近親相姦
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近親相姦(きんしんそうかん)、近親姦(きんしんかん)[注釈 1]は、近い親族関係にある者同士による性的行為である。
概要
[編集]日本語辞書や文学などの分野では近親相姦という用語が用いられることが多い。英語では近親族の関係にある者によるセックスをインセスト(incest)と言う。近親相姦が相互に同意する2人の成人の間でされる場合のみを意味する言葉として、同意近親相姦(Consanguinamory)という表現がある[3]
近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされ、この現象のことをインセスト・タブーと呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれている。日本では未成年者に手を出した場合は年上側が合意があっても処罰対象[注釈 2]となるが、成人同士の合意のある近親相姦は、同性愛と同じで処罰対象にはなっていないものの結婚は認められてはいない。しかし、同性愛の異端化・刑事罰を廃止したキリスト教圏の内、同性婚の導入がされている西欧では、成人している兄弟姉妹など親族間の近親相姦だけでなく、「当人らが成人かつ相互に愛しあっている場合」は、近親婚という法的関係もかつて同じように異端として処罰対象としていたが合法化された同性愛のように認めるべきとの議論が起きている[いつ?][3]。ドイツ連邦共和国では近親相姦を罰する禁止法があるが、相互に愛しあっている二人を処罰する制度は廃止すべきとの議論が起きている[いつ?][4][3]。
なお、近い親族関係にある者による婚姻のことは近親婚と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては、近親相姦罪の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。下側の年齢次第では、臨床心理学などの分野で児童虐待問題で扱われる。この場合は近親姦(きんしんかん)と呼ばれることも多い。
19世紀後半から20世紀初頭の児童救済運動以降、1930年代から1960年代の精神分析の時代には、身近な性暴力である近親相姦は隠蔽される傾向にあった[5]。心理学者・精神科医のジークムント・フロイトのエディプス・コンプレックス論は、近親姦経験の訴えを「異性親に向けた子どもの無意識の性的幻想」とみなし、この考えは1960年代までアメリカの精神医療・児童福祉分野で影響力を持ち続け、近親相姦の隠蔽に一役買った[5]。
こうした状況が変わったのは、1970年代に始まるフェミニズムの時代で、1971年4月にニューヨーク市で、児童虐待防止分野の伝説的な団体であるニューヨーク児童虐待防止協会に勤めるソーシャルワーカーのフローレンス・ラッシュらニューヨーク・ラディカル・フェミニストのメンバーがレイプ抗議集会を開き、ラッシュは、「児童への性犯罪は異常な変質者が行う犯罪などではなく、教師やボーイフレンド、親族、父親など身近な人物、それも権力関係上優位な立場にある人物の犯行であることが大半である」という現場事例紹介を行い、これは評判を呼んだ[5]。この告発をきっかけに、ラッシュ『秘密にしておくのが一番(The Best Kept Secret)』(1976年)、S・バトラー(Sandra Butler)『沈黙の共謀( Conspiracy of Silence)』(1978年)、精神科医ジュディス・ハーマン『父-娘 近親姦(Father-daughter Incest)』(1981年)、社会学者ダイアナ・ラッセル『シークレット・トラウマ(The Secret Trauma)』(1986年)など、性的虐待の構造的な不可視性を訴える著作が次々と出版され、この頃に「性的虐待の隠蔽から発見へ」と時代が転換した[5]。
歴史
[編集]先史時代
[編集]2010年にロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析した結果、両親は近親者同士であることが判明した。半血兄弟または叔父と姪などの関係であると見られ、当時の人類は集団が小さいため近親での交配が一般的であったことが指摘された[6]。ネアンデルタール人はアフリカにいた人類と混血し、ヨーロッパ人や東アジア人などの先祖になったとされるが、彼らのネアンデルタール人由来と見られるDNAは弱い負の自然淘汰を受け続けているとされる。アダム・ラザフォードは、ネアンデルタール人の繁殖集団が小規模だったのが、自然淘汰上今でも不利に働いているのではないかと指摘している[7]。
ルイス・ヘンリー・モルガンは、北米先住民のイロコイ族やオジブワ族が、父と父の兄弟、母と母の姉妹、兄弟姉妹の子供は全て自分の子供と同じ親族名称で呼んでいることから、本人が兄弟たちの妻や自分の姉妹たちとの間に子をつくっても自分の子供と区別がつかない、として、原始乱婚制、つまり兄妹姉弟間に近親相姦があった、という仮説を立てたが、批判も浴びた。
古代 - 1000年
[編集]カムチャツカ人王室、またシャム・ポリネシア・インドシナでは一般的に兄妹姉弟間の結婚が認められていた[8]。バギルミー、ビルマの王家、ワンゴロ人やゴアムにおいても兄妹婚は珍しくなかった。インドネシアのバドウィス族は数百年来近親相姦のみによって存続している[9]。
王家の兄妹婚は、タイ、エラム王国、セイロン島のシンハレーズ族、フェニキア人、カリア人、ヨーロッパのジョルジァ、イベリア人、アフリカのカナリア諸島のガウンチ族、ウルア族、オロモ人、バガンダ王国、バニョロ王国、バヒマ王国、メロエ王国、モノモタバ王国、オセアニアのマルケサス、コロンビアでも行われていた[10]。
アルメニア王国ではアルタクシアス朝のティグラネス四世は妹のエラトーと結婚した。近親婚はアルメニア人の間で根強く広まっていたようで、アルメニア使徒教会(合性論派キリスト教)が普及した後も変わらなかった[11]。
エフタルの祭司階級がエフタル滅亡後にインド西北部に土着した集団といわれる「ガンダーラ・ブラーフマナ」は兄弟姉妹間で性交する習慣があったという[12]。 タタール人は自分の娘と結婚ができ、アッシリア人はセミラミスに対する宗教的尊敬から自分の母親と結婚した[13]。
カンボジア地域の上層階級において父と娘、兄と妹が結婚する慣行があることが指摘されており、ギリシアの作家達は一般的にほとんど全ての外国民族にこの慣行があったと述べている[14]。
父親を同じくする兄妹・姉弟間の結婚は、アラビア人、イスラム教を奉ずる南方スラブ人の間に見出される[15]。
アケメネス朝ペルシアの王カンビュセス2世、両親を同じくする妹である下の妹ロクサーナと上の妹アトッサと結婚した。最近親婚(フヴァエトヴァダタ)を善行とするゾロアスター教において、この結婚は現在確認できる最初の王家による最近親婚であった[16]。
アラビア湾岸地帯では母親と交わる慣習が存在した[18]。マーシャル諸島や古代アイルランドでは兄弟姉妹間の結婚、ソロモン諸島では父娘間の結婚が認められている[19]。
エジプト
[編集]
古代エジプトでは、皇位継承権は第一皇女にあったが、実質的な君主(ファラオ)は第一皇女の夫であり、古代エジプトの王家で見られた兄妹・姉弟間の婚姻は、本来女系皇族が継承する皇位を、男系皇族が実質的に継承する機能を果たしていたという説がある。例えば、クフの息子であるジェドエフラーは、兄のカワブの死後、その妻でクフの娘のヘテプヘレス2世と結婚し君主になったとされる[20]。ただし、大城道則は、王の娘に王位継承権があるとか言うのは2013年時点で過去の説だと述べている[21]。
エジプトにおいては上の階級だけではなく、下の階級もこれに倣ったので、あらゆる階級の人々の間で近親婚が行われていた[22]。全体の内訳としては、ローマ期エジプトの時点で121組の夫婦の内、20組が全血の兄妹婚、4組が半血の兄妹婚、2組がいとこ婚、95組が非血縁者婚だった。ローマ期エジプトには、8人の子が生存している多産な兄妹夫婦もいたことが判明している[23]。また、山内昶 (1996) は2世紀のエジプトの話として記録された婚姻の20%(113例中23例)がキョウダイ婚とされる事実を引用する[24]。
イスラエル・ユダヤ
[編集]ヘブライでは、異母兄妹同士の結婚は許されており、ネルデケは妹のことを花嫁と呼ぶ恋愛詩を紹介している[25]。
中国
[編集]中国では、春秋時代の斉の襄公とその異母妹文姜の事例がある[26]。徐送迎 (2001) は、兄妹の性関係について父権制社会においては夫を持ちながら兄と通じることになりかねないため嫌われたものの、母系制社会においては特に嫌う理由がなく残存していたのではと考え、春秋時代の斉で長女が嫁に行かず家を守るという風習は母系制社会の影響があるのではないかと指摘し、君主の襄公が異母妹である文姜と通じたという話は、単に古代中国が東夷と呼んでいた民族において兄妹での性関係が垣間見られたため地元に土着した君主がその風習に合わせただけだろうと指摘している[26]。
日本
[編集]ただし古代に異世代は考えられず、他氏族との世代数との乖離もあるため、実際には鸕鶿草葺不合尊と神武天皇は異母兄弟で、記紀の系譜は原典が改変されたものであるとする論もある[27][信頼性要検証] 。
11世紀 - 19世紀
[編集]インカ帝国においては、インカ王家の始祖であるマンコ・カパックの婚姻形式を模倣し、皇族の純血性を守ろうとする考えから近親婚が行われ続けた。マンコ・カパックは、財産相続を巡る争いを防止し、神の子孫である一族の血の純潔を保つため王位継承者は常に一番年長の姉妹と結婚するようにとの命令を下した[25]。
ハワイでは王家にのみ許される特権として近親婚が容認されるだけではなく、奨励されており、カメハメハ3世は実の妹ナヒエナエナ王妃と通じていた[28]。古代ハワイの最も位が高い族長が姉か妹と結婚して産まれた息子は高貴な存在と見なされ、その前では誰もがひれ伏さなければならなかった。族長が腹違いの姉か妹と結婚して産まれた息子の場合は威光はさほどでもなく、その前では座るだけでよかった[29]。ハワイにおける兄妹・姉弟間の婚姻はピオ婚と呼ばれている[30]。ニューギニアのキワイ族は父娘間の結婚が認められ、マレー群島やミナハッサ地方では親子、兄妹・姉弟の結婚が行われた[31]。
