フィラデルフィア

ウィキペディアから無料の百科事典

フィラデルフィア市
City of Philadelphia
フィラデルフィア市の市旗 フィラデルフィア市の市章
市旗 市章
愛称 : 兄弟愛の街
フィリー
クエーカー・シティー
あなたを愛する街
標語 : "Philadelphia maneto (兄弟愛)"
位置
ペンシルベニア州内における位置の位置図
ペンシルベニア州内における位置
地図
座標 : 北緯39度57分12秒 西経75度10分12秒 / 北緯39.95333度 西経75.17000度 / 39.95333; -75.17000
歴史
成立 1682年10月27日
合併 1701年10月25日
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  ペンシルベニア州の旗 ペンシルベニア州
  フィラデルフィア郡
 市 フィラデルフィア市
市長 シェレル・パーカー英語版
民主党
地理
面積  
  市域 367 km2 (141.6 mi2)
    陸上   347.3 km2 (134.1 mi2)
    水面   19.4 km2 (7.5 mi2)
      水面面積比率     5.29%
  市街地 4,660.7 km2 (1,799.5 mi2)
  都市圏 11,988.6 km2 (4,629 mi2)
標高 12 m (39 ft)
人口
人口 (2020年[1]現在)
  市域 1,603,797人
  市街地 6,051,170人
  都市圏 7,164,790人
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : www.phila.gov

フィラデルフィア英語: Philadelphia、漢字/和名:費拉特費または費府)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州南東部にある同州最大の都市。ニューヨーク市ワシントン D.C. の中間に位置し、東海岸で2番目、全米で6番目の人口を持つ北アメリカ有数の世界都市

概要[編集]

1682年に人類史上初の信仰の自由が保障された街として築かれる。1776年 合衆国建国の父がこの地に集結し全会一致で独立宣言を採決、アメリカ誕生の地となる。ワシントンD.C.建設中の10年間、合衆国首都として君臨。以降は大陸の北東部、南部、中西部を結ぶ「キーストーン(礎石)回廊」の始点、世界最大の淡水港、豊かな周辺農業地帯、高度な技術を備えた製造業、極めて高い教育水準の強みを活かし、アメリカ屈指の港湾・農業・商工業の都市として合衆国の繁栄を担ってきている。

現在、全米第二規模のヘルスケア産業(グラクソ・スミスクラインなど)、世界有数のビデオ映像技術と通信サービス産業(コムキャストなど)の集積地として発展を続けている。ペンシルベニア大学カーティス音楽院などを擁する学術都市であり、その学生数は市内に約12万人・都市圏全体で約30万人と全米最多である。

2015年、アメリカで最初の世界遺産都市(街まるごと世界遺産の対象)に登録される。自由の鐘独立記念館など国家誕生シンボルの建物、加えて各宗教・宗派・民族のそれぞれが米国で初めて建設した数々の教会、合衆国最初の銀行造幣局・公立病院・メディカルスクールビジネススクール美術大学電子計算機ベンジャミン・フランクリンが凧を用いて電気を捉えた跡地の碑、フリーメーソンの総本山寺院、野口英世像など、膨大な数の国定記念建造物史跡が市内に点在する。

印象派作品コレクションの宝庫(フィラデルフィア美術館バーンズ財団美術館など合計5,000点以上)、屋外壁画作品の都(4,000点以上)、フィラデルフィア・ソウル発祥の地、米国最古のオペラハウスフィラデルフィア管弦楽団など第一級の音楽団体を持つ世界有数の文化芸術都市として知られる。市内のフェアマウントパークは世界最大の都市公園であり、園内に北米三大、東海岸で最も重要な日本庭園の一つである「松風荘」がある。

歴史[編集]

1682年10月27日にクエーカー教徒のウィリアム・ペンが同志とアメリカに渡来し、この地に居住区を建設したのが市の起源である。ペンはこの地を古代ギリシャ語で「兄弟愛の市」を意味する(Φιλαδέλφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)「フィラデルフィア」と命名した。こうして、フィラデルフィアはペンシルベニア植民地の首都として成立した。

