過去に存在したマイカルの店舗
ウィキペディアから無料の百科事典
過去に存在したマイカルの店舗(かこにそんざいしたマイカルのてんぽ)では、マイカル(ニチイ時代を含む)によって運営されていたニチイやサティ、ビブレ店舗について記述する。
2011年(平成23年)3月1日、営業中であったサティは全国91店舗が全店(広島サティを除く)で店舗ブランドをイオンへ転換し[1]、残る広島サティは2011年(平成23年)7月18日に閉店した[2]。
- 2011年(平成23年)3月1日以降に開店したビブレ店舗についてはビブレ#過去に存在した店舗を、旧ダックビブレが運営していたビブレ店舗についてはビブレ#ダックビブレ参照。
- 店名に「マイカル」を冠した大型店舗については、マイカルタウンを参照。
凡例[編集]
- 無印はマイカルが経営していた店舗
- ※はイオン九州が経営していた店舗
- ✩はニチイから転換した店舗
- ○はイオングループ買収後に設置された店舗
- ×は建物が解体された店舗
イオンに改称された店舗[編集]
北海道[編集]
北海道では「サティ」店舗で閉店しなかった店舗は2002年に「ポスフール」に改称されているため、「サティ」から直接「イオン」に改称した店舗は存在しない。
東北[編集]
東北エリアの店舗は、店舗ブランドが「イオン」へ変更された後、2020年(令和2年)3月1日に運営がイオンリテールからイオン東北へ移管された[広報 1]。
岩手県[編集]
- 延べ床面積約42,356m2[3]、店舗面積約19,420m2[3](うち直営店舗面積約14,846m2[3])。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。
秋田県[編集]
- 延べ床面積約35,055m2[3]、店舗面積約23,060m2[3](うち直営店舗面積約15,746m2[3])。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。
- マイカル東北が、2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 敷地面積約79,996m2[11]、地上2階建て[11]・延べ床面積約36,864m2[3]、店舗面積約13,334m2[3](うち直営店舗面積約7,168m2[3])。
- マイカルがイオングループの傘下に入ったことにより、隣接するジャスコ横手南店との間でグループ内で競合する状況となっていたため、2004年(平成16年)3月21日にファッションや子供用品に特化する改装を行うと同時に、隣接するジャスコ横手南店を食品や住居用品などを扱うスーパーセンターへ業態転換(イオンスーパーセンター横手南店へ)して一体的な運営を行い、競合を解消した[12]。
山形県[編集]
- 敷地面積約16,336m2[13]、地上3階建て[13]・延べ床面積約27,674m2[13]、店舗面積約18,029m2[14]。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。
福島県[編集]
- 敷地面積約25,048m2[15]、地上3階建て[15]・延べ床面積約37,201m2[15]、店舗面積約24,223m2[14](うち直営店舗面積約15,810m2[14])。
- 片倉工業の工場跡地に出店した[15]。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。
- 延べ床面積約34,043m2[3]、店舗面積約21,862m2[3](うち直営店舗面積約12,500m2[3])。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。
関東[編集]
茨城県[編集]
- ホソガネニチイとしては初めてのサティ業態として[21]、ブランドものを低価格で扱う独自の輸入品売場などを備えた生活百貨店として開業した[22]。
- 延べ床面積約16,283m2[14]、店舗面積約10,344m2[14](うち直営店舗面積約8,139m2[14])。
群馬県[編集]
埼玉県[編集]
- 延べ床面積約79,603m2[3]、店舗面積約24,877m2(うち直営店舗面積約21,803m2)。
- 敷地面積約15,581m2[29]、鉄筋コンクリート造地上4階一部5階建て[29]、延べ床面積約32,612m2[29]、店舗面積約15,315m2[29](直営店舗面積約9,468m2[29])、駐車台数約500台[29]。
店舗面積約15,533m2(うち直営店舗面積約11,621m2)、延べ床面積約33,088m2[3]、売場面積15,552m2[31]。
- 北浦和駅西口商店街の奥にある埼玉工業の開設した建物への出店で、開業時からスポーツクラブのピープルを併設していた[30]。
- 敷地面積約17,610m2[36][35]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[36][35]、延べ床面積約20,990m2[35]、店舗面積約16,163m2[35](直営店舗面積約8,890m2[35])、駐車台数約260台[35]。
- ニチイとして開業した後、1995年(平成7年)10月7日にサティへと業態転換[37]。
- イオンへと転換した後、2020年(令和2年)2月29日閉店[38]。閉店後の建物は解体され、跡地はイオンリテール運営の「そよら武蔵狭山」が開業[広報 2][39][40]。核店舗はイオンスタイル武蔵狭山[広報 2][39]。
- 延べ床面積約16,728m2[42]、店舗面積約9,602m2[42](うち直営店舗面積約7,445m2[42])。
- ニチイとして開業した後、1995年(平成7年)11月17日にサティに業態転換[43]。
- イオンに転換した後、2021年(令和3年)3月19日に「イオンスタイルせんげん台」へと再度転換した[広報 3]。
- 延べ床面積約44,952m2[3]、店舗面積約17,561m2[3](うち直営店舗面積約11,659m2[3])。
- (2代目)ニチイ新座ショッピングデパートとして開業[45]した後、サティに業態転換[46]。
- 開業時に本格的な温水プールや屋上テニスコートなどを併設して注目された[47]。
- 2024年(令和6年)2月29日に建替えのため閉店予定[48]。
千葉県[編集]
- 敷地面積約26,751m2[49]、地上5階建て[49]・延べ床面積約85,010m2[49]、店舗面積約29,831m2[49](うち直営店舗面積約22,314m2[49])。
- 9スクリーンのシネマコンプレックスや、関東地区で初めての都市銀行のインストアブランチである富士銀行(現・みずほ銀行)が出店するなど、複合的な機能を持った3棟で構成される商業施設として開業した[51]。
- 敷地面積約16,858.91m2[53]、地下・鉄骨鉄筋コンクリート造・地上・鉄骨造・地下1階・地上7階建て[53]、延べ床面積約63,034.79m2[53]、店舗面積約27,719m2[53](うち直営店舗面積約12,200m2[14])。
- ゴルフ練習場・新稲毛ゴルフガーデンの一角を利用して建設された「スリースター稲毛ビル」の地下1階から地上2階までの商業施設部分の南側部分出店した[53]。
- 大型店進出が相次いでいたJR稲毛駅前への開店に対し、地元商店街が大型店のさらなる進出は大きな打撃となるとして地元主導型の運営を条件として出店を容認したため、地元商店などが出資する稲毛商業開発株式会社が中山製鋼所が建設したショッピングセンターを一括して借り上げ、マイカルをテナントとして入居させる形で「サティ稲毛メテオショッピングセンター」として[54]開業した。
- 地元主導の象徴として商業施設の管理・運営を担っていた稲毛商業開発は開業以来毎年赤字が続いていたところに[55]、1999年(平成11年)3月に中山製鋼所がマイカルに敷地と建物を売却してテナントが大家になる状況が生じたため[54]、マイカルと営業権の譲渡を交渉して清算可能な水準の金額を得られることになったことから2000年(平成12年)6月30日に臨時株主総会を開催して同日付で解散し[55]、翌日からマイカルによる管理・運営に移行した[55]。
- 2階に手織りのペルシャ絨毯やパキスタン絨毯を扱う本格的な専門店「セラフィアン絨毯」が入居していたが、2011年(平成23年)1月26日に閉店した[56]。
- 延べ床面積約37,076m2[3]、店舗面積約16,827m2[3](うち直営店舗面積約11,310m2[3])。
- 1999年(平成11年)3月6日に映画館や飲食店、雑貨大型店などが入る新館2番街(現・ユーカリプラザ)が開業した[60]。
- 2016年(平成28年)6月10日に直線距離で200mほど離れた場所の「イオンタウンユーカリが丘」に「イオンスタイルユーカリが丘」が開業することに伴い、同年6月5日閉店[広報 4][広報 5]。その後改装が行われ、山万が運営、オーケーストアを核店舗とするショッピングセンター、「スカイプラザ・モール」[広報 6] が2017年11月28日に開業した。イオンシネマユーカリが丘(旧ワーナー・マイカル・シネマズユーカリが丘)のみ移転せずユーカリプラザで営業を続けたが、2018年(平成30年)5月31日をもって閉館し[広報 7]、同年6月15日より佐々木興業株式会社が運営する「シネマサンシャインユーカリが丘」として営業している。
東京都[編集]
- 敷地面積約29,930m2[61]、地下1階地上7階建て[61]、延べ床面積約73,934m2[61]、店舗面積約34,181m2[61](うち直営店舗面積約26,600m2[61])。
- 大木伸銅工業の創業の地である徳丸工場が周辺の住宅地化や市街地化の進展により生産が困難になってきたため1994年(平成6年)5月に閉鎖され、跡地を東京都と共同で再開発しようとしたが長期化が予想されたためマイカルとの共同開発に転換し、開業した[63]。
- 衣料品の製造小売(SPA)でマイカル版ユニクロにあたるアットウィル1号店など専門店を多く出店させたり、シネマコンプレックスのワーナー・マイカルを併設した店舗であった[64]。2018年11月に改装オープンし、イオン板橋ショッピングセンターの核店舗であるイオン板橋店は「イオンスタイル板橋」へと転換した。
- 延べ床面積約21,288m2[3]、店舗面積約11,484m2[3](うち直営店舗面積約10,133m2[3])。
- 「矢野新商事」がデベロッパーとなってニチイ西新井ショッピングデパートとして開発され[67]、1991年(平成3年)4月26日にサティへと業態転換[65]。
神奈川県[編集]
- 敷地面積約14,235m2[72]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[72]、延べ床面積約21,692m2[72] → 約45,613m2[3]、店舗面積約13,306m2[72](直営店舗面積約6,860m2[72]) → 約15,951m2[3](うち直営店舗面積約13,096m2[3])、駐車台数約400台[72]。
- ニチイ天王町店として[74]開業した後、1992年(平成4年)2月19日に増床した上で天王町サティに業態転換[74]。また、周辺でマンション開発が進んでニューファミリー増加するなど住民構成が大きく変化したことを受けて2005年(平成17年)3月11日に地域密着型の食品に特化した店舗へと改装した[75]。
- イオンへ転換した後、2020年(令和2年)2月9日閉店[76]。閉店後の建物は解体され、跡地には「イオンスタイル天王町」を核店舗とする「イオン天王町ショッピングセンター」が2022年(令和4年)10月18日に開業した[広報 8]。
- 敷地面積約15,096m2[78]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上25階建て[78]、延べ床面積約72,950m2[78]、店舗面積約13,608m2[78](直営店舗面積約8,679m2[78]) → 約16,600m2[77](うち直営店舗面積約11,631m2[77])、駐車台数約250台[78]。
- ニチイ東神奈川ショッピングデパートとして開業[77]した後、サティへ業態転換。
- 東神奈川駅前の東海金属本社工場跡地に建設された「トーカイプラザ」に出店[77]。1駅隣の横浜駅西口に1978年(昭和53年)9月30日に竣工した「芙蓉ビル」にニチイ横浜店(現:横浜ビブレ)も開設している[79]。
- イオンへ転換した後、2017年(平成29年)7月に「イオンスタイル東神奈川」へ再度転換[80]。
