ナスタアリーク体
ウィキペディアから無料の百科事典
ナスタアリーク体(ナスタアリークたい、ペルシア語: خط نستعلیق, ラテン文字転写: ḵaṭṭ-e nastaʿlīq)は、アラビア=ペルシア書道の書体の一つ。流麗な筆記体で、イラン以東で非常に好まれる書体である(#特徴と使用範囲)。
14世紀後半にイランで開発された書体であり(#歴史)、ナスターリーグ体(nastaʿlīq をペルシア語風にカナ転写したもの)、ファールスィー体(ペルシア書体)ともいう。本書体は後述のようにイラン=ペルシア文化とのつながりが強いため、本項では、نستعلیق のカタカナ音写に関し、見出し語は「ナスタアリーク」としつつ、以後の地の文では基本的に「ナスターリーグ」とする。
特徴と使用範囲[編集]
ナスターリーグ体にはファールスィー体(ḵaṭṭ-e fārsī 「ペルシアの書体」の意)という別名がある[1][2][3]。ペルシアは現在のイランあたりのことであるが[2]、ナスターリーグ体はそのイラン以東で好んで用いられる[3]。
ナスターリーグ体のアラビア文字(ここでは「ペルシア文字」や「ウルドゥー文字」を含む)で筆記される言語は、アラビア語のみならずペルシア語やウルドゥー語[注 1]、パシュトー語、バローチー語なども含む[3]。地域的にみると、これら言語が話されている地域、すなわち、イラン・パキスタン・アフガニスタン・インドで好んで使用されている[4]。
他のアラビア文字書体と比較した際の、ナスターリーグ体の美的特徴は、一般的に「流線的」「流麗」「優美」「曲線美」などと説明される[2][3][4]。
特にサファヴィー朝、ムガル朝、オスマン朝ではペルシア語の詩文や挿絵付き年代記、『シャーナーメ』などの文学作品を筆写するのに好んで用いられた書体でもある。
歴史[編集]
はじまりから最盛期[編集]
ナスターリーグ体は、14世紀後半にペルシアで、ミールアリー・タブリーズィーがナスフ体とタアリーク体を元にして開発した[4]。15世紀以後、ペルシアでは多くの写本がこの書体で書かれるようになった[4]。ただし、インドやトルコ、エジプトなどでの使用は限定的である[4]。サファヴィー朝期の前半は、ナスターリーグ体、とりもなおさずペルシア書道の盛期とされ、「書家たちのスルターン」と呼ばれるスルターンアリー・マシュハディーや、アッバース大王の宮廷に仕えたミールエマード・ハサニーがすぐれた作品を残した[4]。ことにミールエマードは、その書によってナスターリーグ体が洗練を極めたと言われる[5]。
衰退と復興[編集]
イランを中心とした西南アジア[注 2]にとっては戦乱の世紀であった18世紀、ナスターリーグ体を使った書道は低調であったが、19世紀後半になるとミールザー・モハンマドレザー・カルホルのようなすぐれた書家が現れ、ペルシア書道はふたたび盛んになった[4]。
19世紀にリトグラフが中東に移入されると、イランやインド方面などでは特に古典テキストの刊行される場合、活字以外に書家が石版などにナスターリーグ体で校訂したテキスト本文を書写したものが流通した。イランではさらにナスターリーグ体のもつ曲線美や線の緩急を強調したシャキャステ・ナスタアリーク体と呼ばれる書体が書道や書簡に用いられている。
現代におけるデジタル化[編集]
パキスタンでは、1990年代後半になって電子活字によるナスターリーグ体のフォントが開発・導入されるまで、リトグラフによる手書きの新聞が流通していた。パキスタンでのテレビニュースの字幕などにみるウルドゥー語も、機械のテキストではあるがこの書体で書かれている。
ギャラリー[編集]
- ナスターリーグ体で書かれたサアディーの『果樹園(Būstān)』の一節』
- 現在のイランのナスターリーグ体
- ニザーミー・ギャンジャヴィーの『七王妃物語』
- 『アクバル・ナーマ』(ムガル朝)
- ジャラール・ウッディーン・ルーミーの『精神的マスナヴィー』(1479年書写)
- シャキャステ・ナスタアリーク体
- ペルシア語でNastaʿLIQスクリプトの心臓の図
- ナスフ体とナスターリーグ体の対照(ウルドゥー語)
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ "ḵaṭṭ-e fārsī". Encyclopaedia Iranica. 1 January 2000.
- ^ a b c “書体について”. アラビア書道協会. 2020年12月4日閲覧。
- ^ a b c d 池田修 (1982). "アラビア文字". イスラム辞典 (初版 ed.). 平凡社.
- ^ a b c d e f g Yūsofī, Ḡolām-Ḥosayn (15 December 1990). "Calligraphy". Encyclopaedia Iranica. Vol. IV. pp. 680–704.
- ^ Eslami, Kambiz (4 December 2012) [December 15, 1998]. "ʿEMĀD ḤASANĪ, MĪR, ʿEMĀD-AL-MOLK". Encyclopaedia Iranica. Vol. VIII, Fasc. 4, . pp. 382–385. 2020年11月21日閲覧。