独立記念館

18世紀に入ってフィラデルフィアは交易の要地となり、目覚ましい発展を遂げる。当初は生活基盤は貧弱であったが、ベンジャミン・フランクリンの尽力によって大きく改善されることとなる。1750年代までには、フィラデルフィアはボストンを上回る北アメリカ最大の都市となり、イギリスの領土内でもロンドンに次ぐ第2位の都市だった(1835年までにニューヨークがフィラデルフィアを上回ることになる)。このためアメリカ合衆国の独立期には、この地はアメリカ合衆国建国の父と後に呼ばれる人たちの集う中心地となった。独立戦争時に州議事堂(現在のアメリカ独立記念館)で大陸会議独立宣言の起草が行われた。また1790年にアメリカ合衆国の首都がニューヨーク市からフィラデルフィアに移ってくると、新都ワシントン特別区の建設が一段落する1800年までの10年間はアメリカ合衆国の首都であった。

1793年には市内で黄熱病が流行し、一時は放置された遺体が山積みとなる状況に陥った[2]禁酒法時代には、かつての輝かしい歴史を有する街から一転して、一時シカゴに次ぐマフィアが暗躍する都市となった。19世紀以来フィラデルフィアは商業や海運の都市である。有名な大学(ペンシルベニア大学ドレクセル大学テンプル大学トーマス・ジェファーソン大学ラサール大学など)やカーティス音楽院ペンシルベニア美術アカデミーなどがあり、「センターシティー」という中心部に銀行や法律事務所が多く、フィラデルフィア連邦準備銀行、フィラデルフィア株式取引所もある。

地理[編集]

フィラデルフィアは北緯39度59分53秒、西経75度8分41秒 (39.998012, -75.144793) に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、フィラデルフィアは総面積369.4km2 (142.6 mi2) である。このうち349.9 km2 (135.1 mi2) が陸地で19.6 km2 (7.6 mi2) が水域である。総面積の5.29%が水域となっている。水域には スクールキル川コブス川ウィサヒコン川ペニーパック川などがある。フィラデルフィアの最低地点はデラウエア川及びスクールキル川があるフィラデルフィア市南西部のミッフリン砦近くの海抜10フィート(0.9m)である。最高地点はエバグリーン街の北部及び西部・エバグリーン地区近くに位置する海抜432フィート(132m)のチェスナット・ヒルである。約130キロメートル北東にニューヨーク、145キロメートル南西にボルチモア、200キロメートル南西にワシントンD.C.が位置している。

フィラデルフィアのビル群

フィラデルフィアの都心部は17世紀にウィリアム・ペンおよびその測量士トーマス・ホルムによって計画された。それは、デラウェア川とスクールキル川に挟まれたエリアに東西南北の方位にほぼ沿ったグリッド状の道路網を形成するという物だった。ペンは東西方向の通りの名称に樹木の名前を多く採用した。またペンは五か所に公園を設置するように計画した。センタースクエア(現ペンスクエア)、北東スクエア(現フランクリンスクエア)、南東スクエア(現ワシントンスクエア)、南西スクエア(現リッテンハウススクエア)、北西スクエア(現ローガンサークル/スクエア)である。

その後20世紀に入り、都市美化運動と連動する形でベンジャミン・フランクリン・パークウェイが建設された。このパークウェイはシティホールから北西の「フェアマウント」に向けた軸線を設定し、フィラデルフィア美術館を焦点として設計されている。設計はホレイス・トランバウアー(フィラデルフィア美術館の設計者)やポール・フィリップ・クレ(ロダン美術館の設計者、ルイス・カーンの師)らによって行われ、後にフランスの都市計画家であるジャック・グレベールによって修正されたものである。

気候[編集]