- 敷地面積約6,844m2[81]、延べ床面積約32,284m2[81]、店舗面積約15,692m2[81](うち直営店舗面積約13,343m2[81])。
- 在日アメリカ軍が接収していた跡地に整備された[82]マイカル本牧の一番街の核店舗として開業[83]。1996年(平成8年)3月20日にマイカル本牧の改装に合せて食品売場を1.5倍に拡張し[84]、1999年(平成11年)3月6日に更に食品売場を約1.4倍に拡張して総菜売場を拡大する[83]など改装のたびに食品関連の強化を図った。
- みなとみらい21などとの競合で客を奪われたため、2005年(平成17年)にマイカル本牧は5番街を閉鎖するなど大幅に縮小している[85]。
- 延べ床面積約42,043m2[3]、店舗面積約24,709m2[3](うち直営店舗面積約18,198m2[3])。
- ニチイ海老名店として[89]開業した後、1993年(平成5年)4月24日に海老名サティに業態転換[89]。
- 延べ床面積約62,390m2[14]、店舗面積約25,000m2[91]。
- 新百合ヶ丘ビブレとして開業した後、2003年(平成15年)11月7日に一部を新百合ヶ丘サティへ業態転換[92]。
- 小田急電鉄新百合ヶ丘駅前に開業した複合商業施設の核店舗として、食品からファッション関連まで幅広く取り揃えると共にシネマコンプレックスのワーナーマイカルシネマズも併設した新百合ヶ丘ビブレとして開業した[93]。
- マイカルの経営再建策の一環として幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため、食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換することになり、当店もその対象となった[94]。
- イオンへ転換した後、2018年(平成30年)4月27日に「イオンスタイル新百合ヶ丘」へと再転換された。
- 敷地面積約25,465.27m2[97]、鉄骨造り地下1階地上4階建て[97]、延べ床面積約61,657.32m2[97]、店舗面積約26,400m2[95](うち直営店舗面積約20,400m2[95]。
- 国道1号と神奈川県道404号遠藤茅ヶ崎線に面した日本精麦工場跡地に建設された「ニチバクビル」に出店した[97]。
- イオンへ転換された後、イオンスタイル湘南茅ヶ崎へ再転換[98]。2023年(令和5年)6月1日には都市型ショッピングセンターである「そよら湘南茅ヶ崎」としてリニューアルオープン。イオンスタイル湘南茅ヶ崎はそよらの核店舗として規模を縮小し、食品・日用品・健康用品に特化した構成となった[広報 9]。
- 延べ床面積約85,127m2[42]、店舗面積約31,618m2[42](うち直営店舗面積約23,796m2[32])。
- イオンへ転換した後、建て替えのため2018年(平成30年)2月28日閉店[100]。閉店後の建物は解体され、2019年(令和元年)10月12日に「イオンスタイルつきみ野」として再開業。売場規模を縮小し、食料品・日用品・医薬品の日用必需品に絞った小型スーパー業態となった[広報 10]。
- 延べ床面積約103,988m2[102]、店舗面積約21,239m2[102]。
- JR横浜線と相模線、京王電鉄相模原線が乗り入れる橋本駅北口の市街地再開発事業の核店舗として2000年(平成12年)3月4日に橋本ビブレとして開業[102]。マイカルの経営再建策の一環として、幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため、食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換することになり[94]、ビブレからの転換店舗第1号として橋本サティへ業態転換した[103]。
中部[編集]
新潟県[編集]
石川県[編集]
- 延べ床面積約68,233m2[3]、店舗面積約26,512m2[3](うち直営店舗面積約18,978m2[3])。
- 1.6 km西にある白山市横江町に「イオンモール白山」が2021年(令和3年)7月19日に開業するのに先立ち、2021年(令和3年)5月31日閉店[110][111]。イオンシネマ(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)などの一部テナントもイオンモール白山に移転した。
- 閉店後の建物は解体され、跡地には「アークスクエア御経塚」としてホームセンタームサシやヤマダデンキ、イオンスタイル御経塚からなる複合商業施設が開業した[112]
山梨県[編集]
- 店舗面積約9,650m2[116]。
- 地元主導型ショッピングセンター「スコレーショッピングタウン」の核店舗・ニチイ石和店として開業した[116]。
- 1997年(平成9年)4月18日に石和サティに業態転換[71]。
- 2008年(平成20年)5月30日にマイカルのショッピングセンター初のマックスバリュが出店[117]。2015年(平成27年)3月14日にディスカウントストア「ザ・ビッグ」にリニューアルされている[118]。この経緯から旧マイカル店舗では唯一、総合スーパー内にディスカウントストアが出店する特殊形態で2022年現在も営業している。[要出典]
長野県[編集]
- 延べ床面積約2,880m2[3]、店舗面積約2,274m2[3](うち直営店舗面積約1,998m2[3])。
- サンマートオジマヤ駅前店[120]として開業した後、1981年(昭和56年)にアスク木曽福島店へ改称。2003年(平成15年)3月1日、アスク木曽福島から木曽福島サティに改称した。
- 2006年(平成18年)2月4日に伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルが開通してアピタ伊那店などの伊那地区の競合店が木曽地区にチラシを配布するなど競争が生じたため土日を中心に売上が減少するなどの影響を受けている[121]。
- 鉄筋コンクリート造地上3階建て・塔屋2階[122]、延べ床面積約23,559m2[3]、店舗面積約13,000m2[124](うち直営店舗面積約9,961m2[3])。
- 設置者はニチイグループのアライド信州[123](当時、後のマイカル信州[125])。店舗のある豊科町(現・安曇野市の一部)の開業当時の人口は約25,000人と少なかったものの周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばし、同レベルの人口である辰野町に辰野サティを開業させる誘引となった[126]。
- なお、豊科町(当時)の商圏人口は2009年(平成21年)には約16万5000人に増加している[127]。
愛知県[編集]
- 延べ床面積約85,359m2[14]、店舗面積約29,735m2[129](うち直営店舗面積約22,300m2[14])。
- 1999年(平成11年)3月29日にウルトラマン倶楽部や手塚治虫キャラクターショップなどの専門店や直営を中心とする食品売場を充実させた大型商業施設として開業した[130]。
- 延べ床面積約33,708m2[42]、店舗面積約22,966m2[42](うち直営店舗面積約20,024m2[42])。
- 1998年(平成10年)9月22日にシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ豊川やボウリング場やテーマレストランなどを併設した大型商業施設として開業した愛知県内のサティ2号店[131]。
三重県[編集]
- 敷地面積約110,595m2[132]、延べ床面積約153,358m2[132]、店舗面積約59,995m2[132]。
- マイカル桑名の3つの核店舗の1つとして開業した[133]。
- 2015年(平成27年)4月17日にマイカル桑名はイオンモール桑名として新装開店した[134]。
- 延べ床面積約60,389m2[14]、店舗面積約25,347m2[14](うち直営店舗面積約17,684m2[14])。
- 衣料品を販売する[136]ニチイ津店として開業[138]。ジャスコと共に核店舗として津ショッピングセンターエルに出店していたニチイ津店を1994年(平成6年)4月23日に増床して津サティに業態転換した[138]。2011年(平成23年)3月にマイカルとイオンリテールの合併に伴って「イオン津ショッピングセンター」となった[139]。
- 建て替えのため[139]2024年(令和6年)2月12日に閉店した[137]。別棟のイオンシネマ津(旧:ワーナー・マイカル・シネマズ津)は同日以降も営業を継続している[広報 11]。
近畿[編集]
滋賀県[編集]
- 敷地面積約13,953m2[140]、延べ床面積約60,908m2[140]、店舗面積約16,500m2[140] (うち直営店舗面積約12,000m2[140] )。
- 隣接地に[141]、専門店街やシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ近江八幡などが入居する2番街「マイカル・アクア21」が2000年(平成12年)10月6日に開業して既存の店舗とあわせた全体をマイカルタウン近江八幡として運営するようになった[142]。
- イオンモール草津の核店舗として開業[144]。イオンへ転換した後、イオンスタイル草津と改称(時期不詳)。
- 出店した時点では滋賀県内最大の規模でシネマコンプレックスなども併設されたショッピングセンターのイオンモール草津の核店舗である[144][143]。
京都府[編集]
- イオンモール高の原の核店舗として開業[147]。
- 延べ床面積約14,243m2[14]、店舗面積約8,656m2[14]。
- 旧伏見店(1967年開業)を移転し、2代目の[要出典]伏見店として開業[71]。
- 2020年(令和4年)12月31日をもって建て替えのため閉店[148]。なお、建て替え期間中は近隣に仮店舗として「イオン伏見プラザ店」を開設している。
- 敷地面積約5,107m2[150] → 約12,052m2[149]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[150] → 鉄骨5階建て[151]、延べ床面積約6,682m2[150] → 約24,343m2[149]、売場面積約4,857m2[150] → 約14,142m2[149](直営売場面積約11,072m2[149])。
- ニチイ向日町店として開業[152]した後、増築・改装のため一旦営業を休止し、[要出典]1981年(昭和56年)11月18日に再開業した[71]
- 1997年(平成9年)4月19日に売場面積を約1.5倍増床して専門店などを導入し、サティに業態転換した[153]。
- 2004年(平成16年)から毎年1回アルバイトを含めた従業員が、使い古しのタオルで作ったぞうきんなどを店舗周辺の福祉施設に寄贈するなどの活動を行っている[154]。
- 2014年(平成26年)12月25日時点で専門店が34店出店していた[151]。
- 2015年(平成27年)5月31日閉店[155]。閉店後の建物は解体され、跡地は分譲マンションが併設された複合施設となり、1階と2階はグループ会社のダイエーが運営する「イオンフードスタイル東向日店」が入居し、2018年(平成30年)4月21日に開業、3階と4階は向日市役所の東向日別館となった[広報 12]。
- 敷地面積約11,046m2[156]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[156]、延べ床面積約22,192m2[156]、店舗面積約15,726m2[156](当社店舗面積約11,308m2[156])、駐車台数約600台[156]。
- ニチイ大久保店(1961年開業、1969年建替の大久保100番館。後に平和堂へ譲渡。宇治市広野町西裏100)として開業。それに代わる2代目の[要出典]ニチイ大久保店として[158]、オークボスポーツレーンの跡地に開業[要出典]。
- 近鉄大久保駅近くに位置した4階建ての店舗[159]。2015年(平成27年)11月30日時点で専門店が27店出店し、1階が食料品売り場で、2階~4階が衣料品や日用品の売り場となっていた[159]。
- 2016年(平成28年)5月31日閉店[広報 13]。跡地は京都府城陽市に所在した「ほうようリハビリテーション病院」が「宇治リハビリテーション病院」として新築移転され[160]、2023年(令和5年)7月1日に開院した[161]。
大阪府[編集]
