宣子内親王
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宣子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 延喜2年(902年) |
薨去 | 延喜20年閏6月9日(920年7月26日) |
位階 | 無品 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源封子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
斎院 | 延喜15年7月19日(915年9月6日)- 延喜20年6月8日(920年7月1日) |
宣子内親王(せんしないしんのう)は、醍醐天皇の第18皇女。母は更衣・源封子(源旧鑑の女)。朱雀天皇、村上天皇らの異母姉で、同母弟妹に克明親王(三品兵部卿)、靖子内親王(大納言藤原師氏室)がいた。醍醐天皇朝賀茂斎院。
延喜3年(903年)内親王宣下を受ける。延喜15年(915年)7月19日、14歳で斎院に卜定。延喜20年(920年)6月8日、病により退下。同年閏6月9日、19歳で死去した。