. 2010-09-01.

外部リンク[編集]