- 敷地面積約27,939m2[162]、鉄骨造地下1階・地上5階建て[162]、延べ床面積約68,809m2[162]、店舗面積約20,243m2[162](うち直営店舗面積約10,650m2[162])。
- 2001年(平成13年)1月1日に開業したマイカル茨木(現・イオンモール茨木)の核店舗の一つとして、ビブレ茨木などと共に開業した[163](なお、茨木ビブレは2015年(平成27年)2月28日をもって閉店している[要出典])。
- イオンへ転換した後、2015年(平成27年)4月29日に「イオンスタイル茨木」に再転換している。[要出典]
- 敷地面積23,598.21m2[165]、地下1階・地上8階建て[165]、延べ床面積27,829.573m2[165]、店舗面積約14,000m2[14](うち直営店舗面積約11,178m2[14])。
- 北千里ビブレとして開業[103]したが、店舗周辺の狭商圏を対象として総菜や野菜などの食品を充実させると共に衣料品の商品構成を見直し、2003年(平成15年)2月27日にサティへ業態転換した[103]。
- 延べ床面積約25,322m2[3]、売場面積約7,686m2[167] → 店舗面積約14,160m2[3](直営売場面積約6,700m2[167] → 約12,044m2[3])、駐車台数約460台[167]。
- 敷地面積約11,765m2[168]、鉄筋コンクリート造地上5階建て[168]、延べ床面積約28,165m2[168]、店舗面積約13,290m2[168](当社店舗面積約8,200m2[168])、駐車台数約700台[168]。
- 2019年(令和元年)5月19日閉店[169]。閉店後の建物は撤去され、跡地にはイオンリテール運営の「そよら新金岡」が開業した[広報 14]。そよら業態としては、海老江に続く2店舗目の出店[広報 14]。
- 敷地面積8,427m2[170]、地下1階・地上15階建て[171]、延べ床面積約48,791m2[170]、店舗面積約25,130m2[170](うち直営店舗面積約10,827m2[14])。
- 1990年(平成2年)4月に京阪電鉄枚方市駅前の再開発事業で建設されたショッピングセンター「ビオルネ」[172]の核店舗、枚方ビブレとして開業[173]。2008年(平成20年)2月27日にサティへ業態転換した[173]。
- 当店の入居するショッピングセンター「ビオルネ」を管理・運営する枚方市の第三セクターのビオルネは競合店対策の改装費用の負担や競合に伴う売上減少を受けて2010年(平成22年)9月6日に大阪地方裁判所に民事再生法の適用を申請して同日保全命令を受けた[174]。
- 敷地面積57,290m2[175]、延べ床面積約38,239m2[175] → 約69,657m2[3]、店舗面積約31,630m2[3](うち直営店舗面積約17,779m2[3])。
- 地元主導型ショッピングセンター「トーク岸和田」の核店舗として、ニューキャッスル協同組合や「株式会社トーク岸和田」と共同で管理を行う形態で開業した[175]。
- JR東岸和田駅近くに出店しており、1994年(平成6年)にニチイから「東岸和田サティ」に転換して映画館やスポーツ施設なども併設した複合商業施設となった[176]。1999年(平成11年)3月10日には店舗面積を約10,000m2増床して新装開業した[176]。
- 2020年(令和2年)8月31日閉店[広報 15]。閉店後の建物は撤去され、跡地にはイオンリテール運営の「そよら東岸和田」が2023年(令和5年)9月26日に開業した[広報 15][177]。
- 敷地面積7,968.94m2[180]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階・地上18階建て[178]、延べ床面積67,095.91m2[180]、店舗面積約15,927m2[178](うち直営店舗面積約12,460m2[178])、駐車台数約1,000台[178]。
- 東大阪市の近鉄奈良線・布施駅前の布施駅北口第一地区第一種市街地再開発事業として開発された[180]複合施設ヴェル・ノール布施の核店舗として1996年(平成8年)3月1日に布施ビブレを開業し[178][179]、2008年(平成20年)3月28日に改装して布施駅前サティに業態転換した[181]
兵庫県[編集]
- 敷地面積約47,658m2[182]、延べ床面積約157,056m2[182]、店舗面積約45,088m2[182]。駐車台数約4,000台[182]。
- JR大久保駅の南側で神戸製鋼所が事業主体として開発が進められたニュータウンである「オーズタウン」の中核施設として[184] 1997年(平成9年)10月23日に開業したマイカル明石の核店舗の1つとして明石ビブレやシネマコンプレックス等と共に開店した[183]。
- 敷地面積約27,000m2[185]、延べ床面積約35,853m2[185]、店舗面積約17,767m2[185](直営店舗面積約11,550m2[185])。
- 淡路市南部にある人工島の志筑新島に立地する[187]ショッピングセンター「アル・クリオ」の核店舗で[186]、地元の商業者による専門店街が併設されており[188]、マイカルの経営破綻後に専門店街のうちの6店が廃業して本社にサティの店舗存続を求める状況が生じたが閉店を免れた[188]。
- 店舗に隣接する大手総合商社などのリゾート計画がとん挫した跡地で進められた「850人が暮らす日本のフロリダ」を目指した構想の第1弾として2004年(平成16年)春に開業した182室の高齢者住宅の入居率が2005年(平成17年)4月で50%に達せず2期工事着工のめどが立たない等店舗周辺の開発はかつての構想より大幅に遅れている[187]。
- 2005年(平成17年)10月14日から18日まで淡路島の食材にこだわった特産品を製造する業者でつくる「淡路島物産協会」の特設販売コーナーを開設されて特産品の販売が行われた[189]。
- 敷地面積約28,000m2[190]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[190]、延べ床面積約14,647m2[190] → 約34,662m2[3]、店舗面積約5,939m2[190](当社店舗面積約4,500m2[190]) → 約21,745m2[3](うち直営店舗面積約14,500m2[3])、駐車台数約740台[190]。
- 神姫バス小野営業所跡に建設された建物を賃借して出店した[191]ニチイ小野店を店舗面積2倍強に増床して1992年(平成4年)11月20日に小野サティへ飲食やサービス部門も増強して業態転換した店舗である[192]。
- 敷地面積約46,816.73m2[193]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[195]、延べ床面積約34,505m2[195] → 約58,748m2[14]、店舗面積約14,935m2[195](当社店舗面積約10,535m2[195]) → 約33,286m2[14](うち直営店舗面積約21,471m2[14])、駐車台数約1,100台[195]。
- 日本製麻兵庫工場跡地の一部を鹿島建設が買収して開発したショッピングセンターに出店していた[196]。
- 一部を加工側商工会議所などが出資して設立した第三セクターの「加古川商工開発」が買い取って地元業者が出店する加古川方式で注目された[196]。
- 国道2号に面しており[197]、開業時は地域唯一の大型店だったためニチイグループ2位の売上高を誇ったこともある有力店舗だったが、マイカルの経営破綻後には商品調達が出来ずに客数が30%近く減少するなど破綻の影響を大きく受けた店舗の一つとなった[188]。
- 2006年(平成18年)11月1日に加古川市の総合窓口業務を行う「東加古川市民総合サービスプラザ」が開設され、各種の証明の交付・申請や届け出書類の受付から公金の収納などの市役所の窓口機能を年末年始と偶数月の第三土曜日を除く当店の営業日は毎日市民が利用できるようになった[197]。
- 延べ床面積約61,625m2[14]、店舗面積約25,298m2[14](うち直営店舗面積約17,716m2[14])。
- 三田市のニュータウン内に[188] 第三セクターの北摂コミュニティ開発センターが建設した「センチュリーRIVA!」の核店舗として自社直営の物販の売場が中心の一番街とシネマコンプレックスのワーナー・マイカルシネマズやレストラン街が入居する別館の二番街からなる複合型ショッピングセンターとして2000年(平成12年)11月1日に開業した[198]。
- 敷地面積約32,993m2[200]、地上5階建て[200]・延べ床面積約72,646m2[200]、店舗面積約23,578m2[200](うち直営店舗面積約15,000m2[200])。
- 第2次世界大戦前に外国人居留地として開発された通称ジェームス山と呼ばれる住宅地の小高い山の上に1997年(平成9年)6月6日に開業した店舗で[202]、ボウリング場やスポーツクラブ、レストラン街やフードコートなどサービス施設を充実させると共に[201] 明石漁港も近いため比較的舌の肥えた住民の多い土地柄とされることを考慮した品揃えを行っていた[202]。
- 延べ床面積約24,166m2[14]、店舗面積約12,029m2(うち直営店舗面積約9,297m2)。
- 神戸市西区の住宅街にある神姫バスが保有していたビルに核店舗として出店していた[203]。
- 2014年(平成26年)12月31日閉店[203]。
- 東洋紡績工場跡地の再開発事業として姫路市が推進した「北部副都心計画」の核店舗として出店した[207]。
- 鉄骨造2階建て塔屋付[208]・延べ床面積約10,945m2[208]、店舗面積約8,636m2[208]。
- サティの食品売場のノウハウを集約した食品専門店[210]サティ食品館として[211]1994年(平成6年)5月1日に三木サティ食品館として開業し[210]、周辺の住宅開発の進展など商圏環境の成熟化に対応して食品館の市道を挟んだ[211]向かいの敷地に別棟方式で衣料品・住関連売場を増築して衣食住のフルライン店舗へ改装して[212] 1998年(平成10年)9月3日に三木サティとして開業した[211]。
奈良県[編集]
- 敷地面積3,824m2[214] → 約5,412m2[213]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階一部3階建て[214]、延べ床面積4,342m2[214] → 約14,842m2[213]、売場面積約3,253m2[214] → 売場面積約7,023m2[167](直営約5,919m2[167]) → 売場面積約8,151m2[213](当社店舗面積約6,792m2[213])、駐車台数約340台[167] → 約100台[213]。
- 敷地面積約17,117m2[215]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[215]、延べ床面積約11,910m2[215] → 約18,933m2[115]、店舗面積約7,932m2[215](当社店舗面積約5,758m2[215]) → 約12,909m2[115](うち直営店舗面積約10,040m2[115])、駐車台数約460台[215]。
- ニチイ西大和ショッピングデパートとして開業[216]、1993年(平成5年)10月23日に西大和サティに業態転換した。[要出典]
- 2000年(平成12年)12月1日にシネマコンプレックス開業[217]
- 2021年(令和3年)7月31日閉店[218]。隣接のイオンシネマ(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)は営業を継続していたが、2022年(令和4年)8月21日に閉館[219]。
中国[編集]
鳥取県[編集]
- 敷地面積約14,286m2[220]、延べ床面積約48,585m2[220]、店舗面積約17,860m2[220](うち直営店舗面積約8,500m2[220])。
- 米子サティ(初代) → 米子ビブレ(2001年(平成13年)2月25日に閉店[221]) → 米子駅前サティ(2001年(平成13年)3月に再びサティとして開業[221])
- 1990年(平成2年)6月29日に米子駅前に(株)米子ニチイにより開店[222]。グループ企業再編により、(株)サンインニチイ→(株)マイカルサンインの経営から、1996年(平成8年)3月13日に米子ビブレに業態転換に伴って(株)マイカルに移管されて直営店舗となる[223]。再度サティに業態転換したが、現在のホープタウンが「(2代目)米子サティ」を名乗っていたため店名を「米子駅前サティ」[224] とした。
