応援団

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早稲田大学応援部の学生。後ろにいるのはチアリーダー

応援団(おうえんだん)は、競技応援を目的とする集団である。本項では、日本の学校や企業における主に野球の「応援団」について述べる。プロ野球の応援団については私設応援団の項を参照。

概要[編集]

応援団ないし応援部は、高等学校大学等の教育機関(学校)における生徒・学生、あるいは学校以外の社会組織内においても課外活動的な存在として組織されている場合が多い。春夏の高校野球などのスポーツ競技で、母校の応援を統率して活躍する人たちや、それを含む集団全体を呼ぶ場合それぞれがあり、広義の意味としての応援団(応援する集団全体を現す場合)と、狭義の意味での応援団(応援している人々を統率かつ鼓舞する役割を専門に担う集団・団体。運営団体の解釈や主義詳細の差異より「應援團」「應援部」「應援指導部」と名乗る場合もある)とがある。

大学の応援部は運動各部の応援をすることが多いことから体育会に属することもある。また、組織によってはいわゆる一般的に応援団員と呼ばれている主に男性によるリーダー担当員(通常は「リーダー部」あるいは「指導部」と称することが多い)の他に、内部に演奏担当部門(通常はブラスバンド部或いは吹奏部、吹奏楽部と呼ばれる)や主に女性中心に構成されたチアリーダー担当部門を設けるところもあるが、吹奏楽部は各校における来歴によって、あくまでも音楽系部活動の一環として応援活動に協力する立場もあれば、応援団音楽隊として発足した来歴を持ち、応援団と一体となり活動するものがある。ほかには演舞会や、大学入試の合格発表の際に合格した受験生を祝福するなどの活動をしている。

古くは、他人の行動(喧嘩などのトラブル・他流試合・演技など)を見に集まって、野次を発したり鼓舞する行為を行なっている自然発生的なものが応援団の走りとなるが、現在に繋がる応援団としての始まりは、スポーツ競技などが大衆文化として定着し出した頃に、それを見物しに集まった諸々の集団の応援を統率した人、或いは少数の集団の存在といえる。現在のプロ野球の応援に見られる私設応援団は、最近の応援技術や応援手法こそ前述の学生応援団のものを取り入れている部分も少なくないが、その成り立ちを考えた場合、この項で中心的に説明している学校や会社などの応援団よりも、むしろ古い時代の野次馬応援団の流れを受け継いだものといえる。

このように応援団発生の初期の頃は、現在よりも烏合の衆団をまとめ上げる器量や人望や、時には腕力も必要となったため、豪胆でありながらも粗野な荒くれの気質が強い人間がそれに当たる傾向が強く、その後の応援団という組織を構成する人たちの気質もその流れを汲む傾向になった。

従って、一般的には俗に言う「男気に溢れる」慣習やしきたり、厳しい上下関係を持った集団であることが多い(これらはしばしば漫画アニメテレビドラマ映画等の作品で誇張的に描写されている)。同じように応援を指揮する団体としてアメリカンフットボールの応援などによく見られる主に女性中心に構成されたチアリーダーがあるが、応援する形態や日常的な組織運営においては多くの点において趣を異にしている場合が実際である。なおアメリカにおいては 陸軍士官学校海軍兵学校など士官学校を始め、予備役将校訓練課程(ROTC)が設置されたランドグラント大学の流れを汲む州立大学などにおいては 日本の応援団に似た軍隊式の応援をする大学も多く見られる。

学校、特に大学応援団の場合は、応援団内に主に男子を中心としたリーダー部を中心に、チアリーダー部も併設している場合も少なくなく、細かな点で意識差はあるものの、チームの勝利に導く為に応援するという目的は共通しており、基本的には互いに相反したり敵対する組織同士ではない(チアリーダーの項に一部参考事例の記述あり)。

広義の意味で捉える場合には、本来の応援団組織から離れ、転じて、ある特定の人や集団を応援する人を指すこともある。例えば、人生応援団、カラダ応援団などであるが、それらは、本来の応援団の組織としての慣習、慣例の文化は引きずらない。また、同じスポーツの分野でも、ファンとしての集団や支持者なども一般的には応援団と称する場合がある。このケースにおいても、前述で主に説明したいわゆる学生応援団とは、集団としての体質や文化などが異なる場合が多い。

