伊東四朗

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伊東いとう 四朗しろう
生年月日 (1937-06-15) 1937年6月15日(87歳)
出生地 日本の旗 日本・東京府東京市下谷区竹町(当時)
身長 166cm
職業
活動期間 1958年 -
公式サイト 伊東四朗オフィシャルサイト
主な作品


広告

受賞
報知映画賞助演男優賞
しゃべれどもしゃべれども』(2007年)
舞妓Haaaan!!!
第16回菊田一夫演劇賞
『雪之丞変化』、1990年
第52回NHK放送文化賞
2000年
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伊東四朗
ニックネーム ベンジャミン伊東
生年月日 (1937-06-15) 1937年6月15日(87歳)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市下谷区(当時)
血液型 O型
身長 166 cm
言語 日本語
方言 東京弁
最終学歴 東京都立市ヶ谷商業高等学校
師匠 石井均
出身 軽演劇(浅草)
コンビ名 てんぷく集団
トリオ名 てんぷくトリオ
相方
芸風
立ち位置
事務所 オルテ企画
活動時期 1958年 -
現在の代表番組伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛
過去の代表番組
他の活動
配偶者

女性(時期不明 - 現在)

親族
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伊東 四朗(いとう しろう、1937年〈昭和12年〉6月15日 - )は、日本コメディアン[注 1]俳優タレントテレビ司会者日本喜劇人協会相談役。オルテ企画所属。現在の東京都台東区台東出身。血液型はO型。5人きょうだい(兄2人、姉1人、妹1人)の三男[1]

兄は教育評論家[2]の伊藤竹三。息子は俳優・タレントの伊東孝明

来歴

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生い立ち

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1937年6月15日、東京府下谷区竹町(現在の台東区台東)にて[3]、服地商の子として生まれる。父親は静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)、母親は同県掛川市の出身[4]。男、女、男、男、女の5人きょうだいの上から4番目の三男が伊東[3]。戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。疎開中には、工場跡地のトロッコで遊んでいたところ、トロッコが暴走して転倒し車輪の一部が伊東の左頬を貫通したことがあるという。

石井均一座

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東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業後は就職を希望し数多くの面接を受けるも、目付きが悪い人相が悪いことを理由に不採用が続き、伝手を頼って紹介された製薬会社も入社試験を受けたが採用には至らなかった。1958年に伊東は早稲田大学生協職員に採用され、時間が出来ると観劇に様々な場所へ赴いた。その中で新宿フランス座の座付き俳優だった石井均は同じくこの年に劇団「笑う仲間」を旗揚げ、この舞台を見に足繁く通っていたため一座の役者が伊東の顔を憶えるほどになっていた。それらの経緯もあり、石井一座の役者から「君も(舞台で)やってみないか?」と誘われ、石井一座に参加[5]。「笑う仲間」はもう一人の共同主宰者と石井の仲違いから数か月で瓦解。「石井均一座」として再出発し新たに財津一郎(当時は財津肇メ)らが加わった[6]

最初の芸名は、師匠の石井均に「いとうにしよう」と言われたことから「伊藤証(いとうしょう)」だったが(「一等賞」をもじって名付けられたとの説もある[7])、ポスターなどに名前が連なる時に「名前が3文字なため、4文字の先輩より目立つ。お前も4つにしろ(→四朗)」ということで「伊東四朗」と改名した[注 2]

