石川ひとみ

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石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、1959年昭和34年〉9月20日[1] - )は、日本歌手声優。本名、山田ひとみ(旧姓石川)。愛称はひっちゃん[2][3]血液型B型

石川 ひとみ
出生名 石川ひとみ
別名 ひっちゃん
生誕 (1959-09-20) 1959年9月20日(64歳)
出身地 日本の旗 日本 愛知県海部郡美和町(現:あま市
名古屋市西区生まれ
学歴 名古屋短期大学付属高等学校(現:桜花学園高等学校)卒業
ジャンル アイドル歌謡曲
J-POP
職業 歌手アイドル
担当楽器 ボーカル
一五一会
活動期間 1978年 - 1987年
1988年 -
レーベル キャニオン・レコードNAVレコード
ビクターエンタテインメント
テイチクエンタテインメント
事務所 ファーイーストカンパニー
共同作業者 山田直毅(夫)
公式サイト Hitomi Ishikawa Official Site:ただいま

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

名古屋市西区生まれ[4]伊勢湾台風が東海地方に上陸する直前に誕生し、騒々しく台風が通過する中もすやすやと眠っていた[3]。生まれたばかりの頃は無数のしわに低い鼻、目も小さかったので「少しでも目鼻立ちがぱっちりするように」との 祈りを込めて、ひとみと名付けられたという[2]。2歳の時に愛知県海部郡美和町に転居した[3]

幼少期はおてんばで、七宝幼稚園に通うと近所の男児と田の中で大喧嘩して泥だらけで帰宅したこともあった。正則小学校の6年生でソフトボールに熱中してエースで4番を務めた。スポーツ以外は幼稚園頃からピアノを始め、小学生の頃に大流行していた「黒猫のタンゴ」のレコード[注 1]をかけながら自宅などで歌ったのがきっかけで音楽に目覚めた[4]

小学6年生(当時)の1972年3月19日にCBCテレビののど自慢番組『どんぐり音楽会』で南沙織の「潮風のメロディ」を歌って準優勝し[注釈 1]、初めてTV番組に出演した[2][5][3]。美和中学校で軟式テニス部に所属してダブルスで前衛を務めた[2][3]。当時から目の瞳が大きくて愛らしく、男子生徒らから人気が高かった[3]

名古屋短期大学付属高等学校に入学[2]。街中の広告で東京音楽学院名古屋校を知り、合格して高校1年生の1975年11月から通い始める[2]。しかしその後、十二指腸潰瘍で入院したり、月謝の値上げもあって両親から「お茶とかお花とか将来役立つことをしなさい」と言われるなどあり、だんだん行かなくなって、本人曰く「しぶしぶ」という形で半年ほどで辞めることになる[3][6]。その後は、多くの生徒と同じくエスカレーター式に付属の短大に進むつもりだったという[4]

しかし、高校2年生の11月頃に渡辺プロダクションの新人歌手オーディションを勧められ、軽い気持ちで受けたところ合格[3]。そして名古屋に来たディレクターに勧められて出場した[3]フジテレビ系オーディション番組『君こそスターだ![注釈 2]でチャンピオンとなる。番組のオーディション1週目で岩崎宏美の「ドリーム」を歌うが、歌詞を間違えて「ごめんなさい」と叫び収録が中断された[3]。しかし「歌詞を間違えた出場者は君が初めてだよ」と逆に審査員に好感を持たれ[2][3]、その後『君こそスターだ!』では7週勝ち抜いてチャンピオンになった[6]

この結果を受けた渡辺プロから「まだ歌手になれるかは分からないけどうちの新人班に所属してはどうか」と打診された[4]。上京になるため両親から反対されたが、「大学進学したと思って4年間だけ東京で頑張らせてほしい」と説得[4]。親の許可を得て渡辺プロに所属して活動することになり[6]、1978年3月、高校卒業の3日後に上京して渡辺プロの寮に入寮。同時期の入寮者に桑江知子松原みきがいる[6]。寮生活では、休日に上記の2人に加えて先輩デュオのザ・リリーズなどとよく立川市でボウリングを楽しんだ[4]

アイドルデビュー〜ブレイク[編集]

