浅井虎夫

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浅井 虎夫(あさい とらお、1877年明治10年〉8月23日 - 1928年昭和3年〉12月1日)は、日本の歴史学者。専門は中国法制史、日中関係史[1]

人物・来歴[編集]

兵庫県神戸に生まれる。1896年(明治29年)、兵庫県尋常中学校を卒業、熊本第五高等学校を経て、1899年(明治32年)、東京帝国大学文科大学漢学科史部に入学。東洋史の市村瓚次郎、国史の星野恒、経済史の内田銀蔵、法制史の宮崎道三郎らから学び、1902年(明治35年)に卒業。同大学院に入学した[2]

1905年(明治38年)、台湾総督府に設置された臨時台湾旧慣調査会の嘱託となり、『清国行政法』の編纂に従事する[1][2]1915年大正4年)、『清国行政法』完成と同時に調査会を辞職し、帰郷した[2]

1923年(大正12年)、福岡高等学校(現在の九州大学教養部)教授に就任。1928年(昭和3年)8月、病気のために同高等学校教授を退官。同年12月に死去。享年52[2]

著書[編集]

漢訳[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 瀧川政次郎序並びに解題」『支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革』1977年、1 - 10頁https://dl.ndl.go.jp/pid/11931171/1/5 
  2. ^ a b c d 嵐 義人「浅井乕夫小傳」『支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革』(影印)、1977年、397 - 417頁https://dl.ndl.go.jp/pid/11931171/1/216 

参考文献[編集]