このように時代の推移と共に「応援する集団」と一口に言っても、その対象により細分化が進んでいて、一般に応援団と呼ぶ場合の多くは「学生応援団」を指し、実際に構成員が学生ではない場合でも学生応援団の組織文化を模倣した集団のことをいう傾向が強い。

学生組織に多く見られる古来からの日本型の応援団、とりわけリーダー部の行う応援行為は、アメリカンフットボールに見られる口頭でのプレー指示の伝達が必要な競技では、競技の阻害行為となる場合があり、大会によっては音量や使用楽器に制限が存在する。

日本型の応援団には伝統的にライバルとされる相手との対戦において、相手を嘲笑・罵倒するような内容の応援歌も存在するが、スポーツマンシップに反するとしてブーイングに近い応援に制限が課せられることが増えており、日本でも自粛要請が行われている[1]。アメリカンフットボールでは声援ではなく相手チームへのブーイング(エクセッシブ・クラウドノイズ)と判定された場合、5ヤードの罰則が適用される。

競技によっては「サポーターサッカーなど)」、「ブースターバスケットボール)」のように特別な呼称が存在する。

歴史[編集]

一高三高戦の三高応援団

旧制高校で応援団が結成されるようになったのは、1894年高等学校令により旧制高校が全国的に普及し、学生の運動部活動が学外でも展開するようになったことに始まる[2]1890年代後半には、声援隊、応援隊などと呼ばれていたが、次第に応援団と通称化されるようになった[2]

1905年(明治38年)に早稲田大学応援隊を結成した吉岡信敬隊長

当初は常設の組織ではなく、対抗競技の際に校友会活動の一環として組織されるのが一般的で、規律的な応援活動を通じて集団的な連帯感情を育て、各校の「善良なる校風の発揚」に高めることが目的とされた[2]。役員(顧問、団長、副団長、委員)と団員から成り、顧問は職員の中から選ばれて応援団を監督し、団長は校友会の合議により候補者が選ばれ、全校友会員による直接選挙によって民主的に決められた[2]。副団長は団長が指名し、委員は各クラスから選出された。顧問を除く全役員の任期は原則1年が一般的だった[2]

第二次世界大戦以前も、応援団が絡む粗暴な行為は発生した。応援団長の立場を利用して学生や学校当局を恐喝して金銭を巻き上げたほか、応援団員を暴行して重傷を負わせるなどして、警察に検挙された事例も存在する[3]

1966年[4]から1970年代には、過度な規律を求めたり暴力を肯定する傾向から「応援団が時代感覚とずれ、一般学生から遊離している状態」(後述する日本大学応援団に対する学校側の認識[5])となり、それを浮き彫りにする様々な問題が表面化した。

1970年には東都大学野球リーグの試合会場および周辺で亜細亜大学[6]、日本大学の応援団がそれぞれ暴行傷害事件を起こしたことから、同野球連盟は球場から全ての応援団を締め出した[7]。また更に付け加えておくと、亜細亜大学応援団は1968年にも東都大学野球リーグ戦において駒澤大学応援団と乱闘傷害事件を起こしている。1966年~1970年に発生した上述の事件の発端は全て、応援団連盟規約を遵守しない新興である亜細亜大学応援団にある。さらに個別の事例として、拓殖大学の応援団では1972年に退部を申し出た一年生団員に暴行を加えたことが発覚して廃部。反省の色が見えたとして1974年に応援団が復活したものの、1978年に再び暴行事件があり、1人が死亡したことから永久に廃止されることとなった[8]。また国士舘大学の応援団も、1978年に正副団長が他大学の応援団長に暴行、恐喝した疑いで新宿警察署に逮捕されたことから、同年6月に大学から解散を命じられている[9]

2000年代以降では応援団への志願者が減少しており、旧制高校の流れを組む東北大学応援団は一時団長が新入生一人となったり[10]小樽商科大は一時休部している[11]

