資生堂

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株式会社資生堂
Shiseido Company, Limited
本社が入居する汐留タワー
本社が入居する汐留タワー
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社[1]
市場情報
東証プライム 4911
1949年5月16日上場
略称 資生堂、SHISEIDO
本社所在地 日本の旗 日本
105-8310
東京都港区東新橋一丁目6番2号
汐留タワー
北緯35度39分52秒 東経139度45分38.6秒 / 北緯35.66444度 東経139.760722度 / 35.66444; 139.760722座標: 北緯35度39分52秒 東経139度45分38.6秒 / 北緯35.66444度 東経139.760722度 / 35.66444; 139.760722
本店所在地 104-8010
東京都中央区銀座七丁目5番5号
設立 1927年6月24日
(創業:1872年9月17日
業種 化学
法人番号 1010001034813 ウィキデータを編集
事業内容 化粧品、化粧用具、トイレタリー製品、理・美容製品、美容食品、医薬品の製造・販売
代表者 魚谷雅彦
取締役代表執行役会長CEO
藤原憲太郎
(取締役代表執行役社長COO
資本金 645億600万円
(2020年12月期)[2]
発行済株式総数 4億株
(2020年12月31日現在)[2]
売上高 連結:9208億8800万円
単独:2493億3500万円
(2020年12月期)[2]
営業利益 連結:149億6300万円
単独:△10億1500万円
(2020年12月期)[2]
経常利益 連結:96億3800万円
単独:319億1700万円
(2020年12月期)[2]
純利益 連結:△116億6000万円
単独:338億6700万円
(2020年12月期)[2]
純資産 連結:5065億9300万円
単独:4417億7000万円
(2020年12月期)[2]
総資産 連結:1兆2042億2900万円
単独:8191億3800万円
(2020年12月期)[2]
従業員数 連結:39,035[7,516]名
単独:4,309[1,646]名
(2020年12月31日現在) [2]
決算期 12月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行(信託口)13.53%
日本カストディ銀行(信託口)6.02%
BNYM TREATY DTT 15 2.87%
みずほ信託銀行(退職給付信託 みずほ銀行口)2.50%
JP MORGAN CHASE BANK 385632 2.22%
日本カストディ銀行(信託口7)2.15%
THE BANK OF NEW YORK 134104 1.84%
SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 1.60%
日本カストディ銀行(信託口5)1.57%
STATE STREET BANK WEST CLIENT - TREATY 505234 1.49%(2020年12月31日現在)[2]
主要子会社 資生堂グループ参照
関係する人物 福原有信創業者
福原信三(初代社長
山名文夫デザイナー
杉山登志(CMディレクター)
太田和彦(デザイナー)
福原義春名誉会長
外部リンク 資生堂 企業情報
特記事項:経営指標は 2020年12月期 第121期 有価証券報告書
従業員数は就業人員であり、臨時従業員数は[ ]内に年間の平均人員を外数で記載している。
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株式会社資生堂(しせいどう、英語: Shiseido Company, Limited)は、化粧品製造販売を主な事業とする日本の企業である。化粧品の国内シェア第1位であり、世界シェアでは第5位となっている。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[3][4]

世界の約120カ国・地域で事業展開しており、海外売上比率は6割を超える。

概要[編集]

1872年明治5年)9月17日福原有信が東京・銀座に「資生堂薬局」創業商号の由来は、中国の古典『易経』の一節「至哉坤元 萬物資生(至れるかな、坤元。万物資(と)りて生ず。)」から。「資生」は中国清代の文献に良く見られ、近代の中国や日本で「economy」の訳語として用いられた時期もあった。

「新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造する」という企業理念のもと、化粧品事業を中心に、トイレタリー事業やヘルスケア事業(美容健康食品一般用医薬品)、フロンティアサイエンス事業(医療用医薬品や美容医療クロマトグラフィー原材料事業)などを展開している。過去には生理用品や洗濯用洗剤歯磨剤も発売されていた(資生堂本体が手がけたケースと子会社が手がけたケースとがある)が、売上不振によりいずれも撤退している。

シンボルマークは「花椿」と呼ばれ、資生堂に関連する活動にも「椿」の名称が多用される。このシンボルは1987年昭和62年)に広告での使用を中止し、1989年(昭和64年/平成元年)以降は製品からも外すなど対外的な使用を取りやめ、使用範囲は株券などに限定されていた。2004年(平成16年)から方針転換し、復活している。資生堂のCMは基本的に「SHISEIDO」の欧文ロゴが冒頭の数秒間、画面下部に表示される。これは1970年(昭和45年)前期から始まったものである。ロゴのSの文字は積分記号のように上下を伸ばしている。

同社のコーポレートスローガンは「一瞬も 一生も 美しく」である。またかつてのスローガンには「ヒトを彩るサイエンス」などもあった。また、テレビ・ラジオ番組での提供クレジットでは長らく「東京・銀座 資生堂」というフレーズが用いられてきた。

第一勧銀グループの一員である。

沿革[編集]

