民間雑誌

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民間雑誌』(みんかんざっし)は、1874年明治7年)に慶應義塾から出版されていた自然科学社会科学文学宗教全般を扱う学術雑誌である。1875年(明治8年)5月廃刊。

概要[編集]

『民間雑誌』は慶應義塾が初めて発行した雑誌で、明六社の『明六雑誌』(明治7年3月)とほぼ同時期に発刊された。不定期刊行で翌年6月の第12編で一旦は終刊となるのだが、明治9年9月に『家庭叢談』を民間雑誌と改題し週刊雑誌として新発足。1878年(明治11年)5月に民間雑誌を189号で廃刊。民間雑誌発刊時に記された編集方針が交詢社の『交詢雑誌』(明治13年2月)とも関連していた。1882年(明治15年)には『時事新報』が立ち上がっている。

福澤諭吉は民間雑誌に『売薬論』など数多くの社説を載せ、他にも矢野文雄朝吹英二中上川彦次郎など慶應義塾の関係者が数多くの社説を載せた。明治時代初期の評論界を文部省の『文部省雑誌』、大槻磐渓の『洋々社談』、中村敬宇の『同人社文学雑誌』などと共に牽引した。この後に出てきたのが徳富蘇峰の『国民之友』(明治20年創刊)や三宅雪嶺の『日本人』(明治21年創刊)である。

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