倉石隆

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倉石隆
誕生日 (1916-01-20) 1916年1月20日
出生地 日本の旗 日本 新潟県
死没年 1998年11月19日(1998-11-19)(82歳)
死没地 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
芸術分野 洋画
活動期間 1916年 - 1998年
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倉石 隆(くらいし たかし、大正5年(1916年1月20日 - 平成10年(1998年)11月19日[1])は、新潟県高田市(現上越市)に生まれた洋画家

来歴[編集]

太平洋美術学校で学び、自由美術協会を経て昭和39年(1964年)、主体美術協会の創立会員となる。人物油彩画を中心に制作した。書籍や新聞雑誌の挿絵も多く手がけた。

昭和62年(1987年)、脳梗塞で倒れて右半身と言語機能を失うも左手で制作を続け「左手のデッサン帳」の出展を重ねた。平成10年(1998年)に82歳で死去。 上越市の樹下美術館に常設展示されている。

平成7年(1995年)9月から10月にかけて新潟市美術館で倉石隆展が開催された。

脚注[編集]

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、399頁。

参考文献[編集]