上野俊哉 (映画監督)

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うえの としや
上野 俊哉
生年月日 (1963-10-02) 1963年10月2日
没年月日 (2013-04-15) 2013年4月15日(49歳没)
出生地 日本の旗 日本 長野県
職業 映画監督俳優脚本家プロデューサー
ジャンル 映画オリジナルビデオ
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上野 俊哉(うえの としや、1963年10月2日[1][2] - 2013年4月15日[3])は日本映画監督俳優脚本家プロデューサー長野県出身[1]横浜放送映画専門学院卒業[1]

女池充田尻裕司今岡信治鎌田義孝榎本敏郎坂本礼とともに、ピンク七福神の一人として知られる[2]

経歴

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ピンク四天王の一人サトウトシキとのつながりから、学院在学時の1984年よりピンク映画の助監督としての仕事を始める[3][4]。上野の初監督作品は1990年の『最新ソープテクニック』[5][6]。 『連続ONANIE 乱れっぱなし』(原題『竜神と朱蓮華』[3])で初めてピンク大賞の作品賞を受賞し、ピンク七福神の先陣となった。 上野はその大賞で監督賞も受賞している[7]2003年の映画『猥褻ネット集団 いかせて!!』でもピンク大賞作品賞を[8]、さらにピンキーリボン賞2003・ゴールドぴんく賞も受賞した[3]2004年9月アテネフランセ文化センターで6作品の回顧展が開催された[9]。 近年は映画業界を離れ、病気療養をしていたが、2013年4月15日死去[3]

作品

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映画

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  • 最新ソープテクニック(1990年) - 脚本も
  • ザッツ変態テインメント 異常SEX大全集 第2話「1991.4.8 彼女は半年ぶりに、彼に会った」(1991年) - 脚本も
  • 実録異常性犯罪 甘い罠(1992年) - 脚本も
  • 連続ONANIE 乱れっぱなし(1994年) - 原題『竜神と朱蓮華』でDVD発売
  • 本番!! ドすけべ夫婦(1995年)
  • わいせつ覗き 見せたがる女(1996年) - 鈴木俊久名義[10]
  • 赤い欲情 はめ上手(1997年)
  • 白衣と人妻 したがる兄嫁(1998年)
  • したがる兄嫁2 淫らな戯れ(1999年)
  • どすけべ姉ちゃん 下半身兄弟(2000年)
  • 新・したがる兄嫁 ふしだらな関係(2001年)
  • 猥褻ネット集団 いかせて!!(2003年)

Vシネマ

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  • 団鬼六 肉体の賭け(1995年)
  • 団鬼六 人妻蟻地獄(1995年)
  • 誘い妻 仕組まれた密戯(1998年)
  • 四畳半 昼下がりの悶え 嫁エピソード1(2001年)
  • 濡れた赤い花弁 堕ちた妻たち(2002年)

関連項目

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文献

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英語

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  • Sharp, Jasper (2008). Behind the Pink Curtain: The Complete History of Japanese Sex Cinema. Guildford: FAB Press. pp. 311, 364. ISBN 978-1-903254-54-7 
  • Toshiya Ueno - オールムービー(英語)
  • Toshiya Ueno - IMDb(英語)
  • TOSHIYA UENO”. Complete Index to World Film. 2009年6月14日閲覧。

日本語

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出典

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  1. ^ a b c 上野俊哉(うえの としや)” (Japanese). 日本映画監督協会 - Directors Guild of Japan. 2013年6月6日閲覧。
  2. ^ a b Sharp, Jasper (2008). Behind the Pink Curtain: The Complete History of Japanese Sex Cinema. FAB Press. p. 311. ISBN 978-1-903254-54-7 
  3. ^ a b c d e 『ぴんくりんく』2013年6月号「上野俊哉監督の死を悼む」
  4. ^ 『日本映画人名事典 監督編』「上野俊哉」の項目
  5. ^ Pink Films History” (Japanese). P.G. Web Site. 2009年6月14日閲覧。
  6. ^ 4.ピンク四天王の時代(1990-1996” (Japanese). www.uplink.co.jp. 2009年6月14日閲覧。
  7. ^ Best Ten of 1994 (1994年度ベストテン)” (Japanese). P*G Website. 2009年1月18日閲覧。
  8. ^ Best Ten of 2003 (2003年度ベストテン)” (Japanese). P*G Website. 2009年1月18日閲覧。
  9. ^ Sharp, pp. 311, 330.
  10. ^ 入院により、脚本を書いた瀬々敬久が途中で引き継いで完成させた(『日本映画人名事典 監督編』より)

外部リンク

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