1978年5月25日に、キャニオン・レコードNAVレコードから「右向け右」でアイドル歌手としてデビューすると、全国58大学で構成する全国ビューティ・オール学生協会から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時から容姿と歌唱力が高く評価されて大学生を中心に大きく支持を得る。男性誌を中心に水着姿のグラビア撮影が多かったが、生後6日で体験した伊勢湾台風も影響して[7]水を恐れておりデビュー前は水着を1着も持っていなかった。

1979年から1982年までNHK人形劇プリンプリン物語』で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し[8]、同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司会を務めた。

両親と約束した4年間の"タイムリミット"となった1981年、それまでヒット曲に恵まれず「中途半端なままで活動を続けたくない」という意志からこれを最後の曲として歌手をやめるつもりだった[8][6]11枚目のシングル「まちぶせ」が好評で販売枚数も多く、キャンペーンで全国を巡りながら「歌の楽しさを思い出して、辞めるのはやめようと思った」[8]。「まちぶせ」は長期間ヒットチャートの上位にあり、次のシングル曲として予定されていた「にわか雨」の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎたこともあり発売を見送り、代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の写真」を発売した。「にわか雨」は2年後の1983年6月21日に16枚目のシングルとして発売した。

1981年に『NHK紅白歌合戦』に初出場する。

ブレイク以降B型肝炎発病まで[編集]

1982年2月にN.S.P.天野滋による「ひとりじめ」、5月に「君は輝いて天使にみえた」を発売し、ファンから評判が高かったものの販売枚数は多くなかった。 1982年に、NHK総合あなたのメロディー』で、高校生の川越進が作詞作曲して石川が歌唱した「パープル ミステリー」が年間優秀曲に選ばれ、一部歌詞を改編して1983年2月にシングル「パープル ミステリー」として発売した。

1983年6月に「にわか雨」を発売。キャンペーンでミニFMステーションを模した「にわか放送局」を日本各地で開局し、その場で集めたリクエスト曲やアンケートを元に、DJを織り交ぜた新曲発表会やサイン会を催した。

1983年9月に「」を発売する。脱アイドルを模索し、テレビドラマに出演するほか、露出度が高いグラビア写真を雑誌『GORO』の衝撃館で発表した。その他、『写楽』や『プレイボーイ eyes』などでもセミヌードグラビアを公開し、1984年11月にヌード写真集「心変わり」を発売した。

1984年12月23日に立川WILLで行われたクリスマスライブで、「今まで、色々なことに挑戦してきたが、来年からは歌に全精力を傾けてゆく」と述べた。

1985年5月に「夢回帰線」を発売して、ナリス化粧品のコマーシャルソングに使用された。

1986年4月に「秘密の森」を発売、キャニオン・レコード / NAVレコードからのラストシングルとなった。

1987年(27歳)に初めてのミュージカル「はだかの王様」で主演するも、公演まで1週間を切ったリハーサル中にひどいめまいに襲われた[4]。病院で診察を受けるとめまいとは別に、B型肝炎を発症していることが偶然判明し、急遽入院することになった[注釈 3]。スタッフとして石川を支えていた山田直毅は、発病前と変わらずに接して精神的に支えた。

休業から活動再開後[編集]

退院後に渡辺プロダクションと契約が破棄されて芸能界を退いたが、1988年に活動再開する。本人の場合、母子感染でB型肝炎のキャリアになったが、この頃から本人にとって病気への誤解と偏見による辛い日々が続いた[4]。最も辛かったのは、病気公表後からしばらくは街なかで握手を拒まれたり、通っていた水泳教室で「同じプールで泳いだりすると病気がうつるから教室を辞めて下さい」と言われたことだという[4]

映画『男はつらいよ』の寅さんの大ファンで、友人の斉藤ゆう子と「柴又ツアー」と称して映画ロケ地の柴又界隈を廻った。1990年3月に、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役の渥美清と遭遇する。色紙を持ち合わせず無地のレポート用紙にサインをもらい、現在も額縁に入れて大切に保存している[注 2]。この時、渥美からサイン入り写真との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の写真をお返しとして渥美に渡した。

