和田誠

ウィキペディアから無料の百科事典

わだ まこと
和田 誠
和田 誠
誠文堂新光社『アイデア=Idea』第13巻第75号(1966)より
生年月日 (1936-04-10) 1936年4月10日
没年月日 (2019-10-07) 2019年10月7日(83歳没)
出生地 日本の旗 日本大阪府大阪市
死没地 日本の旗 日本東京都
民族 日本人
職業 イラストレーター
エッセイスト
映画監督
ジャンル 映画
活動期間 1959年 - 2019年
配偶者 平野レミ
著名な家族 和田精(父)
平野威馬雄(義父)
山本紫朗(伯父)
和田唱(長男)
上野樹里(長男の妻)
和田明日香(次男の妻)
 
受賞
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
特別賞
2019年
毎日映画コンクール
大藤信郎賞
1964年『殺人 MURDER』
ヨコハマ映画祭
作品賞
1984年麻雀放浪記
テンプレートを表示

和田 誠(わだ まこと、1936年昭和11年〉4月10日 - 2019年令和元年〉10月7日)は、日本イラストレーターグラフィックデザイナーエッセイスト映画監督大阪府生まれ。

家族[編集]

実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精[1]日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる[2]

妻は料理愛好家・シャンソン歌手平野レミ。長男はロックバンドTRICERATOPS和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター[3]。率の妻は和田明日香

人物[編集]

父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる[4]1943年昭和18年)大阪市住吉区長池国民学校(現・大阪市立長池小学校に入学[1]1945年昭和20年)、精の失職に伴い3月に一家で精の実家である東京都世田谷区代田に転居。しかし、家族と一人離れて疎開した千葉県で敗戦を迎える。

東京へ戻り世田谷区立代沢小学校3年次に転入し、世田谷区立富士中学校[1]東京都立千歳高等学校[1](現・東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現・デザイン)科を卒業[1][5]。『グレン・ミラー物語』(1954年)を観て、ジェームズ・ステュアートに似顔絵付きのファンレターを出して、返事で絵を褒められたのが絵を職業にしようと決心した理由の一つだという[6]

1959年(昭和34年)に広告制作プロダクションライトパブリシティデザイナーとして入社し、同年、日本専売公社が発売予定の新商品の紙巻きたばこハイライト」のパッケージデザインコンペに参加し、24歳の若さで勝ち抜き採用される[7]。同製品のデザインは、1964年開業の東海道新幹線の車体の色を決めるときに配色の参考にされた[7][8]

他にも自社のライトパブリシティ及び、社会党ロゴマークを手掛け[8]キヤノン東レといった国内有数の企業の広告デザインを長らく担当した後、1968年(昭和43年)退社。

1964年に灘本唯人宇野亞喜良山口はるみ横尾忠則らと東京イラストレーターズ・クラブを結成[1](70年解散)。

1972年、出会って10日で平野レミと結婚[9][10]シャンソン歌手としてテレビで歌うレミを見て、ひと目惚れしたのが始まり。当時レミとラジオ番組で共演していた友人の久米宏に紹介を頼んだところ、久米は「レミさんだけはやめた方がいいと思いますよ」と返したという[11][10]。1975年に長男・唱[10]、1979年に次男・率が誕生[10]。1978年には渋谷区に事務所、自宅を構えた[1][12]

1965年から1995年、矢崎泰久から声をかけられ、雑誌『話の特集』の創刊にかかわり、1995年の休刊までアート・ディレクターをつとめた[1][13]

退社後はフリーランスとなり、「週刊文春」の表紙や星新一著作の挿絵などを手掛ける。他、星新一丸谷才一の一連の作品や村上春樹の『アフターダーク』、三谷幸喜阿川佐和子作品を始め、数多くの装丁を担当する(この縁もあり、阿川や三谷とは交流があった)。

イラストレーターとしての仕事が知られる一方、『窓ぎわのトットちゃん』など、自身のイラストを用いないデザインも見られる(この縁から黒柳徹子とは交流があり、なかなかテレビ番組に出演しなかったが『徹子の部屋』には出演している)。