- 2003年(平成15年)に経営破たんしたマイカルへの支援と市民の交流の場の提供を兼ねて米子市が4階に「市民交流広場」を開設していたが、2004年(平成16年)~2007年(平成19年)の年間利用日数が98~127日と低迷していた上マイカルがイオンの傘下に入って経営を支援する必要がなくなったとして2008年(平成20年)12月末で廃止とされた[224]。
- JR米子駅前であるが郊外店舗への対抗策として店舗併設の米子市開発公社が所有する立体駐車場を無料としていたが、買い物客や施設利用者以外も無償で駐車出来て近隣と不公平になっているとして有料化する方針であることが2009年(平成21年)6月10日開かれた米子市の第三セクター米子駅前開発の株主総会で明らかになった[225]。
- マイカルグループのスポーツクラブであったエグザス米子店(米子駅前サティ内)と松江店(松江サティ内)はコナミによる買収後もホープタウンが2010年(平成22年)までエグザスブランドで運営していたが、現在はコナミブランドに転換している。
- 2015年(平成27年)10月移転では、店舗の敷地と駐車場棟は一般財団法人「米子市開発公社」が所有し、建物は第三セクターの「米子駅前開発」が所有して全館を賃貸しているが、赤字縮小のためにイオンリテールが約4.81億円で取得した後、米子市に無償で譲渡して再賃貸することを希望している[226]。
- しかし、この所有形態の変更に伴うリスクとして老朽化の進んだ建物の維持管理費増大や、将来的な賃料収入の見込みが不明朗なことなどの問題点を指摘する批判がなされている[226]。
島根県[編集]
- イズミが店舗面積33,498m2のゆめタウン出雲を出店することやジャスコ日吉津店が店舗面積36,589m2へ増床する動きに対抗して[228]、既存店舗の北側に繋げてL字形となるように8,584m2の増床を行って店舗面積30,893m2へ拡大すると共に飲食店やフードコートなどの飲食関連の充実や直営の食品売り場拡大を図る計画を2008年(平成20年)2月7日に大規模小売店舗立地法に基づいて島根県に届出を出し[229]、2008年(平成20年)9月27日に増床して専門店を30店舗増やして100店舗とすると共に直営の食品売場などを拡張してリニューアルオープンした[230][231][232]。
- 2020年(令和2年)4月24日に直営売場の改装に伴い、「イオンスタイル松江」へ転換。[要出典]
- 鉄筋コンクリート造4階建て[235]、延べ床面積約6,930m2[235] → 約10,251m2[14]、店舗面積約7,593m2[14](うち直営店舗面積約6,628m2[14])。
- 1975年(昭和50年)11月29日に開業したサンプラザマルシン(核店舗は広電ストア運営による「ひろでん益田店」)が前身である[236]。広電ストアが経営権をマイカルサンインに委譲し[234]、建物を改築して[要出典]1997年(平成9年)に益田サティとなった[234]。
広島県[編集]
- 敷地面積約17,067m2[237]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[237]、延べ床面積約21,929m2[237]、店舗面積約10,607m2[237](当社店舗面積約7,676m2[237])、駐車台数約600台[237]。
- (2代目)ニチイ尾道店として開業し[239]、1994年(平成6年)に尾道サティへ業態転換した[240]
- 老朽化のため、2019年(平成31年)2月28日閉店[240]。閉店後、建物は解体され、2020年(令和2年)9月18日に「イオンスタイル尾道」として開業[240][241]。
- 敷地面積約5,300m2[243]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋1階[243]、延べ床面積約10,435m2[243]、店舗面積約9,377m2[243](当社店舗面積約6,400m2[243])、駐車台数約500台[243]。
- 延べ床面積約12,600m2[115]、店舗面積約9,180m2[115](うち直営店舗面積約6,400m2[115])。
- 商店街から約1㎞離れた国道2号線と国道31号線の交差点付近に郊外型ショッピングセンターとしてNAC加盟の地元スーパー「三浦ストアー」を核店舗として開発が進められ[244]、ニチイ海田ショッピングデパートとして開業[71]、1994年(平成6年)9月20日にサティへ業態転換した。
- 2018年(平成30年)2月28日閉店[245]。閉店後の建物は解体され、マックスバリュ海田店として開業[246]。
- 敷地面積約6,103m2[249]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て[249]、延べ床面積約20,410m2[14]、店舗面積約8,837m2[14](うち直営店舗面積約5,080m2[14])。
- 廿日市駅から西へ約1.5㎞の日本製麻工場跡地にニチイ廿日市ショッピングデパートとして開発され[249]、1990年(平成2年)5月23日にサティへ業態転換した。
- 2014年(平成26年)4月30日閉店[250]。
- 店舗跡は廿日市市が土地建物を約13.1億円で取得し、隣接するJA広島総合病院と合わせて地域医療拠点として整備する計画が進められている[250]。
山口県[編集]
- 敷地面積約16,112m2[253]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[253]、延べ床面積約27,184m2[253]、店舗面積約6,909m2[253](当社店舗面積約4,459m2[253])、駐車台数約630台[253]。
- JR防府駅前にニチイ防府店として[254]1982年(昭和57年)4月1日に開業し[71]、宝酒造が防府工場跡地に建設した宝酒造防府ビルを借りて[255]1999年(平成11年)3月2日に店舗面積を約3倍に増床して食品部門などの物販を拡充すると同時にシネマコンプレックスやレストラン街などを導入して大規模化と総合化を図ってサティへ業態転換し[254]、2003年(平成15年)9月20日に寿司や弁当、揚げ物、惣菜などの売場を一箇所に集約してデリカゾーンとするなど生活場面を想定した売場編集の見直しを行って買い回り性の向上を狙った改装を行った[256]。
- 2011年(平成23年)3月1日にイオンリテールとマイカルが経営統合したことに伴ってイオン防府店に名称が変わる際には食品売り場の改装を行った[257]。
四国[編集]
香川県[編集]
- JR坂出駅前にニチイ坂出店として開業。1993年(平成5年)2月10日に建物を改築し、サティへと業態転換した[71]。
- 店舗面積約22,993m2(うち直営店舗面積約15,147m2)、延べ床面積約58,566m2[3]。
- 坂出駅前再開発計画に伴う建て替えのため、2024年(令和6年)2月29日をもって閉店した[260][261]。閉店後は建物を取り壊した上で、新店舗として出店する計画がある[262]。
- 延べ床面積約83,030m2[14]、店舗面積約26,546m2[14](うち直営店舗面積約20,495m2[14])。
- 2005年(平成17年)6月に子ども用品を専門とする「キッズプラザ」を開設して家族連れの集客力を高め、2007年(平成19年)2月23日に地場の野菜や果物の産直コーナー、香川県産の魚類を使った干物コーナーを設置すると共に、四国の地酒や焼酎の取り扱いを増やすなど、地場産品の取り扱いを増やすなど食品部門を強化し、有名ブランドのコーナーの拡充やスキンケアなどのカウンセリングを充実させるなどして、化粧品売場の専門性を高めるなどの改装を行った[266]。
愛媛県[編集]
- 延べ床面積約27,512m2[14]、店舗面積約13,619m2[14](うち直営店舗面積約10,928m2[14])。
- 2003年(平成15年)3月21日に地場商品の食品の取り扱いの強化やファッション衣料でのブランド品の品揃えの充実などを中心とした改装を行ってリニューアルを行った[268]。
高知県[編集]
- 敷地面積約29,965m2[269]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[269]、延べ床面積約17,991m2[269] → 約24,069m2[14]、店舗面積約9,953m2[269](当社店舗面積約6,506m2[269]) → 約13,217m2[14](うち直営店舗面積約11,486m2[14])、駐車台数約530台[269]。
- ニチイ高知ショッピングデパートとして開業[270][71]、1991年(平成3年)にサティへ業態転換[270]。
九州[編集]
福岡県[編集]
- 敷地面積約19,806m2[271]、鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋2階[271]、延べ床面積約19,079m2[271]、店舗面積約13,098m2[271](直営店舗面積約10,074m2[271])、駐車台数約600台[271]。
- ニチイ大野城店として開業[272]、1998年(平成10年)にサティへ転換[272] 。
- 2017年(平成29年)8月31日閉店[広報 16]。
- ダイエー原店の撤退後、改装工事を行った上でサティとして開業[275]。
- 2019年(平成31年)1月31日閉店。店舗は建て替えられ、閉店時の核店舗の名称を引き継いだ「(2代目)イオン原店」として2020年(令和2年)11月19日開業[広報 17]。
- 鉄筋コンクリート造一部鉄骨造地上2階建て塔屋1階[276]、延べ床面積約12,342m2[276]、店舗面積約8,794m2[276](当社店舗面積約6,711m2[276])、駐車台数約580台[276]。
- ニチイ粕屋店として開業。2000年(平成12年)4月23日に建物を改築し、サティへ業態転換[277]。
- 延べ床面積約105,313m2[14]、店舗面積約29,302m2[14](うち直営店舗面積約21,302m2[14])。
- 2010年(平成22年)4月23日に直営売場を「戸畑サティ」から「イオン戸畑店」に名称変更し、5月28日にイオン戸畑ショッピングセンターとして開業した[278][広報 18]。
佐賀県[編集]
- 1996年(平成8年)9月に九州初のシネマコンプレックスとしてワーナー・マイカル・シネマズ上峰が当店に併設されて開業したが、佐賀市や福岡県久留米市などに相次いで競合するシネマコンプレックスが開業して競争が激化している中で最新技術の3D映像に対応できない上に老朽化しているとして2010年(平成22年)2月28日に閉館となり[280]、イオン上峰店も売り上げの減少や建物の老朽化により2019年(平成31年)2月28日に閉店した[281]。
鹿児島県[編集]
- サンシティ・リブレとして開業、2000年(平成12年)にサティへ店名変更。
- 2016年(平成28年)2月14日閉店[広報 19]。同年3月10日に隣接地に建設したイオンタウン姶良の核店舗として「イオン姶良店(2代目)」が開業した[283]。
- 延べ床面積約29,000m2[3]、店舗面積約18,000m2[284][3](うち直営店舗面積約13,000m2[3])。
- 隼人町見次地区に国分・隼人地区で2002年(平成14年)10月時点で最大の売り場面積18,000m2を持ち、優良進出企業を擁するテクノポリスの存在するために根強い経済力を誇っていた国分・隼人地区をバックにマイカルの民事再生法適用申請を受けて経営再建に入った後も売上げは順調に推移してマイカル九州の店舗網のなかでも最優良店と位置づけられていた[285]。
閉鎖された店舗[編集]
「サティ」から閉店せずに「イオン」に改称した店舗については「イオンに改称された店舗」を参照。
北海道[編集]
すべて旧マイカル北海道(後のポスフール、現イオン北海道)が運営していた。この項ではポスフールに改称する前の閉鎖店舗について述べる。
- ホクホー標茶店(川上郡標茶町旭2-2-8、開業時期不明 - 閉店時期不明)
- 1977年(昭和52年)に「恵庭ファミリーデパート」開業。「ホクホー恵庭店」を経て、1992年(平成4年)に「ニチイ恵庭店」へ改称したが、不採算であること、敷地が狭く増床によるサティ化が不可能なこと、千歳サティと商圏が重なることなどが要因で閉鎖。
- 店舗跡にはラルズの「ビッグハウス恵庭店」が開業。
- 店舗面積約11,066m2[291]、延べ床面積約34,625m2[291]。