2020年代に入ると新型コロナウイルス感染症の問題に直面。集団練習や大きな声出しできなくなったため、活動を休止する応援団も増加した。2022年には、中央大学や一橋大学など36校の応援団が、国の無形文化財への登録を目指し、文化庁などに働きかけていく方針を打ち出している[12]

応援スタイル[編集]

見た目だけのものとしては以下に大別される。

  1. 学生服[注釈 1]を着用したリーダー(主に男性であることが多い)が応援の指揮を執る
    1. 普通の学生と変わりない学生服の場合
    2. 特別あつらえの変形学生服など一般学生とは異なる学生服を応援組織専用のユニフォームとして着用の場合
  2. 弊衣破帽の旧制高校風なバンカラ姿のリーダー(主に男性であることが多い)が応援の指揮を執る
  3. トレーナーを着用したリーダー(主に男性であることが多い)が応援の指揮を執る
  4. チアリーダーのみ(女性中心の構成である場合が殆ど)が応援の指揮を執る
注記:一般社会人の場合も対象にした場合、上記にさらに「一般の観客と殆ど変わい普段着に、せいぜい鉢巻法被を纏った程度のリーダーが指揮を執る」が加えられる。

変形学生服袴や柔道着、チームカラーまたはスクールカラーを基調とした法被鉢巻を着用し白手袋を嵌めたり、メガホンを持ったりすることも多い。また、大きな団旗を掲げる旗手(親衛隊長)がいる。

旧制中学の弊衣破帽、汚さを競うかのようなバンカラスタイルを伝統とすることがあり、このような伝統を重いものとして継承している学校もある。その傾向が強いのは東北地方、とりわけ岩手県宮城県の旧制中学校を母体とした高校の多くがこのバンカラスタイルを伝統として代々継承している。このスタイルでは、エールの際、通常の応援リードに見られる手振りによるものより、手旗によるものが多く見られ、これも旧制高校風の応援スタイルを強く意識したもの。また、一般的に言われるバンカラも「蛮カラ」と「番カラ」の2通りに分けることができる。本来「バンカラ」はハイカラに対向した造語として生まれた言葉である「蛮カラ」の事を示し、弊衣破帽や羽織り袴のスタイルはこちらに該当する。この「蛮カラ」については、道着や袴を着用する「早稲田風」と着古した学生服を着用する「慶応風」とに分類する見方もある。一方の「番カラ」は、「番長カラー」の略語として用いられているもので、変形学生服や特攻服を主なユニフォームとするものは後者に含まれ、元々旧来からあった「蛮カラ」を後年になって「これも一種のバンカラ」としてこじつけ的に生まれたもの。一般的な説明では厳密に区別するよりむしろ一緒くたに「バンカラ」としている例が多いが、本来は別なものになる。

本来応援団員が着用する長ラン中ランなどの変形学ランには様々な意味がある。例えば、カラー部分が長いのは「礼」の際に頭を下げたとき首が曲がるのを防ぐため、上着の丈が長いのは同じく「礼」をした際に後ろがめくれ上がって後方の人に尻を向けないようにするため、ズボンが太いのは、普通の細いズボンでは、激しい四股踏みなどの応援アクションに耐えられず、あっという間に膝が出てしまうので充分以上の太さが必要なため、もしくはO脚を隠して見栄えを良くするため、などである(他に戦後復員した特攻隊員の服装の影響からとの説もある)。白手袋は手の動きを大集団に対して明確に示す為(鉄道員や警察官のそれと同じ理屈である)。また、こういった意味合いから、応援団特有の服装は、実戦に即した機能服のようなものでもあり、応援団の中でも現役としては最高位の指導者である最上級生幹部だけが着用を許されているケースも少なくない。汚らしい格好の応援団は、前述のように文化としての応援団というものの創業時に携わった人間にバンカラな気質の者が多かった影響に因るもので、地域によってはまだまだ根強い気風ではあるが、時流の流れと共に団体内部の組織や制度・運営がしっかりした団体が多くなった近年では都市部を中心に衰退の傾向にある。