通常、書籍のバーコードは裏表紙のカバーに直接印刷されるが、これを嫌い、ISBNの数字のみが表示されたデザインを採り入れている[8]。結果、バーコードはに印刷されることが多い[8]

映画にも造詣が深く、1984年に角川映画として初監督作品である真田広之主演『麻雀放浪記』を手掛け、小泉今日子主演の『快盗ルビイ』など数作品でメガホンをとった。ちなみに、他分野出身の監督が第一、二作連続でキネマ旬報ベストテン入りを果たしたのは唯一である。監督業以外にも『お楽しみはこれからだ』等、映画がテーマのエッセイ集を出している。

1992年、伯父の山本紫朗に国内レビューの黄金時代を取材した内容をまとめた著書『ビギン・ザ・ビギン』をモチーフに、『日劇物語』を映画化する話がもち上がった。脚本を手掛け、クランク・イン寸前まで進んだが、資金不足のため撮影は中止された[14]

アニメーション作家としての実績もあり、1960年(昭和35年)に久里洋二柳原良平真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成し、草月ホールで定期的に上映会を行っていた際に、横尾忠則手塚治虫等と共に参加し、個人制作の作品を発表した。1961年(昭和36年)NHKで放送開始の『みんなのうた』に参加し、初のアニメーション作品『誰も知らない』『ビビディ・バビディ・ブー』『ねこふんじゃった』を始め、他9曲の映像を製作した[1]。また、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルを手掛けている[1]

2019年10月7日、東京都内の病院にて肺炎のため死去[15]。83歳没。

2020年3月、母校である多摩美術大学に約5万点の資料および作品が寄贈されたことを大学が公表[16][17]。アーカイヴ展示が行われている[18]

2021年12月17日、渋谷区立中央図書館に自著や装丁を手掛けた本、蔵書や本棚、打ち合わせに使用されたテーブルや椅子などが寄贈され、図書館4階に「和田誠記念文庫」が開設された[19][12]

2022年4月、ジャズなどのレコード365枚が、生前親交のあった作家の村上春樹の関連資料を収蔵する早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリー)に寄贈された[20]

名言[編集]