関東大震災後に建てられた仮設店舗
資生堂銀座ビル
東京銀座資生堂ビル。資生堂パーラーなどがはいっている。
資生堂香港店
  • 1872年(明治5年)9月17日 - 日本初の洋風調剤薬局として福原有信が東京・銀座(出雲町)に「資生堂薬局」創業。
  • 1880年(明治13年) - 育毛剤の販売開始。
  • 1888年(明治21年) - 日本初の練歯磨「福原衛生歯磨石鹸」発売。
  • 1897年(明治30年) - 化粧品業界へ進出、高等化粧水オイデルミン」発売。
  • 1902年(明治35年) - 東京・銀座の資生堂薬局内に、日本ではじめてソーダ水とアイスクリームの製造と販売を行う「ソーダ・ファウンテン」を開設、後に資生堂パーラーに発展。
  • 1915年(大正4年) - 商標「花椿」制定。同年、養毛剤「フローリン」を発売[5]
  • 1916年(大正5年) - 東京・銀座(竹川町)に化粧品部を開店。
  • 1917年(大正6年) - 「七色粉白粉」発売。日本人により制作された最初の本格的香水「花椿」発売。
  • 1918年(大正7年) - 「資生堂コールドクリーム」発売。
  • 1919年(大正8年) - 大阪・心斎橋に支店開設。現存する日本で最古の画廊である資生堂ギャラリー開設。
  • 1921年(大正10年) - 「資生堂五大主義」制定。
  • 1922年(大正11年) - 三科「美容科」「美髪科」「子供服科」開設、美髪科主任として米国よりヘレン・グロスマンを招く。
  • 1923年(大正12年) - 関東大震災で煉瓦造り3階建ての薬品部と化粧品部の建物(現:資生堂ザ・ギンザの場所)が倒壊。チェインストア制度採用。
  • 1924年(大正13年) - 愛用者向け文化情報誌「資生堂月報」創刊。
  • 1926年(大正15年)1月31日 - 銀座を襲った黒色青年連盟の暴徒によりショーウィンドウを破壊される[6]
  • 1927年(昭和2年) - 株式会社資生堂設立。欧文ロゴタイプ確立。
  • 1928年(昭和3年) - 5月18日、化粧品部の建物が落成。7月3日、「資生堂パーラー」が営業開始。
  • 1931年(昭和6年) - 東南アジア向けに「ローズ化粧品」輸出。初の本格的海外展開。
  • 1932年(昭和7年) - 「ドリュウ(ドルックス)化粧品」発売。
  • 1934年(昭和9年) - 銀座の化粧品部に資生堂美容室開店。髙島屋、神戸大丸にて当時銀座にさえなかった百貨店を舞台に華麗なキャンペーン実施。
  • 1937年(昭和12年) - 企業文化誌『花椿』創刊。
  • 1939年(昭和14年) - 資生堂化学研究所設立。
  • 1940年(昭和15年) - 中国向けに香水を量産し日本を代表する高級輸出品となる。
  • 1943年(昭和18年)2月15日 - 銀座の美容室が決戦下にふさわしくないとして廃止。電髪器など金属類は献納された[7]
  • 1949年(昭和24年) - 東京証券取引所市場第一部に上場。
  • 1953年(昭和28年) - 資生堂美容研究所開設。
  • 1956年(昭和31年) - 東京・渋谷東急文化会館に総合美容サロン1号店オープン。
  • 1959年(昭和34年) - 「資生堂美容技術専門学校(現 学校法人 資生堂学園)」創設、数多くのヘアメイクアーティストメイクアップアーティストを輩出。
  • 1972年(昭和47年)9月17日 - 創業100年1世紀)。その記念ブランドとして男性用化粧品ロードス発売。
  • 1980年(昭和55年) - フランスの「ピエール ファーブル社」との合弁会社「シセイドウ フランス」をパリに設立。
  • 1983年(昭和58年) - 中国(北京市)でシャンプーリンスの生産開始(輸入販売の開始は1981年)。
  • 1985年(昭和60年) - ビューティサイエンス研究所発足。
  • 1986年(昭和61年) - スキンケアブランド「アベンヌ」販売のため、ピエール ファーブル社との合弁、「(株)ピエール ファーブルジャポン」を東京・赤坂に設立。エステティックサロン専用のスキンケアブランド「カリタ」を買収。
  • 1987年(昭和62年) - 「資生堂薬品(株)」設立。
  • 1988年(昭和63年) - 一般用医薬品事業に参入。ヘアサロン専用ブランド米国パーマ剤トップメーカー「ゾートス社」を買収。
  • 1989年(平成元年) - 10月1日ハーバード大学と共同でマサチューセッツ総合病院内に『ハーバード大学皮膚科学研究所』を設立(研究陣にはハーバード医科大学を中心に生物学免疫学細胞学分子生物学など多岐にわたる先端科学者を世界から招聘)[8]
  • 1991年(平成3年) - 資生堂として初めてのエステティックブランド「Qi」を開発し、エステティック事業へ参入。
  • 1993年(平成5年) - 医療用医薬品事業に参入(オペリード(化粧品原料でもあるヒアルロン酸を活用した眼科手術補助剤、販売:武田薬品工業、発売:千寿製薬[9][10]、カサール(化粧品の製剤化技術を活用した抗ウイルス剤、販売:マルホ[11])。
  • 1997年(平成9年) - 化粧水「オイデルミン」の発売100周年、新しいデザインの製品を発売。「ヘレンカーチスジャパン」のサロン事業部門を買収、「(株)ジェニック」に社名変更。
  • 1998年(平成10年) - 滝川(株)より営業権を買収、資生堂サロン事業プロダクトの販売会社として「資生堂ビューティーカンパニー(株)」設立。
  • 1999年(平成11年) - ブリストル・マイヤーズ スクイブ クレイロール事業部サロン事業買収。
  • 2000年(平成12年) - 世界のスパブランド「デクレオール」を買収。
  • 2001年(平成13年) - 東京銀座資生堂ビル完成。
  • 2002年(平成14年) - バリ島ウブドに世界最大級のリゾートスパ「キラーナ スパ」をオープン。
  • 2003年(平成15年) - 本社機能の大部分を同年竣工した汐留タワーに移転。
  • 2004年(平成16年) - 国連グローバル・コンパクトへの参加。「資生堂ビューティーカンパニー(株)」と「(株)ジェニック」の2社が合併し、「資生堂プロフェッショナル(株)」を設立。タイに合弁会社「資生堂プロフェッショナル タイランド」を設立。
  • 2005年(平成17年) - 新しいコーポレートメッセージ「一瞬も 一生も 美しく」を策定。資生堂プロフェッショナル(株)が「カリタ」の国内営業を開始。
  • 2006年(平成18年) - 企業内大学「エコール資生堂」創設。「誰もが生きいきと働くことができる職場づくり」を目指して、知的障がい者を中心とした特例子会社「花椿ファクトリー(株)」を設立。
  • 2007年(平成19年) - 女性の更年期障害の「ホルモン補充療法(HRT)」用治療薬で、日本で初めて承認された『肌にぬるジェル状のエストラジオール外用ゲル剤 「ル・エストロジェル」』を共同事業契約に基づきバイエル薬品が発売。「特定非営利活動法人 女性の健康とメノポーズを考える会[12]から製品発売案内[13]
  • 2008年(平成20年) - 「資生堂ビジネスソリューション(株)」設立。上海に「資生堂中国研修センター」を開設。
  • 2009年(平成21年) - 環境省の「エコファースト制度」に認定。
  • 2009年(平成21年) - アゼルバイジャンで販売開始。ギリシャで合弁契約を締結。ベトナムの100%出資子会社「資生堂コスメティクス ベトナム」が営業開始。スイスにて100%出資の販売会社による営業開始。中国で薬局向け新ブランド「DQ(ディーキュー)」(スキンケア製品)発売。「資生堂ライフクオリティー ビューティープログラム」が企業フィランソロピー特別賞「美は心とともに賞」を受賞。
  • 2010年 (平成22年) - ベトナム工場竣工。米国の自然派化粧品会社「ベアエッセンシャル社」を買収。中国で高級ヘアサロン向けヘア製品を販売開始し「プロフェッショナル事業」を本格展開。「資生堂 椿の森」[注釈 1]のCO2吸収量が認証される。
  • 2011年(平成23年) - 4月1日から全事業所で禁煙を実施[14]
  • 2012年(平成24年) - 公式Webサイトの一部を「watashi+(ワタシプラス)」と改称、自社製品のオンライン販売を開始。
  • 2013年(平成25年) - 10月2日、本社新社屋「資生堂銀座ビル」オープン。
  • 2014年(平成26年) - 「カリタ」、「デクレオール」ブランドをフランスロレアルに売却[15]。競泳・水球、体操、バレーボール・ビーチバレーボール日本代表チームのオフィシャルスポンサーになる。
  • 2015年(平成27年) - 4月27日付を以ってコーポレートロゴを変更。10月1日、日本国内における化粧品事業を資生堂販売株式会社に会社分割するとともに、同社の商号を資生堂ジャパン株式会社に変更。
  • 2016年(平成28年) - ガーウィッチプロダクツ者を買収。「DOLCE&GABBANA」とライセンス契約。台湾資生堂新竹向上竣工。
  • 2017年(平成29年) - 資生堂表情プロジェクトスタート。保育事業に関する合弁会社「KODOMOLOGY株式会社」設立。
  • 2019年令和元年) - 日本時間の10月8日、スキンケアブランド「Drunk Elephant」所有するDrunk Elephant Holdings, LLCの買収を発表[16]。日本時間の同年11月7日に買収完了[17]
  • 2021年(令和3年)
  • 2022年(令和4年)
    • 1月1日 - 資生堂意匠部をルーツとする資生堂本社のクリエイティブ部門を、新たな別会社として「資生堂クリエイティブ株式会社」を100パーセント出資会社として設立[21]
    • 7月1日 - 「SHISEIDO PROFESSIONAL」などのヘアサロン向け業務用事業を資生堂プロフェッショナル株式会社へ会社分割で譲渡し、資生堂プロフェッショナル株式の80%をヘンケルオランダ法人であるHenkel Nederland B.V.へ譲渡する予定[22][23]
    • 9月17日 - 創業150周年
  • 2024年 (令和6年) - 指名委員会等設置会社へ移行[24]