- プールやホールを併設したニチイ大谷地ショッピングデパートとして開業[288]。1999年(平成11年)10月8日に増床し、サティへ業態転換した[292]。
- 当店は閉店が決まっていたため、道内他店が「ポスフール」に改称された2002年(平成14年)5月以降も「サティ」ブランドを継続していた。
- 閉店後、2003年(平成15年)4月16日に札幌東急ストア(現・東光ストア)が1階の核店舗で[293]ツルハが2階の核店舗となる複合商業施設「キャポ大谷地」が開業した[294]。
- 敷地面積約20,200m2[295]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[295]、延べ床面積約18,242m2[295]、店舗面積約10,263m2[295](当社店舗面積約6,581m2[295])、駐車台数約50台[295]。
- 閉店後、2005年(平成17年)6月に津司が「卸スーパー」を開店し[297]、同年9月1日にオカモトグループの大型ゲーム施設「ヴァリオス手稲店」が開店した[298]が、後に閉店。その後同グループのジョイフィット札幌手稲が入居したが、2015年(平成27年)12月31日をもって撤退[広報 21]。その後2017年までに建物新築のため解体され[299]、同年12月28日に[要出典]パチンコホール「KEIZ手稲店」が跡地に開業した[300]。
- 閉店後の店舗は北雄ラッキーが買収し[303]、2001年(平成13年)3月9日に北雄ラッキー新琴似四番通店が開業[304]。
- 店舗面積約3,265m2[291]。
- マイカル北海道では初のサティ食品館業態の店舗として開業した食品主体のSSM店舗だった[301]。
東北[編集]
マイカル東北の運営店舗のうち、優良店舗7店は2001年(平成13年)9月1日付でマイカル本体に移管。直後にグループは破綻。残りの店舗の内、イオングループの店舗と隣接していた横手サティを除き不採算店舗としてすべて閉鎖し、その後会社清算となった。
青森県[編集]
- 売場面積611m2[309]。旧・武田ストア店舗[310]。
- 閉店後の建物はそのまま、スーパーマーケット「亀屋みなみチェーン食彩館旭町」が入居したが、後に閉店。[要出典]
- 現在は、スーパーマーケット「マエダストア旭町店」が入居している。[要出典]
- 延べ床面積約12,075m2[315]、店舗面積約7,407m2[315](直営店舗面積約6,469m2[315])。
- 青森ニチイが運営する八戸ショッピングプラザとして八戸市中心部に出店していた[316]。
- 東北ニチイグループの第一号店として開店し、1977年・78年のピーク時には年間売上高が38億円に上った[317]が、中心街での相次ぐ競合店の開業、景気低迷や郊外型大型店の進出などのあおりを受け、1994年度の売上高は最盛期の約半分である20億円を割り込むまでに悪化した[317]。
- 閉店2年前の1994年(平成6年)には、開店当初から入居し地下食品部門を担当していたユニバースニチイ店が撤退し[319]、同年暮れには三陸はるか沖地震の影響で老朽化した建物が深刻なダメージを受けるなど、店舗としての機能が減退していた[317]。
- 一時期サティへの業態転換に向けて検討が重ねられていたが、現店舗では敷地面積や駐車場の不足などによって増改築が出来ず、店舗展開上の最低条件を満たせないことから断念された[320]。
- 売場面積5,663m2[307]。
- 跡地は現在、コンサートホール八戸店。[要出典]
岩手県[編集]
- 売場面積2,396m2[311]。
- 1979年(昭和54年)[321]に盛岡市三本柳にあった店舗で[322]、当初は盛岡近郊における店舗面積13,000m2を誇る郊外型大型店の先駆けとして開店した[321]ニチイ都南店(後の盛岡南サティ)があったが、2006年(平成18年)3月31日に閉店した[323]。
- 盛岡南サティ(初代)✩×(盛岡市三本柳5地割字百目木21[324]、1979年(昭和54年)4月27日開業[325] - 2006年(平成18年)3月31日閉店[323]、ニチイ都南店 → 盛岡南サティ)
- 敷地面積約40,198m2[325]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[325]、延べ床面積約31,276m2[325]、店舗面積約12,536m2[325](当社店舗面積約7,700m2[325])、駐車台数約1,020台[325]。
- 閉店時の直営店舗面積約8,275m2[323]
- 盛岡市三本柳にあった店舗で[322]、1979年(昭和54年)に開店した当初は盛岡近郊における店舗面積13,000m2を誇る郊外型大型店の先駆けとして[321]、盛岡市南部の都南地区の中核的な商業施設だった[326]。そのため、順調に売上を伸ばし[321]、1998年(平成10年)に売上高約70億円を上げていたが競合する大型店の出店などの影響で2003年(平成15年)に売上高約40億円に落ち込んで約1.5億円の赤字となるなど業績が低迷すると共に老朽化に伴う修繕費が毎年6000万円かかるようになったため[321]、業績の回復が困難だとして2006年(平成18年)3月31日に閉店した[322][321][326]。
- マイカル東北が運営していたが2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。
- 建物は2009年(平成21年)4月末に解体に着手して秋までに更地にされた[327]。この店舗は、上述のマイカル本体へ移管された店舗であった。跡地にはケーズデンキ新盛岡南店(運営はデンコードー)が[326]2011年(平成23年)7月28日にオープンした。[要出典]
- 旧店舗閉店後の2006年(平成18年)9月15日に開店したイオン盛岡南ショッピングセンター(現:イオンモール盛岡南)内のサティ(現在のイオン盛岡南店)とは別店舗。
- 売場面積280.5m2[328]。
- ハロービビ(1998年(平成10年)[329]2月閉店)
- マイカル東北が経営していた服飾専門店[329]。
- 丸光釜石店として開業し[331]、東北ニチイが営業を継承した[333]。また、最後まで残ったニチイ業態の店舗でもあった。[要出典]
- 店舗面積約3,673m2(うち直営店舗面積約3,493m2)[334]、延べ床面積約6,055m2[334]。
- 店舗跡は取り壊されて空地となっていたが2017年に釜石市民ホールが完成[333]。
- 江刺サティ✩(江刺市岩谷堂下惣田96-2[338](現・奥州市江刺豊田町2丁目1−7[要出典])、1986年(昭和61年)10月25日開業[338] - 2002年(平成14年)8月31日閉店[339]、 旧・ニチイ江刺店 → 江刺サティ → ジャスコ江刺店 → イオン江刺店)
- 敷地面積約13,318m2[338]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[338]、延べ床面積約7,425m2[338]、店舗面積約5,846m2[338](当社店舗面積約4,500m2[338])、駐車台数約310台[338]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 店舗跡には2003年(平成15年)4月に「ジャスコ江刺店」が出店したが、2011年(平成23年)3月1日に「イオン江刺店」に改称後、2019年(令和元年)11月10日をもって閉店。[要出典]500m程の距離に同年11月29日に開業したイオンタウン江刺の核店舗として「イオンスタイル江刺」が出店したためであり、事実上の移転となる。[独自研究?]
- 宮古サティ✩(宮古市栄町5-1[340]、1980年(昭和55年)11月25日開業[341]、2002年(平成14年)8月31日に閉店[342]。旧・宮古ファミリーデパート玉木屋 → サンホーユー宮古店 →ニチイ宮古店 → 宮古サティ)
- 店舗面積約6,155m2[291]、延べ床面積約10,572m2[291]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 店舗跡地はテナントを集めた商業施設として利用することになり[343]、2003年(平成15年)12月12日にキャトル宮古として開業し[344][345]、2004年(平成16年)1月17日に宮古駅側の入口も完成して完全な形で開業した[346]。しかし、キャトル宮古は新型コロナウイルス感染症の拡大による経営不振で2021年12月10日に閉店[347][348]。建物は宮古市が取得し、再開発を行う方針を示している[348]。
- 店舗面積約6,902m2[291]、延べ床面積約17,253m2[291]、敷地面積約7,351m2[350]。
- ニチイが70%・玉木屋が30%を出資して設立した「岩手ファミリーデパート」が「遠野ショッピングセンターとぴあ」の核店舗として開業時の店舗面積約3,527m2で出店した[350]。テナント30のうち岩手県外はわずか3社で地元の遠野市からの業者が22社と地場の店舗が大半を占めており、2階中央の展示などに使われる「とぴあホール」などのコミュニティ施設も併設していた[350]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 閉店後の建物はそのまま、スーパーマーケット「キクコーストア」を核店舗とした「遠野ショッピングセンターとぴあ」が2002年(平成14年)12月1日[351] に開業した。
- 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で、遠野市役所本庁舎が多大な被害を受けたため、当施設の2階部分を改装し、役所機能の一部を「遠野市役所とぴあ庁舎」として移転させた[広報 23]。
- 2017年(平成29年)9月には、当施設の平面駐車場だった場所を含む一帯に遠野市役所本庁舎が落成し、本庁舎との間に連絡通路が設けられた[352]。
宮城県[編集]
- 売場面積595m2[309]、駐車台数約10台[353]。旧・武田ストア店舗。
- 1964年10月、前身のカネ長武田百貨店仙台店がオープン。[要出典]
- 閉店後は解体され、現在はパチンコ店「パチンコタイガー長町店」。[要出典]
- 売場面積1,604m2[337]。
- 売場面積4,628m2[337]。
- ファミリーデパートゆやす→サンホーユーの業態で出店。[要出典]
- 1986年(昭和61年)9月1日には、ファミリーデパートノムラ[355](福島県原町市(現在の南相馬市原町区))と対等合併し、有限会社ホーユーの店舗となった[356]。
- 4階建て・延べ床面積11,320m2[357]、店舗面積約7,544m2[291]。
- 古川ショッピングデパートとして開業し、約500台収容の立体駐車場と約400台収容の平面駐車場を併設していた[357]。
- マイカル東北が運営していた[5]。
- 築館サティ✩×(栗原郡築館町藤木1−48[335](現・栗原市築館藤木1−48)、1979年(昭和54年)3月[291]、築館ファミリーデパート白鳥屋 → サンホーユー築館店 → ニチイ築館店 → 築館サティ → マックスバリュ築館店 → 2008年(平成20年)8月閉店)
- 延べ床面積約5,487m2[291]、店舗面積約3,812m2[291]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 跡地にはケーズデンキ築館店(運営はデンコードー)が2010年(平成22年)11月3日にオープンした。[要出典]
- 売場面積4,223m2[248]。『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。</ref>
- 涌谷ファミリーデパートたから屋[360] → サンホーユー涌谷店[361] → ニチイ涌谷店 → 涌谷サティと変遷
秋田県[編集]
- 延べ床面積約2,038m2[334]、店舗面積約1,185m2[334]。
- 1966年(昭和41年)にイシヤマ鷹巣店として開業し、アイケーイシヤマ鷹巣店(1976年(昭和51年)9月開業)、サンホーユー鷹巣店(1989年(平成元年)開業)を経て、1994年(平成6年)にニチイ鷹巣店に転換した。[要出典]
- 閉店後は解体され、現在は「小規模多機能型居宅介護事業所 のぞみ」。[要出典]