てんぷくトリオ

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石井一座は、浅草松竹演芸場新宿新宿松竹文化演芸場を拠点に人気となる。石井に追随した戸塚睦夫も新宿フランス座々付でその剣劇や軽演劇仲間[注 3]であった三波伸介とは夜間キャバレーの営業に出ていた(三波戸塚コンビ)。このステージ営業はある芸能事務所が石井をスカウトし、石井は戸塚を誘い二人で開始(石井戸塚コンビ)、その後石井は劇団旗揚から多忙を極め時間上の都合から三波にこのコンビ営業を移譲した経緯があった。引き継いだ三波はフランス劇場の座付で残り、石井の劇団に移った戸塚とはこの夜スケジュールに間に合わない事態が発生すると、戸塚はその都度に同じ座員だった伊東に声を掛けてこのキャバレー営業の相手代役に仕立て「(にせ)三波伸介[注 4]」として急場を凌いでいたが、三波は1960年初頭に失踪(その後大阪に行ったことが判明する)、伊東は「三波」の名でそのまま夜の代役営業を余儀なくされ、約一年余に渡り三波の帰京まで続けた。伊東はその代役期間にキャバレー従業員達とは顔馴染みになりステージも好評で、三波はコンビの復帰に際して[注 5]伊東との交代を避け[8]事務所には三人になったことを報告した。営業先のキャバレーショー司会者にコンビからトリオ再編になったことを告げる挨拶では、芸名「三波伸介」の扱いから「本当は伊東四朗、本当の三波伸介、本当に戸塚睦夫[注 6]」と幾分非常識な伊東の改名紹介も兼ねた(三波戸塚伊東トリオ)。やがて石井一座は1961年に解散し、伊東と戸塚はこちらを主点に置くようになったが(途中「三波戸塚伊東トリオ」から「ぐうたらトリオ」に改名)、三波はこの夜の仕事とは別に個人単独の仕事を求め活動しテレビ出演の機会を掴み、その繋がりからトリオも1962年、正式にてんぷくトリオ(当初の「ぐうたらトリオ」から改名)としてテレビや一般の舞台へと進出した。伊東の映画デビュー作は、ニュー東映東京『カメラ・トップ屋 お嬢さんが狙ってる/お色気無手勝流』(1961年、小石栄一監督)[9]。トリオブームの中堅として素地の軽演劇経験を生かし、コントなどで舞台やテレビで徐々に人気となり、三波のギャグ「びっくりしたなぁ、もぅ」が大当たりして、茶の間の人気お笑いグループとしての地位を確立した。てんぷくトリオが世に出るきっかけの基は三波個人(ソロ)活動にあり、三波はトリオの活動に重点を置いてはいたが、平行する個人活動の都合上、トリオの知名度や人気を利用して戸塚と伊東に二人か個別の活動を促していた。これを受けて努力家の伊東はダンスや楽器の練習などで芸を磨き、映画監督の市川崑は伊東を「てんぷくトリオの中の一番若くて一番やせている人。演技開眼したらしく、からだとセリフのタイミングが見事。おもしろい」と1968年に期待する新進として挙げていた[10]

1970年頃、『笑点』の札幌での収録において演芸にゲスト出演した際に、当時の司会者の前田武彦が荒天のため収録場所に到着できず、急遽三波が司会を代理担当したことがあった(三波は後に正式な司会に抜擢)。その際、座布団運びを特別に伊東が務めたことに起因して、伊東が正式な座布団運びに起用される可能性もあったというエピソードがある。

1972年から毎週日曜日に、三波らと共に出演していたNHKの『お笑いオンステージ』の1コーナー「てんぷく笑劇場」での活躍が代表的である[注 7]。1973年に戸塚睦夫が42歳で死去し、てんぷくトリオの活動に困難が生じるも、三波と二人で「てんぷく集団」として活動し、引き続き“てんぷく”の名を名乗ったが、次第にそれぞれの個人活動へシフトしている[要出典]

1982年12月8日、三波が52歳で急死。訃報を聞いた際、伊東は三波が安置されている病院に向かい、報道陣の問いかけに「(三波の遺体を触った際に)まだ温かいんですよ。温かいものだから死んだ気がしなくて…」と語り、葬儀で号泣した[11]

小松政夫との共演とベンジャミン伊東(電線音頭)

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1975年以降、三波の意向で「てんぷく」名での活動を抑制した頃、小松政夫との共演が話題になり、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での親子コントや「電線音頭」でのベンジャミン伊東、『笑って!笑って!!60分』での「小松の親分さん」などのネタで人気に火がついた。小松と2人で生み出したギャグがいくつもあるが、正月によく流れる琴による演奏の『春の海』を口で表現する「つん、つくつくつくつん。つん、つくつくつくつん。ひやーひんひらひらりー、べんべらべんべらべんべらべんべらべん」は伊東の発案である[要出典]