歴代経営者[編集]

代数 氏名 在任期間 出身校
創業者 福原有信 幕府医学所(現・東京大学医学部
初代 福原信三 1915年 - 1940年 コロンビア大学薬学部
第2代 松本昇 1940年 - 1954年 ニューヨーク大学
第3代 伊与田光男 1954年 - 1959年 東京帝国大学理学部(現・東京大学)
第4代 伊藤隆男 1959年 - 1964年
第5代 森治樹 1964年 - 1967年 神戸高等商業学校(現・神戸大学
第6代 岡内英夫 1967年 - 1975年 高松高等商業学校(現・香川大学
第7代 福原信和 1975年 - 1978年 デューク大学
第8代 山本吉兵衛 1978年 - 1984年 大阪市立扇町商業学校(現・大阪市立扇町総合高等学校
第9代 大野良雄 1984年 - 1987年 京華商業高等学校
第10代 福原義春 1987年 - 1997年 慶應義塾大学経済学部
第11代 弦間明 1997年 - 2001年 早稲田大学商学部
第12代 池田守男 2001年 - 2005年 東京神学大学神学部
第13代 前田新造 2005年 - 2011年 慶應義塾大学文学部
第14代 末川久幸 2011年 - 2013年 国際商科大学商学部(現・東京国際大学
第15代 前田新造 2013年 - 2014年 慶應義塾大学文学部
第16代 魚谷雅彦 2014年 - 現職 同志社大学文学部、コロンビア大学経営大学院

主なブランド[編集]

アルファベット順。

SHISEIDO Collagen 3タイプ
  • Actea Heart(アクテアハート)
  • ANESSA(アネッサ) - サンケア商品
  • AUSLESE(アウスレーゼ) - 男性用
  • AQUALABEL(アクアレーベル) - メガブランド第3弾
  • BEAUTY VOLTAGE(ビューティーボルテージ) - 略称はBTV
  • BENEFIQUE(ベネフィーク) - 専門店専用。略称はBQ
  • BRAVAS(ブラバス) - 男性用
  • clé de peau BEAUTÉ(クレ・ド・ポー ボーテ) - 最高級ライン。略称はCPB
  • clé de peau BEAUTÉ synergique(クレ・ド・ポー ボーテ シネルジック) - CPBよりさらに高級なスキンケアライン
  • d Program(ディー・プログラム) - 敏感肌向け基礎化粧品。略称はDP
  • de Luxe(ドルックス) - 初代は1932年発売の超ロングセラー
  • ELIXIR(エリクシール、略称はEI) / UV WHITE(ユーヴィーホワイト、略称はUVW)
  • ELIXIR PRIOR(エリクシール プリオール) - シニア向けのスキンケアブランド
  • ELIXIR SUPERIEUR(エリクシール シュペリエル) - メガブランド第6弾 略称はEIS
  • ELIXIR WHITE(エリクシール ホワイト) - 2010年2月21日発売のエリクシールの美白ライン
  • EUDERMIN(オイデルミン) - 初代は1897年発売。発売100周年記念として、1997年に新しいデザインの製品発売
  • HAKU(ハク) - 美白化粧品。略称はHK
  • IN&ON(インアンドオン) - 美容食品(サプリメント)とスキンケア化粧品を配置した、内外美容ブランド
  • INOUI(インウイ) - 高級メーキャップブランド。アイライナーが人気
  • INTEGRATE/INTEGRATE GRACY(インテグレート/インテグレート グレイシィ) - メガブランド第5弾
  • KIRYO(キリョウ)
  • LORDES(ロードス) - 男性用
  • MAJOLICA MAJORCA(マジョリカ マジョルカ) - 若年層向けメーキャップブランド
  • MAQuillAGE(マキアージュ) - メガブランド第1弾 トータルメーキャップブランド。略称はMQ
  • Naturals(ナチュラルズ) - 無添加自然素材使用
  • MG5(エムジーファイブ) - 男性用
  • Paradigm(パラディム) - 男性用
  • PRIOR(プリオール) - シニア女性向け総合ブランド
  • qiora(キオラ) - 専門店専用。略称はQR
  • REVITAL(リバイタル ) - 略称はRE
  • REVITAL GRANAS(リバイタル グラナス) - 2008年10月21日に誕生した新ブランド
  • SHISEIDO(シセイドウ) - グローバルブランド。メーキャップやスキンケアなど複数のラインがあり、日本を含む世界約80ヶ国で販売されている。日本では百貨店専用
  • SHISEIDO MEN(シセイドウ メン) - 男性用。グローバルSHISEIDOブランドのひとつ
  • SINOADORE(シノアドア) - 基礎化粧品。略称はSND
  • SUPER MILD(スーパーマイルド) - 1988年から発売されているヘアケアブランド
  • TACTICS(タクティクス) - 男性用
  • The Makeup(ザ・メーキャップ) - 百貨店専用。略称はSTM
  • VINTAGE(ヴィンテージ) - 男性用
  • Zen(禅)
  • & Face(アンドフェイス)

2000年代に入り、100以上に増えすぎてしまったブランドを整理・統合し、新ブランドなどに集約・特化する「メガブランド構想」を打ち出し大再編に踏み切ったが、一時的な混乱が生じた。低価格品や普及品分野においては「SHISEIDO」を冠さない方針により、エフティ資生堂の商品は「資生堂」の文字が外され「FT」としたが、すぐに復活した。コスメニティ事業では「FITIT」と名乗ったがどちらも浸透せず、ブランド価値が分散する結果になった。組織をブランド単位に分割する施策は縦割りの弊害を招き、元に戻された。

