池上季実子

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いけがみ きみこ
池上 季実子
本名 臼井 季実子
(うすい きみこ)
生年月日 (1959-01-16) 1959年1月16日(65歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨークマンハッタン[1]
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
国籍 日本の旗 日本
身長 157 cm[2]
血液型 O型
職業 女優タレント
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1974年 -
活動内容 1974年:ドラマデビュー
配偶者 一般男性
(1985年 - 1988年)
なし(1989年以降)
著名な家族 八代目 坂東三津五郎(祖父)
九代目 坂東三津五郎(叔父)
十代目 坂東三津五郎(従兄)
事務所 オフィス アップス
主な作品
テレビドラマ
愛と誠
草燃える
おんな太閤記
徳川家康
武田信玄[1]
不倫調査員・片山由美』シリーズ
映画
太陽を盗んだ男
陽暉楼[1]
華の乱
舞台
『新・時代屋の女房』
『素敵に生きよう女たち』
科捜研の女
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
1984年陽暉楼
優秀助演女優賞
1989年華の乱
その他の賞
下記を参照
備考
身長:157cm、体重:44kg、スリーサイズ:B81/W54/H83
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池上 季実子(いけがみ きみこ、1959年1月16日[1] - )は、日本女優タレント。本名:臼井 季実子[2]

アメリカニューヨーク生まれ、京都府京都市育ち。堀越高等学校卒業[2]。祖父は歌舞伎役者の八代目 坂東三津五郎、叔父は九代目 坂東三津五郎、従兄は十代目 坂東三津五郎。身長156cm(1976年4月)[3]

略歴[編集]

商社勤務の父と歌舞伎役者の八代目 坂東三津五郎の次女である母のもと、アメリカニューヨークで誕生。父の仕事の関係でニューヨーク・マンハッタンで3歳まで暮らし、帰国後は京都市内の吉田神社にほど近い母方祖父の家に住んだ[4]が、これは、京都と東京の2拠点に家を構え活躍していた八代目三津五郎が、次第に東京での活動が中心となり、京都宅には年に1~2度しか滞在できないほど留守がちとなったことによる[5]。季実子は三津五郎の孫であるにもかかわらず、実父の方針により、芸事や習い事を一切禁じられて育った[5]。小学校を卒業後、両親の別居[注 1]に伴い母・弟とともに東京へ転居し、中学・高校時代を東京で過ごした。

叔父は歌舞伎役者九代目 坂東三津五郎で、従兄には五代目 坂東八十助(後の十代目 坂東三津五郎)がおり、中学時代は頻繁に五代目八十助宅に泊まりに行くなど「お兄ちゃん」と呼んで親しくしていた[6]十代目三津五郎の薦めで女優の道へと進む。[要出典]中学2年生の時に五代目 八十助主演の少年ドラマシリーズ「姉弟」の収録の見学に誘われて、NHKのスタジオに訪れた際に、スタジオ内でプロデューサーから「次のドラマの主役とかやってみる?」とスカウトされ、1974年にNHKの少年ドラマシリーズ『まぼろしのペンフレンド』でデビューする[1][4][7]。同年の東京12チャンネル純愛山河 愛と誠』への出演により知名度が特に上昇、以後、数々のドラマ・映画に出演[1]。憂いを感じさせる表情と大人びた色気により愛憎のドラマを演じるのが上手であった[1]

玉川学園中学部・高等部から堀越高等学校へ転入し、1977年に同校を卒業[8]。堀越高校の同級生には岡田奈々森昌子岩崎宏美らがいた[9]

時代劇では『草燃える』を皮切りに、ヒロイン役(もしくはそれに準じる役柄)で出演した(前3作は狂気を帯びた破滅的なキャラクターだった)。

1984年の『陽暉楼』で第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、1989年の『華の乱』で第12回日本アカデミー賞優秀助演女優賞をそれぞれ受賞。この頃テレビドラマではほぼ主演を務め、女優として絶頂期を迎える[1]

1990年代からは2時間ドラマに主軸を移す。

2010年1月1日付けでオスカープロモーションへ移籍。デビュー40周年となる2014年に自叙伝『向き合う力』を出版[10]

2018年末にオスカープロモーションを退社、独立し[11]、個人事務所「オフィス アップス」を設立。

私生活では、1985年に古美術商を営む10歳年上の一般男性と結婚[12][注 2]。婚姻発表をしていなかった理由は「それ以前のマスコミによる嘘の交際報道により深く傷つき、マスコミ不信になっていたから」と後に告白[注 3]。1女を出産した後、3年あまりの結婚生活を経て、離婚した[12]