西アフリカのダホメの王家では兄妹・姉弟間での結婚、ムブティ族では母と息子間での結婚が行われていた[17][32]。
アザンデ族では貴紳家族などで近親相姦が歓迎される傾向が存在し、ドブ族では父親が死んだ場合は母親と息子の間での近親相姦がそれほど珍しいものではなかった。トンガでは力量を持ったハンターが大きな狩猟の準備の際に自分の娘と性交渉を持つことがあった[33]。マダガスカルでは主長や王は、姉妹と結婚することができる[34]。マダガスカルのアンタムバホアカ族は、兄妹・姉弟の結婚は幸福の基であると信じる[35]。
日本
[編集]明治の初めごろ、大阪府の河内や和泉で伯父と姪の結婚がおりおりあって、それをサシアタリと呼んでいた。岩手県などの東北地方でも伯父と姪の夫婦の実例が見られ、盛岡市付近では、実の父と娘の性関係をイモノコと呼んでいる[36]。
ヨーロッパ
[編集]ヨーロッパの大貴族であったハプスブルク家は血縁が近い者同士でしばしば結婚を行っていたが、病弱な子供が生まれたりもしていた。
フランスでは18世紀に入りあらゆる価値が相対化し、自由思想家の主張した精神の開放が体系化され、思想においてもマルキ・ド・サドなど家族間の性愛を称揚する動きも生まれたのだが、この時代のフランスのインセストは「哲学の罪」と言われ、一部の特権階級、すなわち神話やかつての王族に見られるインセストの特権意識を模倣したものであった[37]。
20世紀以降
[編集]1968年に発足した世界100カ国で展開するキリスト教福音派の宗教組織ファミリー・インターナショナルは、「近親相姦は神によって禁じられていない」という認識を示し、共同体内で近親相姦が行われた[38][39]。
1968年、日本では父親に子供時代から長期に渡る近親姦をされ続け子供を産まされるなどしていた娘が、父親を殺害する尊属殺重罰規定違憲判決が起こる。1973年4月4日に最高裁判所において、刑法第200条(尊属殺重罰規定・法定刑は死刑か無期懲役だった)が日本国憲法第14条で規定された「法の下の平等」に違反し違法であるとの憲法判断が示されたことで適用される刑の変更が行われ、執行猶予付判決となった[40]。
1975年、エスキモー、アメリカ・インディアンのティンネ族、ジャバのカラン族、セレベス島のミナハッサ族、ニューカレドニアの原住民、アフリカのバンジョロ族では母と息子の結婚が行われておりセレベス島のミナハッサ族、ビルマのカレン族、ソロモン諸島、マーシャル諸島、ペレウ諸島の原住民では父と娘の結婚が行われている。また、ミクロネシアの一部、マーシャル諸島、ハワイでは兄妹結婚または姉弟結婚が行われている[41]。トロブリアンド諸島にも兄妹相姦の実例が複数ある[42]。
法律
[編集]精神医学と人間心理
[編集]ジークムント・フロイトが自ら初期の誘惑理論を放棄した後、精神医学、精神分析学、心理学の分野では1980年代に入るまでほとんどの近親姦の話は子供時代の幻想に過ぎないと主張されていたが、その後は大量の文献が発表されている[43]。秋月菜央は、性被害の精神的影響の研究に消極的な精神科医が多い理由として、精神科医自体がインセスト・タブーの影響下にある可能性を指摘している[44]。
スーザン・フォワードは社会には恐らく近親相姦嫌悪を原因とした、近親相姦についてのさまざまな誤解が存在していることを指摘しており、例えば、近親相姦というものはめったに存在しない、あるいは貧困家庭や低教育層や過疎地で起こるものだ、近親相姦を行うものは社会的にも性的にも逸脱した変質者だなどといった誤解を例に挙げており、また性的に満たされない人間が行うと考えられることもあるが、実際は支配欲などが主な動機と考えられており、たとえ最終的に性欲をも満たそうとすることはあっても行為のきっかけにはなりにくいとも述べている[45]。
スーザン・フォワードは、心理学上は近親相姦とは近親者における接触性の性的行為全てを指し、接触のない近親者による性的行動は近親相姦的行為とされるとし、親子のスキンシップなど必要とされる接触行為も存在すると述べた上で、どのような行為が近親相姦行為か否かに関しての区分は、一般にそれを秘密にしなくてはならないかどうかであるとする[46]。
近親相姦の記憶について研究を行ったジュディス・ハーマンは、記憶の断片化や喪失が見られるとして多重人格障害とは自らが提唱した複雑性PTSDの一種であると論じた[47]。この複雑性PTSDは世界保健機関が2019年5月に改訂した疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11版で、正式に疾患として認められることとなった。ただし、和田秀樹は近親相姦や性的虐待の被害者が多重人格の人にも多いとはいえ、本来トラウマの後遺症に関する研究は多重人格の研究とは別物だと語っている[48]。<
精神的行為
[編集]たとえ実際に明らかな近親姦もしくは近親姦的行為がなくても、親子間において似たような破壊的力動が起こることもあると主張する研究者がいる。それは情緒的近親姦(じょうちょてききんしんかん、Emotional Incest)と言われる概念である。単に娘が父親と高校三年生まで一緒に入浴していたというだけでも、セクシュアル・アビュースと同様の影響が娘に見られた場合もあると速水由紀子は論ずる[49]。子供との関係が養育から近親姦的な愛への境界線を越えるのは、それが子供の欲求を満たすためではなく、親の欲求を満たすためのものになった時であるというが、このような場合は親は意識レベルでは子供を性的に裏切っていることに気づかない場合も多い[50]。この概念を用いる際は、近親姦は「明白な近親姦」と言われる。
息子に対して誘惑的な行動をとる母親の存在はよく指摘されてはいるものの、父親によるものと違い母親による誘惑行為が近親姦的な意図による虐待行為とみなされることは少ない。精神分析家の多くはかつては母親との情緒的癒着によってゲイになるのだろうと言っていたが、現在はゲイだから母親に誘惑されたという解釈も出てきている。この解釈ではゲイの場合母親が子供から得られると思っていたロマンティックな感じが得られないため、無理矢理に母親が誘惑するのであるという[51]。
精神分析学
[編集]
精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトは子供に近親相姦願望があると考え、自身の主張をギリシア悲劇の一つ『オイディプス王』になぞらえ、エディプスコンプレックスと呼んだ。彼の主張によれば男児の自我は初め最も身近な存在である母親を自己のものにしようとする欲望を抱くが、自我の発達がさらに進展すると男児は母親の所有において父親は競争相手であるという認識をいだき、この際に父親に去勢される可能性から近親相姦的欲望は抑制され、その結果として父親に同一化していた自我の成分が無意識下に導入され「超自我」となり、それが自我の発達に重要な関与をもたらすという。フロイトは母親と幼児の関係は授乳等の関係において性的な意味合いを帯びると考えた[52]。フロイトはあらゆる欲動は結局は死の欲動であると論じたが、向井雅明の解説によれば、これは死の欲動の対象となるdas Dingすなわち無が形態を持たないため、母子関係における乳房等がその具体的対象として想定されているのだという[53]。フロイトはエディプス・コンプレックスの脱性化による超自我の形成という現象は、イマヌエル・カントのいう定言命法に通じるものがあると述べていた[54]。
だが、この理論は父権制社会を前提としたものであるため、ブロニスワフ・マリノフスキの「母権性社会」の話からすると普遍的な話とは考えにくいとの批判がある。ブロニスワフ・マリノフスキは、エディプスコンプレックスはアーリアン語族の言語を用いている社会の家族像を前提にしていると指摘する[55]。ただ、これに関しては当初から批判があり、だからこそ一時はフロイトを支持していたアルフレッド・アドラーもカール・グスタフ・ユングも結局はフロイトから離反したのである。アドラーはエディプスコンプレックスは一部の人にしか見られないと主張したが、岸見一郎はアドラーは母親よりも父親と仲が良かったのだと論じている[56]。また、フロイトもユングも近親相姦の話を神話的と捉えたが、フロイトは近親相姦ファンタジーの処理がうまくいっていないことが問題を引き起こすと考えた一方で、ユングは近親相姦の話はより普遍的なものであり現実的問題はそれ以外の個人的なものに由来するとしたように問題の本質についての思想の差異も存在した[57]。元型心理学派のパトリシア・ベリィによると、近親相姦は人間にとって元型的な領域への扉を開くものである[58]。一方、フロイトからしてみれば、神話というのは過去に実際にあった事件が歪曲され虚構化されたものであり、だからこそ古代人には実際に近親相姦願望があったのだということを何とかして立証しようとしたのである[59]。フロイトは論文「抑圧」で、狼に対する動物恐怖症の実例について、それは父親に対するリビドー的態度の表象の代替として生まれたものなのではないかと分析した[60]。

ジャック・ラカンのように神話的構成自体に我慢がならず、エディプスコンプレックスを言語理論として捉えなおそうとした研究者もいる[61]。ラカンは、エディプスコンプレックスとは、当初は母と子と想像的ファルス(φ)の想像的三角形が存在するところに父親が出現し去勢(-φ)が起こり、父、母、子と象徴的ファルス(Φ)の四項からなる構造になることを言うとした[62]。しかし、1972年から1980年までの後期ラカンのセミネールでは、エディプスコンプレックス理論は、現実界・象徴界・想像界の三界がボロメオの結び目のような構造になっていることを指すものになっていった[63]。ラカンは、性的袋小路を生み出す構造的不可能を合理化するために生み出された、虚構としての家庭における抑制に関する記憶は、想像されたものとして片付けられるものではなく、現実界によって保障されたものなのだと論じた[64]。メラニー・クラインは、超自我が抑制しようとしているのは本来は近親姦的欲望に伴う破壊的欲動であって、結果としてリビドー的欲動も抑制されるというに過ぎないのではないかと主張した[65]。また、エディプスコンプレックス理論はエドワード・ウェスターマークの身近な相手に性的欲望を持つことは少ないという「ウェスターマーク効果」の理論とも衝突しうる。フロイト自身はこの主張に対して、自然に近親相姦が防げるというのであればなぜ法律などで規制が行われなければならないのかと『精神分析入門』で疑問を投げかけていた[66]。また、近親者への性的願望論が正しいとしても、実際の事件での近親相姦の事実そのものが幻想になるわけではないと、アンドリュー・ヴァクスは自らの小説『赤毛のストレーガ』の一エピソードとして挙げている[67]。もっとも、フロイト自身も近親者による誘惑は実際には存在しないということを前提にして考えるべきではないと呼びかけてはいた[68]。