ずん」や「ニン」、「どーかひとつ」といったギャグも有名になった。特にベンジャミンとしてのスタイルは、藤田まことら古くからのコメディアン仲間から「あいつはバカになったのか!?」と驚嘆されるほどのインパクトがあり、小林信彦からは大いに絶賛された。それまで「てんぷくトリオ」のサブ的役割であった伊東が、にわかに芸能界で存在感を示し始め、1979年にはTBSザ・チャンス!』の二代目司会者に起用された。

「ベンジャミン伊東」のキャラクター案は、伊東が自身の威圧的な顔にコンプレックスを持っていたため、「怖い顔でも面白い人はいないのか?」と考えた時に「サーカスの団長」が思い浮かんだことが発端となっている。

喜劇役者として活動

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1977年、TBSドラマ『ムー』で渡辺美佐子の夫役を演じて人気を博す。

1983年、『おしん』では父親役に抜擢される。ドラマの大ヒットとともに俳優としての認知度も高まり、活躍の場を広げた。

1992年から2015年までは『十津川警部シリーズ』で亀井定雄役を一貫して演じ、十津川省三役の渡瀬恒彦との名コンビで人気を博し、その他2時間ドラマでの主演も多い。

『おしん』以降、コメディアンと並行してシリアスな俳優としての存在感も高めた伊東であったが、自らを「喜劇役者」と位置づけており、「いつまでもそうあり続けたい」と語っている[12][13]。「三波も戸塚も死んだが、てんぷくトリオは解散したものではない、解散を口にしたことはない」[注 8]とも述べ、コメディへのこだわりも見せる。かつての喜劇役者仲間であり、親しい友人でもあった東八郎関敬六、また渥美清由利徹などといった浅草喜劇出身の役者たちが次々に冥界の人になって以後は、「浅草喜劇の伝統を後代へ引き継ぎたい」という想いと、「彼らの分まで、体が動く限り現役で頑張りたい」との想いが年々強くなっているとのこと[要出典]

1997年、三宅裕司小倉久寛らと共にオムニバスコントの舞台『いい加減にしてみました』を上演する(2002年・2010年にも上演)。この流れで、今ではあまり見られない典型的な喜劇軽演劇舞台を再現しようと、2004年、『伊東四朗一座 〜旗揚げ解散公演』を上演した(タイトルからも分かるように最初で最後の予定であった)。この公演は当日券を求める客があふれるほどで、多くのリクエストを受けて、翌2005年には『伊東四朗一座 〜急遽再結成公演〜』を上演する。その後、2006年・2007年には伊東が参加しなかったため、三宅らは「熱海五郎一座」[注 9]と銘打って活動する。2008年には再び伊東が加わり「伊東四朗一座」として公演を行う。2009年には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演」が上演された。現在は年1回のペースで活動。伊東四朗一座の舞台公演作品はDVD化もされている。

この他にも舞台公演は精力的に行っている。角野卓造松金よね子佐藤B作あめくみちこらとともに「西荻窪エリアでお酒を飲みながら語らう会」(西荻の会)を結成し、実際に西荻窪エリアで酒を飲みながら語らっていたが、ある時会の外から「このメンバーで芝居を」との提案を受けたことから[要出典]、2011年に本多劇場にて西荻の会による介護コメディー『ロング・ロスト・フレンド』を上演した。

タレントとしての人気

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テレビ草創期から活動しているタレントの一人としても知られる[14]

