若槻文三
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若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日[1] - 1993年[2])は、日本の脚本家。本名は金本明[1]。大阪府生まれ[1][3]。関西学院大学出身[1]。
経歴
[編集]1966年、TBSのドラマ『月曜日の男』でプロデューサー、脚本、監督を務めていた飯島敏宏の誘いで『ウルトラマン』の脚本を執筆[3][4][5]。これをきっかけに円谷プロ作品の常連ライターとして活躍。同社の作品については、テレビシリーズ18番組、長編テレビ映画3作、新撮劇場映画2作(他に再編集物が2作)という、群を抜いて最多参加の脚本家であった。テレビドラマデビュー作でもあり、1958年から関西ローカル局で長期間放送された刑事ドラマの『部長刑事』[4][5]では、多くの脚本家の中で最も長きに渡り執筆を担当した一人でもある。
主な参加作品
[編集]テレビドラマ
[編集]- 部長刑事(1958年、朝日放送)
- 月曜日の男(1961年、TBS)
- オレとシャム猫(1969年、TBS)
- 女殺し屋 花笠お竜(1969年、東京12チャンネル)
- 土曜ワイド劇場(テレビ朝日)
- 白い手 美しい手 呪いの手(1979年)
- 怪奇! 金色の目の少女(1980年)
- 呪いのマネキン人形(1984年)
- 十五少年漂流記 忘れられない夏休み(1986年、TBS)
- B級ホラー WARASHI!(1991年、TBS)※遺作[6]
特撮・アニメ
[編集]- ウルトラマン(1966年、TBS)
- ウルトラセブン(1967年、TBS)
- 長篇怪獣映画ウルトラマン(1967年、劇場作品)※共同脚本
- マイティジャック(1968年、フジテレビ)
- 戦え! マイティジャック(1968年、フジテレビ)
- 怪奇大作戦(1968年、TBS)
- チビラくん(1970年、日本テレビ)[7]
- ミラーマン(1971年、フジテレビ)[8]
- 快傑ライオン丸(1972年、フジテレビ)
- トリプルファイター(1972年、TBS)[9]
- ファイヤーマン(1973年、日本テレビ)[9]
- 恐怖劇場アンバランス(1973年[10]、フジテレビ)
- ジャンボーグA(1973年、毎日放送)
- ジャンボーグA&ジャイアント(1974年[11]、劇場作品)
- ウルトラマンレオ(1974年、TBS)
- SFドラマ 猿の軍団(1974年、TBS)
- ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団(1974年[12]、劇場作品)
- プロレスの星 アステカイザー(1976年、NET)[9]
- 恐竜大戦争アイゼンボーグ(1977年、東京12チャンネル)
- スターウルフ(1978年、よみうりテレビ)
- 恐竜戦隊コセイドン(1978年、東京12チャンネル)
- ザ☆ウルトラマン(1979年、TBS)
- ウルトラマン怪獣大決戦(1979年、劇場作品)[13]
- ウルトラマン80(1980年、TBS)
未映像化作品
[編集]- 大激流(ウルトラセブン)
- 死を配達する男X(怪奇大作戦)
脚注
[編集]- ^ a b c d 『ファンタスティック コレクションNo.29 ウルトラセブン SFヒーローのすばらしき世界』(朝日ソノラマ・1983年) p.49
- ^ 『宇宙船』Vol.65(朝日ソノラマ・1993年夏季号) p.64
- ^ a b テレビマガジン特別編集『ウルトラマン大全集』(講談社・1987年) p.246
- ^ a b マガジン2020 2020, p. 61, 「ウルトラ雑学2 円谷プロダクション Who's Who?」
- ^ a b シリーズ大解剖 2022, p. 113, 「物語を通じてウルトラマンや怪獣に魂を吹き込んだ脚本家たち 若槻文三」
- ^ 竹書房/イオン編 編「Column 円谷映像の作品群」『超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み』竹書房、1995年11月30日、203頁。ISBN 4-88475-874-9。C0076。
- ^ 中盤以降メインライター
- ^ 前半メインライター
- ^ a b c メインライター
- ^ 制作自体は1969 - 1970年。
- ^ 日本未公開作品。
- ^ 日本での初公開は1979年。
- ^ 構成も担当、共同脚本。
参考文献
[編集]- 『テレビマガジン特別編集 ウルトラ特撮マガジン 2020』講談社(講談社MOOK)、2020年8月31日。ISBN 978-4-06-520743-7。
- 『ウルトラマンシリーズ 大解剖 ウルトラQ・ウルトラマン・ウルトラセブン 編』三栄〈大解剖シリーズ サンエイムック〉、2022年7月1日。ISBN 978-4-7796-4604-1。