ベルリン分離派

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ベルリン分離派展覧会(1908年)[1]

ベルリン分離派(Berliner Secession)は、19世紀末から20世紀始めにかけてドイツ語圏で興った世紀末芸術運動における芸術家集団のひとつ。ミュンヘン分離派(1892年)、ウィーン分離派(1897年)に続き、マックス・リーバーマンらの指揮のもとに1899年結成された。旧来の芸術を批判し、伝統からの脱却・分離を標榜したため「分離派」の名がついた(語源はラテン語の「secessio」)。初代の会長にマックス・リーバーマンが選ばれ、1899年に最初の展覧会が開かれた。第2回の展覧会には外国人の作品も多く出展されるようになり、1902年に一部の国粋的な画家が脱退した。1910年に分離派の展覧会に表現主義の画家の作品27点が展示が拒絶された後、ゲオルク・タッパートとマックス・ペヒシュタインらのメンバーが脱退して「新分離派(Neue Secession)が結成され、独自に展覧会を開いた。「新分離派」には「ブリュッケ」のメンバーや後に「青騎士」を結成するメンバーが加わり1914年まで活動した。ベルリン分離派の初代会長であった、マックス・リーバーマンやマックス・ベックマン、ケーテ・コルヴィッツらの50人のメンバーは1914年に「自由分離派(Freie Secession)」を結成し、自由分離派は1914年に最初の展覧会を開き、1923年まで展覧会を開いた。


グループに属していた芸術家[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]