  • 「人生の博打でいうと、イラストレーターという職業を選んだことかな?当時はまだそういう言葉はなかったけどね。」

受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 画『People : 和田誠肖像画集』 美術出版社 1973年
  • 『デザイン街路図』 昭文社出版部 1973年
  • 『にっぽんほら話』 講談社 1974年
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ』 文藝春秋 1975年 のち文庫
国書刊行会で2022年に復刊(全7巻)
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ Part2』 文藝春秋 1976年
  • 『日曜日は歌謡日』 講談社 1976年
  • 画『ポスターランド』 講談社 1976年
  • 画『People : 和田誠肖像画集 2』 美術出版社 1977年
  • 『いつか聴いた歌』 文藝春秋 1977年 のち文庫 のち愛育社
  • 『倫敦巴里』 話の特集 1977年
  • 『和田誠百貨店』 美術出版社 1978年
  • 『たかが映画じゃないか』 山田宏一と共著 文藝春秋 1978年 のち文庫
  • 『落語横車』 講談社 1980年 のち文庫
  • 『にっぽんほら話』 講談社 1980年 のち文庫
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 3』 文藝春秋 1980年
  • 『シネマッド・ティーパーティ』 講談社 1980年 のち文庫
  • 『サニーサイドアップ : 和田誠漫画集』 CBS・ソニー出版 1980年
  • 『きなきな族からの脱出』 角川書店 1981年 のち文庫
  • 画『装幀パレード : 和田誠イラストレーション集』 岩崎美術社 1982年
  • 画『特別飛行便 : 和田誠・週刊文春表紙画選』 文藝春秋 1982年
  • 画『SF大会 : 和田誠イラストレーション集』 岩崎美術社 1982年
  • 対談『映画に乾杯 : 歓談・和田誠と11人のゲスト』 キネマ旬報社 1982年
  • 『わたくし大画報』 講談社 1982年
  • 画『CMくらぶ : 和田誠イラストレーション集』 岩崎美術社 1982年
  • 『ビギン・ザ・ビギン : 日本ショウビジネス楽屋口』 文藝春秋 1982年 のち文庫
  • 『ポストカード・ニューヨーク 1・2』 篠山紀信と共著 文芸春秋 1983年 (文春絵はがき文庫)
  • 『プライヴェート・ニューヨーク』 和田誠 文・絵/篠山紀信 写真 文芸春秋 1983年
  • 『親馬鹿子馬鹿』 和田唱と共著 講談社 1983年
  • 対談『酒の本棚・酒の寓話』サントリー 1983年
  • 『いろんなもの・いろんなうた』 新潮社 1984年
  • 『シナリオ 麻雀放浪記』原作:阿佐田哲也、脚本:和田誠+澤井信一郎 角川文庫 1984年
  • 編『モンローもいる暗い部屋』新潮社 1985年 (エッセイ・おとなの時間)
  • 『新人監督日記』 角川書店 1985年
  • 『A面B面 : 作詞・レコード・日本人』 阿久悠と共著 文芸春秋 1985年 のち、ちくま文庫
  • 対談『映画に乾杯 : 歓談・和田誠と11人のゲスト 2』 キネマ旬報社 1985年
  • 『日曜日は歌謡日』 講談社文庫 1986年
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 4』 文藝春秋 1986年
  • 編『ひとコマランド傑作選』 講談社 1986年
  • 『カメラ対ギャルス』 話の特集 1986年
  • 対談『和田誠インタビューまたは対談 その2』 話の特集 1987年
  • 『和田誠百貨店〈B館〉』 美術出版社 1988年
  • 編『心がぽかぽかする本』NTT出版 1989年
  • 『メイキング・オブ・快盗ルビイ』 長谷川隆共著 筑摩書房 1989年
  • 対談『和田誠インタビューまたは対談 その3』 話の特集 1989年
  • 編『心がぽかぽかする本 2』 NTT出版 1990年
  • 『旅の絵日記』 平野レミと共著/関原彰 写真 講談社 1990年
  • 『Cats in Wadaland』 マガジンハウス 1991年
  • 『シネマッド・カクテルパーティ』 講談社 1991年
  • 『3D』 リブロポート 1991年 (a-tempo ; 9)
  • 『ブラウン管の映画館』 ダイヤモンド社 1991年 のち、ちくま文庫
  • 編・画『心がぽかぽかする本 3』 NTT出版 1992年
  • 編著『映画とジャズ』 和田誠 ビクター音楽産業 1992年 (ビクターブックス)
  • 対談『和田誠インタビューまたは対談 その4』 話の特集 1992年
  • 『和田誠装幀の本』 リブロポート 1993年
  • 『銀座界隈ドキドキの日々』 文藝春秋 1993年 のち文庫
  • 『おさる日記』 村上康成 絵 偕成社 1994年
  • 対談『怖がる人々を作った人々』 文藝春秋 1994年
  • 『ことばの波止場』 白水社 1995年 のち白水Uブックス、中公文庫
  • 『冒険がいっぱい』 長新太 画 文渓堂 1995年 (おはなしメリーゴーランド)
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 5』 文藝春秋 1995年
  • 童話『ことばのこばこ』 絵も 瑞雲舎 1995年
  • 童話『4人目の王さま』 絵も、八木正生 編曲 理論社 1995年 (うたのほん)
  • 『gggBooks 27 和田 誠』ギンザ・グラフィック・ギャラリー 1996年
  • 童話『ねこのシジミ』 ほるぷ出版 1996年 (イメージの森)
  • 編『日本の名随筆 別巻 63 芸談』 作品社 1996年
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 6』文藝春秋 1996年
  • 童話『かいぞくのうた』 あかね書房 1996年 (あかねピクチャーブックス ; 4)
