稲富稜人

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稲富 稜人(稻富稜人[1]、いなとみ たかと、1902年10月19日 - 1989年11月6日)は、日本政治家、農民運動家。衆議院議員(11期)。

来歴[編集]

福岡県八女郡岡山村(現八女市)出身。代用教員を経て1925年早稲田大学政経学部を卒業。卒業後は農民運動に身を投じた。その後、日本農民党に参加。社会民衆党に入った後、日本国家社会党に賛同[2]1935年福岡県議に当選。1946年日本社会党から衆議院議員になったが公職追放を受け、同年6月22日、議員を辞職した[3]。1953年右派社会党から立候補して当選。後に民主社会党に移り、当選11期を数えた。1986年に政界引退。衆院懲罰委員長、民社党中央執行委員などを務めた[2]

1972年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章、1977年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章、1986年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[2]

1989年11月6日死去、87歳。死没日をもって従三位に叙される[4]

日本中央競馬会馬主登録(名義は「有限会社イナトミ」)もしており、主な持ち馬には「走る労働者」の異名を取ったイナボレスオールカマー目黒記念勝ちなど)がいた。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』号外第59号11頁 昭和61年4月30日号
  2. ^ a b c 稲富 稜人. コトバンクより2023年9月21日閲覧
  3. ^ 『官報』第5837号、昭和21年7月1日。
  4. ^ 『官報』第237号9-10頁 平成元年11月16日号

参考文献[編集]