石橋一弥
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石橋 一弥 いしばし かずや | |
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生年月日 | 1922年3月19日 |
出生地 | 日本 千葉県公平村 (現・東金市) |
没年月日 | 1999年3月5日(76歳没) |
死没地 | 日本 東京都新宿区 (東京女子医科大学病院) |
出身校 | 日本農士学校 |
所属政党 | (無所属→) 自由民主党(森派) |
称号 | 従三位 勲一等瑞宝章 東金市名誉市民 |
親族 | 石橋弥(父・千葉県議会議員) 石橋清孝(息子・千葉県議会議員) |
第113代 文部大臣 | |
内閣 | 第1次海部内閣 |
在任期間 | 1989年8月10日 - 1990年2月28日 |
選挙区 | (旧千葉3区→) 比例南関東ブロック |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1976年12月10日 - 1999年3月5日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1968年 - 1976年 |
石橋 一弥(いしばし かずや、1922年〈大正11年〉3月19日[1] - 1999年〈平成11年〉3月5日[1])は、日本の政治家(自由民主党衆議院議員)。第1次海部内閣で文部大臣を務めた。位階は従三位勲一等、東金市名誉市民。
経歴
[編集]千葉県山武郡公平村(現・東金市)出身。石橋家は代々名主・村長を務めてきた旧家の豪農で、父・弥は竹尾弌とともに農民運動にも関わり公平村長や県議会議員を務めた。日本農士学校(埼玉県農業大学校の前身のひとつ)に学び、昭和16年に同校を卒業、陸軍に入隊。
1952年に公平村長、1968年に東金市長に就任。1976年、千葉三郎の後継者として旧千葉3区から衆議院議員に初当選。連続当選8回。自民党内では福田→安倍→三塚→森派(清和研)に所属。文部政務次官、党文教部会長を務めるなど党内でも有数の文教族議員として知られ、1989年、第1次海部内閣で第113代文部大臣に就任。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、森英介との選挙区調整からコスタリカ方式により比例南関東ブロック単独候補となり、名簿登載順位1位で8選(後述の死去により1回のみでコスタリカは解消)。
1998年、勲一等瑞宝章受章[2]。しかし同年12月より病気療養のため入院し、議員在職中の1999年3月5日、東京都新宿区の東京女子医科大学病院で死去した。76歳没。追悼演説は同年5月11日の衆議院本会議で、臼井日出男により行われた[3]。
なお、石橋の死去による比例南関東ブロック欠員補充として、自由民主党比例名簿から水野賢一が繰上当選となった。
脚注
[編集]- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、126頁。
- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
- ^ 第145回 衆議院 本会議 第28号 平成11年5月11日 - 国会会議録検索システム
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]議会 | ||
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先代 福島譲二 | 衆議院地方行政委員長 1986年 - 1987年 | 次代 松本十郎 |
公職 | ||
先代 西岡武夫 | 文部大臣 第113代:1989年 - 1990年 | 次代 保利耕輔 |
先代 能勢剛 | 千葉県東金市長 1968年 - 1975年 | 次代 早野尚治 |