なお、子会社であった大阪資生堂は、製品表記を「資生堂」のみに一本化させる目的で会社が消滅、現在は同社の大阪工場となっている。

TSUBAKIunoなどの一部製品は、2021年7月1日付でファイントゥデイ資生堂( → ファイントゥデイ)へ譲渡された。

以前あったブランド[編集]

女性用化粧品[編集]

EVENESE DR(イブニーズDR)
資生堂インターナショナルのd programの前身となる敏感肌向けスキンケアブランド。縮小が進んでいる。
TAPHY(タフィ、略称はTA)
BEAUTY VOLTAGEの前身となるスキンケアブランド。
TAPHY MILD(タフィマイルド、略称はTAM)
TAPHYと同時に展開する敏感肌向けライン。EVENESE DRとコンセプトが似ている。
OPTUNE(オプチューン)
TAPHYの前身となるスキンケアブランド。
プルミエ
OPTUNEの前身となるスキンケアブランド。CMキャラクターはWinkで、自身の曲も使用された。
PORCELIA(ポーセリア)
CMキャラクターは薬師丸ひろ子で、自身の曲も使用された。
TISS(ティス)
CMキャラクターはPUFFYで、自身の曲も使用された。
ff(フフ)
SELFIT
INTEGRATEおよびINTEGRATE GRACYの前身となるセルフメーキャップブランド。
ffのCMキャラクターは観月ありさ
INOUI ID(インウイ アイディー)
一部の百貨店で専用カウンターを設けて発売していた。
PN(ピエヌ、略称もPN) / PROUDIA(プラウディア)
いずれも2005年にMAQuillAGE(マキアージュ)へ統合。
RECIENTE(レシェンテ)
ピエヌの前身となるメーキャップブランド。
PARKY JEAN(パーキー・ジーン)
メーキャップ・ブランド。パーキージーン ラピス、FSPを経てMAJORICA MAJORCAへ至る。
WHITIA(ホワイティア)
アクアレーベルの「青の美白ライン」の前身となるセルフスキンケアブランド。
ASPLIR(アスプリール)
アクアレーベルの「赤の保湿ライン」の前身となるセルフスキンケアブランド。
nouve(ヌーヴ)
若年層向けポイントメーキャップブランド。コンビニ展開もなされたが末期はC/O、化粧惑星の発売によりネイルカラーのみの展開となった。
S(エス)
資生堂初の百貨店専用ブランド。百貨店専用ブランドだが、資生堂インターナショナルではなく資生堂からの発売だった。
ナツコ
夏用メーキャップブランド。CMキャラクターは小野みゆき。CMソングはツイストの「燃えろいい女」。
サンフレア
夏用メーキャップブランド。CMソングはラッツ&スターの「め組のひと」。
サファイアンクール
夏用スキンケアブランド。
NOMBRE NOIR(ノンブルノアール)
資生堂の高級香水の1つ。原料(特に天然動物性香料)の調達難航のため、製造が中止された。
SUN OIL(サンオイル)
CMキャラクターは、前田美波里と団次郎、他。
Neue(ノイエ)
ヘアケアブランド。CMキャラクターは第1期は江角マキコ、第2期はGackt
バスボン ヘアコロン
シャンプー、リンス。パッケージ上の商品名は「恋コロン髪にもコロンヘアコロンシャンプー(リンス)」。
しなやか恋コロン
ヘアコロンコンディショニング。シャンプー&リンス。パッケージ上の商品名は「恋コロン しなやかコロン ヘアコロン シャンプー」。CMキャラクターは山瀬まみ。他にも若い女性6人がコーラス隊として、白のブラウスに黒のスカート着用のまま、シャンプーをして髪全体を白く泡立てながら「しなやか 恋コロン」と歌っていた。
TESSERA(ティセラ)
バスボン ヘアコロンの後継商品。
ekubo(エクボ)
ニキビケア用薬用化粧品。(製造販売元:資生堂ホネケーキ工業
枝毛コート
BX(ビーエックス)
それまで無かった日中用(デー)と夜用(ナイト)というコンセプトが受け入れられてヒットした。
サイモンピュア
スキンケアブランド。
沙棗(SASO)
パルファムなどのフレグランス製品が主だが、ヘアケア製品やソープもあった。

NATURALS(ナチュラルズ)

男性用化粧品[編集]

GERAID(ジェレイド)
1996年発売。ワックスなどの整髪料が中心。2005年にunoに統合され、ラインナップ縮小が進んでいる(一部商品は存続)。最盛期には男性用ファンデーションやアイブロー、接着剤のボンド[要曖昧さ回避]そっくりの形をしたヘアワックスなどを販売しており、当時無香料・シンプル・モノクロカラーを押し出していたunoとは正反対の奇抜な製品が多かった。CMキャラクターは、堂本剛ウルフルズなど。
LORDOS NEUES(ロードスノイエス)
1992年発売。パッケージデザインはジョルジェット・ジウジアーロが手がけ、資生堂の男性用化粧品の中では最高価格のバブル景気末期らしい商品であった。3種類の香りのパヒュームコロンと10種類の無香料基礎化粧品(スキンケアとヘアケア)からなるラインナップであり、現行のSHISEIDO MENよりも更に高い価格設定(3000円 - 15000円)であった。2008年3月をもってSHISEIDO MENに移行する形で全商品生産終了。事実上のブランド閉鎖となった。同じく男性用のLORDOSとブランド名が類似するが、こちらは全種類に香料が含まれていることや、パッケージのデザイン、ラインナップの差異、容器の形状などが異なることから完全に別のブランドである。そのLORDOSは、1972年に資生堂創業100周年を記念して発売された。現在も生産されているロングセラー商品である。
TECH21(テック21)
1985年発売。資生堂商事(現エフティ資生堂)からの発売。平忠彦を起用したCMで大きな話題に(後述)。
Wing(ウィング)
1989年発売。コンビニエンスストア専用ブランド。初期のCMキャラクターは柳葉敏郎。現在コンビニ向け販売は、unoが引き継いでいる。
Gear(ギア)
1986年発売。若者向け男性化粧品。特徴的な製品としては男性用では珍しい剥がすパックやムースを体に塗布するとパチパチと弾けるソーダコロンなどをラインナップしていた。CMキャラクターに陣内孝則を起用し話題になった。サウンドロゴは「ガッガッガッとギア」。「男のギア」との表示もある。
Rupo(ルポ)
1988年発売。若者向け男性化粧品。上條淳士のイラストレーションが広告に使われた。
Aleph(アレフ)
1995年発売。若者向け男性化粧品。後継商品はuno
TRENDY(トレンディ)
1988年発売。資生堂商事からの発売。CMキャラクターはBARBEE BOYS
MG5 GALAC(エムジーファイブ・ギャラック)
MG5からの派生ブランド。容器のデザインがMG5の円筒状に対し、角柱状のボトルであった。1980年代に廃止。
BECAUSE(ビコーズ)
1984年発売。当時の新しい乳化技術である「非水ゲル乳化」をスキンケアラインに使用し、CMでも謳っていた。アロマコロジーを応用したオーデコロンの「サイキーコロン」は、落ち着いた香りの「静」(クール)・セクシーな香りの「誘」(エスコート)、スパイシーな香りの「喝」(リフレッシュ)の3種類があった。CMキャラクターは石原裕次郎小林薫
Neue Men's(ノイエメンズ)
CMキャラクターはGacktで、自身の曲も使用された。
薬用育毛エッセンス
ミニササニシキエキスを配合したエッセンスタイプの育毛剤。薬用不老林(初期)と併用する。
薬用育毛トニック
スプレータイプの育毛剤。フロンガス規制により販売終了。
BOLTY(ボルティ)
ヘアワックスやムース等の男性用整髪剤ブランド。2000年代初期に販売終了。