2022年には8月に、ほぼ同時期に両親を亡くしたことを明かしている[13]

2024年3月、2年前にコロナウィルスに感染し九死に一生を得たことを初告白した[14]

人物・エピソード[編集]

  • 趣味は古美術収集、ゴルフ、ガーデニング、海釣り[8]、スマートフォンのゲーム『Ingress[15]陣営は『Resistance[要出典])。
  • 映画『HOUSE』でヌードを披露している。当時の特集記事によると、「今迄のイメージを変えたかったから」と大林の要請を快諾したとの事。
  • フジテレビ系列『森田一義アワー 笑っていいとも!』で「池上季実子ゲーム」という早口言葉コーナーがかつてあった。コーナー名の由来は、早口言葉のお題「赤巻紙 青巻紙 池上季実子」から。
  • 石田純一が20代前半のエキストラ時代、堂々と池上をナンパした。しかし池上は「私は主演女優よ!」とキッパリと断ったという[16]
  • 日本テレビ系列『久米宏のTVスクランブル』で既婚女性対象に「浮気相手になったら亭主を奪われそうな芸能人は誰か」というアンケートを行った際に1位になった。このときキャスターは「シャレのつもりでやったら、皆さん、真剣に答えるようになって、こうなっちゃった」と語った。
  • 1987年5月に旅番組の撮影で訪れたカナダで、乗車した観光馬車の馬が暴走し車に衝突する事故に遭遇し、馬車から激しく転落して全身を打撲した。現地の病院で異常なしとの診断を受け帰国したものの、事故の1年後に突然首が動かなくなる後遺症を発症し、首の骨などがずれたまま固まって神経を圧迫していると判明。以降長く痛みや足のむくみなどの症状に苦しみ、整体治療など3種類の治療を継続することとなった[9]
  • 梶原一騎との熱愛が噂されたこともあった[1]。梶原が池上との痴態写真を持っているとマスメディアが大きく報道したのは1980年秋だが[17]、梶原は1983年春に編集者に暴行を加えた事件で逮捕され、保釈中の1983年7月28日に『週刊平凡』の取材に対して「そりゃおれだって男だからな、自分の女の写真撮ったりはあるよ。だけど、季実子のことだけはクリアにしとかないと困るんだ。あの子は表面クールだけど、すごく激情家なんだよ。錯乱状態になったりしたら困るわけ。おれが季実子を預かったのは15のときよ。まだションベン臭い小娘のときからだぞ。それもあのお父っつぁんが芸能界入りに反対したんだ。それで梶原先生のとこなら空手の道場もあるし、芸能プロに入れるくらいならうちがいいって、見込まれて預かったんだからね。おれは本当は芸能プロ(梶原プロ)なんてやる気なかったもの。季実子のために作ったようなもんなのよ。その子が22歳までおれのところにおってさ、突如、強姦して写真撮るなんてこと、ありうるか、常識で考えて。箱入り娘に風を当てないようにして育てたんだ。ガードするには本当に手間かけたのよ。あの女癖の悪いカメラマンのケン影岡が季実子にくっついたときも、お母さんに頼まれて野郎を怒ったわけよ。あの野郎土下座して泣いてたけどな。そいであの野郎を追い払ったと思ったら今度は村井国夫だ。あれも女房がいてスキャンダルが多いからダメだと言って週刊誌に出るのを押さえたんだ。季実子がウチを出たとき(1979年秋)、おれとのトラブルが絡んでたといわれたけど、全然違う。あれはおれのプライベートな事情からで、おれと極真会館大山倍達は仲が悪くてね。分裂しちゃったんだけど、そっちの仕事が忙しくなって、季実子のマネージャーをやらせていた鈴木俊江に『お前、季実子を連れて独立せい』と言って送り出したのよ。もしおれが季実子に未練があって、あいつの写真なんか撮って持っていたら、あいつを出すわけないんだよ。季実子だって、それをバラされるのが怖くて出ていけないだろ、よく暴力団がやる手だよな。季実子の写真を激写したなんてことは絶対にない。季実子の写真があると証言したのはおれの女房の白冰冰なんだよな。それで白に電話したら、『あなたと季実子ができてるってのは、私の勘で分かるから、悔しかった』ってゆうのよ」等とスキャンダルを明確に否定している[17]
  • 辛いものに強く有吉ゼミの超激辛チャレンジグルメを完食した事がある。

