丹羽長守

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丹羽 長守(にわ ながもり、寛永20年(1643年[1] - 享保11年4月7日1726年5月8日))は、江戸時代旗本丹羽長吉の子。母は赤井忠泰の娘。幼名は吉松、通称は権十郎、左近、五左衛門。官名は遠江守。妻は三宅重貞の娘。子に長道一色直賢山下勝行がいる。

生涯[編集]

寛文10年(1670年)に4代将軍徳川家綱に拝謁し、2年後の寛文12年(1672年)、小姓組に入る。元禄元年(1688年)、家督を継承し、使番目付と累進、元禄5年(1692年)には浅草寺普請の功績により時服一領、羽織一領、黄金二枚を賜った。

元禄8年(1695年)には長崎奉行に就任、同15年(1702年)には中町奉行に栄進し、宝永4年(1707年)から北町奉行に転向、正徳4年(1714年)まで勤めた。奉行辞任後は旗本寄合席となり、享保11年(1726年)に84歳で没。


孫の丹羽高寛は第5代二本松藩主となる。

丹羽長守が登場する作品[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 寛政重修諸家譜における享年から逆算。