マーティン・プラド

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マーティン・プラド
Martín Prado
マイアミ・マーリンズでの現役時代
(2016年4月11日)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アラグア州マラカイ
生年月日 (1983-10-27) 1983年10月27日(40歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション ユーティリティープレイヤー二塁手三塁手外野手
プロ入り 2001年 アマチュアFA
初出場 2006年4月23日
年俸 2019年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ代表
WBC 2013年2017年

マーティン・プラド英語: Martin Prado)ことマルティン・マヌエル・プラド・ブスタマンテスペイン語: Martín Manuel Prado Bustamante1983年10月27日 - )は、ベネズエラ共和国アラグア州マラカイ出身の元プロ野球選手ユーティリティープレイヤーで、本職は二塁手)。右投右打。

メディアによっては「プラード」と表記されるケースもある。

経歴[編集]

プロ入りとブレーブス時代[編集]

アトランタ・ブレーブスでの現役時代
(2010年9月10日)

2001年2月13日にアトランタ・ブレーブスと契約。

2006年4月23日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャーデビューを果たすも、2試合に出場しただけでマイナーリーグAAA級リッチモンド・ブレーブスに戻された。再びメジャーに昇格した後の9月14日(フィラデルフィア・フィリーズ戦)に、ジェイミー・モイヤーから初本塁打を放っている。

2007年はメジャーとマイナーを行き来した。9月12日のニューヨーク・メッツ戦では、9回に回ってきた打席で二塁ゴロを打った際、投げたバットが転がった弾みでヘッド部分を下にして直立不動に立つという珍事が発生した。これには試合を中継していたスポーツネット・ニューヨーク解説者であるキース・ヘルナンデスも、「こんなことは100年に1度も起きはしない」とコメントしている。

2008年ユーティリティープレイヤーとして起用され[1]、78試合に出場。打率.320・2本塁打・33打点という成績を残した。8月は21試合の出場で月間打率.432という数字を残している。

2009年は遊撃を除く内野の全ポジションで試合に出場(内訳は二塁で63試合、三塁で41試合、一塁で28試合)。一時は打率.236まで下がったが、最終的には.307という打率を残し、2年連続で打率.300をクリア。また、規定打席にも辛うじて到達し(2009年のプラドの打席数は503だが、規定打席は502打席)、二桁本塁打を放った。

2010年は開幕からレギュラーとして活躍し、オールスターにも初出場した。最終的には、3年連続で.300以上の打率を記録したほか、いずれも自己ベストとなる15本塁打・66打点という数字を残した。

2011年ダン・アグラの加入により、左翼にコンバートされた。打率は自己最低の.260に終わった。

2012年は2年ぶりに打率3割をクリアして復活。試合数、打席数、打数、安打数、二塁打、三塁打、打点、盗塁、四球などで自己記録を更新した。4年ぶりに遊撃を守るなど、守備でも貢献した。

ダイヤモンドバックス時代[編集]

アリゾナ・ダイヤモンドバックスでの現役時代
(2013年9月16日)

2013年1月24日にクリス・ジョンソンジャスティン・アップトンとのトレードで、ランドール・デルガドニック・アーメドジーク・スプライルブランドン・ドルーリーと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[2]。1月31日にダイヤモンドバックスと総額4000万ドルの4年契約[3]に合意した[4][5]。シーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された[6]

シーズンでは155試合に出場し、打率.282・14本塁打・82打点・3盗塁だった。

2014年は106試合に出場し、打率.270・5本塁打・42打点・2盗塁だった。

ヤンキース時代[編集]

ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代
(2014年9月13日)

2014年7月31日にピーター・オブライエンとのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[7]

移籍後は、37試合の出場で打率.316、7本塁打、16打点の好成績をマーク。特に本塁打は、移籍前のダイヤモンドバックスで106試合で5本塁打に対し、早いペースで生産した。シーズントータルでは、2年連続で打率.282を記録、また2009年から6年連続で二桁本塁打をクリアした。

マーリンズ時代[編集]

2014年12月19日にネイサン・イオバルディドミンゴ・ヘルマンギャレット・ジョーンズとのトレードで、デビッド・フェルプスと共にマイアミ・マーリンズへ移籍した[8]

2015年は129試合に出場し、打率.288をマーク。しかし本塁打は9本に終わり、連続2ケタ本塁打は6シーズンで止まった。記録としては、通算250二塁打を達成。守備面では三塁手に固定され、124試合で7失策守備率.976ながらDRS + 9を記録した。また、11試合で二塁手を守り、無失策・DRS + 1だった。