人文学でもフロイトの考えは一般的に受け入れられているわけでなく、様々な批判がある[69][70][71]。
なお、オイディプスの理論は神経症において発見されたものなのだが、分裂症においても似たような事例があり、1924年にソジーの錯覚で両親を別人と認識する事例として報告された、父親への性的欲望と母親に対する敵意を感じる分裂症の女性の事例は、精神病は現実との断絶なのだというフロイトの理論を支持するものとなった[72][73]。フロイトは近親相姦願望に基づく出来事による心的外傷は遺伝すると考えていた[74]。
被害証言の信憑性
[編集]1990年代のアメリカ合衆国において、近親者から性的虐待を受けたという訴えについて、今まで抑圧されていた記憶が回復したものだと主張する心理療法家と、そのような記憶の信憑性を疑う記憶心理学者との間で意見対立が発生したことがある[75]。加瀬俊一は、児童心理学において幼い少年の証言を誘導することは簡単らしいことについて触れた上で、ルイ17世が母親であるマリー・アントワネットと近親相姦をしたという証言内容も、実際にはなかったことなのではないかと論じている[76]。
信田さよ子は、性的行為の記憶の真実性をめぐり父と娘が対立したり、兄と妹が絶縁状態になる場合もあると述べる[77]。森田ゆりは、父親から性的虐待を受けたらしい女性に記憶の信憑性について聞かれた際、そもそも治療者は法律上の事実認定をする立場ではないと述べたことを語っている[78]。
文化人類学と婚姻規則
[編集]
ブロニスワフ・マリノフスキが『未開社会における性と抑圧』(1927年)を書いたころは、近親相姦のタブーが外婚制を生み出したと考えられていた[79]。ブロニスワフ・マリノフスキは、メラネシアでは父親と娘の性関係は外婚規制の対象ではないにもかかわらず問題視されていると指摘する[80]。だが、人類学者にして構造主義者であるクロード・レヴィ=ストロースは、交叉いとこ婚は容認されながらも平行いとこ婚は禁忌扱いされている社会があることに着目し、近親相姦の禁止は族外婚の推奨のため、自らの一族の女性を他の一族に贈与するためであるという説を体系化した。この説における族外婚とは結婚制度における規則であり、それに従うことによって家族間で女性の交換が行われ一つの社会を築き上げることができるのだと解釈できる[81]。特に家族という概念を公的分野にまで持ち込もうとする社会では、このような婚姻規則はより複雑化するわけである。しかし、莫大な財産がある場合はこのように族外婚を行ってしまうと外戚によって一族の財産が乗っ取られてしまうため、人民に対して絶対的な地位にある場合は近親婚が行われる例もある。君主の一族における近親婚は権力の分散を防ぐためと説明されることもあり、倭国の大王家や新羅王家の慶州金氏ではしばしば血族結婚が行われていたとされている[82]。一方、この理論は貨幣として女性を扱う考えであり、レヴィ=ストロースにとってはこのように女性は高い価値があると主張したつもりなのであるが、女性から見た場合は自分達が交換要員として場合によっては全く馴染みがない一族と結婚させられるため必ずしも女性にとって良い思想ではなく、考え方の根本に男性優位的な側面がある可能性も指摘される[83]。日本で行われてきた族内婚の場合、父系と母系の区別があやふやになるため、女性の継承権が必ずしも否定されないという側面も存在する[84]。
近親相姦のイメージとは、婚姻秩序に基づいた抑圧によるでっち上げに過ぎないという見方も存在し、ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』において、母親は出自の秩序を守るため、姉妹は縁組の秩序を守るためそれぞれの近親相姦の禁止は存在すると捉えた上で、白人を主体とする植民者などといった存在と接続した原始社会の体系と革命的な「生産的な無意識」こと「欲望する諸機械」との間の境界線として近親相姦のイメージは出現しているとして、実際には代替イメージとしての近親相姦を行うことなど不可能であると主張している[85]。大城道則 (2013) は、アクエンアテンが娘であるアンクエスエンパアテンと親子で結婚したように古代エジプトの王家では近親婚が一般的に行われていたが、これを本人たちの性癖によるものと勘違いしてはならないと注意を促している[86]。かつてはブロニスワフ・マリノフスキやジョージ・マードックのように近親相姦の禁止は家族の維持に不可欠だという研究者もいたが、原田武は古代エジプトの話も交えながらこれは単にいかなるありようが理想的かと述べているだけだと指摘する[87]。ブロニスワフ・マリノフスキは、自分の下で働いていた少年が、父親と性的関係を持っている少女と結婚したいということで援助を求められた経緯を語っている[88]。遊牧民族では、テントに入りきらない家族は分かれて別の家族を作っていく。ある時、遠方の部族と交戦し、相手の女を略奪して妻にした時、それがかつて別れていった一族の女で兄妹・姉弟の関係だったとしても、それは近親相姦とはされないことが多い[89]。エマニュエル・トッドは、アラブ世界では内婚制の共同体家族という家族形式が一般的なのだが、このような世界ではもともと国家が成立しにくく、それでもイラクのサッダーム・フセイン政権のように部族連合が軍隊を掌握することで不自然ながら一応は国家が成り立っていたのに、アメリカ合衆国がイラクに侵攻したことで国家自体が消滅し「イスラム国」が展開する事態になったと指摘する[90]。また、エマニュエル・トッドはドイツのアンゲラ・メルケル首相が進める難民の受け入れについて、いとこ婚に否定的なドイツに内婚に肯定的なシリアの人々を入れるというのは、たとえ経済的に合理的だとしても人類学的には無謀だとも語っている[91]。
一方、中国では父系制社会を維持しようとする儒教的観点から、同じ宗族同士の同姓婚が忌み嫌われた時代があり、この同姓不婚の慣習は他国家にも影響を与え、朝鮮の高麗王朝は元のクビライ(世祖)に同姓不婚の制度を守るよう命令を受け、忠宣王も一応はこれに同意した[92]。だが、高麗では巫俗や仏教が盛んで儒教的思想に馴染みがなかったことなどから、異母兄弟姉妹婚などの族内婚が行われていたため、このような命令を発しても現実には効果がなかったとされる[92]。だが、李氏朝鮮時代になるとこの状況に変化が見られ、満州族が中国を征服し清王朝を樹立し後に同姓不婚の制度を廃止した一方で、朝鮮では自分たちこそ正統な中国文明の後継者という自負から小中華思想が発展し、明王朝時代の中国の法律を模範として同姓同本婚を禁じ、この状況は後の大韓民国に引き継がれることとなった[92]。また、日本においても時代の経過とともに天皇家に近親婚が少なくなっていった理由は中国の同姓不婚制の影響ではないかという見方も存在する[93]。池田信夫は與那覇潤との対談において、中国は戦争が激しかったので中央集権化が進み父系の外婚制になったと論じたが、與那覇潤はこれに対しあなたは経済学者だからそうまとめるのだろうが、日本にも後醍醐天皇など専制を目指した君主はいたわけで、その理論では日本が中国のような国にならなかったと言うことがすんなり説明できないとし、もっと歴史的あるいは社会的な観点を大事にすべきだと指摘した上で、中国が外婚制になったのは科挙の影響で人材を広く求める必要があったことが大きいとしている[94]。エマニュエル・トッドは、外婚制の共同体家族の地域では共産主義が受け入れられやすく、このような家族制度の下にあるロシアや中華人民共和国のような地域では共産主義から実質的に離脱したとしてもその傾向は残り続けるとし[95]、このような一致の理由については権威主義的な親子関係の下で兄弟が平等主義的に扱われるからだと推測している[96]。
また、婚姻による親族関係は血族ではなく姻族と呼ばれるのだが、姻族同士の婚姻についても禁じる社会もあり、日本においては義理の直系親族と結婚を行うことが不可となっている。藤原薬子が婿である安殿親王と性的関係を結んだところ、これを知った安殿親王の父親である桓武天皇によって彼女は宮廷を追放されてしまったらしいという話もあるが、父親の死後に安殿親王が天皇に即位し平城天皇となると彼女は尚侍として宮中に戻された[97]。川喜田二郎は1950年代にヒマラヤのチベット人の調査を行ったが、父親と息子が妻を共有したり母親と娘が夫を共有したりするなどといった慣習のある村の人に、日本で父系並行いとこ婚が認められている事実を話すと、日本はなんと逸脱した地域なのかといった回答をされたことを述べる[98]。父親の死後に継母と結婚したり、兄弟の死後に彼らの未亡人と結婚したりするのは漢では問題視される行動であったが、匈奴では認められていた慣習であった[99]。イスラーム教では、『クルアーン』において乳母を娶ることや乳兄弟姉妹間の結婚も禁止されている[100]。
動物学と人類進化論
[編集]人間のインセスト・タブーに関しては、今西錦司のようにサルのインセスト回避との連続体として捉える考えもある[101]。現在のバース・コントロールの多様さや密室が多く用意されている文明社会ではインセスト・タブーは不要であるとの指摘もあり、今西錦司はインセスト・タブーは大昔の村落共同体が社会単位であった頃にできたもので、今の文明社会では役に立つものではなく、フリー・セックスの時代になったら母息子、父娘、兄弟姉妹のインセストがどこかで行われていたところで咎めようがないとしている[102]。今西錦司は社会構造を伝統や文化として考える立場だったのだが、伊谷純一郎はまずインセスト回避があって社会構造は後付けだと主張したことから、今西錦司が伊谷純一郎を批判する事態になった[103]。ちなみに西田利貞は、当初は近親交配回避の話について今西錦司の立場に同調するような姿勢を見せていたと中村美知夫は述べる[104]。
