ハビエル・アギーレ

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ハビエル・アギーレ
2006年のアギーレ
名前
本名 ハビエル・アギーレ・オナインディア
Javier Aguirre Onaindía
愛称 El Vasco(バスク人[1]
ラテン文字 Javier Aguirre
基本情報
国籍 メキシコの旗 メキシコ
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1958-12-01) 1958年12月1日(65歳)
出身地 メキシコシティ
身長 173cm
選手情報
ポジション FW / MF / DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1980 メキシコの旗 アメリカ 9 (1)
1980-1981 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・アズテックス 30 (4)
1981-1984 メキシコの旗 アメリカ 128 (31)
1984-1986 メキシコの旗 アトランテ 31 (3)
1986-1987 スペインの旗 オサスナ 13 (0)
1987-1993 メキシコの旗 グアダラハラ 181 (17)
通算 392 (56)
代表歴
1983-1992 メキシコの旗 メキシコ 59 (14)
監督歴
1995-1996 メキシコの旗 アトランテ
1998-2001 メキシコの旗 パチューカ
2001-2002 メキシコの旗 メキシコ
2002-2006 スペインの旗 オサスナ
2006-2009 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
2009-2010 メキシコの旗 メキシコ
2010-2011 スペインの旗 サラゴサ
2011-2014 スペインの旗 エスパニョール
2014-2015 日本の旗 日本
2015-2017 アラブ首長国連邦の旗 アル・ワフダ
2018-2019 エジプトの旗 エジプト
2019-2020 スペインの旗 レガネス
2020-2022 メキシコの旗 モンテレイ
2022- スペインの旗 マジョルカ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハビエル・アギーレ・オナインディア西: Javier Aguirre Onaindía1958年12月1日 - )は、メキシコメキシコシティ出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。両親はスペイン・バスクからメキシコへの移民者で、アギーレ自身はバスク系メキシコ人[1]。長男は弁護士、次男はサッカー指導者、三男はサッカー選手である。ハビエル・アギレとも[2]

現役時代のポジションは、フォワードとして選手生活をスタートし、やがてミッドフィールダー、選手生活晩年はディフェンダー(CB)。メキシコ代表選手として1986年ワールドカップ・メキシコ大会に出場した。現役引退後、1994年ワールドカップ・アメリカ大会にアシスタントコーチとして代表に同行し、また代表監督として2002年ワールドカップ・日韓大会2010年ワールドカップ・南アフリカ大会の2大会で指揮を執った。2014年7月から2015年2月まで日本代表監督を務めた。

経歴[編集]

選手としては、所属したクラブで392試合に出場し56得点、メキシコ代表選手として59試合に出場し14得点を記録している。監督としては、メキシコ国内のCFアトランテ、CFパチューカで実績をあげる。メキシコ代表監督としては、2002年ワールドカップの最終予選、10節中5節を終えて1勝3敗1分、勝ち点4の6ヶ国中4位と、本大会への出場が危ぶまれる状況にあった段階で就任し、2001年7月1日に初采配。アルベルト・ガルシア・アスペクアウテモク・ブランコフランシスコ・パレンシアを代表に呼び戻し、残り5節を4勝1分で乗り切って、5勝3敗2分の勝ち点17で11月11日の最終節に本大会出場3位以上を確定させ、母国を救った。本大会でもグループリーグを2勝1分で突破し16強に導いた。大会終了後はスペインのCAオサスナの監督に就任。弱小であった同クラブで2005-06シーズンにはリーガ・エスパニョーラで4位に入り、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得できるまでに強化した。その実績を買われ、翌シーズンからはアトレティコ・マドリードの監督に招聘された。アトレティコでの2シーズン目となる2007-08シーズンには12シーズンぶりに4位以内に入り、暗黒期からの復活を期すアトレティコとして一定の成果を残した。2008年12月、UDアルメリアの監督にウーゴ・サンチェスが就任し、スペイン1部で指揮を取るメキシコ人監督はふたりになった。2009年に入ってから2分3敗と1勝も出来ず、2月3日に解任された[3]

