甘棠館

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甘棠館(かんとうかん)は、天明4年(1784年)に黒田治之の遺言で、新設された東西二つの福岡藩学問所のうちの西学問稽古所で、唐人町(現在唐人町バス停北側)にあった。

祭酒(学長)に亀井南冥が就任したが、寛政10年(1798年)2月1日に発生した火災で焼失し廃校。

備考[編集]

跡地は現在協同組合唐人町プラザ甘棠館となっている[1]

関連文献[編集]

  • 「亀井南冥と金印」塩屋勝利・『金印研究論文集成』(新人物往来社)
  • 『松阪市史』文化財篇。

脚注[編集]

  1. ^ 協同組合唐人町プラザ甘棠館”. 協同組合唐人町プラザ甘棠館. 2022年4月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]