その他[編集]

BASALA(バサラ)
1993年にフランス資生堂(資生堂インターナショナルフランス)から発売され、スキンケアとヘアケア、バスライン、オードトワレ(香水)をラインナップしていた。TACTICS(タクティクス)同様に世界展開したブランドだが、BASALAは日本未発売のまま販売が終了した。

洗濯用洗剤[編集]

ミラクル
1960年代に発売されていた。ザ・ピーナッツによるCMソングも作成されていた。
ホワイトアップ
塩素系漂白剤。
イェス
1980年代に発売されていた、柔軟剤入り液体洗剤。

現在は洗濯洗剤事業から撤退。

歯磨[編集]

パール歯磨
エコー歯磨
MEDIC(メディック)
1980年代に展開していた歯磨剤ブランド。ヒノキチオール配合。
On-Air・On-Wave(オンエアー・オンウェーブ)
1980年代に展開していた歯ブラシ・歯磨剤・洗口液ブランド。仲村トオルを起用したCMも話題になった。

現在は歯磨事業から撤退。

清涼飲料水[編集]

DRINK PORT
1980年代 - 1990年代初期に展開していた清涼飲料水ブランド。化粧品店等の店頭に自動販売機が設置してあった。

現在は清涼飲料水部門から撤退。

生理用品[編集]

ナプロン
資生堂が最初に発売した生理用品(ナプキン)。
センターイン
ミュウ / メッシュ
センターインの前身。
ランジェリーシート
おりもの専用シート。後にセンターインにブランド編入。

現在は生理用品事業から撤退。ユニ・チャームに譲渡。

育児用品[編集]

ピンポンパンツ
赤ちゃんの成長に合わせた設計の紙おむつ。

資生堂グループ[編集]

  • 資生堂ジャパン - 日本国内における化粧品事業を行う。
  • 資生堂パーラー - 銀座を本店とする洋食・喫茶・高級洋菓子の老舗(1902年から)。
  • 資生堂薬品 - 資生堂の一般用医薬品や医薬部外品を製造する部門。医薬部外品は掛川工場で製造しているが、飲み薬はゼリア新薬工業に製造を委託。
  • 資生堂美容室
  • 資生堂フィティット - コスメニティ部門。資生堂コスメニティ。セルフ化粧品など一部の商品の発売元。
  • 資生堂ビューティーフーズ - 資生堂の美容食品や健康食品、美容飲料を製造販売する部門。
  • 資生堂アメニティグッズ - 主に旅館やスポーツクラブなどで利用される業務用化粧品を製造販売すると共に、ノベルティなども製造。
  • 資生堂プロフェッショナル - 主に美容室やエステティックなど、プロ専用の化粧品を製造販売すると共に、経営者向けのセミナーなどを実施。
  • 資生堂情報ネットワーク - 主に店頭で使われるスキンビジオムやフォーカス、コーナーポスの保守を行う。
  • 資生堂アステック - 主に資生堂の従業員の福利厚生を管理。資生堂内では「管理部」とも呼ばれる。
  • 資生堂ランニングクラブ
  • 資生堂ホネケーキ工業 - 主にせっけんを製造。
  • 資生堂医理科テクノロジー
  • 学校法人資生堂学園 - 資生堂美容技術専門学校
  • 公益財団法人資生堂社会福祉事業財団
  • 株式会社イプサ - 別会社化した化粧品会社。アウト・オブ・シセイドーとよばれる。
  • 株式会社ディシラ - 同上
  • 株式会社エテュセ - 同上
  • 株式会社アクス - 同上。発売ブランドはフリーソウルピカデリー、キリョウ。

過去のグループ企業[編集]

販売推進・広告活動[編集]

コラボレーション[編集]

2016年に、ももいろクローバーZのアルバム『AMARANTHUS』と『白金の夜明け』のジャケットにおいて、資生堂unoチームがヘア&メークディレクションを行った[25]

ポータルサイト[編集]

2014年ににおいの悩みを解決するための『デオ研(デオドラント研究所)』を開設した(2019年現在閉鎖)。

提供クレジット[編集]

一社提供の場合、提供クレジットに「提供」と付かず、単に「SHISEIDO」もしくはCIマークのみ表示する場合が多い(複数社提供の場合でも用いられた)。2016年頃から「CI→SHISEIDOロゴ」のアニメーションが流れ、"SHISEIDO, GINZA TOKYO"と英語の音声が付くようになった。

かつてのクレジットの文言は「東京・銀座 資生堂」だった。90年代初期には「ヒトを彩るサイエンス SHISEIDO」というクレジットも存在した。

特別番組[編集]

  • 2006年8月28日21時にTBS系(毎日放送制作)でCMづくりにかける製作者たちの2時間ドラマ「メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜」が放送されたが、資生堂の単独提供で、内容も資生堂のCM作りにかけた男たちの物語だった。CMのCMキャンペーンの一環でもあり(放送直前にCMの60秒バージョンが放送されている)資生堂とCMの関係の強さを表していた。この放送でのクレジットは「一瞬も、一生も、美しく SHISEIDO」で、これはこの番組を制作した毎日放送が同様に制作している「皇室アルバム」におけるスポンサースローガンと同じである(資生堂は現在の「皇室アルバム」のスポンサーでもある。東京のTBSでも資生堂の一社提供であったが、2009年4月時点では提供を降りている)。

スポンサー番組[編集]

※印は子会社のエフティ資生堂(旧資生堂ファイントイレタリー)の提供番組。
太字はベネフィークの提供番組。

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

  • 現在はなし。

かつて提供した番組[編集]

テレビ[編集]

BSデジタル民放5局の土曜23時台の番組のスポンサーになって話題を呼んだことがある。

ラジオ[編集]

現在のCMイメージキャラクター[編集]

代表的なCMソング[編集]

資生堂は1972年夏の竹越ひろ子「サマーブルー」以後、レコード会社とのタイアップでCMソングを売り出してきた[27]