このように、応援団は活動目的の特殊性から独特なスタイルや体制・気風を採ることが特徴であるが、その他にもこの種の団体独特の習慣的な特徴がいくつか存在する。それは個々の応援団の中で絶対的・象徴的なものとして重要視され継承されていくことが多く、大概の応援団組織に共通する場合が多い。以下に具体例を挙げる。

旗の神聖視[編集]

慶應義塾大学の応援旗(2008年春の早慶戦

大学や高等学校の応援団において校旗が神聖視といっても過言ではないほど重要視されることは、諸漫画等によってよく知られている。これはこうした学校の応援団にとどまらず、企業の応援団などにも見られるが、こちらは、あくまで体裁を繕うためのみであることも多い。

旗を扱う者は旗手と呼ばれ、その団員のなかでもかなり重要な地位にあることが多い。実際規律の厳しい応援団においては、応援中(試合の間ずっと)旗を掲げ続けなければならず、もし下ろすようなことがあれば、大変な恥辱とされることがある。これがさらに進むと、納めている箱から出したが最後、手入れの時以外は地面や床や机などにも着けてはならないとされたり、また、箱からの出し入れ、広げ方畳み方などにまで細かい手順あるいは不文律が存在するような組織もある。

応援団によっては校旗や社旗でなく、「団旗」を掲げる場合もある。高校や大学の応援団では、旗を扱う者は学生帽を被ることが多い。カラーガードも参照。

器材の神聖視[編集]

旗に限らず、さまざまな応援用具を神聖視することも応援団に共通して見られる特徴である。高等学校や大学の、伝統的な応援団には特に顕著である。具体的には腕章、看板、太鼓、学生帽など。受け継がれてぼろぼろになっても、ぼろぼろになっているからこそ、御神体のごとく取り扱う。また、入れ物や周辺器材なども同時に神聖視する。

バッジの重要視[編集]

学生服の襟章・胸ポケットの徽章について、細かい規定があるのも応援団の特徴である。たとえば団員は団員のバッジ、下級生は下級生のバッジ、そして最上級生(「幹部」と呼ばれることが多い)は専用のバッジと厳密に決められることが多い。

また、大学の応援団の最下級生においては、数日~2週間程度にわたる夏合宿や春合宿等の過酷な練習を乗り越えることが出来た者に対して幹部から団バッジが授与され、その瞬間をもって見習い部員から正式部員に昇格するという大学が多い。

本来的な意味で言えば、バッジそのものを物理的に重要視しているわけではなく、応援団の組織の人間関係は、厳しい上下関係に基づいた縦割り構造社会を根幹にしたものであることが多いため、その人物の組織内における位置関係を明確に示す階級章としてバッジに重要性が生まれる。

基本的な応援方法[編集]

青山ほとり(通称:大根踊り)を披露する東京農業大学全学応援団

団長あるいは応援指揮者(リーダー)と呼ばれる代表が号令をかけ、それに従って団員が大きな掛け声を挙げ、掛け声とともに、空手の型崩しのような動作をするスタイルが基本である。大学や高等学校の応援団には、母校の漢字(または校名をローマ字標記した時の頭のアルファベット。一例として、明治大学なら「Meiji」の“M”)を表す動きも取り入れられている。掛け声に使用されるフレーズとしては、以下のような言葉とともに、チーム名や選手名などを言うことが多い。

  • フレー(英・万歳:hurray、但し異説もある。エール (応援)参照)
  • 勝つぞー
  • ファイトー
  • 押せ押せー
  • カッセ(「かっ飛ばせ」の略)
  • イッケーイケイケ
  • 気合を入れろ

この他に三三七拍子などを行ったり、校歌や応援歌(選手にちなんだオリジナルソングもある)を歌ったりして選手にエールを送る。応援の発声方法では腹式呼吸によるものが望ましいとして指導されることが多い。

以前は掛け声のフレーズに「(対戦相手)倒せ」が使われていたが、近年は相手に失礼であるとして、高校野球では使用されなくなった。

また振付とともに行なわれる演舞形式のものも多く、こういうタイプのものは一大学の学校歌であるにもかかわらず周辺地域の間では民芸的な扱いとして名物となっているものもある(有名な伝統演舞参照)。