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)に属する。

フィラデルフィア国際空港(1981–2010年、極値1872年以降)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 23
(74)
26
(79)
31
(87)
35
(95)
36
(97)
39
(102)
40
(104)
41
(106)
39
(102)
36
(96)
29
(84)
23
(73)
41
(106)
平均最高気温 °C°F 4.6
(40.3)
6.6
(43.8)
11.5
(52.7)
17.7
(63.9)
23.2
(73.8)
28.2
(82.7)
30.6
(87.1)
29.6
(85.3)
25.6
(78.0)
19.2
(66.6)
13.3
(56.0)
7.1
(44.8)
18.1
(64.6)
平均最低気温 °C°F −3.6
(25.6)
−2.4
(27.7)
1.3
(34.4)
6.7
(44.1)
12.2
(54.0)
17.7
(63.8)
20.7
(69.2)
19.9
(67.9)
15.7
(60.3)
9.1
(48.4)
4
(39.2)
−1.1
(30.1)
8.4
(47.1)
最低気温記録 °C°F −22
(−7)
−24
(−11)
−15
(5)
−10
(14)
−2
(28)
7
(44)
11
(51)
7
(44)
2
(35)
−4
(25)
−13
(8)
−21
(−5)
−24
(−11)
降水量 mm (inch) 77
(3.03)
67.3
(2.65)
96.3
(3.79)
90.4
(3.56)
94.2
(3.71)
87.1
(3.43)
110.5
(4.35)
88.9
(3.50)
96
(3.78)
80.8
(3.18)
75.9
(2.99)
90.4
(3.56)
1,054.9
(41.53)
降雪量 cm (inch) 16.5
(6.5)
22.4
(8.8)
7.4
(2.9)
1.3
(0.5)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0.8
(0.3)
8.6
(3.4)
56.9
(22.4)
平均降水日数 (≥0.01 in) 10.6 9.4 10.5 11.3 11.1 9.8 9.9 8.4 8.7 8.6 9.3 10.6 118.2
平均降雪日数 (≥0.1 in) 4.4 3.6 1.8 0.4 0 0 0 0 0 0 0.2 1.8 12.2
湿度 66.2 63.6 61.7 60.4 65.4 67.8 69.6 70.4 71.6 70.8 68.4 67.7 67.0
平均月間日照時間 155.7 154.7 202.8 217.0 245.1 271.2 275.6 260.1 219.3 204.5 154.7 137.7 2,498.4
日照率 52 52 55 55 55 61 61 61 59 59 52 47 56
出典:NOAA (湿度・日照 1961–1990) [3][4][5]

人口[編集]

フィラデルフィア市
年代別人口 [1]

1790年 - 2万8522人
1800年 - 4万1220人
1810年 - 5万3722人
1820年 - 6万3802人
1830年 - 8万0462人
1840年 - 9万3665人
1850年 - 12万1376人
1860年 - 56万5529人
1870年 - 67万4022人
1880年 - 84万7170人
1890年 - 104万6964人
1900年 - 129万3697人
1910年 - 154万9008人
1920年 - 182万3779人
1930年 - 195万0961人
1940年 - 193万1334人
1950年 - 207万1605人
1960年 - 200万2512人
1970年 - 194万8609人
1980年 - 168万8210人
1990年 - 158万5577人
2000年 - 151万7550人

2020年時点の国勢調査[6]で、フィラデルフィアは人口160万3797人で2019年よりも1.2%の増加を見せている。59万0071世帯、35万2272家族が暮らしている。人口密度は4608.86/km2 (1万1936.92/sq mi) である。フィラデルフィアの人種的な構成はアフリカン・アメリカン42.0%、白人41.9%、アジア系8.7%、先住民0.4%、その他の人種8.7%、混血6.9%である。人口の14.9%はヒスパニックまたはラティノである。また、フィラデルフィアの平均所得は、一世帯あたりで52,889ドルであり、全人口の22.8%は貧困線以下にある。

治安[編集]

2010年代、貨物鉄道沿いのケンジントン地区ではヘロインの売人や常習者がたまり場(ヘロインキャンプ)を造り、屋外ドラッグ市場が形成された[7]。2017年、フィラデルフィア市側は一帯を閉鎖するとともに、大量の注射器を含む廃棄物の撤去を開始。環境改善に乗り出した[8]

2021年には、市民の間に広がる新型コロナウイルスの感染症の拡大に伴う精神的な負担、経済が回復する中で取り残される人々の存在などが複合的に重なり殺人事件が増加。少なくとも535人が殺害され、過去最多だった1990年の記録を更新した[9]

文化[編集]

食文化[編集]

フィラデルフィアの名物には以下のものがある。

スポーツ[編集]

クラブ スポーツ リーグ スタジアム
フィラデルフィア・イーグルス アメリカンフットボール NFL ; NFC リンカーン・フィナンシャル・フィールド
フィラデルフィア・フィリーズ 野球 MLB ; NL シチズンズ・バンク・パーク
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ バスケットボール NBA ウェルズ・ファーゴ・センター
フィラデルフィア・フライヤーズ アイスホッケー NHL ワコビア・センター
フィラデルフィア・ソウル アリーナフットボール AFL ; ナショナルカンファレンス東地区 ワコビア・センター
フィラデルフィア・ユニオン サッカー MLS スバル・パーク
フィラデルフィア・スターズ アメリカンフットボール USFL ; ノース・ディビジョン (2022年-2023年) フォード・フィールド