2003年には、資生堂CMソング集『音椿〜the greatest hits of SHISEIDO〜白・紅盤』というCDが発売された[28]

CM集DVD[編集]

1961年から1999年まで放映された資生堂のテレビCMを収録したDVDが、エイベックスから発売された。

  • 資生堂のCM vol.1 1961-1979 - 2009年11月25日発売、79本収録
  • 資生堂のCM vol.2 1978-1999 - 2009年12月16日発売、88本収録

球場広告[編集]

1985年から1996年にかけて、後楽園球場東京ドームにフェンス広告を出していたことでも有名[注釈 12]。「MG5」「ギア」「アウスレーゼ」「不老林」「メンズムース」「ZEPHAR」等主に男性向け製品の広告が多かった。また、ジュニアオールスターゲーム(現・フレッシュオールスターゲーム)を資生堂がスポンサーを務めていた時代は、フェンスに「SHISEIDOジュニアオールスターゲーム」の広告が表示されていた。

モータースポーツへの参入(TECH21広告へのレーシングライダー起用)[編集]

TECH21カラー 1985年型 FZR750 鈴鹿8時間耐久レース仕様
世界2輪選手権GP500 日本グランプリ 1989年型 YZR500 TECH21特別カラー
TECH21カラー 1990年型 YZF750 鈴鹿8時間耐久レース仕様

1985年に資生堂は、新しい男性用化粧品としてTECH21を発売した。主たる販売ターゲットである若年層に訴求する為、イメージキャラクターとしてヤマハファクトリーチーム所属のレーシングライダー平忠彦を起用した。平は1982年公開の映画『汚れた英雄』で、主演の草刈正雄の代わりにレースシーンのスタントを担当したことでも知られる。1983年~1985年にかけて全日本ロードレース選手権500ccクラスの年間チャンピオンを3連覇した事で一般にも名前が認知されていたものの、モータースポーツ関係者を化粧品のキャラクターとして起用すること自体が、当時として異例の扱いであった。

資生堂は、TECH21のプロモーション活動を活発化し、新聞や雑誌等の媒体、テレビCMに及んだ。1985年より鈴鹿8時間耐久ロードレース(以下、鈴鹿8耐)に出走するヤマハワークス・チームのメインスポンサーとなり、TECH21のロゴFZR7501985年)とYZF750(1986年 - 1990年)の車体及びライディングスーツやスタッフウェアに展開した。1980年代半ばの日本のレースシーンにおいて、モータースポーツに全く関係のない異業種がレーシングチームをフルスポンサーすることが珍しく、原色ばかりの当時のレーシングマシンのカラーリングの中にあってこれまた異色の色のマシン、そしてイメージキャラクターである平の知名度も相まって、TECH21チームはレース関係者やレースファンのみならず、レースに関心の薄い一般の人々の注目をも集めることとなった。また、鈴鹿8耐において、サーキットにレースクイーンを擁したのも、TECH21が初めて行った。

サーキットを疾走する印象的な紫色を纏ったマシンとライダーである平が織り成すドラマティックとも悲劇的とも形容されるレース展開と内容は観る者を惹きつけ、その注目の度合いは参戦を重ねるとともに高まることとなった。そして資生堂のスポンサー開始から6年目の1990年、平とTECH21チームは遂に悲願の鈴鹿8耐優勝を達成し、この年をもって鈴鹿8耐における資生堂のスポンサーも終了した(TECH21チームとしては1987年にも優勝しているが、このとき平は怪我のために出走していない)。

資生堂の撤退以降もヤマハのワークス・チームは鈴鹿8耐においてゼッケン21を継続して使用しており、ゼッケン21は鈴鹿8耐におけるヤマハのエースナンバーとしてレースファンの間に定着している。また2019年、ヤマハはYZF-R1の販売開始から21周年となることと令和元年(R1)を記念して、資生堂の協力でTECH21カラーを復刻して鈴鹿8耐に臨むことを発表している[29]。尚、TECH21の各製品の復刻は、されていない。

資生堂TECH21限定車

薄紫に塗装された車輌の両サイドに黒文字で、資生堂とTECH21ロゴを配置したカラーリングである。ヤマハ発動機ワークス・チームのスポンサーカラーであるTECH21カラーは、1980年代後半に人気を博した為、排気量毎に幾種類かのモーターサイクルが、ヤマハ発動機から限定販売された。以下は、公式に発売されたモデルである。

  • FZ250-PHAZER(前期型)※50台限定
  • FZR250(前期型)
  • YSR50(前期型)
  • CHAMP-RS(50ccスクーター)※第1期と第2期が発売された。(各々異なるスポンサーカラーが2種類)
  • 1989年JOG-SPORTS EDITION(50ccスクーター)※パールホワイトベースに銀文字の塗色

鈴鹿8時間耐久ロードレースのプロモーション活動

  • 1985年 - 1990年に亘り、鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)に参戦するヤマハ発動機にスポンサードしていたチーム体制と決勝結果は、以下の通り。
  • 2019年(令和元年)R1誕生21周年に「ヤマハTECH21チーム」復刻カラーで、限定スポンサードを開始した。なお、資生堂から「TECH21」の関連商品の復刻発売は、今回見送られた。

1985年
チーム ヤマハ・TECH21チーム 決勝リタイヤ
ライダー 平忠彦/ケニー・ロバーツ
使用車両 TT-F1/FZR750

1986年
チーム SHISEIDO TECH21 レーシングチーム・ヤマハ 決勝リタイヤ
ライダー 平忠彦/クリスチャン・サロン
使用車両 TT-F1/YZF750

1987年
チーム SHISEIDO TECH21 レーシングチーム・ヤマハ 決勝優勝
ライダー マーチン・ウイマー/ケビン・マギー
使用車両 TT-F1/YZF750(片持ちスイングアーム仕様)

1988年
チーム SHISEIDO TECH21 レーシングチーム・ヤマハ 決勝リタイヤ
ライダー 平忠彦/マイケル・ドゥーハン
使用車両 TT-F1/YZF750

1989年
チーム SHISEIDO TECH21 レーシングチーム・ヤマハ 決勝リタイヤ
ライダー 平忠彦/ジョン・コシンスキー
使用車両 TT-F1/YZF750

1990年
チーム SHISEIDO TECH21 レーシングチーム・ヤマハ 決勝優勝
ライダー 平忠彦/エディー・ローソン
使用車両 TT-F1/YZF750

2019年
チーム ヤマハ・ファクトリーレーシングチーム 決勝準優勝
ライダー 中須賀克行/アレックス・ローズ
使用車両 SBK/YZF-R1

資生堂ランニングクラブ[編集]

資生堂は女子陸上競技部を持っており、「資生堂ランニングクラブ」(以下、資生堂RC)と称している。全日本実業団対抗女子駅伝クイーンズ駅伝)は2006年・2022年に優勝。以下、2024年1月現在の主な選手・スタッフ等を記載。「Category:資生堂ランニングクラブの人物」も参照。詳細については 公式HP 参照。