1993年(34歳)、ミュージシャンでデビュー以来バックバンドを務めていた、作・編曲家の山田直毅と結婚し、結婚式は挙げなかったがその代わりに夫婦でベルギー旅行に行った[4]。その後、1997年から2年間NHK教育母と子のテレビタイム(日曜版)』に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開している。

その後は一五一会によるCDアルバムをリリースしているほか、エイズ肝炎に関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』(集英社)がある。

2023年8月23日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)の番組内で、11年前から指定難病の1つであるシェーグレン症候群と闘っていることを明らかにした[9]

近年の活動[編集]

2015年末から浅草のアミューズ・カフェ・シアターでアイドル時代のオリジナル曲を中心とするライブ活動を開始する。

デビュー40周年の2018年に、1983年の「プライベート」以来35年振りで9枚目のオリジナルアルバム「わたしの毎日」を発売し、7月にアルバム発売記念ライブ、10月に40周年記念コンサート、2019年2月に東京と名古屋で追加公演、をそれぞれ開催している。

2021年4月に自身初のライブ配信、5月に初のDVD作品「石川ひとみ LIVE わたしの毎日」を発売。

2022年3月にTOKYO FMホールでの有観客コンサートを収録した初のBlu-ray作品「石川ひとみコンサート2021」を発売。

デビュー45周年の2023年に、5年振り10枚目のオリジナルアルバム「笑顔の花」を発売、10月に「45周年記念コンサート〜笑顔の花〜」を開催、11月に2021年以来2回目となるビルボード公演を大阪と横浜で開催。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
NAVレコード
1 1978年
5月25日
A面 右向け右 三浦徳子 宮川泰 竜崎孝路 N-29
B面 ピピッと第六感 丹羽応樹
2 1978年
9月5日
A面 くるみ割り人形 馬飼野康二 大村雅朗 N-32
B面 タイトロープ 岡田冨美子
3 1979年
1月21日
A面 あざやかな微笑 森雪之丞 西島三重子 N-37
B面 らぶ・とりーとめんと 大村雅朗
4 1979年
4月21日
A面 ひとりぼっちのサーカス 谷山浩子 大村雅朗 N-42
B面 ムーンライト・ドリーム 森雪之丞 馬飼野康二
5 1979年
6月21日
A面 プリンプリン物語 石山透 馬飼野康二 N-44
B面 ハッピー・アドベンチャー
6 1979年
8月21日
A面 ハート通信[注 3] 松本隆 吉田拓郎 馬飼野康二 N-47
B面 人の気も知らないで… 野原理香 穂口雄右
7 1979年
12月21日
A面 ミス・ファイン 康珍化 伊藤薫 井上鑑 N-49
B面 サンシャイン・モーニング 谷川夕里 西島三重子 大村雅朗
8 1980年
4月21日
A面 オリーブの栞 三浦徳子 馬飼野康二 N-50
B面 空色のフォトグラフ
9 1980年
9月5日
A面 秋が燃える 岡田冨美子 佐瀬寿一 渡辺茂樹 N-54
B面 さよならGood-bye たかたかし 井上鑑
キャニオン・レコード
10 1981年
1月21日
A面 夢番地一丁目 山上路夫 芳野藤丸 渡辺茂樹 7A-0044
B面 人形が見てる 佐瀬寿一
11 1981年
4月21日
A面 まちぶせ[注 4] 荒井由実 松任谷正隆 7A-0071
B面 懐かしきリフレイン 山上路夫 浜田金吾 渡辺茂樹
12 1981年
10月5日
A面 三枚の写真[注 4] 松本隆 大野克夫 葦沢聖吉 7A-0116
B面 夕暮れて 丸山圭子 丸山圭子
佐藤準
戸塚修
13 1982年
2月21日
A面 ひとりじめ 天野滋 大谷和夫 7A-0155
B面 彼をかえして 康珍化 佐瀬寿一 松任谷正隆
14 1982年
5月21日
A面 君は輝いて天使にみえた 天野滋 若草恵 7A-0183
B面 マリンブルーに溶けないで 門谷憲二 亀井登志夫 大谷和夫
15 1982年
9月21日
A面 冬のかもめ[注 5] 康珍化 西島三重子 鷺巣詩郎 7A-0214
B面 いつわり 石川ひとみ 山田直毅 松任谷正隆
16 1983年
2月21日
A面 パープル ミステリー 川越進 7A-0249
B面 ガラスの恋人 竜真知子 服部清 戸塚修
17 1983年
6月21日
A面 にわか雨 岡田冨美子 西島三重子 松任谷正隆 7A-0290
B面 Follow You-空港まで- 竜真知子 林哲司
18 1983年
9月21日
A面 岡田冨美子 玉置浩二 萩田光雄 7A-0313
B面 何も言わないで 石川ひとみ 田中真美 鷺巣詩郎
19 1984年
1月21日
A面 メモリー 浅利慶太 A.L.Webber 山川恵津子 7A-0355
B面 恋はダイスまかせ 田口俊 玉置浩二 鷺巣詩郎
20 1984年
7月5日
A面 アモーレ 竜真知子 佐藤隆 国吉良一 7A-0378
B面 Melody of Memory 原真弓 大田黒裕司
21 1984年
12月5日
A面 裸足でダンス 竜真知子 鈴木キサブロー 新川博 7A-0452
B面 Déjà-vu 越美晴
22 1985年
5月5日
A面 夢回帰線 岡田冨美子 松田良 チト河内 7A-0491
B面 誘われ上手 ANNIE
葉山真理
伊藤銀次 山田直毅
23 1986年
4月5日
A面 秘密の森 岩室先子 山田直毅 7A-0571
B面 KA・KU・RE・N・BO
日本コロムビア
24 1989年
7月21日
01 みなしごハッチ 丘灯至夫 越部信義 信田かずお CC-8281
25 1991年
2月1日
01 元気あげるね 売野雅勇 本間勇輔 岩田雅之 CODC-8654
02 ターミナル 木原麻希子
26 1999年
11月20日
01 世界中が宝物 及川眠子 前田克樹 京田誠一 CODC-1801
02 ZOO(動物園) 石川ひとみ 山田直毅
27 2003年
3月1日
01 キミらしいまま 及川眠子 前田克樹 亀山耕一郎 CODC-2094
28 2006年
5月25日
01 だいすき!ラスカル JINCO 金田一郎 京田誠一 COCC-15896

