元号一覧 (朝鮮)

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元号一覧(げんごういちらん)では、朝鮮における歴代元号について記述する。なお朝鮮は伝統的に中国冊封体制下に入っていたので、基本的には中国王朝の暦を用いていた。このため、朝鮮独自の元号は少ない。

三国時代[編集]

高句麗[編集]

延嘉七年の銘を持つ金銅如来像の光背(韓国国立中央博物館蔵)

実際にはこの他にも元号があった。たとえば延嘉七年己未銘を持つ金銅如来像が発見されており、539年に比定されている[1][2]

新羅[編集]

650年からの年号を用いる

唐滅亡後は、国際的混乱や国内の混乱により状況が明らかではないが、後梁後唐の年号の使用が確認される。

後三国時代[編集]

後百濟[編集]

後高句麗(摩震)(泰封)[編集]

高麗[編集]

この後後唐の年号を使用。後に後晋、次いで後漢の年号を使用
この後後周の年号を使用。次いでの年号を使用

契丹)に服属(993年~)後は遼の年号を使用。政治情勢に応じて遼と宋の年号の両方が現れる。遼滅亡後はの正朔を奉じ、に服属(1259年)すると元の年号を用いた。高麗末期の混乱期には、の年号のほか、北元宣光年号が確認される。

朝鮮王朝・大韓帝国(旧韓国)[編集]

建国当初より明国に事大し、明の年号を忠実に使用。1636年に服属すると、清の正朔を奉じる。また、密かに明最後の年号崇禎を使用している(崇禎紀元)。

日本統治時代[編集]

連合軍軍政期[編集]

元号なし:1945年 - 1948年

大韓民国[編集]

朝鮮民主主義人民共和国[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 吉良文男『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年、8頁。ISBN 4096070130 
  2. ^ 田辺三郎助「仏像」『新版 韓国 朝鮮を知る事典』平凡社、2014年、490頁。ISBN 9784582126471 

関連項目[編集]