主な指導者[編集]

主な所属選手[編集]

主な元所属部員・指導者[編集]

移籍選手[編集]

下記選手は2007年4月1日をもってセカンドウィンドAC(現・SWAC)へ移籍(なお加納由理も下記3名と共に移籍したが、上述のように現役中に資生堂に復帰)。

不祥事・裁判[編集]

侮辱的CM[編集]

2005年、新しい発毛促進剤「薬用アデノゲン」の発売に向け、2004年12月に30〜59歳の男性1,550人に対してネット上で意識調査を実施し、集まったデータをもとに『薄毛はあなた一人の問題ではありません、子孫も迷惑です。』といった内容をホームページ上に掲載した。「薄毛の人は部長どまり?」、「偉くなるのは薄毛じゃない人」など、薄毛で悩んでいる人を侮辱するかの内容に対し、抗議が殺到した。同商品をめぐっては発売直後の4月に、テレビCMが横尾忠則の作品と類似しているとの指摘を受け、放送を中止したトラブルもあった[32]

女性蔑視的CM[編集]

2016年10月の「インテグレート」のCMで、仕事をがんばって疲れた顔の女性に対して、男性上司が「顔に出ているうちはプロじゃない」と窘める表現があったが、それが女性蔑視に当たるとして批判されたことを受け、謝罪、公式サイトからの即時公開停止、テレビCMの順次中止の措置をとった[33]

裁判[編集]

店頭で商品の説明をする「対面販売」を守らなかったことを理由に特約店契約を解除され、資生堂化粧品の出荷を停止された小売業「冨士喜本店」(東京都台東区)が「対面販売の義務付けは値引き販売の防止が狙いであり、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)に違反している」などとして、訴訟を起こした。

  • 1991年 「対面販売」をしないのは契約違反として契約を解除された東京の冨士喜本店が「(対面販売を義務付けるのは)価格拘束をするためのもので違法。」とし、資生堂東京販売を提訴した。
  • 1993年 東京地裁の判決は冨士喜本店勝訴。さらに同年、今度は千葉の河内屋もほぼ同様な理由で契約を解除されたため資生堂を公正取引委員会に申告した。
  • 1994年 冨士喜訴訟の控訴審判決は資生堂勝訴となった。訴訟で敗訴した冨士喜本店は上告した。
  • 1995年 公正取引委員会は価格拘束の疑いがあるとして資生堂に排除勧告を行った。資生堂は排除勧告を受けいれた。その流れで価格の乱れを防ぐため、化粧品専門店だけの限定ブランド(ベネフィーク)を発売した。
  • 1996年4月1日 化粧品の再販撤廃。
  • 1998年12月18日 最高裁は同訴訟でのメーカー側勝訴を確定した。判決で金谷利広裁判長は「対面販売は顧客の信頼保持など合理的な理由があり、独占禁止法に反しない。」との初判断を示して、冨士喜本店の逆転敗訴とした二審判決を支持、同社の上告を棄却した。

裁判では「価格拘束をするのは違法だが、カウンセリング契約は合法。」という判断になり、その結果、2006年から発売された「マキアージュ」や「エリクシールシュペリエル」などのメガブランド戦略を実施するにあたって、大前提の価格拘束(維持)につながっている。

アトリエマサ[編集]

  • マサ大竹(まさおおたけ) 本名:大竹 政義(おおたけまさよし)MASA代表他、資生堂ビューティークリエーション研究所長、資生堂美容室(株)取締役副社長、SABFA校長、日本ヘアデザイン協会副理事長、I.C.D.JAPAN理事。
  • 資生堂全ブランドメーキャップのイメージやソフト情報を統括すると同時に、自らも各種メディア、ファッションコレクションショーなどの幅広い分野でヘア・メーキャップのクリエーション活動を行っている。
  • ニューヨークカーネギーホールでのビューティークリエイティブショーをはじめとし、美容セミナー等のトータルビューティープレゼンテーション活動を国内外で意欲的に行っている。
  • 1987年 国際的に多くの功績があったとしてイタリア美容協会より「ランボー賞」を受賞
  • 1996年 世界美容家協会(I.C.D)世界大会において、I.C.Dシュバリエ(ナイト)賞を受賞
  • 2008年 黄綬褒章を受章
  • 国内では毎年、資生堂ZOTOSゾートスヘアコングレスを大規模なショーとして開催している。

その他[編集]

動物実験[編集]

EUでは既に化粧品の動物実験は全面禁止となっているが、EU域外で動物実験した化粧品の販売の禁止は2013年3月からである。そのために資生堂では長年にわたって化粧品の原料の動物実験をおこなってきた。しかし、先ずは2011年3月までに自社での動物実験をやめ、禁止となる2013年3月までには外注を含めて動物実験の全廃を目指すこととなった。これにより、動物実験をした化粧品の販売が規制されている欧州マーケットや、動物愛護運動の強い欧米マーケットでの企業イメージの向上を狙う。化粧品の場合、大手化粧品会社ではウサギなどを利用して皮膚の刺激性試験などが行われている [34]

役員報酬の個別開示[編集]

2010年6月3日、「年1億円以上の報酬を受ける役員」の報酬額を開示した。開示が義務化されて以降、株主総会の前に個別開示した企業は資生堂が初めて。1億円を超えるのはカーステン・フィッシャー<略歴>専務(1億4,100万円)、前田新造社長(1億2,100万円)のみであったが、「代表取締役という職務の重要性から」(1億円を下回るが)岩田喜美枝副社長(6,600万円)も開示された。また、3氏を含む全役員15人の総額は6億2,100万円であり、残りの役員13人は総額で2億9,300円となる。資生堂では役員報酬は、固定部分が40%程度、業績連動部分(業績目標の達成度や株価により変動)が60%程度からなる[35][36][37]

基本報酬 賞与 ストックオプション 合計
代表取締役 前田新造 4,900万円 3,500万円 3,600万円 1億2,100万円
代表取締役 岩田喜美枝 3,700万円 1,800万円 1,000万円 6,600万円
取締役 カーステン・フィッシャー<略歴> 7,700万円 5,000万円 1,300万円 1億4,100万円

ゲーム[編集]

資生堂ビューティソリューション開発センター監修 プロジェクトビューティ』は2008年11月27日セガから発売された、ニンテンドーDS用ゲームソフト。

ギャラリー[編集]

資料文献[編集]

  • 『創ってきたもの伝えてゆくもの 資生堂文化の一二〇年』資生堂企業文化部編、資生堂、1993年2月
  • 『資生堂百五十年史』「通史」「アーカイブ編」の2分冊、資生堂(非売品)、2023年9月

