弓削島
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弓削島 | |
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弓削島中心部(佐島より撮影) | |
所在地 | 日本(愛媛県) |
所在海域 | 瀬戸内海(燧灘・備後灘) |
所属諸島 | 上島諸島 |
座標 | 北緯34度16分7秒 東経133度12分59.8秒 / 北緯34.26861度 東経133.216611度座標: 北緯34度16分7秒 東経133度12分59.8秒 / 北緯34.26861度 東経133.216611度 |
面積 | 8.61 km² |
最高標高 | 325 m |
最高峰 | 三山 |
プロジェクト 地形 |
地理[編集]
芸予諸島の中の上島諸島に属し、燧灘と備後灘に面する。属島として佐島、百貫島、京ノ小島がある。
島の中央やや南側に石灰山(せっかいやま)と呼ばれる標高210mの山があり、島のランドマークになっている。
高台に石灰石鉱山跡がある。
歴史[編集]
- 古墳時代
- 久司山古墳
- 中世
- 平安時代末期頃に荘園としての形が成立されたとされ、後白河法皇の荘園であったが、鎌倉時代になり長講堂に寄進され長講堂領となった。後に東寺(京都)に寄進され、同寺の荘園として塩を献上していた。以後、室町時代まで続いた。
- 弓削島荘は「塩の荘園」として歴史的にも知られている。1981年(昭和56年)7月、学習院大学文学部に在学中の浩宮徳仁親王(皇太子、のち第126代天皇)が、「中世の荘園制度」をテーマに、来町(島)、弓削神社・顆成寺・高浜八幡神社・大森神社・革泉寺・伝十・狩尾を見学し、研究を深めた。
- こうした製塩文化を発掘継承していこうと、島内の住民で2007年に「弓削塩文化を伝える会」が発足している。
行政[編集]
1889年(明治22年)12月15日から1952年(昭和27年)までは弓削村、1953年(昭和28年)から2004年(平成16年)9月30日までは弓削町に属していた。弓削町は芸予諸島の周辺の村との合併により廃止し、現在は越智郡上島町に属する。
上島町役場と町議会があり、町政の中心地である。町営のCATVがある。
経済[編集]
産業[編集]
- 主要産業は、農林業、漁業が中心である。
交通[編集]
弓削島を含む上島地域の交通の中心は因島(広島県)で、定期船は主に因島へ航行している。
航路[編集]
下記の他、弓削汽船が弓削港 - 土生港長崎桟橋(因島)航路を1日19往復運航していたが、上島架橋の影響もあり2015年9月末で廃止となった。
- 上島町営フェリー(ニューうおしま)
- 土生港中央桟橋(因島)- 弓削港 - 豊島 - 高井神島 - 魚島
- 豊島 通過便がある。
- 家老渡フェリー汽船
- 上弓削港 - 家老渡(因島)
- 芸予汽船(快速船)
- 今治港 - 友浦港(大島) - 木浦港(伯方島) - 岩城港(岩城島) - 佐島 - 弓削港 - 生名港(生名島) - 土生港中央桟橋(因島)
バス[編集]
名所・名産[編集]
- 名所
- 名産
- 弓削塩
- 弓削海苔
- 八朔(はっさく)
- 祭り・イベント
- おさかな朝市 ゴールデンウィークに開催、弓削漁協主催
- かみじまふるさと夜市 8月第1土曜日開催、ステージイベントや打上花火が行われる 上島町商工会主催
関係する人物[編集]
注[編集]
- ^ Before Foundation尾道造船
関連項目[編集]
外部リンク[編集]