  • 『ポートレイト・イン・ジャズ』 村上春樹と共著 新潮社 1997年 のち文庫
  • 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ pt.7』 文藝春秋 1997年
  • 『装丁物語』 和田誠 著 白水社 1997年 のち白水Uブックス
  • 『それはまた別の話』 三谷幸喜と共著 文藝春秋 1997年 のち文庫
  • 『似顔絵物語』 白水社 1998年 のち白水Uブックス
  • 『女の小説』 丸谷才一共著 光文社 1998年 のち文庫
  • 責任編集『赤塚不二夫1000ページ』 扶桑社 1998年
  • 童話『ガクの絵本』 ほるぷ出版 1999年
  • 『これもまた別の話』 三谷幸喜と共著 キネマ旬報社 1999年 のち新潮文庫
  • 『今日も映画日和』 川本三郎瀬戸川猛資と共著 文藝春秋 1999年 のち文庫
  • 『時間旅行』 メディアファクトリー 2000年
  • 『知らない町角』 白水社 2001年
  • 『ジャズと映画と仲間たち』 猪腰弘之と共著 講談社 2001年
  • 『光と嘘、真実と影 : 市川崑監督作品を語る』 森遊机と共著 河出書房新社 2001年
  • 対談『仕事場対談 : 和田誠と27人のイラストレーター』 河出書房新社 2001年
  • 『ポートレイト・イン・ジャズ 2』 村上春樹と共著 新潮社 2001年
  • 『指からウロコ』 白水社 2001年
  • 『物語の旅』フレーベル館 2002年
  • 『パイがいっぱい』 文化出版局 2002年
  • 『白い嘘 : 句集』 梧葉出版 2002年
  • 『No idea』 安西水丸と共著 金の星社 2002年
  • 画『和田誠鉛筆映画館』 HBギャラリー 2002年
  • 『青豆とうふ』 安西水丸と共著 講談社 2003年 のち新潮文庫
  • 画『旅のスケッチブック』 新書館 2004年
  • 『シネマ今昔問答』 新書館 2004年
  • 『誠の話』 椎名誠と共著 角川書店 2004年
  • 『教養主義!』 山田宏一、村上知彦中条省平石上三登志金井美恵子萩原健太高橋源一郎飯沢耕太郎井家上隆幸鷲田清一片岡義男 共著 フリースタイル 2004年
  • 『シネマ今昔問答 望郷篇』 新書館 2005年
  • 画『和田誠の絵本の仕事』 ふくやま美術館 編 ふくやま美術館 2005年
  • 『テーブルの上の犬や猫』 安西水丸と共著 文藝春秋 2005年
  • 童話『ぬすまれた月』 絵も 岩崎書店 2006年 (レインボーえほん ; 3)
  • 『和田誠切抜帖』 新書館 2007年
  • 村上ソングズ』 村上春樹共編訳 中央公論新社 2007年
  • 童話『ポケットからなにがでる?』 福音館書店 2007年
  • 画『表紙はうたう : 和田誠・「週刊文春」のカヴァー・イラストレーション』 装幀 文藝春秋 2008年
  • 『パートナーズ』 安西水丸と共著 文藝春秋 2008年
  • 『ヒッチコックに進路を取れ』 山田宏一と共著 草思社 2009年 のち文庫
  • 『本漫画』 毎日新聞社 2009年、中公文庫 2022年
  • 『ぼくのしょうらいのゆめ』 市川準内田裕也大竹伸朗関野吉晴祖父江慎高橋悠治田中泯谷川俊太郎野口聡一舟越桂吉本隆明、文藝春秋 2009年 (文春文庫)
  • 『四人四色 : イラストレーター4人への30の質問』 灘本唯人宇野亜喜良、和田誠、横尾忠則 著 白水社 2009年
  • 『東京見物』講談社 2009年
  • 童話『ポケットに砂と雪』 絵も フェリシモ 2010年 (おはなしのたからばこ ; 19)
  • 『連句遊戯』 笹公人と共著 白水社 2010年
  • 画『Black & White in Wadaland : 和田誠モノクローム作品集』 愛育社 2010年
  • 画『和田誠私家版絵本ボックス』 復刊ドットコム 2011年
  • 画『和田誠展書物と映画』 デザイン・レイアウト 世田谷文学館 2011年
  • 『Coloring in Wadaland : 和田誠カラー作品集』 愛育社 2011年
  • 『五・七・五交遊録』白水社 2011年
  • 画『Posters in Wadaland : 和田誠ポスター集』 愛育社 2012年
  • 画『地にはピース』 たばこと塩の博物館 2012年
  • 『みんな猫である』 玄光社MOOK 2013年
  • 『画廊の隅から : 東日本大震災チャリティ・イラストレーション作品集』 講談社 2013年
  • 『回文の愉しみ 土屋耕一のことばの遊び場』 土屋耕一と共編著、東京糸井重里事務所 2013年
  • 編『聞いたり聞かれたり』 七つ森書館 2013年
  • 『生き物が見る私たち』 中村桂子と共著 青土社 2014年
  • 画『和田誠シネマ画集』 ワイズ出版 2014年
  • 画『Book Covers in Wadaland : 和田誠装丁集』 アルテスパブリッシング 2014年
  • 画『Record Covers in Wadaland : 和田誠レコードジャケット集』 アルテスパブリッシング 2014年
  • 『ニャンコトリロジー』 ハモニカブックス 2014年
  • 『ほんの数行』 七つ森書館 2014年
  • 『連句日和』 笹公人、矢吹申彦俵万智と共著 自由国民社 2015年
  • 『ぼくが映画ファンだった頃』 七つ森書館 2015年
  • 『村上春樹とイラストレーター -佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸』 村上春樹、佐々木マキ大橋歩、安西水丸と共著 ちひろ美術館監修 ナナロク社 2016年
  • 『もう一度倫敦巴里』 ナナロク社 2017年
  • 画『和田誠と日本のイラストレーション』 たばこと塩の博物館 2017年
  • 『定本和田誠時間旅行』玄光社 2018年
  • 『夢の砦 二人でつくった雑誌「話の特集」』矢崎泰久共著、ハモニカブックス、2022年
  • 『和田誠 映画の仕事』国書刊行会、2023年

