ドイツの国旗

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ドイツの国旗
ドイツの旗
用途及び属性 市民・政府陸上、市民・政府海上?
縦横比 3:5
制定日 1949年5月23日
使用色
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ドイツの国旗(ドイツのこっき)は、1990年以降はドイツ連邦共和国国旗: Flagge der Bundesrepublik Deutschland または Bundesflagge)を指す。等間隔の水平境界で分割された三色旗であり、上から順に黒・赤・金の三色で構成されている。

ドイツにおける国旗の規定は、他国でいう憲法にあたる「ドイツ連邦共和国基本法」第22条第2項に「連邦の旗は黒-赤-金である(Art 22 (2) Die Bundesflagge ist schwarz-rot-gold.)」と規定されている[1]

この色について、在日ドイツ大使館は「色の由来についての定説はない」としている[2]が、杉浦忠夫によれば、1813年ナポレオン戦争時にルートヴィヒ・アドルフ・フォン・リュッツォウ率いるリュッツォウ義勇軍の軍服(黒地に赤の襟、金のボタン)と、リュッツォウ義勇軍の志願兵として参戦したイェーナ大学の学生が1815年6月に結成した「イェーナー・ブルシェンシャフト」の旗印・制服の色に由来するとするのがほぼ一致した説だとする[3]

また、神聖ローマ帝国の紋(金地に赤のくちばしとつめをもった黒い)に由来するともされるが旗章学の立場はこの説について否定的である[4]

ブルシェンシャフト形成に重大な影響をあたえたフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンの1849年1月15日に行われた演説によれば「黒・赤・金」はそれぞれ「名誉・自由・祖国」を表し[3]ルートヴィヒ・ベルクシュトレッサーによる1948年9月の演説によれば「統一と自由(Einheit und Freiheit)」、「自由のなかの統一(Einheit in Freiheit)」の伝統を表現しているとされる[5]1848年革命(ドイツ三月革命)ではドイツ統一を求める自由主義者らが黒赤金の旗をシンボルとした。

現在の旗[編集]

政府旗・軍艦旗を民間で使用することは禁止されているが、政府旗とよく類似しているデザインの、市民旗に国章をアレンジした旗が民間で使用されることがある。

変遷[編集]

神聖ローマ帝国[編集]

黄色(金色)の地に脚と嘴が赤い黒鷲の旗は、現在の黒赤金三色旗の由来のひとつとされる。

ナポレオン時代[編集]

ドイツ連邦[編集]

北ドイツ連邦[編集]

北ドイツ連邦の国旗は、オーストリア帝国ハプスブルク家)の色に近い金から、北ドイツ連邦での盟主となったプロイセン王国の色である黒と白を入れたと言われている。黒と白はプロイセンの旗に、白と赤はハンブルクブレーメンリューベックなどの北ドイツのハンザ同盟の旗に由来する。

ドイツ国[編集]

ドイツ帝国[編集]

当初のドイツ国ドイツ帝国)の国旗は、北ドイツ連邦のものをそのまま継承している。

ヴァイマル共和政[編集]

第一次世界大戦敗戦と帝政崩壊後に成立したヴァイマル共和政では、帝政の「黒・白・赤」の国旗に代わり、自由主義的な「黒・赤・金」の旗が国旗に定められた。一方、帝政時代の国旗は、ヴァイマル共和政時代にもドイツ国防軍旗として使用された。退役軍人などからなる民兵組織「鉄兜団、前線兵士同盟」ほか、国家主義者や君主制復古主義者などの保守・右翼は帝政時代の旗を掲げて活動する一方、共和制を守護しようとするドイツ社会民主党などは、共和政の旗の守護者を自任する「国旗団 黒・赤・金」という民兵組織を立ち上げ、左右の政治勢力の民兵組織と街中で武力抗争を繰り広げた。

ナチス・ドイツ[編集]

ナチスが政権を獲得すると、1933年3月12日、大統領布告で正式な国旗を制定するまでの暫定的な措置として、帝政時代と同じ配色の三色旗が、ナチス党旗であるハーケンクロイツ旗と共に国旗としての掲揚を義務づけられた。1935年9月15日公布の国旗法で、ハーケンクロイツ旗のみがドイツの国旗とされ、三色旗は以後は反動的として掲揚を禁じられた。

デザインや配色はナチ党旗と同じであるが、国旗はハーケンクロイツが若干旗竿側に寄っており、厳密には同一ではない。

現代ではハーケンクロイツ旗(党旗・国旗問わず)は反煽動法などにより、ドイツだけでなくヨーロッパのほとんどの国で公衆での掲揚を禁じられている。

そのためにネオナチなどの極右勢力が黒白赤の三色旗をその代替として使用することがあり、現在のドイツでは極右やネオナチ団体のシンボルと見做されることがあり、ブレーメン州では2020年9月より北ドイツ連邦時代の旗を含む旧時代の三色旗の掲揚が禁じられた。違反した場合は罰金刑が科される[6]

冷戦時代[編集]

連合国占領地域[編集]

第二次世界大戦敗戦後の占領時代連合国が定めた商船旗 国際信号旗の「C」の旗をもとにしている、Cは「capitulation(降伏)」の頭文字を意味する[7]

提案された旗[編集]

ドイツ民主共和国[編集]

成立当初は東西ドイツ共にほぼ同一の国旗を使用していたが(東西共にドイツ唯一の正統政府を自認していた)、1959年に東ドイツ側が社会主義国として「労働者・農民・知識人の団結」を示す国章を国旗に加え1990年に消滅するまで使用された。

ドイツ連邦共和国[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ドイツ連邦共和国基本法第22条(2) ドイツ連邦法務省のサイトより)
  2. ^ ドイツ大使館・ドイツ総領事館HP「ドイツ連邦共和国概略」[1]PDF-P.6
  3. ^ a b 杉浦忠夫 2003.
  4. ^ 「1806年のドイツ国民のための神聖ローマ帝国の崩壊まで、現在の意味でのナショナルカラーといえるものが全然なかったからである」。なお「黄色と黒の郵便マークに中世皇帝色の名残をみる説もある」。(杉浦忠夫 2003, p. 6)
  5. ^ 1948年9月の西ドイツ基本法制定「議会評議会」におけるベルクシュトレッサーの演説による。(杉浦忠夫 2003, p. 4)
  6. ^ https://www.senatspressestelle.bremen.de/detail.php?gsid=bremen146.c.344097.de&asl=bremen02.c.732.de
  7. ^ 東ドイツ 国旗 意味”. togashiseisou.co.jp. 2021年1月31日閲覧。

参考文献[編集]

  • 杉浦忠夫「黒・赤・金-ドイツ三色成立史考」『明治大学教養論集』第369巻、明治大学教養論集刊行会、2003年3月、1-27頁、ISSN 03896005NAID 120001969934 

関連項目[編集]