バラエティ番組の司会も数多く担当し、『伊東家の食卓』には「お父さん」役で約9年半出演した。

CMでは『白子のり』のイメージキャラクターを長年務めていることで有名。

人物・エピソード

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  • 伊東がまだ学生だった頃、芝居の台本を持ち込んで教えを請おうと思い立って無謀にも二世尾上松緑と面会するべく歌舞伎座を訪れた際、追い返そうとする番頭を二世松緑がたしなめ、自ら伊東を楽屋に通し、伊東が書いた芝居の台本を読んでアドバイスをした上に、その当時、二世松緑の弟子であった四代目坂東鶴之助(後の五世中村富十郎)に松緑が「この若い者(伊東)に女形芸について教えてあげなさい」と指示し、鶴之助から女形についてのレクチャーを受けた[15]
  • 森繁久彌から『屋根の上のバイオリン弾き』への出演を打診されたが「(森繁久彌の)ファンのままでいたい」と断っている[16]
  • 2011年、したまちコメディ映画祭in台東において「第4回コメディ栄誉賞」を受賞[17]
  • 社団法人日本喜劇人協会(第10代会長:小松政夫)で相談役を務める(日本喜劇人協会公式サイトを参照)。
  • 2012年9月、野口五郎尾藤イサオ橋爪功山口もえらとともに「たいとう観光大使」に就任[18]。「たいとう観光大使」は台東区出身の芸能・文化・スポーツ関係者から選ばれ、台東区の魅力を内外に発信し、区のイメージアップ、観光の振興を図る活動を行う。
  • 2017年8月24日放送のTBSラジオたまむすび』でピエール瀧が、かつて過去に自分が出演したクイズ番組の収録中に急遽追加の収録を行うという、いわゆる「やらせ」が行われそうになったことについて語った。そのクイズ番組の収録現場にいた瀧は、追加の収録についての打ち合わせを行うスタッフらに疑問を呈したが、そのクイズ番組の司会を務めていた伊東もスタッフらに苦言を呈し、結果スタッフらは渋々ながら追加の収録を行わずに番組収録の終了を告げたという。『たまむすび』に出演していたTBSアナウンサーの外山惠理は、瀧からこのエピソードを聞き、驚きの声をあげた一方で、伊東の行動に対して瀧と共に称賛した[19]
  • ベンジャミン伊東として売れっ子になっていた頃、フジテレビ「望郷 日本最初の第九交響曲〜板東俘虜収容所物語(1977年)」にて交番に勤務する真面目な警官の役の依頼が来た。依頼者は電線音頭のことを知らないのだと思い、いいのですかと尋ねたところ「それがどうかしましたか」と言ってくれ、別人格として扱ってくれたことが非常に嬉しかったと語っている[20]
  • 2016年の78歳の時、運転免許を妻とともに自主返納している。満72歳以上の誕生日を迎えたあとの免許の更新だったために有効期限がそれまで5年だったものが3年になり、また、75歳以上の免許更新の際に行われる認知機能検査及び高齢者講習に対して、「次も3年後に来て、これやらなくちゃいけないのはイヤだなって」「運転もうまかった自分には屈辱的だった」と返納の理由を2019年6月12日放送のフジテレビ直撃LIVE グッディ!』に出演した際に語っている。その後は移動の際はもっぱら電車を利用している[21]。高齢者講習では「幼児に対するような話し方をされて自尊心がズタズタになった。今、高齢者の事故がニュースになるけど、返納で運転による不安がなくなった」という[22]
  • 2021年は84歳の年男となる。50代から始め一時は熱中したテニスはやめたものの、夫婦でウォーキングに出掛けたり、ダンベルを持ち上げ、腕立て伏せもしたりするなど、体力維持に努めている。ただ義務として取り組むことは好まないといい、気の向くまま自然体で行っている。「脳細胞を減らさないように」と始めた円周率令制国名の暗唱も続けているという[22]
  • タフマンのCMを担当したことを期に東京ヤクルトスワローズのファンになった[23]
  • 2003年からドラマ「おかしな刑事」シリーズの主演として出演してきたが(前身の「おかしな二人」シリーズを含めると2002年から)、通算25本目を迎えた2020年の段階でシリーズドラマの主演としては最年長となった(放送時83歳)[24]。同作は、2024年1月6日放送の27作目「おかしな刑事最終回!大千秋楽スペシャル」を以て20年の歴史に幕を降ろした。放送時伊東は86歳[25]