挿絵担当書籍一覧[編集]

他多数

翻訳[編集]

映像作品[編集]

映画作品[編集]

みんなのうた[編集]

無印は映像が現存する曲。△マークは現存しない曲。▲は映像は現存しないが、音楽之友社発刊の「みんなのうた」楽譜集等に映像が掲載されている曲。

初のアニメ作品を手掛けたものの、その映像はわずかしか現存せず、2011年開始の「みんなのうた発掘プロジェクト」でも、音声曲は提供されたが、映像曲は提供されなかった。

その他映像作品[編集]

レコード[編集]

  • 三木鶏郎ソングブック(和田プロデュース、1971年)
  • ちいさな地球 和田誠・うたの絵本ちいさな地球(和田誠:作詞/作曲、歌:平野レミ・中山千夏、1977年)
  • 和田誠寄席(和田誠の新作落語集、1979年)
  • 岸洋子リサイタル '79(構成担当、1979年)
  • EVE『EVE LIVE』(和田プロデュース、1983年)

CD[編集]

  • いつか聴いた歌 I've heard that song before (ソング・アンド・ダンス) 和田誠 監修・選曲 2013
  • いつか聴いた歌 I've heard that song before 2 (ソング・アンド・ダンス) 和田誠 監修・選曲 2014
  • 和田誠ソングブック The Wada Makoto song book 和田誠 [作曲]、デューク・エイセス、岸洋子 ほか歌 ウルトラ・ヴァイヴ 2015 (TV age)

関連文献[編集]

  • 『12人のグラフィックデザイナー 第2集』編集部編、美術出版社1977年(昭和52年)([1]
  • ユリイカ 詩と批評 特集=和田誠』2020年1月号、青土社。追悼特集。ISBN 4791703804
  • 和田誠展制作チーム『和田誠展』ブルーシープ(原著2021年10月22日)。ISBN 978-4908356292 