山極寿一は三浦雅士との対談において、かつて伊谷純一郎が「霊長類の社会構造」(1972年)で示した仮説としてインセスト回避が霊長類の社会構造の基礎であるという仮説があったが、その後この仮説は哺乳類一般まで普遍化が可能な代物であることがわかってきたとしている[105]。なお、山極寿一によれば、霊長類は普通オスが群れから出て行くインセスト回避の形式だが、人間により近い類人猿の場合メスが親元から出ていくためこの規則は当てはまらず、テナガザルやオランウータンではメスもオスも親元から離れるのだが、ゴリラでは群れに残るオスがぼちぼちと出始め、チンパンジーやボノボに至っては群れから出て行くのはメスだけでオスはもっぱら群れに残るといったように父系重視の傾向が鮮明化するという[106]。また、ゴリラは親元に息子が留まり続けようとすると、父親と息子で交尾する相手が競合しかねないため、通常は息子は親元を離れるのだが、まれに父親が娘と交尾しないのを利用して、その父親の娘たちを交尾相手にして息子が親元に残る場合もあるとも山極寿一は述べる[107]。2015年、近親交配がアフリカ中部のマウンテンゴリラの生存に役立っているとする研究をクリス・タイラースミスらが発表した[108]。
平山朝治 (2003) は、人間はネオテニー進化を経た存在であるという見解について触れ、ボノボやチンパンジーでは性的に成熟した息子が母親と性交することはまず見られないものの、性的に成熟していなければ母親と性交する現象が確認できることから、ネオテニーの子供の場合では母親が息子のことをまだ子供だと錯覚しているため、より母と息子の近親交配が起こりやすいという仮説を立てている[109]。実際にボノボの母と息子の交尾類似行為を観察した橋本千絵と古市剛史は、この行為は母親に性的興味があってやっているというよりも、母親にかまって欲しくてやっている行為のようだと論じている[110]。
桑村哲生は、クマノミ類は親子のように見える三匹には実は血縁関係はなく、雌がいなくなると雄が雌に性転換し未成熟な第三個体と交配するという特性を持つと指摘した上で、カクレクマノミを扱った『ファインディング・ニモ』を実際の話に置き換えると、育ての父親が母親になって育ての息子とカップルになる話になってしまうと論じている[111]。元村有希子は桑村哲生の『ファインディング・ニモ』のたとえ話について、父親と息子が愛し合い子供をもうけることが問題視されるのは人間の世界の話であり、魚の世界の価値観に基づくものではないと指摘している[112]。
尾本恵市 (2017) は、一般論としては身近な相手に性的魅力を感じないといっても、娘を犯す異常な父親は実際に存在すると山極寿一に指摘する[113]。核家族間の交配を含む近親交配の事例は人以外の動物でも、ウタスズメ、ガラパゴスフィンチ、オグロプレーリードッグ、その他類人猿などでも確認されており、一定数存在するこれらの近親交配がその種にとって有利な選択になる可能性が指摘されている。まず、血縁者同士で儲けた子供の方が非血縁者同士で儲けた子供よりも自分の遺伝子のコピーを多く受け継ぐというものである。その結果、生存する子が両方同じ数である場合、個体が後代に残せる遺伝子が血縁者同士で子供を儲けた場合の方が多く残すことが出来る。また、血縁者同士の交配は、非血縁者同士の交配よりも比較的若い年齢で始まることが指摘されている。その結果、その個体の生涯における繁殖成功度が非血縁者同士の交配よりも、血縁者同士の交配の方が高まる。現代社会における結婚年齢は、夫婦が非血縁者同士である場合よりも、いとこ同士である場合の方が低いという。そのためか、いとこ婚の夫婦の子供の出生率は相対的に高い傾向がある。ローマ期エジプトの兄妹婚においても、若い夫婦が多く、非血縁者同士の男女よりも兄妹の方が早く結婚していた可能性が指摘されている。血縁者同士の交配の方が若くで始まる傾向があるということは人以外の動物でも観察され、ウタスズメは、繁殖開始年齢を下げるために近親交配をしているという。東京大学大学院理学系研究科教授の青木健一は、これらの理論をもとに集団生物学的にその種の集団間に存在する一定数の兄妹交配がその種にとって利益をもたらすものであり、その利益に与るために集団間に一定数兄妹交配の夫婦が存在するように適応進化したかどうかを解析するモデルを構築した結果、兄妹交配を行う性向が進化するための条件が満たされている可能性があると言及している[114]。
アダクチリディウムなどのダニの複数の種類、ギョウチュウ、様々な種類の昆虫は日常的に近親交配を行うことが知られている。ガイマイゴミムシダマシに寄生するダニは、親から雄と雌が1体50の割合で生まれるが、行動範囲が狭く他の家族と接触する機会がないため、同じ親から生まれた兄妹で近親交配を行う[115]。トコジラミも近親交配を日常的に行っており、一匹の妊娠した雌がいれば、その子供達同士で交尾し大規模に繁殖をすることができる[116]。哺乳類においても、シママングースは近親交配を日常的に行っており、父親と娘が近親交配していることも観察されている。これは、一つの血縁関係のあるグループ内で近親交配をした方が、家族から離れ、他のグループの成員を探しに行くことで死亡するリスクを支払うことより利益が大きいからだという[117]。明治時代の日本のトキのように人為的な理由から近親交配に追いやられた動物もいるが、結局最後の日本のトキだったキンが2003年に死に、全滅してしまった[118]。酒井仙吉は、ニワトリでは近親交配によって受精率の低下などがみられ、ヒトでも同様の現象が起こると述べている[119]。
遺伝学と生理的反応
[編集]近親交配の度合いを近交係数(F)を用いて表す場合があり、例えば兄弟姉妹の間に生まれた子の場合F=0.25となる[120]。もっとも、近親交配を繰り返せばFは高くなるわけであり、ゴンサーロ・アルバレス及びスペイン人遺伝学者のチームはカルロス2世のFを16世代遡って3000人以上のデータから算出したが、その結果はF=0.254であった[120]。また、2015年12月に行われていたイギリスの「1000人ゲノムプロジェクト」では、本来そのことを調べるつもりではなかったのだが、26の国の2500人分の塩基配列の情報を調査しているうちに、3人が叔姪間、1人が半血の兄弟姉妹間、3人が兄弟姉妹間、そして8人が親子間というように近親度が算出されてしまった[121]。
近親相姦によって子供が生まれると、遺伝的リスクが高まるという話がある。遺伝学の知識があったかは不明だが、古くはソクラテスが近親相姦によって子供をもうけた場合は子供の成長に悪影響があると論じており、田中克己は「遺伝学からみたインセスト・タブー」において、全身性のアルビノの発生率が、他人交配の場合は1/40,000の発生率になるところが、親子や兄妹の交配では1/780の発生率になると推定した[122]。
Robin L. Bennett et al. (2002) によれば、遺伝的リスクは第一度近親者同士による交配で元々の遺伝的リスクに加え全体比で6.8%から11.2%の増加が推測されている[123]。実際に単純に調査した結果においては近親相姦の遺伝的影響以外からも子供に障害が発生する可能性があることを差し引く必要はあるが、チェコスロバキアにおいて、親子兄弟姉妹間の交配で生まれた161人のうち、13人が1歳未満で死亡し、30人に先天的に身体的な異状が見られ、40人に精神障害が見られ、3人が聾唖者となり、3人がてんかんを患っていたという1971年の調査もある[124]。
人間など生物における雌雄の生殖においては両親から遺伝子を受け継ぐが、近親婚で生まれた子供でない場合は、ある劣性遺伝子がもし有害であったとしても片方の親からそれをもらっただけでは本人に異常が出ることはないのだが、近親婚で生まれた子供の場合は、先祖を共有していることから同一の種類の劣性遺伝子を両親が保有している可能性が高いため、その遺伝子が一対となり異常が発生する可能性が高くなると説明されていた[125]。
生存に不利な遺伝子はそうでない遺伝子に比べて圧倒的少数であり、劣性遺伝子の中に隠蔽されていることが多いとされた。なぜなら、そのような遺伝子が顕在化した個体は子孫を残すまで生存することは困難で、したがって多くの生存に不利な優性遺伝子は子孫に継承されにくく、結果として淘汰されてきたからであるとされたためである。そのため、近親交配によって子供が生まれた場合は遺伝的リスクが高まるとして、これを近交弱勢と言う。アルバレスらは、カルロス2世の患っていた病気は遠位尿細管性アシドーシス及び、PROP1がホモになることによる複合下垂体ホルモン欠損症という2つの劣性遺伝病ではないかと推測した[126]。また、アダム・ラザフォードは、眼皮膚白皮症(OCA)は劣性遺伝するわけなのだが、スペインのロマ族のOCA1の保因者は3.4%と比較的高いため、同族結婚で金髪の子供が生まれるのは当然と述べていた[127]。
しかし、劣性遺伝子という言葉を用いてはいるが、劣性であることがすなわち有害というわけではないため、理屈上は有益な劣性遺伝子が近親交配で発現する場合も考えられうるという指摘もなされていた[125]。結局、2017年に日本遺伝学会は、優性や劣性という言葉が差別を生む恐れがあるとして、「顕性」及び「潜性」という言葉に変更することを表明した。豐田文一と倉本政雄の1943年(昭和18年)の論文「富山縣下ニ於ケル血族結婚ノ頻度ニ就テ:農村衞生ニ關スル調査報告 第5報」では、自分達とは別の研究で血族結婚を繰り返してきた1786人在住の部落を調査した結果を引用し、この報告では部落の子供達は劣等生だらけではあったのだが、逆に優等生は「全て」血族結婚によって生まれた子供であったとされており、有害な劣性遺伝子が家系に存在しない場合は近親交配によって有害な影響がもたらされるとは考えられないという論も存在しているとはしながらも、有益な遺伝子を特定しこういった側面を利用する技術がない以上は、なお優生学的な意味で血族結婚を避けることの理由となりうるとしていた[128]。