2009年4月、2010年ワールドカップの最終予選において、3節を終えて1勝2敗と再び本大会出場に黄信号が灯り、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督は解任され、これを受けて7年ぶりにメキシコ代表監督に就任した。就任後、代表から退いていたブランコを再び呼び戻して主将を命じた。代表は4節を落とし窮地は深まったが、ここから一気に5連勝(最終節は引き分け)し、6勝3敗1分の勝ち点19でチームを2位に押し上げて2010年ワールドカップ出場に導いた。本戦でもフランス代表を撃破して再び16強に進出した。同大会後、メキシコ代表監督を辞任。2010年にはJFAが日本代表監督に打診していたが、家族の事情もあり見送った。

2010年11月18日、レアル・サラゴサの監督に就任[4]。2012年からRCDエスパニョールの監督を務め、2014年5月に退任した。

2014年7月、JFAが日本代表監督に招聘[5]。8月に就任した。

2014年12月には、2011年5月に指揮していたサラゴサのリーガ残留をかけたレバンテUD戦を廻る八百長疑惑で、スペインの検察当局から関与した疑いのあるアンデル・エレーラガビらとともに告発された[6]。2015年1月14日、スペインメディアにより、バレンシアの裁判所が訴追を受理、同年2月には事情聴取が始まるとの報道がなされた[7]。日本代表監督就任後初の国際大会となったアジアカップ2015ではグループステージを無失点で3連勝し首位通過するも、決勝トーナメントでは準々決勝UAE戦でPK戦の末に敗れ、ベスト8で敗退した。八百長に関与した疑いにより、2015年2月3日、日本サッカー協会からサッカー日本代表監督としての契約解除が発表された[8]

2015年6月、UAEアラビアン・ガルフ・リーグのアル・ワフダFCの監督に契約期間1年で就任[9]

その後1年間契約を延長し、2017年6月末に契約満了となり退任した[10]

2018年8月1日サッカーエジプト代表の監督に就任した。

しかし、2019年7月に地元エジプトで開催されたアフリカネイションズカップ2019にて、グループリーグを首位通過しながらも決勝トーナメントラウンド16で南アフリカに0-1で敗れたことから、7月6日に解任が発表された[11]

2019年11月4日、CDレガネスの監督に就任したことが発表された[12]。最下位の状態で監督に就任後、すぐに好成績を収めたが、最終節で2部リーグに降格することになった。

2020年12月7日、アントニオ・モハメドに代わってC.F.モンテレイと2シーズンの契約を結んだ。CONCACAFチャンピオンズリーグで優勝し、5度目のタイトルとFIFAクラブワールドカップ出場を達成した。

2022年3月24日、ルイス・ガルシア・プラザの解任に伴い、スペイン・プリメーラ・ディビシオンRCDマジョルカと契約した(シーズン終了まで)。

人物・エピソード[編集]

  • 昔は野球をしていたといい、今も趣味にしているとのこと[13]。また、日本で野球と相撲を観戦したいとも述べている[13]
  • 2009年7月9日、メキシコ代表監督として臨んだ2009 CONCACAFゴールドカップパナマ代表と試合をした際に、タッチライン際を走っていた相手MFリカルド・フィリップスに蹴りを入れ、乱闘騒ぎとなった。この試合で退席処分を受け3試合の出場停止処分を科された[14][15][16]

監督成績[編集]