オリジナルアルバム[編集]

  1. くるみ割り人形(1978年12月21日)
  2. ひとりぼっちのサーカス(1979年6月21日)
  3. ひとみ…(1980年2月21日)
  4. Inside/Outside(1980年10月21日)
  5. まちぶせ(1981年7月21日)
  6. 夢模様(1981年11月21日)
  7. ジュ・テーム(1982年6月21日)
  8. プライベート(1983年8月21日)
  9. わたしの毎日(2018年6月20日)
  10. 笑顔の花(2023年7月19日)
子供向け音楽
  • HOME・MADE-ただいま-
※1999年4月21日、ビクターエンタテインメントから発売。夫妻で制作したオリジナル曲で構成。
一五一会シリーズ

テイチクエンタテインメントインペリアルレコードレーベルから発売。

  1. みんなの一五一会〜唱歌・童謡編(2004年5月21日)
  2. With みんなの一五一会〜フォークソング編(2005年9月21日)
  3. With みんなの一五一会〜RADIO DAYS(2006年6月21日)
  4. With 〜the best of 一五一会(2007年12月19日)
    ※セルフカバー集と、シリーズ3枚からのセレクションの2枚組。
  5. ゴールデン☆ベスト(2011年4月6日)
    ※4作品からのセレクションに未発売バージョン2曲を加えた2枚組。

ライブ・アルバム[編集]

  1. キャンパス ライブ(1983年1月21日)
    早稲田大学での学園祭ライブ(1982年11月7日)を収録。

カバー・アルバム[編集]

