梅嵜周毅
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基本情報 | |
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日本語 | 梅嵜周毅 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1966年3月31日(58歳) |
出身地 | 福岡県 |
選手経歴 | |
1988-1995 | 豊田通商 |
指導者経歴 | |
2006-2010 | シャンソン化粧品 |
梅嵜 周毅(うめざき しゅうき、1966年3月31日 - )は、福岡県出身のバスケットボール選手・指導者。ライジングゼファー福岡ヘッドコーチの梅嵜英毅は一つ上の兄。
人物
[編集]福岡大大濠高校(1年後輩に中原雄)から明治大学を経て、豊田通商に入社し選手として活躍。
引退後の1995年、日立那珂のコーチに就任。日本リーグ昇格に導いた。
その後はケンタッキー大学へのコーチ留学、津島女子高校コーチを経て、2000年、中川文一ヘッドコーチの元、シャンソン化粧品のアシスタントコーチに就任。鄭周鉉に変わっても引き続き務め、2005年にWリーグ優勝。
鄭ヘッドの退任により2006年、ヘッドに昇格。
U-19日本代表のアシスタントコーチも務めた。
しかし、プレーオフ進出を初めて逃し、2010年辞任。
環太平洋大学女子バスケットボール部監督を経て、2013年4月から中部大学准教授と女子バスケットボール部監督に就任[1]。
経歴
[編集]- 選手
- 福岡大大濠 - 明治大学 - 豊田通商(1988年〜1995年)
- コーチ
- 日立那珂C(1995年〜1997年) - 津島女子高校C(1998年〜2000年) - シャンソン化粧品C(2000年〜2006年) - シャンソン化粧品HC(2006年~2010年)