競技場における応援団員の応援方法では、大きく分けて、一般観戦客と同様に競技場側を向いて応援をする形式と、観客席側を向いて一般客の応援行動を鼓舞・リードする形式に分かれる。後者のタイプの場合、一般客側を向いている団員に応援の移り変わりの指示を行き渡らせる役目を担う、応援団用語で「鏡」と呼ばれる要員を配置する場合もある[13]

社会人野球都市対抗野球大会日本プロサッカーリーグ(一部)、あるいは高校生の全国規模の著名なスポーツ大会(全国高等学校総合体育大会高校サッカー春の高校バレー高校野球など)では、応援席で郷土芸能を取り入れたり、本拠地にゆかりのある民謡や盆踊りをアレンジしたもの(例・川崎市のチーム=東芝硬式野球部川崎フロンターレの「川崎おどり」、栃木SC日光アイスバックスの「栃木県民の歌」、松本山雅FCの「信濃の国」など)、また広島県に本拠地を置くチーム(日本プロ野球広島東洋カープやJリーグ・サンフレッチェ広島、その他アマチュアクラブ多数)がしゃもじを使うなど、郷土色のある応援を繰り広げる例がある。

人文字を使った応援(コレオグラフィーとも呼ばれる)もある。代表格としてPL学園高等学校野球部での甲子園大会での応援がある(Jリーグ一部クラブのゴール裏サポーター席での応援などと同様)。

応援団が陣取る場所[編集]

使用楽器[編集]

応援団が応援の現場で用いる楽器類には、太鼓呼子・拍子木などが挙げられる。太鼓に関しては近年ではバスドラムも増えているが、特に伝統を重んじる応援団では、和太鼓[注釈 2]を愛用するところが多い。また、応援団と一緒に吹奏楽による演奏を行うこともある 近年、応援団が活動するスポーツ競技によっては、応援活動やその応援形態に様々な規制をする場合が少なくなく、その規制の一つとして、和太鼓・大太鼓を禁止するものがある。代表的な場所として甲子園球場では和太鼓禁止となっている。そのため甲子園出場とともに応援スタイルを変えざる得なかった出場校もある。また県によっては野球応援において、トランペットだけを使用しての応援を禁止しているところもある。

その他応援で使われる一般的な道具類[編集]

組織の運営形態[編集]

早稲田大学応援部チアリーダー部門の学生

一般的な認識では、狭義の意味で学ラン等を着た男子学生の応援リーダーを応援団もしくは応援団員と捉える場合が多いが、実際の組織構成・運営は学校或いはその応援団組織により様々である。学ランなどを着用した男子のみの集団の団体もあれば、一方では広義の意味で捉え、応援を指揮・指導するのを専門にした活動に携わる集団全体を文字通り応援団(あるいは応援部)とし、近年の華やかな応援には不可欠とされる女子によるチアリーダーと楽器演奏組織(一般的にはブラスバンド部あるいは吹奏部、吹奏楽部)も応援団内に併設して3部構成を採り、恒常的に応援現場での行動は共にしている団体もある。

前者の場合、普段の応援では男子リーダーのみの活動が中心で(但し、最近は学ラン姿で活動する女性団員も増えてきた)、大きな大会などの場では、他団体であるチアリーダー部や吹奏楽部に協力を依頼する形で応援体制を整える。要請先の団体の都合次第では帯同を断られる場合も少なくなく、応援体制を常時整える意味ではデメリットとなる。メリットとしては、応援形態や構成人員の関係で男性中心であり、そのため「俗に言う」硬派気質という部風がより強く保たれ易い環境になる[注釈 6]。そのため、男子リーダー部にはしばしば暴力的な体質が顕在化することもある[注釈 7]

大学応援団の中には「全学組織」という形態を取り、学生自治を任されている応援団組織もある。

有名な応援歌及び伝統演舞[編集]