自然界でもボトルネック効果が発生した際に、選択的な遺伝的浮動が起こった場合には、有害な劣性遺伝子が除去され近親交配の負の効果が顕在化しない可能性はある。だが、通常は人間以外の動物の場合、近親交配の有害な影響を避けるために人為的な選択管理が必要となる。エルヴィン・シュレーディンガー (1944) は、人間の場合は自然淘汰の機能が損なわれているどころか、優れた人間のほうが殺害されることが多いため、近親交配の弊害にはより一層の注意が必要となると主張している[129]。
実際には人間を含む有性生殖を行う動物の多くは近親交配を避けることが多く、人間の場合はウェスターマーク効果といって近親相姦の嫌悪は一般的にありうるという研究結果も示されている。生物学的なインセスト・タブーの理論では、人間やその他の動物の近親交配回避機能が人間の意識に影響を与えていると捉えるのだが、この学説は遺伝学との相性が良いとされる[130]。一方で、この親族認識の手段に関してはなお議論があり、ジェネティック・セクシュアル・アトラクションといって、近親者であっても生き別れの親族などでは普通に恋愛感情が湧くことが多いという指摘もある。また、ハンガリー国立ペーチ大学が行った研究では、男性は母親に似た女性、女性は父親に似た男性に惹かれる傾向があるという研究結果が存在する[131]。
2013年9月13日の『日本経済新聞』によれば、アメリカ合衆国では精子バンクの普及により多くの子供が一人の男性の精子から生まれるという事態が発生したが、このままでは子供達が知らないうちに近親相姦関係になってしまい、やがては子孫に先天的に有害な影響がもたらされるのではないかと危惧されているという[132]。
哲学と政治思想
[編集]プラトンの『国家』では、近親相姦の禁止について論じた対話が載せられているが、近親相姦を禁止するといっても具体的に父と娘の如き親族関係はいかにして定めればよいのかという問題に関しては、婚姻関係から親子関係を推定すればよいではないかという意見が載せられている[133]。比較的緩い形で近親相姦の禁止を設けていた社会も存在し、ギリシアなどでは兄弟姉妹婚には寛容であったのだが、これは近親相姦を容認していたというわけではなく、プラトンの『国家』では娘や娘の子供達や母や母方の祖母などとの性関係は許されないとしている[134]。これは男性側の話であり、女性の場合は息子と息子の息子や父と父の父親との性関係が禁じられると『国家』はその後に続けている[135]。
キティオンのストア派古代ギリシア哲学者ゼノンは、「母親の局部を自分の局部で擦るのはおかしなことではない。母親の身体の他の部分を手で触ることを誰もおかしいと言わないように」という見解を持った[136]。また、ストア派のクリュシッポスは、多くの人たちの間で正当な行いとされている通りに、父親は娘によって、母親は息子によって、兄弟は姉妹によって子供を作るのがよいと思われると述べている[137]。また、母親や娘、姉妹と交わることは非合理ではなく、自然本性に反していないと判定しなければならないとしている[138]。ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』で、クリュシッポスとキニク派のディオゲネスの近親姦擁護論について触れ、諸々の物体として認識されている物体が実はその深層において混在状態にあるという考えが近親姦擁護論の背景にあると指摘している[139]。ディオゲネスはオイディプスが言うような家族関係の混乱など、犬や驢馬にとってはどうでもいいことだと論じたと伝えられている[140]。
ストア派において、近親者間の性交を認める論は複数見られたが、エピクロス派の創始者であるエピクロスも母親や姉妹と交わることを教えた[141]。 空想的社会主義の思想家とされるシャルル・フーリエは、『愛の新世界』において傍系の場合の近親姦を擁護する論陣を張った[142]。シャルル・フーリエは家族制度の廃止によって近親相姦を許可し、子供は託児所で社会が育てる形にすればよいと主張したのだが、過激だということで『愛の新世界』は長らく公にされることはなかった[143]。ニカラグアの大統領になったダニエル・オルテガにはかつて継娘と性的関係を結んだという話があるが、本人はニカラグア武闘派左翼の革命運動組織であるサンディニスタ民族解放戦線の活動をする上で性欲を解消することは必要だったと弁明した[144]。
エーリッヒ・フロムは、ネクロフィリア、ナルシシズムと近親相姦的共生が極端な形態で混合したものを「衰退のシンドローム」と呼び、その具体例がアドルフ・ヒトラーであると論じた[145]。アドルフ・ヒトラーは自らの民族を梅毒やユダヤ人から守らねばならないと主張したが、この『我が闘争』で述べられたような主張がヒトラーの近親相姦的固着を表しているとエーリッヒ・フロムは主張した[146]。ミシェル・フーコーは『性の歴史I 知への意志』で、そもそも家族とは婚姻という形で性欲を封印する場として存在するものなのだが、18世紀以降の西ヨーロッパではそこを情緒的な繋がりの場となったため、家族がインセストを教唆する格好になってしまっていると論じた[147]。 小川仁志 (2013) によれば、国家機能を縮小させ個人の自由を徹底的に尊重するリバタリアニズムという思想の立場に立てば、自由を主張し結婚制度を終了させ近親相姦でも何でも好きなようにやればよいという論理が成り立つが、周囲を不快にさせるようなことまで自由だというのはおかしいということで、この思想を非難する声が上がっているという[148]。鷲田小彌太 (2016) は、人間は放っておくと欲望を際限なく追求してしまうものであり、だからこそ食人や近親相姦や殺人は禁忌とされているのだと論じた[149]。
民俗学と宗教論
[編集]南方熊楠は、仏教において親族姦は戒めの対象になったが、そもそもこういったことが問題になったのは釈迦が活躍した時代は親族姦が多かったからではないかと論じている[150]。釈迦の祖先も兄妹婚を行った[151]。『陀羅尼雑集』には、釈迦が前世において母親と交わり父親を殺害した罪を除くために用いたとする陀羅尼が載せられている[152]。瀬戸内寂聴は母親が夫と関係を持ったという蓮華色比丘尼の話について、こういった女性を教団に抱え込んだ釈迦が徹底して淫欲を戒めたのは正しいと自らの見解を語っている[153]。やがて仏教は方向性をめぐり上座部と大衆部に分裂することになるが、射精のごとき生理的反応は煩悩ではないと主張しこの分裂の原因を作ったとされる大天は、近親相姦関係にあった母親を殺害した過去を持つ男性だったと伝えられている[154]。チベットの密教の一つのタントラ教は母と妹と娘を愛欲することで、広大なる悟りを得られると主張する[155][156]。姉妹を妻にした三蔵法師もおり[157]、『宝物集』では、実母と通じた明達律師や、娘を妻にした順源法師が共に往生の素懐を遂げた人物といわれる[158]。南方熊楠は、仏典に親族姦の話がよく見受けられることに注目し、明達律師が母親と交わったとか順源法師が娘を娶ったといった類の日本の話は、仏典を参考に創作されたものである可能性を指摘している[159]。
なお『古事記』には「上通下通婚(おやこたわけ)」という用語が見られ[160]、これが国つ罪の親子相姦禁止規定につながったという見方もある[161]。「上通下通婚」という言葉について、本居宣長は『古事記伝 三十之巻』で、実の親子を対象としたものなら「祖子婚」という用語になるはずであり、そうならないのは「上通下通婚」は性的関係を持った女性の母や娘も含む概念だからだと論ずる[162]。橋本治は「親子丼」と通称される代物まで含むのは、この話がタブーではなくモラルに関する規定だからではないかと論じている[163]。また、日本が形作られた天地開闢ではイザナギとイザナミは兄妹であり、近親相姦というタブーを犯した結果にヒルコが生まれたとする説がある。タブーの末にこうした不具の子が生まれたり罰を受けたりする事象は神話ではよく見られ、ノアの方舟のような洪水の話は、兄妹だけが生き残ってしまったが故に近親相姦はやむを得なかったとしてタブーを乗り越えるための説話であるとされる[164]。
中国語では倫理を乱す行いのことを「乱倫 (luàn lún)」というが、この用語は近親相姦の意味で使われることがある。武則天が偏見の目で見られる一因は、ある男とその子供の両方と性的関係を持つことは儒教の考えでは禽獣同然とされていたためである[165]。玄宗は息子の寿王の嫁だった楊貴妃を寵愛したが、彼女を後宮に入れるにあたり、非難を免れるため一旦道教の寺院である道観に入れるという措置が採られた[166]。ラテン語で近親相姦を意味するincestumは「不敬な」などという意味であり、ドイツ語で近親相姦の意味で用いられるBlutschandeは「血の冒涜」のことを表現している[167]。
近親相姦の禁止について宗教上の聖典に明記されている場合もあり、旧約聖書の『レビ記』18章6 - 18節においては姻族も含めた近親相姦の禁止について言及されている。橋爪大三郎は、『申命記』23章1節に父親の妻に関する規定があることに触れた上で、父親のセクシュアルティを侵害してはならないというのは、父親を敬えということと一緒になった規定のようだと論じている[168]。旧約聖書創世記19章のロトが娘二人と近親相姦をして子をなしたという話はある。ただし、ロトが娘二人と近親相姦をしたという話について、佐藤優はこの話は異常だからこそ話として残された側面があり、近親相姦がタブーではなかったとはいえないのではないかと論じている[169]。また、中村うさぎは、子供を儲けることに焦点を当てているため、ロトの話では近親相姦よりも同性愛のほうが罪深いように書かれているが、我々の感性からすると近親相姦のほうが同性愛より問題に感じると語っている[170]。だが、逆に近親相姦によって偉大な力を得られるという考えもあり、アフリカのマラウィにおいては、母や姉妹との交わりは戦いにおける弾よけになるという信仰もあった[171]。ゾロアスター教においては父と娘、母と息子、兄弟姉妹の結婚は最高の善行であったが[172]、これはフヴァエトヴァダタと呼ばれる。現代でも、経済的な都合上から文化的に許容されている場合もあり、シエラマドレ山脈に住むインディアンの父親と娘は、経済的な理由から近親相姦を行うことがよくあるという[173]。