出演

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バラエティ

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クイズ番組

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音楽番組

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情報番組

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期間 番組名 役職
1990年10月 1992年9月 TVいま時あの時(テレビ朝日) 司会
1993年4月
1994年4月
1993年10月9日
1995年3月
疲労回復テレビ(NHK総合) 『お父さん』役でのレギュラー司会

テレビドラマ

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NHK総合

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日本テレビ系

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TBS系

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フジテレビ系

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土曜ワイド(15:35 - 17:30)で放送。

テレビ朝日系

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テレビ東京系

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WOWOW

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映画

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舞台

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  • 土佐堀川 (1990年2月から1か月間、東京宝塚劇場で上演):明治・大正期の実業家・広岡浅子の夫・広岡信五郎
  • 雪之丞変化(1991年)
  • その場しのぎの男たち(1992年・1994年・2003年・2013年[45]・2023年、本多劇場
  • 伊東四朗&小松政夫 エニシング ゴーズ(1995年、新宿シアターサンモール)
  • おしん(1995年)
  • アパッチ砦の攻防(1996年)
  • いい加減にしてみましたシリーズ
    • いい加減にしてみました(1997年)
    • いい加減にしてみました2(2002年)[46]
    • いい加減にしてみました3(2010年)
  • アパッチ砦の攻防 決定版(1998年)
  • 追いつ! 追われつ!!(2001年)
  • バッドニュース☆グッドタイミング(2001年)
  • 伊東四朗一座
    • 伊東四朗一座 〜旗揚げ解散公演〜「熱海迷宮事件」(2004年)
    • 伊東四朗一座 〜急遽再結成公演〜「喜劇 芸人誕生物語」(2005年)
    • 伊東四朗一座 〜帰ってきた座長奮闘公演〜「喜劇 俺たちに品格はない」(2008年、本多劇場
    • 伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演「喜劇 日本映画頂上決戦〜銀幕の掟をぶっとばせ!〜」(2009年、青山劇場
    • 〜三宅裕司生誕60周年記念〜伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演「こんにちは 赤ちゃん」(2011年、赤坂ACTシアター
    • 新橋演舞場シリーズ第10回記念公演 東京喜劇 熱海五郎一座(2024年、新橋演舞場
  • 疑惑のアパート(2006年):作・演出のみ
  • 社長放浪記(2007年、「伊東四朗生誕?!七十周年記念」公演 本多劇場
  • 学おじさん(2008年、本多劇場)
  • 介護コメディー ロング・ロスト・フレンド(2011年、「西荻の会」公演 本多劇場)
  • 吉良ですが、なにか?(2014年、「伊東四朗生誕?!七十七周年記念」公演 本多劇場)
  • 死ぬか生きるか!(2018年、「魔がさした記念」コントライブ 紀伊國屋サザンシアター
  • Yakultプレゼンツ 伊東四朗トークライブ 「あたシ・シストリー」(2020年3月10日・3月11日(北沢タウンホール)、5月10日(紀伊國屋サザンシアター)[47])※新型コロナウイルス感染拡大の影響により延期。5月公演では盟友の小松政夫がゲスト出演する予定であったが上記理由により延期、再延期となり、11月にようやく公演に至るも、小松の入院、死去(2020年12月7日)により共演は叶わなかった[48][49][50]
  • Yakultプレゼンツ 伊東四朗トークライブ 「あたシ・シストリー」(2020年7月15日・7月16日(北沢タウンホール)、9月1日(北沢タウンホール))※新型コロナウイルス感染拡大の影響により再延期。
  • 伊東四朗トークライブ「あたシ・シストリー」(2020年11月10日・11月11日、北沢タウンホール[51]
  • 生誕?!80+3周年記念公演「みんながらくた」(2021年2月26日 - 3月14日、本多劇場[52][53]

