ノート:百姓

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近世節の「神官・僧侶・医者などは百姓に含まれない。」をコメントアウト[編集]

文章全体の流れから唐突に思われて「近世」の節の「神官僧侶医者などは百姓に含まれない。」の條をコメントアウトいたしました。近世にいたってこのような意味合いに変わったという趣旨か、もしくは百姓という言葉にそもそも含まれないという趣旨の二つにとれるためです。 --Kzhr 2006年1月8日 (日) 12:51 (UTC)[返信]

定義の段落を設けました[編集]

定義段落を設けました。厳密にはうまくない定義のような気がするので、修正してください。--Kinori 2006年7月15日 (土) 05:16 (UTC)[返信]

「近世の百姓は農業民に限らない」は網野善彦以前からの通説[編集]

近世の百姓が農業民に限らないというのは網野説以前から近世史の通説ですよ。異論がなければ網野説の部分を削ります。--Nerimaman 2006年7月15日 (土) 15:24 (UTC)[返信]

確かにNerimamanさんの仰るとおりだと思いますが、「百姓=農民」史観の除去・否定に網野氏が果たした役割を勘案してみますと、網野氏関連の記述は残しておいても良いような気がいたします。網野氏以前は、百姓=農民=悲惨な生活という図式が一般に広く普及し、あまつさえ学校教育でも教えられていたわけですし。ただ、現在の文面では網野氏だけが「百姓は農民と限らない」ことを唱えていたように読めますので、例えば「・・・網野善彦田中圭一らをはじめとする歴史学者により・・・」てな感じで、「百姓=農民」史観の除去に大きな役割を果たした歴史家数人を列挙すれば、読者へより有益な情報を提供できるのではないでしょうか。--shimoxx 2006年7月15日 (土) 16:35 (UTC)[返信]
近世史に限っては、それはどうでしょうか。百姓が農業民ばかりではないというのは戦前からの通説だと思いますよ。戦後に限っても、荒居英次の近世漁村史研究は50年台から60年台の仕事ですし、確か中公の日本の歴史の月報で佐々木潤之介徳川義親が対談していて、徳川氏の戦前の木曽地域に関する研究を社会経済史研究の先駆として評価されていたと思います。網野氏が講演とかでよく言っていた「みなさん、百姓は農民ばかりではないのですよ」という発言自体が研究水準を無視した(矮小化した)発言であって、学問的に評価することはできないと思います(近世限定で)。徳川氏はともかくも荒居氏の研究は近世史の分野では常識の範囲内だと思いますし。ただし、おっしゃるように、(ジャーナリスティックな意味で、)網野氏の影響力は大きかったと思いますが、百科事典としてどのように評価するかは難しい気がします(百姓という項目自体書くのは難しいのですが)。んー難しいですね。網野氏の部分を削る云々は別にして、どう加筆するかは考える必要があるかもしれません。--Nerimaman 2006年7月15日 (土) 17:38 (UTC)[返信]
連続ですいませんが、このような網野発言に対する批判は、私の自説というわけではなくて、佐々木氏が発言直後から繰り返し批判しています。--Nerimaman 2006年7月15日 (土) 18:01 (UTC)[返信]

横槍すいません。私のように歴史に中途半端な知識しかない者からすれば、日本における「百姓」に対する学説といえば、網野善彦が真っ先に出てきます。私以外でもそういう人はとても多いでしょう。ウィキペディアは玄人向けというわけではないのですから、網野の名前を削るわけではなく、「百姓」論争の上で網野がどこに位置するのか、私どもでもわかるように本文内できちんと説明してほしいです。--Aboshi 2006年7月16日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

歴史に限らず、プライオリティ(誰が発見したのか?誰が最初に言い出したのか?)ということを尊重しないと、中立・客観ということにはならないと思います。百科事典なので、著作権とともに、学問的なプライオリティを尊重しなければならないはずです(ファンサイトではないので)。玄人向け云々は関係ないと思います。近世の「百姓」に関する限り、網野氏の名前が出てくる余地はまったくないのです。私が網野氏の部分を削るというのは、本文の中からすべてということではなく、近世史の部分のみを・・・という意味です。網野氏の中世史やジャーナリズムでのめざましい活躍を否定するつもりはありませんし、個人的には尊敬もしています。しかし、本文中の近世史に関する部分では、近世の百姓研究の水準に合わせて、プライオリティを尊重して改変する必要があるのではないか、という提起です。(手を付ける前にノートに書いたのは、いろいろ議論になることは判っていたので、すぐに改変するということではありません。)--Nerimaman 2006年7月16日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
歴史学的な意味合いはともかく現代歴史学言説史的に見た際、網野さんは落とせないように思うのですが、その点はいかがですか? --Kotoito 2006年7月16日 (日) 14:40 (UTC)[返信]
私はプライオリティを無視するのはよくない(=中立・客観的でない)と言っているのです。分野がずれれば無視してよいということにはならないと思います。具体的に私が問題視するのは、「近年、歴史学者の網野善彦が中世社会、近世社会における百姓身分に属する者たちが農民、山民、漁民、職人、商人などの広範な生業の従事者であったことを明らかにし、「百姓=農民」と一概にまとめた従来の歴史観に対し批判を行った。さらに今日の歴史学では西欧中心の単線的な発展段階史観が強く批判されるようになった。そのため百姓が差別的な用語であるという認識は薄まってきている。」の部分です。--Nerimaman 2006年7月16日 (日) 16:07 (UTC)[返信]
なるほど。ご指摘の意義を諒解いたしました。その方向でご編集いただけますでしょうか。ただしそれが大きく広まったのが網野による、の付言くらいは必要と思います。お答えありがとうございます。--Kotoito 2006年7月16日 (日) 16:10 (UTC)[返信]

「百姓=農民」観の起点[編集]

少し話はズレますが、「現代的百姓観の形成と変遷」の部分で、マルクス主義的な歴史学が百姓=農民観の起点となったような書かれ方になっています。だとすると、昭和以降にそのような見方が広まったということになるはずです。しかし、明治時代にも百姓=農民という観念はあったはずで(しかもかなり多いと思いますが)、むしろ伝統的な見方だったのではないかとも思えます。差別の問題も、近代化・資本主義化・産業革命が進む中での、都市と農村との関係とか、農村観・農民観の問題も考える必要がある気がします。これは印象なので具体的にはなかなか難しいですが。--Nerimaman 2006年7月16日 (日) 16:28 (UTC)[返信]