イスラム教の伝承では、人類最初の夫婦アーダムとハウワーは最初にカービールとカービールの双子の妹を生み、その次にハービールとハービールの双子の妹を生んだ。預言者アーダムは子供たちが成熟すると、カービールはハービールの双子の妹と結婚し、ハービールはカービールの双子の妹と結婚するように指示した。ハービールはその指示に同意したが、カービールは自身の双子の妹と結婚することを望んだ[174]。
南方熊楠はヨーロッパでは肛門性交がかつては伝統的に行われており、ロレーヌ王であるロタール2世は自らの妻であるテウトベルガがフクベルトと妹と兄という関係でありながら肛門性交を行ったと前代未聞の主張をする一幕もあったと論じている[175]。『大乗造像功徳経』によれば、女装をすることや親族関係にある女性を犯すなど四つの縁によって、身体上の性と性欲上の性に不一致が生じ、男に犯されて悦ぶ男に転生するとされる[176]。『池北偶談』には済寧の話として姑が嫁に性的欲望を覚え関係を持つに至った話があるが、この話について南方熊楠は男性器の付いた女性もいるのだがこの話は精神だけ男性化した話のようだと述べている[177]。
未来において近親相姦が広く許容される時代が来るという宗教もある。ユダヤ教シャブタイ派の預言者アブラハム・ナタン(ガザのナタン)によると、シャブタイ・ツヴィが棄教したこの世界をモーセ律法に対してクルアーンが支配する世界だとしたが、それは間もなく来るメシアの時代の前駆的な形態にすぎず、メシアの時代のもとでは既存の規範が有効性を失う。その時、近親相姦を含む全ての性の禁忌が取り去られ、自由な世界において生命の樹の神秘に与ることができるという[178]。
ヒンドゥー教のシャクティ派やモルモン教も兄弟姉妹婚を行っていた[179]。インドのヒンドゥー・サクタセクトの間では近親者間の性交は高次の性関係であって、宗教的完成への一つのステップだった[180]。
カール・グスタフ・ユングは近親相姦は高度に宗教的な側面を有しており、そのために近親相姦はほとんど全ての宇宙進化論や神話の中で決定的な役割を演じていると述べ、フロイトは字義通りの解釈に執着したため、近親相姦の霊的な意義を把握することができなかったと指摘している[181]。
朝鮮の新羅の王族において近親婚が繰り返された理由は、骨品制という身分制度において天降種族たる王族の血の純潔性を尊んだことが一因ではあるが、血が混ざると呪力が落ちてしまうという信仰の影響もあるのではという見方も存在する[92]。
日本では男女の双子は心中者の生まれ変わりと考える文化があり、夫婦にしてやらなければならないと考えた[182]。そのため、片方を養子に出して成人してから他人として結婚させるということが行われた。この場合は双子であっても近親相姦とは考えない傾向があった[要出典]。
バリ島やサモアでは、男女の双子は母親の胎内で近親相姦をしていると考えられている[183][184]。バリ島では、この双子が母の胎内にいる時から既に親密であったとして、兄弟姉妹間での性交が許されていた[33]。また、サモアの貴族階級では姉と弟が結婚するという事例が見られる[185]。
13世紀の後半から15世紀の初頭にドイツを中心として興ったキリスト教の一派自由心霊派は、自由心霊を得た人間と神との同一性を説き、母親や姉妹と性交をすることができるとした。他人よりも姉妹と関係することが自然であり、姉妹はこの交接によってかえって貞節を増すものであると考えた[186]。輪廻転生を信じるカタリ派においても、信仰者の中には男女を問わず自分の夫や妻よりも、兄弟や姉妹、息子や娘、甥や姪を相手に関係を持つものが多いという[187]。一人一人がキリストであり聖霊であると説くアモリ派や、古代キリスト教の一小分派アダム派においても近親相姦が認められている[188]。
オナイダ・コミュニティを建設した19世紀の宗教家のジョン・ハンフリー・ノイズは、有性生殖の第一原則である近親者同士の交接を行うとして、弟の娘との間に子供を作った他、妹の娘との間にも子供を作った。彼が引用した品種改良家の親等計算方法によると、兄弟姉妹は両親から50%ずつ血を受け継いでいるので、その血は100%同じであり、兄妹や姉弟間で生まれた子供は父娘や母息子間で生まれた子供よりも近いという。この計算方法に従えば、伯父姪や伯母甥の場合も父娘・母息子の交接と同じことになる[189]。
スコラ哲学者・神学者のトマス・アクィナスは、キリスト教において近親婚がタブーである理由について、人は自然本性的に同じ血縁の者を愛するのであるから、これに性的な愛情が加われば欲望があまりにも激しくなり、貞潔に反するためであるからだと述べている[190]。鷲田小彌太はトマス・アクィナスと同様の主張をしており、姉と弟は人体骨格も似ており、気心も知れているため、性交の相手としてはぴったりだが、性交の相手として良すぎるために近親相姦がタブーとされるとしている[191]。
日本のムラ社会関係
[編集]日本における話として、赤松啓介が1994年に刊行された『夜這いの民俗学』において、かつて男のフンドシ祝いや女のコシマキ祝い(以前はオハグロ祝いと呼んだ)では儀式的に初体験を行う場合があり、この際に周りの人に阻害された場合などで父娘や母息子といった組み合わせで初体験を済ませてしまう場合は存在したようだが、あまりそういうことについてうるさく話さないという了解があったとしている[192]。
しかし、赤松啓介は障害者に関して本来は他人が行うべき性教育を身内の人が行わざるを得なくなったために近親同士で妊娠させてしまっている場合もあること、またハンセン病患者や知的障害者は近親性交が原因で地元を離れるはめになる場合があったことなどの例を挙げ、一般の研究者がこういった社会の暗黒面の真実を全く見ようとしないことについても批判的に取り上げている[193]。なお、赤松啓介は近親性交を理由に立ち退いた知的障害者は都市部のスラムなどにおいて夫婦同然の暮らしをしている場合もあるとした[194]。
赤松啓介は、青森県下北郡東通村目名の1909年10月に改則された「若者連中規約」に連中に所属していない者に対しては肌を接することもしてはならないという規則があることを指摘するが、実際問題として目名のある尻屋崎周辺の尻屋、尻労や岩屋といった村落はかつては孤立的だったとはいえ、こんなことをしていては血族結婚で村落が内部崩壊を起こしていたはずであるため、おそらく厳密に守られていなかったのではないかと考察する[195]。赤松啓介は、国家の支配に基づく「一夫一婦限定性民俗」を打破し、かつて存在した近親者間の性関係を含む「不特定多数式自由性民俗」を復活させるべきであると主張した[196]。
アメリカ合衆国においては政治家でもあるルイス・リビーが、1996年に『ジ・アプレンティス』という小説を発表した。この小説は1903年の日本を舞台とし、さまざまな性的場面が描写されているが、その中には日本におけるオジ姪相姦についての描写もあった[197]。リビーはその後、副大統領ディック・チェイニーの首席補佐官も務めたが、合衆国政府がイラク戦争において大量破壊兵器をサッダーム・フセイン政権下のイラクが所有しているというプロパガンダを正当化するため、米中央情報局 (CIA) のエージェントの身分の意図的な情報漏洩を行ったとするプレイム事件で、リビーが主導者の隠蔽目的の偽証罪で逮捕・起訴されたことで、この書物がメディアの脚光を浴びることになった。
現代の研究
[編集]- 兄弟姉妹間
社会学者デイビッド・フィンケラーは796人の大学生を対象にした調査の兄弟姉妹姦の分析結果を1980年に発表したが、それによれば女性の15%、男性の10%は、性器の愛撫などといった行為が多いものの、何らかの形での兄弟姉妹との近親姦を報告し、その兄弟姉妹の近親姦の4分の1は年齢差などの状況から判断して兄弟姉妹間の虐待とみなされうるものであったと主張している[198]。
兄弟姉妹の近親姦は、両親あるいは片親の欠如など家庭内における両親の機能が存在していないことが、重要なファクターとして機能している可能性がある[199]。
Floyd Mansfield Martinsonは1994年の自らの著書『The Sexual Life of Children(訳:子供達の性生活)』で子供の性について扱っている。Floydは、子供時代の男女間の性的行為そのものがかなり普通にあると論じ、互いに近い関係にあることが原因で子供時代の兄弟姉妹の間で性的行為が起こりうるとしている[200]。
H. Smith and E. Israel (1987) は、コロラド州のボルダー性的虐待チームに1982年5月から1985年12月にかけ報告された25例の兄弟姉妹姦の事例の調査で、兄弟姉妹姦を行っている子供の多くは親と疎遠な関係にある傾向があったとしている[201]。一方、原田武 (2001) は、しばしば両親や片親の不在や機能不全が兄弟姉妹の近親相姦を起こりやすくするという見解が唱えられているが、全く逆に家族の厳格さが子供達を密接な関係にしている可能性もまた存在すると指摘している[199]。
日本の厚生労働省の扱いとしては、『子ども虐待対応の手引き 平成25年8月厚生労働省の改正通知』によれば、兄弟姉妹間の性的虐待は統計上は親がネグレクトをしたという扱いになっている[202]。
母親と息子の近親姦に関しても様々な研究が行われているが、少なからず発生しているにもかかわらず、アメリカ合衆国においては、母と息子の近親姦に対する嫌悪が強く、議論が進みにくい状況がある。アメリカ合衆国では母息子間の近親姦は近親姦の中でも最大の禁忌であり、理論上の可能性として母息子間の近親姦を取り上げただけで白い目で見られたとリチャード・ガートナー (1999) は述べている[203]。