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

1970年代
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
  • 影の軍団IV - さつき
  • 二重生活(金曜女のドラマスペシャル) - 主演
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
  • TBS大型時代劇スペシャル「武田信玄」 - 定恵院
  • 女医の殺人(火曜サスペンス劇場) - 主演
  • 当世お墓事情(東芝日曜劇場 第1777回) - 主演
  • 松本清張作家活動40周年企画 「波の塔」(金曜ドラマシアター) - 主演・結城頼子
  • 下町女の事件簿 浅草雷門殺人事件(金曜ドラマシアター、9月20日) - 主演
  • 社葬 女たちの野望(金曜ドラマシアター)
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
  • 元日特別企画「竜馬がゆく」(TBS) - お登勢
  • 「化粧の裏側」(月曜ドラマスペシャル) - 主演
1998年
1999年
2000年
  • ミステリー作家桜田桃子の冒険(1)(月曜ドラマスペシャル) - 主演・桜田桃子
2001年
2002年
2003年
2004年
  • 忠臣蔵 第5・6話(テレビ朝日) - 浮橋太夫
  • こちら本池上署 - 美崎真琴
  • 火曜サスペンス劇場 産婦人科医・南雲綾子3「対決」(2月3日) - 藤沢清美
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2017年
2019年

舞台[編集]

  • 女系家族(1980年、芸術座
  • エドの舞踏会(1986年、宝塚劇場
  • 「おんな太閤記」より 旦那さま大事(1987年、明治座)橋田壽賀子/作 石井ふく子/演出
  • おはん(1988年、帝国劇場
  • 刀化粧(1994年、新橋演舞場
  • 芍薬の歌(1996年、帝国劇場)
  • 女坂(1997年、宝塚劇場)
  • 新・時代屋の女房(1998年、名鉄ホール) - 初座長公演
  • 隠れ菊(1999年、芸術座)
  • 戒老録(2000年、芸術座)
  • 遠山の金さん(2000年、明治座)
  • 源氏物語(2000年、東京国際フォーラム
  • 幸福御礼(2001年、名鉄ホール)
  • 素敵に生きよう女たち(2003年、名鉄ホール) - 座長公演
  • とおりゃんせ(2004年、明治座、御園座
  • 大奥 月光院物語 愛しき人(2007年、御園座)
  • 愛さずにはいられない(2008年、新宿コマ劇場
  • 大川わたり(2008年、明治座)
  • コロッケ公演 愛さずにはいられない(2008年、新宿コマ劇場)
  • 大川わたり(2009年10月)
  • 25Magic(2022年12月、日本橋・三越劇場)三浦碧役[20]
  • CHICACO 2024 Episode2(2024年、中目黒キンケロ・シアター 他)[21][22]

バラエティー・教養番組[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

音楽[編集]

シングル[編集]

発売日 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
東芝EMI
1974年11月5日 TP-20076 A わたしの誠[注 4] 梶原一騎 渡辺岳夫 松山祐士
B 純愛山河
CBS・ソニー
1975年7月21日 SOLB-284 A あなたなら 松本隆 川口真 川口真
B やさしさ下さい 萩田光雄
1976年5月21日 06SH-2 A 夢ごこち 中里綴 川口真 馬飼野康二
B お変りないですか 川口真
ビクターレコード
1984年7月5日 SV-7402[注 5] A 流されて[注 6] なかにし礼 筒美京平 奥慶一
B 幸福の階段

アルバム[編集]

オムニバスアルバム[編集]

  • 決定盤アイドル・ヒット・グラフィティ(1991年3月21日、CBS・ソニー、CSCL-1672-73)- 「あなたなら」収録。
  • <ちょっとコレクション>マイクを握った女優たち(1991年3月27日、EMIミュージックジャパン、TOTT-6011)- 「わたしの誠」収録。
  • アーリーシリーズ、アーリー70´sフィーメイル・アイドル・コレクション Vol.2(1999年9月22日、Sony Records、SRCL-4015)- 「あなたなら」収録。
  • アクトレス・ミラクルバイブル 夏目雅子・早乙女愛・池上季実子・真行寺君枝・古手川祐子(2008年、Ordermade Factory、DYCL-86)- CBS・ソニーより発売された2枚のシングルAB面両曲を収録。

書籍[編集]

写真集[編集]