他にもプロレス興行が盛んである。1990年代に独自のハードコア路線で一大ブームを巻き起こしたECWがこの都市を活動拠点としていた。ECWが試合会場として使用していたビンゴホールは、その後、ECWアリーナの名で親しまれ、のちにも「ジ・アリーナ」の名称でインディーズ団体の聖地として頻繁に興行が行なわれるようになった。

メディア[編集]

新聞[編集]

フィラデルフィアの主要な日刊紙は、「フィラデルフィア・インクワイアラー」紙と「フィラデルフィア・デイリー・ニュース」紙である。

テレビ[編集]

フィラデルフィア大都市圏の主要な地上波テレビ局は、ABC (WPVI, Ch. 6)、CBS (KYW, Ch. 3)、NBC (WCAU, Ch. 10)、PBS (WHYY, Ch. 12)、The CW (WPSG, Ch. 57)、MyNetworkTV (WPHL, Ch. 17) 及び Fox (WTXF, Ch. 29)である。

ラジオ[編集]

フィラデルフィアにはアメリカ国内でも名が通るラジオ局の本拠地になっている。中でも WMMR (93.3FM) と WYSP (94.1FM) はアメリカ有数のロック局である。両局は、多くの現代のロック・バンドを躍進させ、この国のロック音楽の流行に多大な影響を与えたことで、ロック音楽コミュニティーに広く知られている。

フィラデルフィアは近年までモダンロック専門のラジオ局がないアメリカ最大の都市だったが、2WPLY Y100 は元々純粋にフィラデルフィアを拠点としたmodern rockの局だったが、2005年初めに親会社である Radio One によって、(ヒップホップやR&Bなどを主体とする)rhythmic top 40に変更された。

ペンシルベニア大学によって運営されている WXPN (88.5 FM) は、当初は主要な局で曲を流してもらえなかった多くの著名なアーティストの経歴を立ち上げた実績を持つ。局の財源の大部分は会員であるリスナーによって支えられている。WXPN は毎年夏に開かれる音楽フェスティバルのスポンサーであり、その模様は現在自身のウェブサイト [2] を通じて世界中に放送されている。

WXTU (92.5 FM) は北東部内で多く聞かれているカントリー音楽放送局である。

施設[編集]

サウス・ストリートから見た中心部

オペラハウス・劇場[編集]

今や世界的に有名になった「フィラデルフィア・サウンド」は二つの異なる意味を持つ。一つは、世界屈指のオーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団が創り出す、美しく輝かしい独特なゴージャスなシンフォニー・サウンド。もう一つは、華麗で柔らかく甘めで、それまでのR&Bをより洗練した都会的雰囲気のソウルミュージックに変貌させたフィラデルフィア・ソウルのサウンド。

フィラデルフィア管弦楽団ニューヨーク・フィルハーモニックシカゴ交響楽団などと並ぶアメリカ五大オーケストラ(Big Five)の一角を占める名門オーケストラ。レギュラーシーズンはキメル芸術センター内の大ホール、サマーシーズンは野外のマーン芸術センターサラトガ芸術センターで演奏。その他、コロラド州ヴェイル音楽祭にも参加している。 かつて フィラデルフィア・ロビンフッド・デル管弦楽団 という名称で演奏することもあり、この名による録音も多く残されている。

フィラデルフィア室内楽協会:世界各地から著名な楽器奏者や声楽家を招き、キメル芸術センターの小ホールで数多くの質の高い室内楽コンサート、リサイタルを主催。協会独自の室内楽オーケストラを有し、このオケによる演奏会、また地元カーティス音楽院の教授陣との共演も主催する。

アカデミー・オブ・ミュージック(オペラハウス):1857年開業、イタリアの伝統を継いで建てられた 米国大陸最古のオペラハウス は、フィラデルフィア・オペラ座ペンシルベニア・バレエの本拠地である。

Walnut Street 劇場:アメリカ合衆国内で最古に運営された劇場

博物館・遺跡[編集]

フィラデルフィア美術館
市庁舎
自由の鐘

教育[編集]