リチャード・ガートナーは、母親からの性的虐待を受けた男児の心理状態として、「自分は特別な存在であり、特権を与えられるに値する人間なのである」という感覚を持つ一方、実のところその感覚はかりそめでいつ壊れても不思議はないものという感覚があり、それに対して過剰に警戒しながら母親の恋人としてふさわしくあろうとするために、パラノイアに近い広範な不安に苛まれてしまっていると述べている[204]。Arnold Rothstein (1979) は、この不安は自分自身が母親に嘲られる可能性を予期し、先々それに応じた反応を取ることで心理的な被害を食い止めようとするために起こる反応であるとしている[205]。この理論はグレン・ギャバード and Stuart W. Twemlow (1994) によってさらに発展され、息子は母親によって母親の自己愛を満たすことが自分の役割だと思い込まされるが、そのために間違ってでも母親を不快にさせた場合、それは自分の存在そのものを否定されることに等しくなり、それゆえに息子はまるで綱渡りをしているような状況に陥るのだという[206]。一方、自分が特別だという感情は行為そのものへの武勇伝的感覚などに由来するとみられ、こうした感情は自分が非常に誘惑的で、多くの女を魅惑する力を持っているのだと思い込む力へとつながるが、虐待時の母親の行動は母親の都合で歪められた認識下で起こっていることが多いとリチャード・ガートナー (1999) は述べている[207]。
Loretta M. McCarty (1986) は、娘を虐待する母親は娘を自らの拡張のように扱う傾向があるのに対し、息子に近親姦を行う母親の中には父親不在でまるで息子を同世代の仲間であるかのように扱う場合も存在したという報告をしている[208][209]。
Robert J. Kelly et al. (2002) は、様々な関係の人物からの性的虐待を報告した67人の男性を扱っているが、うち17人が母親からのものだったと報告しており、またそのうちの約半分は母息子近親姦に対して当初は肯定的感情あるいは混合した感情を示していたにもかかわらず、母親との近親姦を報告した男性は他の性的虐待を報告した男性よりも深刻なトラウマを抱えやすい傾向があった事を報告している[210]。
外山滋比古は、『家庭という学校』(2016年)において、昔は子供が多かったので母親が一人の子供に入れ込むというのは起こりにくかったと指摘している[211]。
同性の親子の近親姦の場合は、インセスト・タブーに加え同性愛のタブーも加わるため非常に見えにくくなっている。父親と息子の場合の家族モデルは父親と娘の場合とよく似ている場合が多いが、こういった場合は父性的なものすなわち権力的なものに対する反抗が起こることが多い。
Katharine N. Dixon et al. (1978) は、病院に運ばれた外来患者として6人の父親(実父4人・義父2人)から性的虐待を受けた10人の息子の事例を報告しているが、自己破壊的で他人を殺害したい衝動を持っていた被害者が多かったという[212][213]。Robert K. Ressler, Ann W. Burgess and John E. Douglas (1988) は、『快楽殺人の心理 FBI心理分析官のノートより』で、自分たちが研究した男性殺人者の中には父親によって性行為を強要されたと語る者もいたという[214]。
母親と娘の近親姦に関しては、社会における女性が加害者とならないという通念や母性の考えが、この性的虐待の形式を非常に見えにくいものとしている。母親から娘に対する性的虐待を扱った書物としては、1997年に出版されたBobbie Rosencransによる著作『The Last Secret: Daughters Sexually Abused by Mothers(訳:最後の秘密—母親に性的に虐待された娘)』という書物がある。Rosencrans (1997) による93人の被害者への調査は、虐待について誰にも告げられないまま平均28年を過ごしていたことを示す[215]。
発生率調査
[編集]社会学的な観点から人間の性の実情を探ろうとする動きがあり、この一環として近親姦の発生率についても扱った調査が存在する。
1940年の精神科の女性患者142人と比較群の健康女性153人の合計295人の女性を対象とした、カーネイ・ランディスによる調査では、性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられたが、その調査では近親者による性的虐待率は12.5%であった[216]。
1953年の女性4441人を対象にしたアルフレッド・キンゼイらによるキンゼイ報告でも、同じく性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられ、その調査結果によれば近親者からの性的虐待の体験率は5.5%、父親または義理の父親によるものは1.0%であり、近親姦を含む性的虐待の加害者は男性が100%で女性は0%としている[216]。なお、キンゼイ報告は統計学的に不適切な点があることも指摘されている。
1978年にはアメリカ合衆国のカリフォルニア州でダイアナ・ラッセルにより930人の女性を対象に性的な接触行為まで含めた場合の発生率調査が行われた。それによると近親者による性被害率は女性が18歳までで全体の約16%である[217]。ラッセルの研究によると、4.5%が父親で残り12%が別の肉親であり[218]、全体16%のうち3分の1近くが父親によるものであることを示す[219]。近親相姦虐待の回復記憶かつ後に撤回されたものでは、女性クライアントやセラピストはまず父親を加害者であるとすることが多いが、ラッセルの研究では、加害者は実父よりも継父が圧倒的に多かった[218]。
1978年の、大学生796人(女性530人、男性266人)を対象にしたデイビッド・フィンケラーの報告では、女性は家族による性的虐待率は8.4%でうち父親もしくは義理の父親によるものは1.3%、男性は家族による性的虐待率は1.5%で父親もしくは義理の父親によるものは0%だった[220]。
一方、男性の場合は不適切な性的関わりを「虐待」という言葉で表現することに違和感があり、そういった例が過少申告されうるとの指摘もあり、デイビッド・リザックらは1996年に、大学生の男性を対象にして「虐待」という表現を質問では用いずに行った調査報告を発表した[221]。その調査報告では男性の近親者による性被害率は16歳までで全体(N=595)の3 - 4%としている[217][222]。
一般的には親子の近親姦は父親と娘のパターンが多いと言われているのだが、「虐待」という概念によって感覚的に統計上のバイアスがもたらされている可能性もあり、比率に関しては安易に断定することはできない。また、Ann Banning (1989) は母親による近親姦は、フェミニスト的観点によってまるで存在しないかのように扱われてきたと指摘した[208][223]。
日本では1972年、五島勉が著書『近親相愛』でアンケート調査の結果を発表した。それによれば、女性1229人から得られた回答を基にした分析で、4.7%が実際に家族と性的行為を行った、もしくはギリギリの状況まで進んだと推定されるとしている[224]。
また、精神科医の斎藤学がラッセルの基準を参考に、1993年に過食症の女性患者52名、比較群の健康女性52人に行った調査がある。その結果、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が18歳までに何らかの近親姦的被害に遭っているという調査結果が得られた[225]。
一方、石川義之は1993年に大学・専門学校生を対象に調査を行ったが、非接触性のものまで含めた場合は女性の12.3%が近親姦的な性虐待被害を報告しており、父親によるものはうち5.7%であった[226]。
大韓民国では2005年にHyun-Sil KimとHun-Soo Kimが、定義を年長者による暴行もしくは脅迫を伴った何らかの形式での性的挿入を伴った被害に絞った上で近親姦の発生率を調査し発表しているが、それによれば青年1672人中3.7%がそのような近親姦を報告したとされている[227]。
文学や創作物における近親相姦
[編集]民間説話とメルヘン
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2004年にATU510Bという分類番号が付けられた、毛皮を被ることで身分を隠すという類話群があるのだが、浜本隆志はこれらの作品では冒頭で近親相姦の素材が扱われる場合が多いと指摘している[228]。例えば、ジャンバティスタ・バジーレの『ペンタメローネ』に収録された「牝熊」では、父親の王に求婚された娘が熊に変身し森に逃げ込むが、王子のキスで変身が解けその王子と結婚するという話で[229]、シャルル・ペローの『ペロー童話集』の『ペンタメローネ』所収の話をフランスの宮廷向けに改変した「ロバの皮」では、父親の王に求婚された娘が、ロバの皮を被り国外に脱出し王子と結婚する話となっている[230]。
浜本隆志は、『グリム童話』の初版の「白雪姫」で実母が娘を殺害しようとするという不自然な内容になっているのは、本当は「白雪姫」も「ロバの皮」の類話群と同じ父と娘の近親相姦を扱うはずの話だったからではないのかと指摘している[231]。『グリム童話』の初版では、父親が実際に娘と結婚する「千匹皮」という作品もあったのだが、読者からの猛抗議で改変する事態になった[232]。『グリム童話』には父親が娘に性的関係を強要しようとして拒まれたため胸と腕を切り落とす「手なし娘」という話も収録される予定だったが、この話を問題視したヴィルヘルム・グリムによって近親相姦的描写は全面カットになってしまった[233]。
美術
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近親相姦は16世紀頃に入ってから多く描かれるようになり[234]、旧約聖書のロトと娘の近親相姦はアルブレヒト・アルトドルファーなどによって盛んに描かれた。ロトとその娘達の話に関しては、ヘンドリック・ホルツィウスのようにその話を説明する内容の絵画もあれば、フランチェスコ・フリーニのように父親に迫る場面そのものを描いた作品もある[235]。19世紀に描かれたギュスターヴ・クールベの作品は、ロトの目元と娘の目元がよく似ており、見る者に父と娘であることを教える構成となっている[236]。