- 延べ床面積約26,628m2[291]、店舗面積約13,696m2[291]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 2003年(平成15年)1月17日にTMO能代が専門家を招いて店舗跡地の活用について勉強会を行い[364]、コンサルタントの提案で共同出資会社を設立して[365] 建物を再活用して新たな施設を開業する方向で一旦まとまったが[366]、同年11月に能代商工会議所が建物を再活用する方針を撤回して計画は白紙に戻った[367]。
- 店舗後の再活用の白紙撤回を受けて2004年(平成16年)3月に能代市が再開発案の検討を始め[368]、同年5月には能代商工会議所が再開発の案を提案し[369]、6月には能代市議会で海潮園を店舗跡地に設置する案が出された[370] が実現しなかった。
- 能代市や能代商工会議所などが主導する再開発が実現しなかったため、2005年(平成17年)12月に民間企業が国や県の補助金を活用して事業化を目指した[371] がこの構想も実現せず、店舗後の建物はそのまま残り続けたため2008年(平成20年)11月に地元企業が買収して解体する方向となった[363]。
山形県[編集]
- 米沢ファミリーデパート→サンホーユーの屋号で出店。地下1階の食品売場はヨークベニマル[374](福島県外1号店)。米沢市の最大の商店街であった平和通りにあった旧米沢市役所本庁舎跡地の敷地面積2,805m2に建設した地上5階建ての店舗で延べ床面積は約11,748m2であった[373]。
- 地場資本の衣料品店「クサカリ」と提携して開業したもので、開業時には5階にボウリング場が入居していたが1974年(昭和49年)に撤退した[373]。
- 1994年(平成6年)3月の米沢サティの開店に伴い閉店した[373]。
- 閉店後は解体され、跡地は「まちの広場」として整備された後、文化複合施設「ナセBA」が2013年10月4日に開業した。[要出典]
- ニチイ営業当時、道路を挟んで西隣には「ジャスコ米沢店(ニチイ開業前の1971年10月22日にオープン)」があったが、1991年6月に閉店し、翌年4月に「米沢ポポロ」として再開。2018年4月に閉鎖され、現在は解体済み。[要出典]
- 売場面積8,359m2[337]。
- 1973年(昭和48年)3月に山形駅前にニチイ山形店として出店。地下の食品売場は、ヤマザワが担当した。
- 1994年(平成6年)3月1日に、ニチイからダックシティへ営業権が譲渡され、店名も山形ビブレとなったが、2000年(平成12年)1月閉店[377]。
- 店舗跡のビルは2001年(平成13年)までに解体され、幾度もホテル等の建設計画[378]が行われるも、実現することなく空き地の状態が長らく続いている。[要出典]
- 売場面積2,370m2[379]。
- 新庄駅前に出店していた[380]。
- 新庄ファミリーデパート→サンホーユーの屋号で出店。食品売場はAコープ。[要出典]
- 閉店後は解体され、長年空き地状態が続いたが、現在は「特別養護老人ホーム みどりの大地」。[要出典]
福島県[編集]
福島市[編集]
- 売場面積1,642m2[307]。屋号はNマート。
- 山田Vボウル跡地に開店[382]。
- 開店から1年後の1979年(昭和54年)3月5日午前10時すぎに、駐車場内で東邦銀行の集金車から1,900万円が盗まれる事件が発生した[383]。
- 福島サティの出店に伴い閉店[329]。解体後、現在はヤマダ電機。[要出典]
- 当初は、山田百貨店の量販店部門「ハッピー産業」の店舗だったが、八戸店を運営する青森ニチイに営業権を譲渡[310]。後には東北ニチイが運営していた[386]。屋号はNマート。
- 延べ床面積約1,170m2[386]、店舗面積約927m2[386]。
- ハッピーストア新町店(福島市新町8-5[384])
- 店舗面積280m2[384]。
- ハッピーストア栄町店(福島市栄町9-18[384])
- 店舗面積255m2[384]。
福島市以外の中通り[編集]
- 延べ床面積約2,939m2[334]、店舗面積約1,937m2[334]。平屋建て[388]。
- 1980年(昭和55年)12月に、成田屋本宮ファミリーとして開業[388]。
- 成田屋→マイカル福島(赤トリヰ)が運営していた[362]。
- 閉店後、元市長の佐藤嘉重の選挙事務所として使用された後、跡地は2011年(平成23年)12月1日に「ヨークベニマル新本宮舘町店」(現・本宮舘町店)として開業[389]。
- 鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋2階[391]、延べ床面積約27,583m2[391]、店舗面積約4,500m2[391](直営店舗面積約3,500m2[391])、駐車台数約800台[391]。
- 須賀川サティはマイカル東北ではなく、マイカル福島が運営していた店舗[393]。
- マイカルグループ離脱して2003年(平成15年)3月1日に元の名称の「赤トリヰグリーンモール」に戻し運営していた[393] が、東北地方太平洋沖地震 の影響で、店舗に地盤沈下など甚大な被害を受け2011年(平成23年)4月29日をもって閉店[394]。
- 建物は解体され、跡地には2013年(平成25年)9月20日にフレスポ須賀川グリーンモールが開業した[395]。
浜通り[編集]
- 敷地面積約4,003m2[396]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[396]、延べ床面積約10,770m2[396]、店舗面積約6,435m2[396](直営店舗面積約4,784m2[396])、駐車台数約250台[396]。
- 元々は、1924年(大正13年)に原町市四つ葉通りに野村清助が創業した雑貨店「ノムラ」が起源である[399]。1979年3月に「ファミリーデパートノムラ」として大町に新築移転[397]。1986年(昭和61年)9月1日には、同じニチイ系の「NAC(ニッポンアライドチェーン)」に属していた角田ファミリーデパートゆやす(後のサンホーユー角田店)と合併し、有限会社ホーユーが発足[399]。組織は後にニチイ本体に吸収され、店名もサンホーユー、ニチイと変遷した後、1996年(平成8年)9月27日にサティへ業態転換した[400]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[5]。
- 跡地には南相馬市が管理する大町南災害公営住宅が建設されることになった[401]。
- ノムラ時代の店名ロゴは独自のものを使っていたが、サンホーユー時代は「ニチイ(nichii)」の文字を「サンホーユー(SUNHOYU)」に差し替えて使っていた。[独自研究?]
会津[編集]
- 売場面積3,696m2[307]。
- 1961年(昭和36年)に大善百貨店として開業[404]。1971年(昭和46年)に福島ニチイが営業権を取得し[310]、ニチイダイゼンとなった。福島ニチイは、1975年(昭和50年)に東北ニチイへ吸収されている[313]。ニチイ会津若松店として移転後に解体され、現在はコインパーキング『神明フジパーク24』となっている。[要出典]
- ニチイ会津若松店 → 会津サティ✩×(会津若松市駅前町6-47[405][318][9]、1982年(昭和57年)7月1日開業[405][406][407] - 2009年(平成21年)6月30日閉店[408][409])
]
- 敷地面積約7,570m2[405]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋1階[405]、延べ床面積約20,633m2[405]、店舗面積約6,618m2[405](当社店舗面積約5,148m2[405])、駐車台数約510台[405]。
閉店時の直営店舗面積約7,195m2[410]
- 大善デパートとして1961年(昭和36年)10月に開業し[403]。1971年(昭和46年)に福島ニチイが運営する「ニチイダイゼン」となった[411]。1982年(昭和57年)7月1日に会津若松駅前へ移転し、ニチイ会津若松店として開業[412]。1993年(平成5年)3月13日にサティへ転換[413]。
- 東北ニチイ(→マイカル東北)傘下での初めてのサティ店舗。2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[5]。なお、マイカル本社に店舗譲渡前の旧東北ニチイ(旧マイカル東北)傘下でニチイから業態変更したサティとして最後の店舗であった。[要出典]
- 2009年(平成21年)6月29日にマイカルや隣接した商店などの地権者で構成する「会津若松駅前地区再開発協議会」が発足して後李の利用方法の検討を行い[414]、大型店が撤退後に跡地を売却せずに地元側とまちづくりに乗り出すのは全国的にも珍しい取り組みとして注目を集めていた[415] が、協議が難航したため2012年(平成24年)2月に結論が出ないまま協議会が解散となって跡地利用は宙に浮いた状態となった[416]。
- 現在は暫定でフレンドパーク(コインパーキング)になっているが土地はイオンリテール所有。[要出典]
関東[編集]
茨城県[編集]
- 売場面積10,000m2[248]。
- 1991年(平成3年)5月に[417]水戸線、真岡鐵道、関東鉄道常総線のターミナルである[419] 下館駅北口の駅前市街地再開発事業で建設された[420]下館SPICAの核店舗として開業したが[419]、2002年(平成14年)8月末に閉店した[418]。
- 店舗跡には2003年(平成15年)7月にエコスや長崎屋などが出店する下館SPICAが再開業したが[421]、2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店した[419]。
- 2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店したため[419]、エコスの後継店舗として農協を含む食品スーパーの招致を進めたが[421]、売り上げ不振が続いて2007年(平成19年)にサントマト[420]、2008年(平成20年)にエイムと撤退が相次ぎ[420]、2007年(平成19年)に3階と4階を筑西市役所分庁舎として借り上げる状況となり[420]、最盛期に約40店舗あったテナントが2009年(平成21年)4月9日現在で12店舗に減少して核店舗もない状態になった[420]。
- 市役所本庁舎の老朽化などにより、2017年(平成29年)2月に本庁舎機能がSPICAへ移転してきた[広報 24]。
栃木県[編集]
- 敷地面積約8,234m2[424]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[424]、延べ床面積約8,725m2[424]、店舗面積約5,631m2[424](直営店舗面積約3,636m2[424])、駐車台数約500台[424]。
- 1979年(昭和54年)、東野鉄道大田原駅跡地にアイアイタウン・エドヤとして開店。1993年(平成5年)に大田原サティとなり、2003年(平成15年)10月に閉店[425]。その後、2004年(平成16年)6月9日には、スーパーセンター・トライアル大田原店が開店したが[425]、2014年(平成27年)5月に閉店。その後建物は利活用されていなかったが、2019年(令和元年)6月にクスリのアオキ山の手店が解体後の跡地に開店した。[要出典]
群馬県[編集]
- 敷地面積約3,072m2[426][427]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[426][427]、延べ床面積約14,049m2[427]、店舗面積約8,453.7m2[426] → 約8,663m2[427](直営店舗面積約6,347.2m2[426] → 約7,110m2[427])、駐車台数約76台[426][427]。
- 郡部出身者が好んで利用する店舗であった[428]。
- 店舗跡の建物は2000年(平成12年)に解体されて駐車場になった[429]。
- 1993年(平成5年)10月20日に同じ前橋市内に前橋サティが開業したが[430]、2010年(平成22年)10月17日に閉店した[431]。
- 店舗面積約21,707m2(うち直営店舗面積約17,205m2)[3]、延べ床面積約63,377m2[3]。
- 地上6階建てで、1階から3階に売り場を持ち、他の階は駐車場という開業時点では群馬県内最大の大型店であった[435]。
- 近隣に競合する大型商業施設の開業が相次いだことなどの影響により、売上高が最盛期の約40%にまで落ち込んだことから閉店となった[436]。
- 閉店時の直営店舗面積約17,500m2[434]