公立学校[編集]

フィラデルフィア市のすべてはフィラデルフィア学区School District of Philadelphia)に属する。この地区のすべての学校は制服または何らかの服装規定を持つ事を要求される。

高等教育[編集]

近郊の大学[編集]

交通[編集]

Suburban 駅

公共交通機関[編集]

30丁目駅

フィラデルフィア市は南東ペンシルベニア交通局 (Southeastern Pennsylvania Transportation Authority 略 SEPTA) が路線ネットワークを有している。SEPTA はフィラデルフィア市内及び郊外でバス鉄道地下鉄路面電車、及びトロリーバスの運行を行っている。なお、地下鉄と路面電車は川崎重工製造の車両を採用しており、これは同社米国最初の受注であり、フィラデルフィアは同社の北米市場進出への足掛かりを作る街となり、同社のその後のニューヨーク市地下鉄車両の受注に繋がることとなった。

フィラデルフィア市内にはアムトラック北東回廊 (Northeast Corridor) が通っていて、ニューヨークまで約1時間半、ワシントンD.C.まで約2時間の距離である。アムトラックの30丁目駅 (30th Street Station) はアムトラック、SEPTA、NJ Transit 路線が乗り入れている街の中央駅である。この駅は北東回廊とキーストーン回廊の接続駅でもあり、ランカスターを経て州都ハリスバーグまでキーストーン・サービス号が高速かつ高頻度に運行されているほか、さらに先のアルトゥーナジョンズタウンを経てピッツバーグまでペンシルベニアン英語版号が1日1往復運行されている。

PATCO (Port Authority Transit Corporation) は16thと15th、13thと12th、及び10thと9thストリートの間のロコスト・ストリート (Locust Street) 及び 8th ストリート上にあるマーケット・ストリートの駅から、ニュージャージー州内のカムデンコリングスウッド (Collingswood)、ハドンフィールド (Haddonfield)、チェリーヒル (Cherry Hill)、アシュランド (Ashland)、及び リンデンウォルド(Lindenwold) まで地下鉄路線を運行している。

このほか、30丁目駅を起点にアトランティックシティまでニュージャージー・トランジット(NJ Transit, New Jersey Transit)のアトランティックシティ線英語版が運行されている。この路線は途中リンデンウォルドまでPATCOと並行している。

空港[編集]

ノースイースト・フィラデルフィア空港英語版が自家用機・ビジネス航空機向けのサービスを提供しているのに対し、フィラデルフィア国際空港 (PHL) は定期便路線の国内線及び国際線向けに利用されている(市内から車で約20分)。

姉妹都市[編集]

フィラデルフィア市はSister Cities International, Inc. (SCI)によって指定を受けた、10都市と姉妹都市を締結している。

フィラデルフィアが舞台の作品[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Annual Estimates of the Resident Population: April 1, 2010 to July 1, 2015 – 2015 Population Estimates”. United States Census Bureau. 2016年3月29日閲覧。
  2. ^ 「黄熱病」の死体を運び続けたアメリカの大富豪”. JB PRESS (2020年3月3日). 2020年3月3日閲覧。
  3. ^ NowData - NOAA Online Weather Data”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2011年12月14日閲覧。
  4. ^ Station Name: PA PHILADELPHIA INTL AP”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2014年3月13日閲覧。
  5. ^ WMO Climate Normals for PHILADELPHIA/INT'L ARPT PA 1961–1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2014年3月11日閲覧。
  6. ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12), http://www.census.gov/geo/www/gazetteer/gazette.html 2011年4月23日閲覧。 
  7. ^ 【AFP記者コラム】米ノースフィラデルフィア「ヘロイン・キャンプ」の地獄”. AFP (2021年9月4日). 2021年9月7日閲覧。
  8. ^ ヘロイン中毒者のたまり場閉鎖 米都市の根深い問題を露呈”. BBC (2017年8月15日). 2021年9月7日閲覧。
  9. ^ 米都市部の殺人件数、過去最多 コロナ禍で悪循環”. AFP (2021年12月27日). 2021年12月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
観光
その他

座標: 北緯39度57分12秒 西経75度10分12秒 / 北緯39.95333度 西経75.17000度 / 39.95333; -75.17000

先代
ニューヨーク市
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国首都
1790年7月16日 - 1800年11月17日
次代
ワシントンD.C.