  1. THE REBORN SONGS〜すずらん〜(2013年5月29日)

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ
1979年 プリンプリン物語 NHKのテレビ人形劇「プリンプリン物語」OP主題歌
ハッピー・アドベンチャー NHKのテレビ人形劇「プリンプリン物語」ED主題歌
1985年 夢回帰線 ナリス化粧品」イメージソング
1989年 みなしごハッチ 日本テレビ系テレビアニメ「昆虫物語 みなしごハッチ」OP主題歌
1991年 元気あげるね フジテレビ系特撮テレビドラマ「不思議少女ナイルなトトメス」OP主題歌
ターミナル フジテレビ系特撮テレビドラマ「不思議少女ナイルなトトメス」挿入歌
1999年 世界中が宝物 テレビ東京系テレビアニメ「ぐるぐるタウンはなまるくん」OP主題歌
2003年 キミらしいまま アニメ映画「Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン」ED主題歌
2006年 だいすき!ラスカル テレビアニメ「ぽかぽか森のラスカル」OP主題歌

石川ひとみがカバーした楽曲[編集]

1970年代
タイトル 原曲歌手
青いリンゴ 野口五郎
中の島ブルース 内山田洋とクールファイブ 秋葉豊とアローナイツ
傷心 大友裕子
想い出のセレナーデ 天地真理
ポケットいっぱいの秘密 アグネス・チャン
海より青い瞳 アグネス・チャン
冬の日の帰り道 アグネス・チャン
九月の雨 太田裕美
木綿のハンカチーフ 太田裕美
ハート通信 アグネス・チャン
1980年代
タイトル 原曲歌手
道化師のソネット さだまさし
夢で逢えたら 吉田美奈子 シリア・ポール (大瀧詠一)
ハロー・グッバイ アグネス・チャン 讃岐裕子 柏原芳恵
あの日に帰りたい 荒井由実
セクシー・ナイト 三原順子
守ってあげたい 松任谷由実
待っている女 五木ひろし
涙ぐらし 角川博
思秋期 岩崎宏美
SIESTA 大貫妙子
幻惑 大貫妙子 小林麻美
サンタモニカの風 桜田淳子
学生時代 ペギー葉山
涙くんさよなら 坂本九
知床旅情 森繁久彌 加藤登紀子
まちぶせ 三木聖子
三枚の写真 三木聖子
つぶやき  三木聖子
冬のかもめ 西島三重子
1990年代以降
タイトル 原曲歌手
空も飛べるはず スピッツ
ひとりじゃないの 天地真理
水色の恋 天地真理
もんしろちょう 國府田マリ子
あなたとならば O'z
サボテンの花 チューリップ

タイアップ曲(未商品化曲)[編集]

  • ともだちみつけた
1995年みんなのうたで放送、日本コロムビアの『みんなのうた』の一部アルバムおよびオリジナルアルバム『―ただいま』、『ゴールデン☆ベスト』に収録
  • ボクたちトレン太くん
1999年JR東日本トレン太くんラジオCMソングとして制作。懸賞用の非売品シングルのみ存在する。
  • 小犬のプルー
1982年みんなのうたで放送、日本コロムビアの『みんなのうた』の一部アルバムに収録。
  • ちっちゃなフォトグラファー
2002年みんなのうたで放送、日本コロムビアの『みんなのうた』の一部アルバムに収録。

カセット[編集]

  1. 元気あげるね(作詞:売野雅勇、作曲:本間勇輔、編曲:岩田雅之
  2. ターミナル(作詞:木原麻希子、作曲:本間勇輔、編曲:岩田雅之)

ベストアルバム[編集]

  • 石川ひとみ / プロフィール(1982年10月21日)
  • 石川ひとみ / best Memories(1984年3月3日)
  • 石川ひとみ / スーパーベスト(1986年11月21日)
  • 石川ひとみ★BEST MYこれ!クション(2001年11月17日)
  • 石川ひとみベストセレクション(2002年4月25日)
  • 石川ひとみ SINGLES コンプリート(2007年8月17日)
  • Myこれ!Liteシリーズ 石川ひとみ(2010年4月21日)
  • ザ・プレミアムベスト 石川ひとみ(2012年11月21日)
  • ゴールデン☆アイドル 石川ひとみ(2014年7月30日)
  • 40th 石川ひとみアンソロジー(2018年3月21日)

CD-BOX[編集]

  • 78-86 ぼくらのベスト 石川ひとみCD-BOX(2002年9月19日)
  • 78-86 ぼくらのベスト2 石川ひとみCD-BOX(2004年1月7日)