- 閉店後の店舗跡の活用については大家であるグンゼグループが2011年(平成23年)6月に自社の中期経営計画で改装して商業施設として再生する方針を明記してテナント招致などを進め[437]、2011年(平成23年)12月にスーパーのカスミ(1,709m2)[438] やブックオフ[439] などが出店する前橋リリカとして2011年(平成23年)12月8日に新装開業した[440][438]。
- ニチイ高崎店 → (初代)高崎サティ → 高崎ビブレ✩×(高崎市八島町46-1[441][442]、1976年(昭和51年)3月26日開業[441][443] - 2014年(平成26年)3月31日閉店[444])
- 敷地面積約4,086m2[441]、鉄骨造地下1階地上8階[441]、延べ床面積約31,098m2[441]、店舗面積約13,253m2[441](直営店舗面積約9,963m2[441])、駐車台数約300台[441]。
- 高崎駅西口前に「ニチイ高崎店」として開店し、1987年(昭和62年)3月1日に(初代)高崎サティに業態転換[442]、1996年(平成8年)3月に高崎ビブレに業態転換した[444]。
- 当店跡地と周辺敷地と合わせた敷地には高崎オーパが出店された[広報 26][広報 27]。
- イオンモール高崎にある2代目の高崎サティ(後のイオン高崎店、現イオンスタイル高崎)とは異なる。
- 敷地面積約5,000m2[445]、鉄筋コンクリート造地上4階塔屋1階[445]、延べ床面積約10,222m2[445]、店舗面積約5,631m2[445]、駐車台数約180台[445]。
- 群馬県館林市に本拠を置くとりせんと提携して[446][447]、同社が開発した「伊勢崎ショッピングセンター」に同社と共に核店舗として出店していた[445]。
- 敷地面積約25,653m2[450]、鉄筋コンクリート造地上2階塔屋1階[450]、延べ床面積約23,345m2[450]、店舗面積約12,400m2[450](直営店舗面積約8,368m2[450])、駐車台数約1,200台[450]。
- ショッピングセンター・ラブの核店舗のニチイとして開店[451]、サティへ転換した後、2002年(平成14年)3月に契約解除の通知を行って閉店[449]。閉店後、フレッセイ等が出店したが[452]、2007年(平成19年)5月15日に撤退。後続テナントに丸鮮市場が出店するも、2013年(平成25年)9月25日にSCが閉店[要出典]。
- 跡地にケーズデンキ太田店[要出典]。
- 沼田市の市街地再開発事業に三井生命保険が参画して建設された[417]、再開発ビルグリーンベル21の核店舗として売場面積8,800m2で開業した[454]が、2002年(平成14年)8月に閉店[455]。「グリーンベル21」には当店の他に開業時で専門店46店が入居していたほか、当店の入る商業棟以外に立体駐車場や沼田市立図書館の入るビルがあり、それら各館と空中歩廊を用いて連絡する構造となっていた[456]。
- 閉店後、2002年(平成14年)に沼田の観光宣伝と当施設の運営支援を兼ねて地元の物産販売や観光案内のほか沼田市内の伝統工芸士の作品展示などを行う「沼田ふるさと館」を5階に入居させ[457]、店舗跡に核店舗となる大型店を招致するため改造費の2分の1や賃貸料の2分の1を沼田市が助成する「グリーンベル21出店促進条例」を施行してサンバード長崎屋[458] や2002年(平成14年)11月に開業したAコープ群馬を新たな核店舗とするグリーンベル21としての営業を続けた[459]。しかし、2008年(平成20年)5月にサンバード長崎屋[455]、2010年(平成22年)5月にAコープも撤退し[455][460]、「沼田ふるさと館」も2012年(平成24年)3月31日で閉鎖されるなど他のテナントの撤退も相次いだ[457]。その結果、2012年(平成24年)4月初めの時点で4階は完全に閉鎖、5階は沼田エフエム放送のみ1~3階も大半が空き店舗となった[457]。
- 2014年(平成26年)2月までにすべての小売店が撤退し[461]、2015年(平成27年)1月に沼田市は施設全体を取得したと発表し[462][463]、2015年(平成27年)7月末までに沼田エフエム放送(FM OZE)も移転して全テナントが退去することになった[464]。
- 敷地面積約5,957m2[468]、鉄筋コンクリート造地上4階塔屋1階[468]、延べ床面積約23,475m2[468]、店舗面積約6,580m2[468](直営店舗面積約4,968m2[468] → 閉店時の直営店舗面積約5,600m2[410])、駐車台数約267台[468]。
- ニチイ渋川店として開業し、1995年(平成7年)10月にサティへ転換[469]。
- JR渋川駅に近い中心市街地に出店していたが、郊外へのスーパーなどの進出による競争激化や中心市街地の衰退を受けて[470]2009年(平成21年)7月31日に閉店し[467]、パワーセンターうおかつ[467]などが出店する渋川ショッピングプラザとなったが、2016年6月をもって完全閉鎖し、建物は解体されている[469]。跡地には2017年(平成29年)11月22日に食品スーパーベルク渋川店とコインランドリーが開業した[469]。
埼玉県[編集]
- 店舗面積4,332m2[482] → 5,667m2[481]、駐車場50台[482]。
- 旧尾張屋の店舗[483]。
- 営業当時の建物は現存せず、現在は健康ランドとシティホテルの「川越温泉湯遊ランド・ホテル三光」になっている。[要出典]
- 敷地面積約2,144m2[484]、鉄筋コンクリート造5階建て[484]、延べ床面積約6,100m2[484]、店舗面積約5,157m2[484](直営売場面積4,300m2[486])。
- 尾張屋志木店として志木駅南口に開業した[487]。
- 敷地面積約2,157m2[484]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[484]、延べ床面積約10,831m2[484]、店舗面積約7,954m2[484](直営売場面積3,405m2[307])。
- 駅前西側に出店していた[489]。
- 同じ熊谷市内に2000年(平成12年)11月16日に熊谷サティ(現イオン熊谷店)が開業した[33]。
- 旧・尾張屋[490]。
- 敷地面積約2,640m2[494]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[494]、延べ床面積約7,866m2[494]、店舗面積約5,274m2[494]。
- 旧ニチイ春日部店。旧尾張屋と折半出資で設立した東京エーゼットの春日部ショッピングセンターの核店舗として開業[330]。1996年(平成8年)にサティへと業態転換[広報 28]。
- 敷地面積約10,989m2[495]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[495]、延べ床面積約16,500m2[495]、店舗面積約9,376m2[495](直営店舗面積約4,412m2[495])、駐車台数約610台[495]。閉店時の直営店舗面積約7,215m2[広報 29]
- 2005年(平成17年)11月23日に食品スーパーのカスミフードスクエア三郷駅前店を核店舗とする[496]「ワオシティ三郷[71]」としてリニューアルしたが、2021年(令和3年)2月21日に閉店し、建物は解体されている。
- 敷地面積約12,231m2[497]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て[497]、延べ床面積約10,810m2[497]、店舗面積約6,714m2[497](直営店舗面積約5,090m2[497])、駐車台数約150台[497]。
- ニチイ本庄店として開業、1997年(平成9年)6月27日に本庄サティ業態転換[498]。
- 店舗跡には本庄BLALAが出店したが、2016年8月をもって完全閉鎖し、建物は解体されている。
- 敷地面積約8,566m2[499]、地下1階地上12階建て[499]、延べ床面積約52,397m2[499]、店舗面積約18,337m2[499](直営店舗面積約13,213m2[499])、駐車台数約700台[499]。
- 閉店時の直営店舗面積約12,676m2[434]
- 東武野田線岩槻駅前の再開発ビル「ワッツ東館」[502]の核店舗として1996年(平成8年)3月8日に開店したが[503]、近隣の大型店などとの競争激化で赤字が続いたため2010年(平成22年)3月7日に閉店した[501][502]。
- 2010年(平成22年)6月にマルエツと専門店が開業[502]。住民からの反対運動があったが[502]、2012年(平成24年)1月4日に保健センターや教育相談室などを併設したさいたま市岩槻区役所が3階と4階に移転して開業した[504]。
東京都[編集]
- 売場面積559m2[505]。
- 1981年(昭和56年)4月にニチイの関連会社の「神奈川エヌマート」が「神奈川エヌマート中板橋店」を開店した[507]。
- スーパーマーケット「よしや中板橋店」の2階部分に出店していた。[要出典]
- ニチイ閉店後も、1階部分は現在も「よしやセーヌ中板橋本店」として営業しており、ニチイが入居していた2階部分には100円ショップのダイソーが入居している。[要出典]
- 売場面積535m2[505]。
- 1981年(昭和56年)4月にニチイの関連会社の「神奈川エヌマート」が「神奈川エヌマート仲宿店」を開店した[507]。
- スーパーマーケット「よしや仲宿店」の2階部分に出店していた。[要出典]
- ニチイ閉店後も、1階部分は現在も「よしやセーヌ仲宿店」として営業しており、ニチイが入居していた2階部分には100円ショップのキャンドゥが入居している。[要出典]
- 敷地面積約1,545m2[509]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階地上5階建て[509]、延べ床面積約6,595m2[509]、店舗面積約4,203m2[509](直営約店舗面積約2,554m2[509])、駐車台数約450台[509]。
- ビブレ4店目となる「原宿ビブレ21」として開業[512]。地下1階・地上5階建てで店舗面積は約3,830m2[512]。
- 開業当時は、4階が当時ニチイ・グループであったピープルが運営する会員制スポーツクラブのエグザスと美容室があり、5階にはテラス・レストランとレコーディング・スタジオを入居させるなど、店舗面積のうち約40%を非物販に当てていた[512]。
- 2000年(平成12年)11月に三菱商事へ売却された[513]。跡地は「エスキス表参道」→「ジャイル」[要出典]
- 敷地面積約4,611m2[516]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[516]、延べ床面積約28,726.5m2[516]、店舗面積約16,599.6m2[516](直営店舗面積約6,082.5m2[516])、駐車台数約150台[516]。
- ニチイ清瀬店として開業し、1996年(平成8年)3月23日にサティへと業態転換した[広報 30]。
- 清瀬駅南口の一画に出店していた[46]。清瀬サティ時代はマツモト電器が入居。跡地はマンション「アイラシティ」清瀬。[要出典]
- 売場面積1,000m2[507]。
神奈川県[編集]
- 神奈川Nマート平塚店(平塚市明石町21-12[518]、1978年(昭和53年)10月1日開店[519])
- 小田急商事と共同出資で設立した神奈川Nマートの第1号店として出店したもので、小田急OXが食品売り場を約500坪で出店し、ニチイが衣料品売り場を約1,000坪で出店する店舗形態であった[519]。
- 売場面積1,000m2[521]。
- 売場面積3,396m2[521]。
- 大船サティ✩×(横浜市戸塚区笠間町1045[505](現・栄区笠間2丁目2-1)、1976年(昭和51年)4月24日開業[広報 31][248] - 2002年(平成14年)1月閉店[517][広報 31])
- 店舗面積約8,573m2[505] → 約10,878m2[248]。
- ニチイ大船店として開業。1996年(平成8年)10月24日にサティへ業態転換した[広報 31]。
- 閉店後の建物はそのまま、ヤマダ電機LABI大船や[要出典]ライフ等が入居する商業ビル「Oh!Plaza(オー!プラッザ)」が2002年(平成14年)4月23日に開業[522][523]したが、大船駅前の大型再開発事業の進行に伴い、2017年(平成29年)4月16日に閉館した。[要出典]