望月麻美子と三浦たまみによる著書『名画が描く 罪深き旧約聖書』によれば、ハムが実の父親であるノアの裸を見たという話は、息子のハムがノアに対して性的暴行を行ったことを意味するという説があり、グイド・カニャッチの『泥酔するノア』(1645年)が妙にエロティックなのはこの解釈に基づいているからなのではないかと指摘されている[237]。 喜多川歌麿は兄妹・姉弟の近親相姦の絵画を複数描いており、『絵本笑上戸』の書入れには「兄さんが、妹のぼゞをするに、誰がなんというものだ」と書かれている。『會本都功密那倍』では姉弟の行為が描かれている他、『會本色能知功佐』では、兄が「さすがは、俺が妹ほどあつて、まらには巧者なものださ」と言っており、双方共にあまり罪の意識が感じ取れない[238]。いとこ同士は鴨の味だが、兄妹では家鴨の味であり、さらに格別であるという表現がいくつかの作品で共通して見られる。また、姉の情事を脇見しながら男根を握り締める弟の絵など、直接的な性行為を描かずとも血族間の性愛的な関係を描いた春画もある[239]。
喜多川歌麿以外では、勝川春章作画かといわれる『腹受想』でも姉弟の性行為が描かれる[240]他、渓斎英泉の『美多礼嘉見』では母親の乳首を弄りながら男根を勃起させている子供の絵が描かれている[241]。
- ギャラリー
- ヘンドリック・ホルツィウス 『ユーピテルとユーノー』アムステルダム国立美術館所蔵
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 近親者同士の性行為のことを日本語で「近親相姦」というが、論者によっては「近親姦」という用語を用いる場合がある。「近親相姦」ではなく「近親姦」の用語が用いる理由として、「相」という文字を含む語句には双方の合意と言う意味合いが社会通念上含まれていることが多いにもかかわらず、親子間の性行為には、実際には強引な場合がみられるため、性的虐待を表現するには適切とは言いがたいという問題が指摘されている[1]。なお、1995年の第132回国会法務委員会においては、父による娘への強姦絡みで起こった事件とされる「尊属殺重罰規定違憲判決」の話に当て嵌める形で「強姦」であり「相姦」という用語は不適切だとして「近親姦」の用語が使用されたことがある[2]。
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- 中村美知夫『「サル学」の系譜 人とチンパンジーの50年』中央公論新社、2015年。ISBN 978-4-12-004756-5。
- 信田さよ子『加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら』筑摩書房、2015年(原著2008年)。ISBN 978-4-480-43247-6。
- 橘ジュン『最下層女子校生 無関心社会の罪』小学館、2016年。ISBN 978-4-09-825262-6。
- 橋本治『性のタブーのない日本』集英社、2015年。ISBN 978-4-08-720810-8。
- 花田俊典『太宰治のレクチュール』双文社出版、2001年。ISBN 4-88164-534-X。
- 浜本隆志『シンデレラの謎 なぜ時代を超えて世界中に拡がったのか』河出書房新社、2017年。ISBN 978-4-309-62505-8。
- ジュディス・L・ハーマン『父-娘 近親姦』誠信書房、2000年(原著1981年)。ISBN 4-414-42855-6。
- 原田武『インセスト幻想 人類最後のタブー』人文書院、2001年。ISBN 978-4-409-24065-6。
- 日垣隆『父親のすすめ』文藝春秋、2006年。ISBN 4-16-660529-1。
- 樋口ヒロユキ『ソドムの百二十冊 エロティシズムの図書館』青土社、2016年。ISBN 978-4-7917-6929-2。
- 平野敏政『現代社会と家族的適応』慶応通信、1994年。ISBN 4-582-76206-9。
- スーザン・フォワード『毒になる親 一生苦しむ子ども』玉置悟 訳、講談社、2001年(原著1989年)。ISBN 4-06-256558-7。
- 藤木TDC『ニッポンAV最尖端 欲望が生むクールジャパン』文藝春秋、2015年(原著2011年)。ISBN 978-4-16-790521-7。原題『アダルトビデオ最尖端~身体と性欲の革命史~』(コアマガジン)。
- 古田徹也『不道徳的倫理学講義 人生にとって運とは何か』筑摩書房、2019年。ISBN 978-4-480-07213-9。
- ジークムント・フロイト『メタサイコロジー論』十川幸司 訳、講談社、2018年。ISBN 978-4-06-292460-3。
- フロイト『精神分析学入門』懸田克躬 訳、中央公論新社、2019年(原著1917年)。ISBN 978-4-12-206720-2。
- エーリッヒ・フロム『悪について』渡会圭子 訳、筑摩書房、2018年(原著1964年)。ISBN 978-4-480-09841-2。
- ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『精神現象学』 下、樫山欽四郎 訳、平凡社、1997年。ISBN 978-4-582-76206-8。
- 穂積陳重『タブーと法律 法原としての信仰規範とその諸相』書肆心水、2007年。ISBN 978-4-902-85432-9。
- 本田透『萌える男』筑摩書房、2005年。ISBN 4-480-06271-8。
- 松村一男『世界女神大事典』原書房、2015年。ISBN 978-4-562-05195-3。
- 松村一男『神話学入門』講談社、2019年(原著1999年)。ISBN 978-4-06-514523-4。原題『神話学講義』
- B・マリノフスキー『未開社会における性と抑圧』阿部年晴、真崎義博 訳、筑摩書房、2017年(原著1927年)。ISBN 978-4-480-09775-0。
- 南方熊楠 著、中沢新一 編『南方熊楠コレクション 浄のセクソロジー』河出書房新社、2015年(原著1991年)。ISBN 978-4-309-42063-9。
- 宮地尚子 編『トラウマとジェンダー 臨床からの声』金剛出版、2004年。ISBN 4-7724-0815-0。
- 宮地尚子『トラウマ』岩波書店、2013年。ISBN 978-4-00-431404-2。
- 向井雅明『ラカン入門』筑摩書房、2016年(原著1988年)。ISBN 978-4-480-09676-0。原題『ラカン対ラカン』
- 望月麻美子、三浦たまみ『名画が描く 罪深き旧約聖書』大和書房、2015年。ISBN 978-4-479-30527-9。
- 森田ゆり『子どもへの性的虐待』岩波書店、2008年。ISBN 978-4-00-431155-3。
- 森林原人『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』講談社、2016年。ISBN 978-4-06-293431-2。
- 山内昶『タブーの謎を解く―食と性の文化学』筑摩書房、1996年。ISBN 978-4-480-05691-7。
- 山極寿一『父という余分なもの サルに探る文明の起源』新潮社、2015年(原著1997年)。ISBN 978-4-10-126591-9。
- 山本周五郎『季節のない街(第二版)』新潮社、2019年(原著1962年)。ISBN 978-4-10-113490-1。
- 山脇由貴子『告発 児童相談所が子供を殺す』文藝春秋、2016年。ISBN 978-4-16-661090-7。
- 吉田敦彦『一冊でまるごとわかるギリシア神話』大和書房、2013年。ISBN 978-4-479-30445-6。
f* オットー・ランク『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』前野光弘 訳、中央大学出版部、2006年(原著1926年)。ISBN 4-8057-5163-0。
- アダム・ラザフォード『ゲノムが語る人類全史』垂水雄二 訳、文藝春秋、2017年(原著2016年)。ISBN 978-4-16-390774-1。
- デービッド・リーミング、マーガレット・リーミング『創造神話の事典』松浦俊輔 他訳、青土社、1998年。ISBN 978-4-7917-5657-5。
- D・H・ロレンス『無意識の幻想』照屋佳男 訳、中央公論新社、2017年(原著1922年)。ISBN 978-4-12-206370-9。
- 和田秀樹『多重人格』講談社、1998年。ISBN 4-06-149390-6。
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- 『親族による性的虐待 近親姦の実態と病理』(石川義之、2004年) ISBN 4-623-03891-2
- 『十二夜――闇と罪の王朝文学史』(高橋睦郎著。集英社。2003年)ISBN 4-08-774674-7
- 『教育相談重要用語300の基礎知識』(鑪幹八郎・一丸藤太郎・鈴木康之編、1999年)ISBN 4-18-026611-3
- 『FUGITIVES OF INCEST: A PERSPECTIVE FROM PSYCHOANALYSIS AND GROUPS』 (Ramon C., and Bonnie J. Buchele Ganzarain, 1989) B000IACV7C=『近親姦に別れを 精神分析的集団精神療法の現場から』(R.C. ガンザレイン, B.J. ビュークリ, 白波瀬 丈一郎訳、2000年) ISBN 4-7533-0003-X
- 『The Secret Trauma: Incest in the Lives of Girls and Women』(Diana Russell,1986) ISBN 0-465-07595-9=『シークレット・トラウマ 少女・女性の人生と近親姦』(ダイアナ・ラッセル、監訳:斎藤学、訳:白根伊登恵・山本美貴子、2002年)ISBN 4-938844-54-0
- 『神話と近親相姦』(吉田敦彦著。青土社。1982年) B000J7CO3A