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 和田誠プロフィール - 渋谷区立図書館”. www.lib.city.shibuya.tokyo.jp. 2023年12月20日閲覧。
  2. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年8月9日). “【ノンフィクションで振り返る戦後史】「人気」をめぐる「回り舞台」をしみじみ感じる劇場史 「ビギン・ザ・ビギン―日本ショウビジネス楽屋口―」和田誠著・文藝春秋(1/2ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2023年12月20日閲覧。
  3. ^ https://remy.jp/abouts/
  4. ^ 「プロフィルには大阪生まれと書きますので、雑誌の大阪人特集などで取材の依頼を受けることがありますが、たまたま父親の都合で大阪で生まれただけで、親戚もいないし、大阪人という意識はないんです。と言って東京人でもないし、郷土意識が何もありません」と当人は発言している。(『似顔絵物語』p.14)
  5. ^ 多摩美術大学アートアーカイヴセンター”. aac.tamabi.ac.jp. 2023年12月20日閲覧。
  6. ^ 『ジェイムズ・スチュアート&和田誠」(和田誠『ぼくが映画ファンだった頃』七つ森書館 2015年pp.218-228)。
  7. ^ a b ダリから剣持勇まで! 有名ロゴ&パッケージを手掛けたクリエイター”. ELLE (2022年4月18日). 2023年12月20日閲覧。
  8. ^ a b c d 和田誠さん”. 加藤屋のメモと写真 (2019年11月27日). 2023年12月20日閲覧。
  9. ^ NHK. “平野レミ|人物|NHKアーカイブス”. 平野レミ|人物|NHKアーカイブス. 2023年12月20日閲覧。
  10. ^ a b c d 平野レミ、最愛の夫・和田誠さんを亡くした“抜け殻の日々”を支えた「家族の味」(2ページ目)”. 週刊女性PRIME (2017年10月17日). 2023年12月20日閲覧。
  11. ^ 久米宏『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』世界文化社、2017年。ISBN 978-4418175062 
  12. ^ a b 渋谷区立中央図書館に「和田誠記念文庫」 自著など3700冊、書棚など寄贈受け”. シブヤ経済新聞. 2023年12月20日閲覧。
  13. ^ <書評>『夢の砦(とりで) 二人でつくった雑誌「話の特集」』矢崎泰久、和田誠 著:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年12月20日閲覧。
  14. ^ 『怖がる人々を作った人々』(文藝春秋)のプロローグに記載あり。
  15. ^ “イラストレーター 和田誠さん死去”. NHK NEWS WEB (NHK). (2019年10月11日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012123151000.html 2019年10月11日閲覧。 
  16. ^ 多摩美術大学アートアーカイヴセンター”. aac.tamabi.ac.jp. 2023年12月20日閲覧。
  17. ^ 和田誠資料寄贈余話|ARTICLES|The Graphic Design Review”. The Graphic Design Review. 2023年12月20日閲覧。
  18. ^ 和田誠展ほか今秋開催される3つの展覧会に本学所蔵資料を貸出 | 多摩美術大学 アクティビティニュース” (jp). activity.tamabi.ac.jp. 2023年12月20日閲覧。
  19. ^ 和田誠記念文庫 お知らせ”. 渋谷区立中央図書館. 2022年1月10日閲覧。
  20. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年4月16日). “和田誠さんのレコード、村上春樹ライブラリー寄贈”. 産経ニュース. 2023年12月20日閲覧。
  21. ^ 和田誠『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1047 サン・データ・システム 1980年
  22. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  23. ^ 矢崎泰久『編集後記』(話の特集)P.42
  24. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  25. ^ 文春文庫『銀座界隈ドキドキの日々』和田誠 | 文庫”. 文藝春秋BOOKS. 2023年12月20日閲覧。
  26. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  27. ^ 読売人物データベース
  28. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  29. ^ どんなかんじかなあ|中山千夏の絵本|絵本・児童書|自由国民社”. www.jiyu.co.jp. 2023年12月20日閲覧。
  30. ^ 中山千夏さんの絵本「どんなかんじかなあ」 障がい者と「共に生きる」ことが大事|好書好日”. 好書好日. 2023年12月20日閲覧。
  31. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  32. ^ 読売人物データベース
  33. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  34. ^ 2019年 第93回「キネマ旬報ベスト・テン」全作品公開!”. キネマ旬報WEB. 2023年12月20日閲覧。
  35. ^ 12年振りの翻訳出版となった3作目の『我輩はカモじゃない』では訳者が田口俊樹に代わり、解説と挿絵を担当。この経緯について解説の中で「カミンスキーは次々書いていたのだが、翻訳を約束していた私がサボっていたのである。(中略)わたしは絵と解説という形で辛うじてシリーズに踏みとどまらせてもらった。」とある。

関連項目[編集]

  • 報知映画賞 - 受賞者に贈呈されるブロンズ像のデザインを担当

外部リンク[編集]