岩淵達治

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岩淵 達治
誕生 (1927-07-06) 1927年7月6日
日本の旗 日本東京市麻布区
死没 2013年2月7日(2013-02-07)(85歳)
日本の旗 日本東京都
職業 ドイツ文学者劇作家翻訳家
国籍 日本の旗 日本
代表作 『ブレヒト戯曲全集』
主な受賞歴 日本翻訳文化賞湯浅芳子賞レッシング賞
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岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 2013年2月7日[1] )は、日本ドイツ文学者、演劇評論家、演出家劇作家学習院大学名誉教授ベルトルト・ブレヒト研究の第一人者だった[2]

来歴・人物[編集]

1927年、東京市麻布区(現・東京都港区麻布)に開業医の子として生まれる。1944年都立一中四修卒、 1947年旧制東京高校卒、 1951年東京大学文学部独文科卒[2]

埼玉大学文理学部助手、 1953年学習院大学文学部独文科専任講師、 1956年助教授、1967年教授。1997年定年退職。

ドイツ演劇が専門で、千田是也の門下生である[2]ベルトルト・ブレヒトの全戯曲を翻訳した。演劇の現場にあって、ハイナー・ミュラーの『カルテット』(ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ危険な関係』が原作)を訳し、渡邊守章と競演の形で演出を行った。西ドイツ、東ドイツ、オーストリアからそれぞれ勲章を授与され) 1999年『ブレヒト戯曲全集』の翻訳で日本翻訳文化賞湯浅芳子賞レッシング翻訳賞を受賞した[2]国際演劇評論家協会日本センター初代会長。2012年秋、瑞宝中綬章を受章[2]

ギュンター・グラスが元ナチスであったことを、2006年8月12日に本人が告白するまで知らず、彼を擁護していた。

学習院女子大学教授(日本近世史専攻)の岩淵令治は長男。

著作[編集]

  • 『ブレヒト 戯曲作品とその遺産』(紀伊国屋新書) 1966
  • 『反現実の演劇の論理 ドイツ演劇の異端と正統』(河出書房新社)1972
  • 『ブレヒト 人と思想』(清水書院)1980、新版 2015
  • 『《三文オペラ》を読む』(岩波書店、岩波セミナーブックス) 1993
  • 『シュニツラー 人と思想』(清水書院)1994、新版 2016
  • 『雪のベルリンタカラヅカ 岩淵達治戯曲集 宝塚についての宝塚では上演できない歴史喜劇』(カモミール社) 2002
  • 『水晶の夜、タカラヅカ』(青土社) 2004
  • 『ブレヒトと戦後演劇 私の60年』(みすず書房) 2005
  • 『ブレヒト没後五十年』(カモミール社) 2006

共編著[編集]

翻訳[編集]

ブレヒト[編集]

  • 『家庭教師』(白水社、ブレヒト戯曲選集5) 1962
  • 『男は男だ / まる頭ととんがり頭 』(ブレヒト、河出書房新社、世界文学全集) 1965
  • 『アルトウロ・ウイの興隆』(ブレヒト、筑摩書房、世界文学大系95) 1965
  • 『ブレヒト詩論集』(現代思潮社) 1965
  • 『屠殺場の聖ヨハンナ / シモーヌ・マルシャールの幻覚 / ルーアンのジャンヌ・ダルク裁判一四三一』(ブレヒト、三修社、ドイツの文学8) 1966
  • 『ブレヒト教育劇集』(千田是也共訳、未來社) 1967
  • 『三文小説』(ブレヒト、菊盛英夫共訳、中央公論社、世界の文学) 1969[3]
  • 『パリ・コミューン』(ブレヒト、朝日出版社) 1970
  • 『ユリウス・カエサル氏の商売』(ブレヒト、河出書房新社) 1973
  • 『ブレヒト作業日誌』全4冊(共訳、河出書房新社) 1976 - 1977、改訂新版(上・下) 2007
  • 『ガリレイの生涯』(ブレヒト、岩波文庫) 1979
  • 『ブレヒト戯曲全集』全8巻別巻1(未來社) 1998 - 2001
  • 『ブレヒトの写針詩』(みすず書房大人の本棚) 2002
  • 『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(ブレヒト、岩波文庫) 2004
  • 三文オペラ』(ブレヒト、岩波文庫) 2006

ペーター・ヴァイス[編集]

ドイツ語訳[編集]

その他[編集]

記念論集[編集]

  • 『ドイツ演劇・文学の万華鏡 岩淵達治先生古希記念論集』(同学社)1997

脚注[編集]

  1. ^ ドイツ文学者・演出家の岩淵達治さん死去 朝日新聞 - archive.today(2013年4月25日アーカイブ分)
  2. ^ a b c d e 舞台制作PLUS+|制作ニュース|【訃報】ドイツ文学者・演出家の岩淵達治さんが死去”. 舞台制作PLUS|制作ニュース. 2022年2月2日閲覧。
  3. ^ ブレヒト訳は、ほぼ『ベルトルト・ブレヒトの仕事』河出書房新社に再録