落武者
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落武者(おちむしゃ)とは、戦乱において敗者として生き延び、逃亡する武士である。落人(おちうど、おちゅうど)とも。
概説
[編集]戦国時代において、落武者は、法の外の者とみなされ[1]成敗権を行使する「落ち武者襲撃慣行」で、殺したり所持品を略奪する農民による落ち武者狩りの対象とされた[2]。
戦場からの離脱中以外にも、主家が敗亡し勢力が衰微して亡命状態になった武家の一党やその臣下も落人と呼ぶ。こうした落人の有名なものに平家の落人があり、落ち延びた先の山間部などに集落を作った例もある。虚実は不明ながら近世の鉄山労働者など山間部で生活する集団の中の有力者は、「豊臣の遺臣」や「尼子の落人」など、落人の末裔を称する場合が多かった[3]。
室町時代では、没落したり後ろ盾が無くなった公家や武家も落武者とみなされ、拠点を構えていた地域の町人に襲われる場合や失脚した武家の屋敷が略奪に合う場合もあった。他に、流刑で流刑先に移動している罪人も落武者とみなされ当然のように落ち武者狩りの対象となった[1]。落ち武者は薄の穂にも怖ずという慣用句は怖いと思うと何にでも恐怖を感じるという意味である。
岐阜県や長野県では落ち武者の事を「だいこう」と呼ぶ地域もある。 これは「だいゅう(大夫)」が訛ったものだという説が最も有力視されている。また関西の一部地域では「おちぷはあ」と呼ばれていたが、現在ではほとんどそう呼ぶことはなくなった(差別用語とされる声があるため)。
現代の用例
[編集]現代においては、政治などで選挙を戦と例え、それに負けた立候補者を落ち武者と呼び、その候補者が選挙期間中に選挙違反などを働いていたりして後日、検挙される場合を「落ち武者狩り」と呼ぶ場合がある。また、頭頂部のみ禿げていて、両サイドの髪を伸ばしている人の事を落ち武者と呼ぶ事もある。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』藤木久志 朝日選書 2005年
- 『戦国の世 日本の歴史〈5〉』今谷明 岩波ジュニア新書 2000年
- 今谷明『天皇と天下人』新人物往来社、1993年。ISBN 4404020732。