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 資生堂は2009年3月に、化粧品業界初の「エコ・ファースト企業」として認定され、全社員をメンバーとする環境プロジェクト「資生堂アースケアプロジェクト」を開始し、植林・保全活動をはじめさまざまな側面から環境活動に取り組んでいる。
  2. ^ 後継はジャパネットたかたによる90秒のテレビショッピング枠に。
  3. ^ 後継はコカ・コーラの60秒枠に。
  4. ^ 後継は不定枠1社を設けて対応している。
  5. ^ 番組タイトルとテーマ曲のリニューアルに伴うもの。
  6. ^ なお、番組テーマ曲は更にその後リニューアルし、2023年4月8日より現在は3代目テーマ曲(Vaundyが歌唱)となっている。
  7. ^ 後継は「イチから住 〜前略、移住しました〜」の終了に伴い移動してきたJR東日本が移動。
  8. ^ 本来のセールス枠は「10万円でできるかな」だが、実際のセールスは「帰れマンデー見っけ隊!!」の延長拡大版か「Qさま!!」のスペシャルか「10万円でできるかな」スペシャルのいずれかで流されていた。極稀に「○○総選挙SP」に流されたケースもあった。
  9. ^ 後継は別番組から移動の同業他社が移動(詳細は未詳)。
  10. ^ 1989年10月から1992年9月まで提供。その後P&GPOLAに交代。
  11. ^ 同業者のP&Gも提供、後に同業者の小林製薬の提供。
  12. ^ 後楽園球場時代の1981年から1984年までは興亜火災になっていたこともあった。

出典[編集]

  1. ^ コーポレートガバナンス - 株式会社資生堂
  2. ^ a b c d e f g h i j 株式会社資生堂 第121期 有価証券報告書”. EDINET (2021年3月25日). 2021年10月9日閲覧。
  3. ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
  4. ^ 「TOPIXニューインデックスシリーズ」の定期選定結果及び構成銘柄一覧 (PDF) jpx.co.jp 2020年10月7日公表 2021年10月8日閲覧。
  5. ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、404頁。ISBN 4-309-22361-3 
  6. ^ 講演会解散命令に憤慨し銀座で大暴れ『東京朝日新聞』大正15年2月1日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p193 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  7. ^ パーマネント追放で資生堂美容部が廃業『毎日新聞』昭和18年1月29日東京版(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p319 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  8. ^ MGH/ハーバード大学皮膚科学研究所MGH
  9. ^ 「オペリード 0.5眼粘弾剤1% / オペリード 0.6眼粘弾剤1% / オペリード1.1眼粘弾剤1%」添付文書(2009年7月改訂)
  10. ^ 「オペリードHV0.85 眼粘弾剤1%」添付文書(2009年7月改訂)
  11. ^ 「カサールクリーム3%」添付文書(2009年12月改訂)
  12. ^ NPO法人 女性の健康とメノポーズを考える会
  13. ^ 肌にぬるジェル状のHRT(エストロゲン製剤)が発売になりました NPO法人 女性の健康とメノポーズを考える会
  14. ^ 毎日新聞 2011年3月10日
  15. ^ カリタブランドおよびデクレオールブランドの譲渡に関するお知らせ
  16. ^ Ltd, Shiseido Co. “資生堂、革新的なプレステージ・スキンケアブランド「DRUNK ELEPHANT™」を取得 | ニュースリリース 詳細 | 資生堂グループ企業情報サイト”. ニュースリリース | 資生堂グループ企業情報サイト. 2021年4月29日閲覧。
  17. ^ 米国 Drunk Elephant Holdings, LLC買収手続き完了のお知らせ”. 株式会社資生堂. 2021年4月29日閲覧。
  18. ^ a b Ltd, Shiseido Co. “パーソナルケア事業譲渡に伴う会社分割(簡易吸収分割)等に関するお知らせ | ニュースリリース 詳細 | 資生堂グループ企業情報サイト”. ニュースリリース | 資生堂グループ企業情報サイト. 2021年4月29日閲覧。
  19. ^ DOLCE&GABBANA S.R.L.とのライセンス契約解消のお知らせ”. 株式会社資生堂. 2021年4月29日閲覧。
  20. ^ 資生堂が譲渡したパーソナルケア事業、新会社の名称が「ファイントゥデイ資生堂」に決定 FASHIONSNAP.COM 2021年6月17日
  21. ^ 化粧品メーカー「資生堂」がクリエイティブに特化した「資生堂クリエイティブ株式会社」の設立を発表!”. Saiga NAK. 2022年1月24日閲覧。
  22. ^ プロフェッショナル事業譲渡に関するお知らせ~独ヘンケル社と協力し同事業のさらなる成長を目指す~”. 株式会社資生堂. 2022年2月23日閲覧。
  23. ^ ヘンケル、資生堂のアジア太平洋地域におけるプロフェッショナル ヘアビジネスを買収”. ヘンケルジャパン株式会社. 2022年2月23日閲覧。
  24. ^ Ltd, Shiseido Co. “指名委員会等設置会社への移行および収益性向上に向けた経営改革について | ニュースリリース 詳細 | 資生堂グループ企業情報サイト”. ニュースリリース | 資生堂グループ企業情報サイト. 2024年1月2日閲覧。
  25. ^ 「資生堂 uno(ウーノ)」Facebook 2016年1月26日
  26. ^ 「おしゃれカンケイ」3月終了 古舘「報道ステーション」専念、『スポーツ報知』2005年1月15日付
  27. ^ 懐かしい!資生堂CMソングがコンピCDに100曲以上の中から厳選34曲 ZAKZAK、2003年6月27日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  28. ^ 資生堂CMソング集『音椿〜the greatest hits of SHISEIDO〜白・紅盤』発売! - CDJournal.com、2003年8月28日
  29. ^ ヤマハが鈴鹿8耐参戦体制を発表、目標は220周…TECH21カラー復刻[写真追加]”. Response (2019年5月22日). 2019年6月27日閲覧。
  30. ^ 陸上で五輪出場 高島選手を激励 県や防府市長”. 山口新聞 (2016年7月2日). 2016年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月13日閲覧。
  31. ^ “Yahoo!ニュース【陸上】五島莉乃31分10秒02!日本歴代6位タイで4人目の世界選手権標準突破 駅伝で新谷抑え区間賞”. 月刊陸上競技部. https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/53534 2021年12月15日閲覧。 
  32. ^ <資生堂>HPに「薄毛は子孫も迷惑」 抗議殺到、おわび、エキサイトニュース(毎日新聞)、2005年5月12日。(インターネットアーカイブ
  33. ^ 「炎上CM」を広告業界がやめられない明快な理由”. 東洋経済オンライン (2019年5月28日). 2020年9月22日閲覧。
  34. ^ 資生堂、動物実験廃止へ…欧米に配慮 - 読売新聞 2010年5月29日
  35. ^ 資生堂、個別役員報酬を開示 前田社長は1億2100万円 - 日本経済新聞 2010年6月3日
  36. ^ 資生堂:社長ら3役員の報酬額を開示 株主総会前に - 毎日jp(毎日新聞) - 毎日新聞 2010年6月3日
  37. ^ 資生堂、社長報酬は1億2100万円 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - 読売新聞 2010年6月3日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]