映像作品[編集]

  • Tenderly(1983年)
  • Romancing Mystery 石川ひとみ -瞳の中の女たち-(1984年)※ ヌードを披露している。
  • 石川ひとみ LIVE「わたしの毎日」(2021年5月19日)※ライブDVD
  • 石川ひとみコンサート2021(2022年3月30日)※ライブ・ブルーレイ
  • 石川ひとみコンサート2022(2023年7月19日、アルバム「笑顔の花」限定BOX)※ライブDVD

参加作品[編集]

※M-6「恋の稲刈り」
  • トリビュートアルバム『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』(2016年9月7日)[10]
ウナ・セラ・ディ東京」(岩崎宏美とデュエット)

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

人形劇[編集]

テレビアニメ[編集]

舞台[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1981年(昭和56年)/ 第32回 まちぶせ 02/22 田原俊彦
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

ラジオ[編集]

テレビCM[編集]

ラジオCM[編集]

WebCM[編集]

  • ホソカワミクロン化粧品 ナノクリスフェア(2018年)

共演した歌手[編集]

書籍[編集]

著書[編集]

写真集[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ これより前に友達に誘われて同番組にグループで出場したが予選落ちしており、悔しく思ったことから一人で再度出場した[4]
  2. ^ 本人によると、「番組出演に誘われた時に“テレビ出演したら学校で怒られると思うので”と当初お断りしたんです。でも『この番組は(石川の地元の)中京圏では放映されてないよ』と言われ、“じゃあ、いいかな”って(笑)。ただ、嘘をついて出るのは嫌だったので、高校の先生には事前にオーディションへの参加を伝えました。そうしたら、『頑張ってこい!』と背中を押してくださいました」と回想している[4]
  3. ^ 本人は後年のインタビュー記事で、「当時周囲の方々に大きな御迷惑をおかけしたことを今(2023年)も心苦しく思っています」と謝罪の言葉を述べている[4]

[編集]

  1. ^ 本人にとって初めてお小遣いで買ったレコードでもある。
  2. ^ 石川の著書『いっしょに泳ごうよ』の記述によれば、渥美は石川の闘病についても知っており、励ましの言葉をかけてくれたという。
  3. ^ アグネス・チャンの同名曲のカバー。
  4. ^ a b 三木聖子の同名曲のカバー。
  5. ^ 西島三重子の同名曲のカバー。
  6. ^ 顔出しで出演し、エンディング「ハッピー・アドベンチャー」を歌唱した回もあり。

出典[編集]

  1. ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、24頁。NDLJP:12276264/13 
  2. ^ a b c d e f g 近代映画(近代映画社)1978年9月号 p.128-131『スター生いたちストーリー 石川ひとみ』
  3. ^ a b c d e f g h i j k 月刊BOMB 1981年12月号「石川ひとみ巻頭大特集」(p.13-43)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 週刊現代2023年9月23日号「私の地図」第565回・石川ひとみp66-68
  5. ^ 映画ファン(1979年3月号)
  6. ^ a b c d e 石川ひとみ「親の反対を押し切って上京、『まちぶせ』を最後に辞めるつもりだった。今年でデビュー45周年、まだまだ歌手としては通過点」”. 婦人公論. 中央公論新社 (2023年7月27日). 2023年7月28日閲覧。
  7. ^ 女性自身 1981年7月2日号 p.130-133「ヤングスター50問☆50答」
  8. ^ a b c “もういちど流行歌 1981年9月の曲 まちぶせ(石川ひとみ)「歌手生活に区切り」決意の一曲”. 朝日新聞 be on Saturday: p. 2. (2017年10月21日) 
  9. ^ “石川ひとみ初告白 11年前から指定難病・シェーグレン症候群との戦いの日々 自覚症状明かす”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年8月23日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/08/23/kiji/20230823s00041000341000c.html 2023年8月23日閲覧。 
  10. ^ “相田翔子&森高千里 ピーナッツを歌う 女性歌手12組がデュエット”. ORICON STYLE. (2016年8月11日). https://www.oricon.co.jp/news/2076648/full/ 2016年8月12日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]