2022年11月12日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
メキシコ代表 メキシコの旗 2001年6月21日 2002年7月1日 27 17 3 7 40 19 +21 062.96
オサスナ スペインの旗 2002年7月1日 2006年5月19日 177 66 49 62 207 221 −14 037.29
アトレティコ・マドリード スペインの旗 2006年5月23日 2009年2月2日 131 61 31 39 206 147 +59 046.56
メキシコ代表 メキシコの旗 2009年4月3日 2010年6月30日 32 19 7 6 60 24 +36 059.38
レアル・サラゴサ スペインの旗 2010年11月18日 2011年12月29日 45 13 10 22 43 68 −25 028.89
エスパニョール スペインの旗 2012年11月28日 2014年5月27日 69 22 18 29 79 88 −9 031.88
日本代表 日本の旗 2014年7月24日 2015年2月2日 10 6 2 2 19 10 +9 060.00
アル・ワフダ アラブ首長国連邦の旗 2015年6月18日 2017年5月20日 78 34 21 23 154 108 +46 043.59
エジプト代表 エジプトの旗 2018年8月1日 2019年7月6日 12 9 1 2 25 7 +18 075.00
レガネス スペインの旗 2019年11月4日 2020年7月19日 30 9 11 10 30 36 −6 030.00
モンテレイ メキシコの旗 2020年10月7日 2022年2月26日 53 23 17 13 75 44 +31 043.40
マジョルカ スペインの旗 2022年3月24日 現在 24 10 5 9 29 27 +2 041.67
合計 688 289 175 224 967 799 +168 042.01

脚注[編集]

  1. ^ a b ザック監督の後任候補、ハビエル・アギーレとは? フットボールチャンネル 2014年4月3日、2015年1月23日観覧
  2. ^ ザッケローニ監督の後任候補に元メキシコ代表のアギレ氏フランス通信社2014年6月26日、2014年6月26日観覧
  3. ^ uefa.com(2009-2-3) アトレティコがアギーレ監督を解任(2010-11-23閲覧)[リンク切れ]
  4. ^ サラゴサの新監督にアギーレ氏 - ウェイバックマシン(2014年7月29日アーカイブ分) uefa.com(2010-11-18) (2010-11-23閲覧)
  5. ^ SAMURAI BLUE(日本代表) 新監督にハビエル・アギーレ氏を招聘 日本サッカー協会公式サイト 2014年7月24日
  6. ^ アギーレ監督らを八百長疑惑で告発 スペイン検察 - ウェイバックマシン(2015年9月24日アーカイブ分) 朝日新聞 2014-12-16 Ander Herrera, Gabi, Javier Aguirre 'among 41 named in match-fixing case' ESPN FC 2014-12-19 アギーレ八百長疑惑捜査!スペイン検察告発 nikkansports.com 2014-12-19 【八百長事件】ガビ、サラゴサ時代の不正な金銭受領認める。当時の指揮官はアギーレ。日本代表へ影響出る可能性も Yahoo!ニュース 2014-12-19[リンク切れ]
  7. ^ “アギーレ監督への訴追、裁判所受理…スペイン紙”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2015年1月15日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/representative/20150114-OYT1T50154.html 2015年1月15日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ “日本協会 アギーレ監督の契約解除を発表”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年2月3日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/02/03/kiji/K20150203009745240.html 2015年2月3日閲覧。 
  9. ^ 前日本代表監督のアギーレ氏、UAEのアル・ワフダ新監督に就任 サッカーキング 2015-6-18
  10. ^ 元日本代表監督のアギーレ氏がフリーに。UAE1部クラブとの契約を満了 FOOTBALL CHANNEL 2017-7-4
  11. ^ エジプトサッカー協会がアギーレ監督を解任…ANC敗退後に会長が明言 SOCCER KING 2019-07-08
  12. ^ レガネス、元日本代表指揮官ハビエル・アギーレ氏を新指揮官に招へい!”. 超ワールドサッカー (2019年11月5日). 2019年11月5日閲覧。
  13. ^ a b <アギーレ監督>「まずは勝つ」次はハーフナー、香川も呼ぶ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!JAPAN (2014年9月26日). 2014年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月26日閲覧。
  14. ^ Bueno's Views:Kicking The Incident Goal.com 2014-12-20
  15. ^ Mexico's Cup runneth empty Sports Illustrated 2014-12-20
  16. ^ Mexico coach Javier Aguirre suspended after brawl in Panama match The Guardian 2014-12-20

外部リンク[編集]