著書[編集]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 後に離婚。
  2. ^ 当時はできちゃった結婚と言われていたが、実際は報道以前から既に籍を入れており、それからの妊娠だった。
  3. ^ 妊娠がマスコミにばれた為、会見を開いたところ、できちゃった結婚として世間に広まった。
  4. ^ 東京12チャンネル(現:テレビ東京)ドラマ「純愛山河 愛と誠」主題歌。
  5. ^ MEG-CDよりCD-R盤が発売されている。
  6. ^ TBS系テレビドラマ『鬼龍院花子の生涯』主題歌。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.97.
  2. ^ a b c 池上 季実子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2016年9月9日閲覧。
  3. ^ 「'76 美しきヒロインたち 茶の間でうけてる11人の娘たち 池上季実子」『スタア』1976年4月号、平凡出版、181頁。 
  4. ^ a b インタビュー私のいえ~すまいの履歴書~ Vol.48「池上季実子」さん”. お役立ちガイド. 住友不動産販売 (2016年5月24日). 2016年9月9日閲覧。
  5. ^ a b 「食の履歴書 池上季実子さん 祖父の面影浮かぶ京の味」日本経済新聞・2023年9月30日、土曜版「NIKKEIプラス1(ワン)」p.13。
  6. ^ “坂東さんいとこ池上季実子「お兄ちゃん」”. 日刊スポーツ. (2015年2月23日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1437959.html 2016年9月9日閲覧。 
  7. ^ 池上季実子(インタビュアー:テリー伊藤)「テリー伊藤対談「池上季実子」(1)不幸な幼少期を経て芸能界入り」『アサ芸プラス, 徳間書店』、2015年2月6日http://www.asagei.com/excerpt/317692016年9月9日閲覧 
  8. ^ a b 池上 季実子”. タレント詳細. オスカープロモーション. 2016年9月9日閲覧。
  9. ^ a b ““おひとりさま”を楽しむコツとは? 過去の大事故を初告白した女優・池上季実子が語る モデルプレスインタビュー”. モデルプレス (ネットネイティブ). (2014年8月9日). https://mdpr.jp/interview/detail/1401187 2016年9月9日閲覧。 
  10. ^ 藤崎昭子 (2014年8月10日). “著者に会いたい 向き合う力 池上季実子さん”. BOOK asahi.com. 朝日新聞デジタル. 2016年9月9日閲覧。
  11. ^ “池上季実子、オスカープロモーション退社し独立を発表「女優として、もう一踏ん張りしたい」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年1月8日). https://hochi.news/articles/20190108-OHT1T50069.html 2019年1月8日閲覧。 
  12. ^ a b “池上&神田、熟年カップル銀座でも“密着””. ZAKZAK. (2014年12月11日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_12/g2004121104.html 2016年9月9日閲覧。 
  13. ^ 池上季実子、9日間で父母を相次ぎ亡くす「最期は2人して逝っちゃった…」インスタで心境つづる”. 日刊スポーツ (2022年8月31日). 2022年8月31日閲覧。
  14. ^ "池上季実子「死ぬぞ!早く救急車呼べ」2年前のコロナ感染を初告白 医師から「今日も峠」も九死に一生得る". スポニチAnnex. スポーツニッポン新聞社. 11 March 2024. 2024年3月11日閲覧
  15. ^ 池上季実子がスマホゲームで重大なマナー違反の疑い”. アサジョ. 2018年9月15日閲覧。
  16. ^ 2008年10月28日笑っていいとも!』内のコーナ
  17. ^ a b 「保釈された梶原一騎が初めて告白! 『いま梶原一騎が池上季実子の"痴態写真"について語った』」『週刊平凡』1983年9月1日号、平凡出版、4–9頁。 
  18. ^ 「風の奏の君へ」に西山潤、泉川実穂、東京ホテイソンたける、Team48こたつが出演”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年3月26日). 2024年3月26日閲覧。
  19. ^ オリコン (2015年9月17日). “『科捜研の女』新レギュラーは池上季実子 組対の女刑事役”. 2015年9月18日閲覧。
  20. ^ Alexandrite Stage. “CAST&STAFF”. 『25Magic』オフィシャルサイト. 2022年12月15日閲覧。
  21. ^ 山田邦子・池上季実子が母ちか子役「CHICACO 2024」2つのエピソードを回替わり上演”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年2月26日). 2024年2月26日閲覧。
  22. ^ 舞台『CHICACO』オフィシャルサイト > CAST & STAFF”. 舞台『CHICACO』オフィシャルサイト (2024年2月26日). 2024年2月26日閲覧。
  23. ^ 『福島民報』1976年4月2日付朝刊テレビ欄。
  24. ^ NHK FMシアター 2011年 放送済みの作品 /『一万とふたつのため息』(2011年8月20日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2022年9月21日閲覧。
  25. ^ NHK オーディオドラマ過去作品アーカイブ / FMシアター「わたくし、今、恋をしております」(2018年3月24日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2022年9月19日閲覧。

外部リンク[編集]