2016年も三塁のレギュラーをキープし、153試合に出場。打率.305・8本塁打・75打点という成績を残し、4シーズンぶりに打率.300を記録した。守備面では150試合で9失策、守備率.972、DRS +3、UZR + 3.4という成績を残した。10月2日のシーズン最終戦では、プレーオフ進出の可能性がなくなったことで監督代行を務め、三塁手として先発し、2打席で退いたが、チームは敗れてしまった[9]。10月5日には2019年までの3年総額4000万ドルで契約を延長した。

2017年はシーズン開幕前の2月8日に第4回WBCベネズエラ代表に選出された[10]

2019年オフの10月31日にFAとなった[11]

2020年2月12日に現役引退を表明した[12]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 ATL 24 49 42 3 11 1 1 1 17 9 0 0 2 0 5 0 0 7 2 .262 .340 .405 .745
2007 28 62 59 5 17 3 0 0 20 2 0 0 0 0 3 0 0 6 0 .288 .323 .339 .662
2008 78 254 228 36 73 18 4 2 105 33 3 1 2 2 21 0 1 29 3 .320 .377 .461 .838
2009 128 503 450 64 138 38 0 11 209 49 1 3 11 4 36 1 2 59 17 .307 .358 .464 .822
2010 140 651 599 100 184 40 3 15 275 66 5 3 3 6 40 2 3 86 13 .307 .350 .459 .809
2011 129 590 551 66 143 26 2 13 212 57 4 8 1 3 34 1 1 52 16 .260 .302 .385 .687
2012 156 690 617 81 186 42 6 10 270 70 17 4 4 9 58 2 2 69 19 .301 .359 .438 .796
2013 ARI 155 664 609 70 172 36 2 14 254 82 3 5 0 6 47 2 2 53 29 .282 .333 .417 .750
2014 106 436 403 44 109 17 4 5 149 42 2 1 0 4 23 0 6 57 17 .270 .317 .370 .686
NYY 37 137 133 18 42 9 0 7 72 16 1 0 0 0 3 0 1 23 3 .316 .336 .541 .877
'14計 143 573 536 62 161 26 4 12 221 58 3 1 0 4 26 0 7 80 20 .282 .321 .412 .733
2015 MIA 129 551 500 52 144 22 2 9 197 63 1 0 1 8 37 4 5 68 9 .288 .338 .394 .732
2016 153 658 600 70 183 37 3 8 250 75 2 2 0 5 49 4 4 69 24 .305 .359 .417 .775
2017 37 147 140 13 35 9 0 2 50 12 0 0 0 1 6 0 0 22 4 .250 .279 .357 .636
2018 54 209 197 16 48 9 0 1 60 18 1 1 0 0 11 0 1 35 5 .244 .287 .305 .592
2019 104 260 245 26 57 9 0 2 72 15 0 0 0 3 12 0 0 41 10 .233 .265 .294 .559
MLB:14年 1458 5861 5373 664 1542 316 27 100 2212 609 40 28 24 51 385 16 28 676 171 .287 .335 .412 .747
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 14(2006年 - 同年途中、2008年 - 2019年)
  • 24(2006年途中 - 同年終了)
  • 1(2007年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、307頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5 
  2. ^ "Braves and Diamondbacks complete seven-player trade" (Press release) (英語). MLB.com (Atlanta Braves). 24 January 2013. 2016年1月4日閲覧
  3. ^ 2013年は700万ドル、2014年から2016年までそれぞれ1100万ドル。
  4. ^ "D-backs agree to a four-year contract with Martin Prado, avoid arbitration" (Press release) (英語). MLB.com (Arizona Diamondbacks). 31 January 2013. 2016年1月4日閲覧
  5. ^ Steve Gilbert (2013年1月31日). “D-backs lock up Prado to four-year extension”. MLB.com. 2016年1月4日閲覧。
  6. ^ 2013 Tournament Roster” (英語). The official site of World Baseball Classic. 2015年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月3日閲覧。
  7. ^ "Yankees Acquire INF Martin Prado from Arizona" (Press release) (英語). MLB.com (New York Yankees). 31 July 2014. 2014年8月1日閲覧
  8. ^ "Marlins and Yankees complete five-player trade" (Press release) (英語). MLB.com (Miami Marlins). 19 December 2014. 2016年1月4日閲覧
  9. ^ Martin Prado Marlins' ceremonial manager”. MLB.com (2016年10月2日). 2017年6月4日閲覧。
  10. ^ Miggy, Altuve lead loaded Venezuela offense MLB.com (英語) (2017年2月8日) 2017年3月4日閲覧
  11. ^ Thomas Harrigan, Manny Randhawa and Paul Casella (2019年11月8日). “Here are every team's free agents this winter” (英語). MLB.com. 2019年12月2日閲覧。
  12. ^ ““いぶし銀”の名選手2人が引退 通算1542安打プラド、昨季開幕捕手ハンドリーが現役生活に幕”. ベースボールチャンネル. (2020年2月13日). https://www.baseballchannel.jp/mlb/77369/ 2020年2月19日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]