劇場アニメ

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人形劇

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ラジオ

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ドキュメンタリー

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  • NHK特集「厳冬 白山 〜子猿ヤマトは生き抜いた〜」(1985年5月12日、NHK総合)- ナレーション
  • アンテナ22(日本テレビ) - 司会(本名が同音異字「伊藤輝夫」のテリー伊藤と共演)
  • 青春ブレイクスルー〜聖なる顔の伝説・伊東四朗(2014年8月22日、NHK BSプレミアム
  • ファミリーヒストリー」(2019年1月28日、NHK総合)
  • 「伊東四朗 83歳 生涯、いち喜劇役者」(2021年6月5日、NHK BSプレミアム・NHK BS4K[57]

CM

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  • 白子のり - メインキャラクター
  • ヤクルト
    • 「タフマン」(1985年 - 2002年、2011年 - ):文化放送ラジオ番組「伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド」内コーナーにて「タフマン伊東」を名乗ったことも。
    • 「蕃爽麗茶」 (2009年 - 2017年):ナレーション[注 10]
    • 「みんなのヤクルト」(2016年 - 、大泉洋らと共演)
    • 「お隣さん」篇 (2022年 - 、大泉洋らと共演)
    • ヤクルト400W」「秘訣」篇(2022年10月27日 - 、大泉洋と共演)
  • 池袋サンシャインシティ「ひかり博-科学のお祭り広場-」(1984年)
  • KDD(現在:KDDI
  • 養命酒
  • ブリストルマイヤーズ・ライオン「エキセドリン」(1990年)
  • アース製薬「アースノーマット」:春季・夏季のみオンエア
  • キリンビールラガー」(ハリソン・フォードらと共演。ただし撮影は別撮りのため厳密には共演ではない。)

著書ほか

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  • 俺の三波伸介』中央アート出版社、1983年12月8日。追悼刊行
  • 『この顔で悪いか!』集英社、1997年
  • 『親父熱愛(オヤジ・パッション) part.1・2』 吉田照美水谷加奈共著、講談社文庫、2002-2003年
  • 『この顔でよかった!』集英社be文庫、2003年。続編
  • 『ボケてたまるか!』集英社、2007年
評伝

脚注

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注釈

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  1. ^ 伊東本人は「喜劇役者」という肩書を自称している。
  2. ^ 履歴については裏付ける資料も多くほぼ一致し改名時期は1961年頃とされる。最初の芸名由来に改名の理由や状況については伊東本人の言及から左右され、本人の著作『この顔で悪いか』(集英社1997年11月刊)や西条昇著『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』(風塵社・2000年1月)などの資料やラジオ等対談番組での発言に食い違いが見られる。前後の大学生協職員から劇団参加時代も同様で、生協職員の待遇などに関して小さな相違が認められる。
  3. ^ 二人の関係は浅香光代一座の在籍まで遡る。
  4. ^ 「にせ三波伸介」という表記は伊東四朗著『この顔で悪いか』や伊東本人とのインタビューに拠る。
  5. ^ 石井均一座解散と三波の復帰時期については資料によって違いが見られ、西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』では、一座解散後にコンビから転じたトリオに復帰としている。
  6. ^ コンビからトリオになったことをキャバレーの司会者に報告すると戸惑いからこの様な再度の自己紹介となった。
  7. ^ 番組開始時、戸塚睦夫は既に病に冒されていたが、当初はレギュラーとして出演していた。
  8. ^ 長年解散を否定していた一方、2001年2月17日放送の読売テレビ『相方〜芸人その世界〜』で、伊東が司会の笑福亭鶴瓶から解散について聞かれ、「正式に解散してないんですよ。いきなり戸塚睦夫が死んじゃったから。それでも“てんぷく”でやってたんですけど、今度は三波が死んじゃった。で、1人で“てんぷく”ってワケにもいかないからねえ。今言っても良いんです、解散って。うん、今言います。解散です」と語った。また1994年8月〜1999年3月までNHKのバラエティ番組コメディーお江戸でござる』に出演と制作助言を行い(『お笑いオンステージ』スタッフであった滝大作も参加していた)、この番組を降板したのちに番組の感想で伊東は「てんぷくトリオ(ひいては三波)が果たせなった将来の一部を試みることが出来た」と述懐している。
  9. ^ 「伊東」の手前なので「熱海」。「四朗」には及ばないので「五郎」という、伊東四朗への敬意が込められている[要出典]
  10. ^ 前任は谷啓

