女屋町
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女屋町 | |
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北緯36度22分35秒 東経139度7分58秒 / 北緯36.37639度 東経139.13278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.77 km2 |
人口 | |
• 合計 | 563人 |
• 密度 | 730人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 | 379-2163[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
女屋町(おなやまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2163[2]。2013年現在の面積は0.77km2[4]。
地理
[編集]桃ノ木川左岸に位置している。
河川
[編集]- 桃ノ木川
- 寺沢川
歴史
[編集]年表
[編集]- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以後女屋は江戸時代を通じて前橋藩領だった[5]。
- 寛文8年(1668年) - 「上野国郷帳」に「女屋村」として見える[6]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、女屋村は天川大島村、上大島村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小島田村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村、駒形新田と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 木瀬村の一部の天川大島、上大島、女屋、上長磯、東上野、野中が前橋市へ編入される。そのため前橋市女屋町となる。
地名の由来
[編集]昔、利根川がこの辺りを流れていた頃、岸に主人や息子に先立たれ女主人が商売をしている店があった。この店が「女屋」と呼ばれたことから、利根川の変流によって川の跡に集落が移ったのちに集落名が女屋となったという[7]。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
女屋町 | 213世帯 | 563人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立永明小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道駅はない。
バス
[編集]永井運輸が、前橋公園 - 前橋駅 - 東大室の間にバス路線を開業させており、町内の国道50号上にバス停が設置されている。
道路
[編集]国道50号が町の南部を東西に通っている。県道は通っていない。
施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2016年04月08日閲覧。
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 59.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 861–862.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1239.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 477–478.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1232.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 455.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。