- Oh!Plaza閉館後の建物は解体され、跡地には[要出典]大型商業施設「GRAND SHIP(グランシップ)」が2021年(令和3年)2月27日に開業[524]。核店舗として三越伊勢丹ホールディングスによる「FOOD&TIME ISETAN」が出店する他、ヤマダ電機やライフが再出店した[524][525]。
- 敷地面積約8,734m2[526]、4階建て[526]、延べ床面積約17,358m2[526]、店舗面積約8,527m2[526](直営店舗面積約6,186m2[526])、駐車台数約260台[526]。
- ニチイ辻堂ショッピングデパートとして開業[528]。1995年(平成7年)10月21日に辻堂サティに業態転換し、100店舗目のサティとなった[530]。
- 敷地面積約3,070m2[531]、鉄筋コンクリート造地下1階・地上6階建て塔屋2階[531]、延べ床面積約17,145m2[531]、店舗面積約8,558m2[531](直営店舗面積約4,546m2[531])、駐車台数約78台[531]。
- 1972年(昭和47年)11月に「小田原ショッピングデパート」として開業[534]したが、1999年(平成11年)8月31日閉店。
- ヤオハン小田原店(売場面積約1,651m2)が[531]地下1階に出店[533]。
- 店舗跡には、2000年(平成12年)4月27日にアプリ小田原が開店した[535]。
- 開店のほぼ1週間前の1996年(平成8年)9月19日に隣接地に長崎屋ホームセンターが開店していたため[539]、同店との買いまわりによる相乗効果を狙って食品や実用医療などの生活必需品をそろえた食品スーパーとして開業した[540]。
- 店舗跡には2001年(平成13年)10月19日にいなげや大和相模大塚店が開業した[538]。
- 本牧ビブレ(横浜市中区本牧原19−1)
甲信越[編集]
山梨県[編集]
長野県[編集]
- 店舗面積約11,136m2、延べ床面積約21,618m2[291]。
- 人口約25,000人の豊科町に開業させた豊科サティが周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばしたことを受け、独自の商圏で高いシェアを確保することを目指して1998年(平成10年)4月17日に開店した[126]が、マイカルの再建策の一環として2002年(平成14年)に7月24日に閉店が発表され[544]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[542]
- 店舗跡地は商業施設ときめきの街として営業している[543]。
- 2001年(平成13年)に辰野町が当店を核とする開発計画を当店東側の辰野町開発公社所有の国営林署跡地で計画していたが、当店の閉店により実現しなかった[543]。
- 敷地面積約1,800m2[547]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階一部4階建て[547]、延べ床面積約5,820m2[547]、店舗面積約3,845m2[547](当社店舗面積約825m2[547])、駐車台数約50台[547]。
- 「協同組合パラス」の「ファミリーデパートパラス・いちかわブラザー」の核店舗として[547]1階から4階に出店していた[548]。
- 敷地面積約26,038m2[550]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[550]、延べ床面積約12,274m2[550]、店舗面積約7,826m2[550](当社店舗面積約1,235m2[550])、駐車台数約800台[550]。
- 長野西友(約1,011m2)・はなおか(約1,024m2)・ホームセンターイケウチ(約1,042m2)と共にバスターミナル併設の「ショップシティ リッチランド」の核店舗として[550]2階に出店していた[548]。
- 「いちかわ岩村田店」として開店した[551]。
- 敷地面積約5,651.8m2[553]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[553]、延べ床面積約4,700.16m2[553]、店舗面積約3,918m2[553]、駐車台数約280台[553]。
- 「株式会社サンマルコ」の「ショッピングツアー・サンマルコ」の核店舗として「つるや」と共に「いちかわサンマルコ店」として出店した[553]。
- 店舗面積約2,878m2[558]。
新潟県[編集]
- 新潟ニチイの第1号店として開店した。
- 敷地面積約16,207m2[564]、鉄筋コンクリート造2階建て[564]、延べ床面積約7,070m2[564] → 約15,995m2[291]、売場面積約4,000m2[564](当社売場面積約3,200m2[564]) → 約9,536m2[291]、駐車台数約500台[564]。
- 丸壮製作所跡地に[566]、1981年(昭和56年)10月29日にファミリーデパート江口屋として開店[564]。ファミリーデパート豊栄店へのリブランドを経て、1991年(平成3年)6月27日[567]サティへ転換。
- 2002年(平成14年)1月28日に閉店が発表され[544]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[565]。
- 老朽化のため店舗施設を撤去して更地化され、2010年(平成22年)2月20日にウオロク葛塚店が開店[568]。
- 店舗面積約7,288m2[291]。
- 2002年の閉店までは核テナント「サティ」と専門店「COA」が同じ建物内で営業していた。マイカル破綻後の2002年(平成14年)1月28日、収益改善が見込めないとして閉店が発表され[571]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[570]。
- 閉店した8月末時点で後継店舗の招致が大詰めとされていた[570] が、2008年(平成20年)にようやく新井ショッピングセンターCOAとしての再出発が決まった[572]。
- 敷地面積約13,816m2[573]、鉄筋コンクリート造2階建て塔屋1階[573]、延べ床面積約8,595m2[573]、売場面積約6,130m2[573](当社売場面積約4,700m2[573]) → 約6,321m2[291]、駐車台数約400台[573]。
- 1985年3月29日に西頚城地域で初の郊外型SC『糸魚川ショッピングセンター アイビス』として開店[574]。店舗名はその後ニチイ→サティと変遷した。新潟ニチイ→マイカル新潟が経営する店舗だったが1999年(平成11年)3月1日にマイカル北陸へ移管されて改装された[575]。
- マイカルの破綻後の2002年(平成14年)1月28日に収益改善が見込めないとして閉店が発表され[571]、次の核店舗が見つかるまでの営業存続をテナントの専門店の経営者らが要請したが受け入れられず[576]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[570]。
- 閉店後の跡地を糸魚川市が予算を用意して買収する準備を進めていた[570] が、2003年(平成15年)にマイカルが民間企業に売却したため糸魚川市による買収は実現せず[577]、建物解体の上で2009年(平成21年)にスーパーマーケットのイチコが出店することになった[572]。
- 中条サティ×[要出典](北蒲原郡中条町大川町3127[578][579](現:胎内市大川町14−41)、1980年(昭和55年)3月7日開業[578][580] - 2003年(平成15年)6月30日閉店[569])
- 敷地面積約19,300m2[578]、鉄筋コンクリート造2階建て塔屋1階[578]、延べ床面積約7,070m2[578]、売場面積約3,647m2[578](当社売場面積約2,500m2[578])、駐車台数約700台[578]。
- 1980年(昭和55年)3月7日に豊栄市の江口屋呉服店と村上市の中善商店が共同でファミリーデパート中条として開店[580]、1995年(平成7年)3月1日に中条サティに業態転換、2003年(平成15年)6月30日閉店[569]。村上市のスーパー「エノモト」が入居したが2010年(平成22年)閉店。建物は2012年解体[要出典]。
- 跡地には、2013年4月11日にケーズデンキ胎内店(北越ケーズ運営)が出店している[要出典][広報 32]。
- 吉田町に本店を置き、西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)や分水町(現:燕市)に店舗を持っていた衣料品店サクライと同じく吉田町中心部で食品スーパーを運営していた主婦の店サイトーが核となったファミリーデパートよしだとして開店。その後吉田ニチイへの店名変更を経てサティにリブランド。2000年閉店。[要出典]
北陸[編集]
富山県[編集]
- 延べ床面積約19,869m2[291]、店舗面積約13,657m2[291]。当初は1995年秋のオープンを目指していた[591]。
- 直営店舗面積約8,000m2で1998年(平成10年)度は売上高約36.38億円を上げたが、アピタ魚津店の進出などで2001年(平成13年)度は売上高約27.27億円まで低迷したため閉店した[589]。跡地はユニーが買収して[592] 2004年(平成16年)4月17日にアピタ黒部店を開業[593] するも、2017年(平成29年)8月20日を以て閉店。なお、跡地の入居者は2017年7月21日の時点で2、3社と入居の協議がされていた[594][595] が、2017年10月24日にPLANTが同店舗跡地に出店を検討していることが明らかになった[596] が、最終的に店舗は2019年(平成31年/令和元年)までに解体された[597]。跡地は2022年(令和4年)7月22日にアルビス黒部店が[598]、同年9月22日にナフコ黒部店がそれぞれオープンした[599]。
- なお、これ以前にもニチイ北陸1号店となる見通しであった[600]『黒部マイカルタウン』(仮称)の出店計画が存在していた。前沢地区に敷地面積約50,000m2に建物床面積72,700m2(うち物販26,000m2)の店舗を1991年8月に着工、1992年6月にオープンを目指していたが、一部用地について地権者との同意が得られず、出店を断念すると1990年10月19日までに発表した[601]。
- 日本製麻工場跡地にて開店[603]。鉄骨平屋建て延べ4,290m2、店舗面積3,277m2。駐車場は屋上部分の170台を含めて400台分を確保。隣接地には多目的ホール『ニチマ倶楽部 ザ・ホール』もオープンしていた。不況と全国的なスーパー間の競争が激化したため閉店[604]。
- 跡地に、2003年(平成15年)2月14日にヤマダ電機テックランド砺波店が開業[605])
- 店舗面積約15,000m2[607] → 約33,000m2。
- 1993年(平成5年)10月に北陸ニチイがワーナー・マイカル・シネマズ高岡を併設した富山県内最大級の売り場面積を誇るショッピングセンターとして開業し[609]、1996年(平成8年)に3階を増床してテナント数を増やして1997年(平成9年)2月期には売上高108億円を上げ[609]、1999年(平成11年)に300メートル離れた場所にあったダイエーを閉店に追い込むほどの影響を高岡の商業界に与えた[610]。
- 2001年(平成13年)3月にマイカル直営店になったものの半年後にマイカルが経営破綻してイオンの傘下に入ったが[609]、そのイオンが2002年(平成14年)9月にわずか1.5キロ南に当店を上回るイオン高岡ショッピングセンター(現イオンモール高岡)を開店するなどして当店の経営を圧迫し[609]、2001年(平成13年)度以降赤字状態が続き[609]、2008年(平成20年)2月期に売上高がピーク時の約3分の1に当たる37億円へ落ち込んで[608] 収益改善の見通しが立たないとして[610] 2009年(平成21年)1月12日に閉店した[608]。
- 店舗跡は2010年(平成22年)末から建物を解体し[611]、2011年(平成23年)11月22日にホームセンタームサシが開業している[612]。
- 当店閉店後に高岡市の中心市街地に生鮮食品を扱う大型店がなくなって周辺住民の生活にも影響が出ていたため[613]、マルワフードの食品スーパー新鮮市場がムサシに併設されて2011年(平成23年)11月21日に開店している[612]。