出典

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  1. ^ 2011年10月2日NHKラジオ第一ラジオ深夜便』インタビュースペシャルより
  2. ^ 伊藤竹三(いとうたけぞう)”. 株式会社パワービーンズ. 2012年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月13日閲覧。
  3. ^ a b スポーツニッポン『我が道』2011年8月1日
  4. ^ スポーツニッポン連載 『我が道』伊東四朗 2011年8月2日18面
  5. ^ 伊東四朗さん 「おしん」の大根飯、疎開中の味
  6. ^ 西条昇著「笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう」p.46
  7. ^ 【西条昇の軽演劇コレクション】伊東四朗が伊藤証時代に出演した、浅草松竹演芸場と新宿松竹文化演芸場での石井均一座のパンフレット:西条昇ブログ お笑いエンタメ人生!:So-netブログ
  8. ^ 西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』2000年、風塵社、58頁から引用「(三波は)『ここで伊東をクビにするのは何だから、三人でやろうか』(伊東の述懐証言から)」。営業先と馴染み人気になっていた伊東を外す訳にはいかなかった事情が背景にあった
  9. ^ a b c d 「笑力特集 もっと笑いを!伊東四朗が語る〈笑い〉にこだわる喜劇役者道 文・野村正昭」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、2011年11月上旬号、61頁。 
  10. ^ 市川崑 (1968年1月1日). “1968年に期待する私の好きな新進”. 朝日新聞 
  11. ^ 芸能界の重鎮・伊東四朗が語る、「逆境を越えた生き方」
  12. ^ 伊東四朗の“喜劇俳優”としての原点に迫る番組、NHK BSプレミアムで放送2021年5月18日 ステージナタリー
  13. ^ 伊東四朗 83歳 生涯、いち喜劇役者2021年6月5日 NHKBSプレミアム・NHKBS4K
  14. ^ テレビ70年、懐かし番組集合 NHKが特別サイト”. 産経ニュース (2022年7月12日). 2022年7月12日閲覧。
  15. ^ 『我が道』 伊東四朗 スポーツニッポン 2011年8月9日付参照
  16. ^ 西条昇 著、高田文夫 編『江戸前で笑いたい 「東京喜劇人列伝10 伊東四朗」』筑摩書房、1997年1月25日、270頁。ISBN 4480872876 
  17. ^ コメディ栄誉賞 伊東四朗特集
  18. ^ 伊東四朗「案の定来た」たいとう観光大使2012年9月5日 日刊スポーツ
  19. ^ ピエール瀧 クイズ番組でヤラせ現場に遭遇した過去 「追加であと3問」”. livedoor NEWS・TOPIC NEWS (2017年8月26日). 2017年8月26日閲覧。
  20. ^ 80歳を迎えた伊東四朗 「まだ喜劇役者になりきれていない」”. 2018年2月28日閲覧。
  21. ^ “伊東四朗、運転免許は「すっと返上しました。その方がスッキリするし」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年6月12日). https://hochi.news/articles/20190612-OHT1T50030.html 2019年6月13日閲覧。 
  22. ^ a b 年男の伊東四朗は自然体「フラットに生きられれば」2021年1月1日 日刊スポーツ
  23. ^ タフマンCM出演の伊東四朗「川端選手ありがとう」ファン歴36年万感祝福2021年11月28日 日刊スポーツ
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参考文献

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  • 伊東四朗著『この顔で悪いか』集英社 (1997年11月刊)
  • 西条昇著『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』風塵社刊(2000年1月刊) ISBN 4-938733-76-5
  • 井上ひさし著『笑劇全集 完全版』河出書房新社(2014年刊) - 巻末にあるようにダイジェストはそれまで出ていたが、これは完全版
  • 田村隆著『ゲバゲバ・みごろ!たべごろ!・全員集合―ぼくの書いた笑テレビ』 双葉社 (2002年10月刊) ISBN 4-575-29465-9

関連項目

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外部リンク

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