チャーレイ・ジョーンズ

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チャーレイ・ジョーンズ
Charley Jones
基本情報
出身地 ノースカロライナ州アラマンスカントリー
生年月日 1852年4月30日
没年月日 1911年6月6日
身長
体重
5' 11.5" =約181.6 cm
202 lb =約91.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
初出場 1875年5月4日
最終出場 1888年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

チャーレイ・ジョーンズ(Charles Wesley Jones、1852年4月30日 - 1911年6月6日)は、主に1870~1880年代に活躍したアメリカ合衆国プロ野球選手。ポジションは外野手ノースカロライナ州アラマンスカントリー生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Baby"。主に現ブレーブスとレッズで活躍、リーグ最多本塁打を1回、最多打点を2度記録している。

来歴・人物[編集]

生まれた時の名前は"Benjamin Wesley Rippay"と言った。アメリカ合衆国のプロリーグに出場し始めたのは1875年、所属していたけケオクックの球団が当時のナショナル・アソシエーションに参加した時のことである。ケオクックは短期間でリーグを脱退したため、ジョーンズは同年ハートフォードに所属を移している。1876年にナショナルリーグが始まった際は、当時のシンシナティ・レッズ(1880年解散)の外野手をしていた。1877年、1878年には60試合前後で打率3割と40近い打点を挙げていた。

1879年にボストン・レッドキャップス(現アトランタ・ブレーブス)に移籍し、この年リーグ最多となる9本塁打、62打点を記録、またリーグ最多得点(85)の記録を残したが、翌年にはボストンを離れている。

ジョーンズは2年のブランクの後1883年からアメリカン・アソシエーションのシンシナティ・レッドストッキングス(現レッズ)に再び登場、同年80打点を記録し自身2度目の打点王となる。レッズのレギュラーとして活躍したのは1886年までで、翌年に金銭でレッズから放出され、現役選手としては1888年の出場が最後となった。

1890年と1891年にはプレイヤーズ・リーグとアメリカン・アソシエーションで、審判として200試合弱の試合に出場している。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 得点 打点 盗塁 三振 四球 死球 犠打 打率 出塁率 長打率
894 3738 1114 172 102 56 733 552 20* 130* 237 34* - .298 .345 .444

タイトル[編集]

  • 本塁打王:1回 1879年
  • 打点王:2回 1879年、1883年

記録[編集]

  • メジャーリーグ史上初めて、『1イニング2本塁打』を記録した(1880年6月10日)。

投手記録[編集]

  • 通算:2試合、0勝0敗、投球回3.0、三振0、被安打2、自責点1、防御率3.00


出典・外部リンク[編集]