山浦鉄四郎
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山浦 鉄四郎(やまうら てつしろう、天保14年(1843年) - 明治12年(1879年))は、幕末の武士。新撰組に加入したとされる会津藩士。
会津藩士で、池田屋事件の後に松平容保が新撰組に派遣した藩士の1人[1]。藤堂平助とは「懇親なる友人」だったとされる(桑名藩士の小山正武による『史談会速記録』)。会津戦争では会津軍に参戦して負傷した[1]。明治時代には西周の塾生であったと記録されている(『史談会速記録』)。明治12年(1879年)に36歳で病死[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
登場作品[編集]
- 小説