応援コンテストのあるスポーツ大会[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 昭和50年代あたりから東京都高野連は夏の予選で応援団の学ラン着用を禁止している。学校指定の制服が学ランでない応援団、応援部、応援指導部の高校が、応援団用ユニフォームとして学ランを着用することを禁止し、それに従わない場合、戒告厳罰に処す高野連がかなりある(神奈川県ほか)。
  2. ^ 神奈川県高野連は昭和60年夏の県予選から和太鼓使用を禁止した。
  3. ^ 頭に巻くために使用する。長めのものを使用する場合もある。日本体育大学の応援スタイル、公式エッサッサは白鉢巻を必ず頭に巻きつけ使用する。
  4. ^ プロ野球ラッキー7の応援、あるいはホームチームが勝利した場合の祝福
  5. ^ Jリーグ発足当初、各チームの応援団がそれぞれのチームのロゴやマスコットをあしらったタオルを応援小旗代わりに振っていた人が多く見られた。日本プロ野球でも千葉ロッテマリーンズが最初に応援用具として採用し、その後他の球団にも広まった。広島県のスポーツクラブ(広島東洋カープサンフレッチェ広島他)はしゃもじを応援用具にすることもある。
  6. ^ 比較論としてより強い硬派気質に流れる傾向が強いという意味であって、3部構成の団体が軟派気質に流れやすいという意味の説明ではない。
  7. ^ 明治大学応援団リーダー部が部内の暴力行為で自殺者を出し、2008年平成20年)に大学当局によって廃部解散処分。2009年(平成21年)4月、自殺した部員の両親が当時の団長を相手取って提訴。また立命館大のリーダー部も2008年(平成20年)3月に暴力行為再発によって解散処分を受けている
  8. ^ 但し応援団以外からも表彰される場合<例・選手のフェアプレー賞受賞チームや、観客動員新記録を達成したクラブの関係者など>もある。2005年には「神達彩花ちゃんを救う会」の募金活動に協賛したすべてのクラブの応援団にその賞が贈られた

出典[編集]

  1. ^ 「アンチ巨人」は死語? 「くたばれ讀賣」禁止運動も - ポストセブン
  2. ^ a b c d e 加賀秀雄, 鈴本敏夫, 「011110 旧制高等学校における応援団の組織化の実相とその歴史的役割について(1.体育史,一般研究)」『日本体育学会大会号』 第36回(1985)セッションID: 011110, p.85-, 1985-08-20, doi:10.20693/jspeconf.36.0_85.
  3. ^ 学校騒動マッチポンプの応援団長検挙『東京日日新聞』昭和10年5月5日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p677 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 日大-亜大の両応援団がヤジをめぐって乱闘『朝日新聞』1966年(昭和41年)4月27日朝刊 12版 13面 ※春季リーグ戦試合中、7回と8回の日大野球部攻撃時に、亜大応援団が日大応援団に対し、東都大学応援団連盟の規約に反する卑劣な行為を繰り返したのが発端。亜大応援団に非があったのは明白。日大応援団が亜大応援団に再三注意喚起を促すも連盟規約に反する卑劣な行為を続けた亜大応援団に日大応援団が執った行動は正義であり日大応援団をやみくもに非難すべきでない。
  5. ^ 日大が応援団を解散 暴力事件で決定 時代感覚とずれる『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月26日夕刊 3版 11面
  6. ^ 亜大応援団なぐり込み 球場で木刀かざし 芝工大生10人けが『朝日新聞』昭和45年(1970年)5月23日朝刊 12版 22面
  7. ^ 東都大学野球連盟 21校応援団に処分『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月26日朝刊 12版 22面
  8. ^ 拓大総長が辞任 しごき事件で引責「応援団復活は失敗」『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月28日、13版、23面
  9. ^ 国士舘大 元団員を殴るける 元応援団副団長ら逮捕『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月17日夕刊、3版、11面
  10. ^ 東北大学萩友会インタビュー Vol.27
  11. ^ 応援団「第100回商大戦対面式」 北海道大学、2014年6月22日
  12. ^ 大学応援団に明治以来の危機…起死回生「無形文化財登録」目指し36校共闘”. 読売新聞 (2023年1月6日). 2023年1月9日閲覧。
  13. ^ 出典の一例:「六大学花の応援団 (ガクランに敬礼)」ろっきプロ制作、ノラブックス社刊、1984年7月10日発行

関連項目[編集]

関連文献[編集]