陸軍小型軽患者輸送機
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陸軍小型軽患者輸送機(りくぐんこがたけいかんじゃゆそうき)[1]は、大日本帝国陸軍の患者輸送機。開発・生産は石川島飛行機によって行われた。石川島における社内名称は「KKY」。
概要
[編集]1932年(昭和7年)8月に陸軍から発せられた小型の患者輸送機の開発命令を受け、石川島はデ・ハビランド DH.83 フォックス・モスを参考に遠藤良吉技師を主任設計者として設計を開始。陸軍の寺師義信軍医正の指導によって医療用設備を備えつけ、1934年(昭和9年)4月に一号機が完成。その後、陸軍の審査を経た改修型の生産が1935年(昭和10年)2月から開始された。
主に愛国号として献納され、1940年(昭和15年)までに23機が生産された。うち1938年(昭和13年)10月から生産された19機は、エンジンの換装などによって実用性を向上させた「小型軽患者輸送機改造型」(KKY-2)となっている。日中戦争から太平洋戦争初期にかけて、各地で患者輸送のほか連絡機としても用いられた。
機体は鋼管製および木製骨組みに羽布張りの複葉機で、小型のキャビン内には担架、看護者用座席、医療器具置場が設けられている。高い操縦性と安定性を持ち、離着陸滑走距離も約250 mと短かった。また、幅広の低圧タイヤによって不整地での離着陸を容易にしている。エンジンは当初英シラス社製の「ハーメスMk.IV」を装備していたが、KKY-2では瓦斯電「神風」(150 hp)に変更された。
KS-1
[編集]弾丸列車の路線敷設予定地の測量を目的として、1939年(昭和14年)初頭に鉄道省から石川島に発注された特殊測量機。1939年5月に一号機が完成し、計2機が生産された。機体はKKY-2の改設計機であり、室内艤装が作業員用座席と大型測量用自動カメラとなったほか、窓の配置も変更されている。
諸元(KKY)
[編集]- 全長:7.90 m
- 全幅:10.00 m
- 全高:2.38 m
- 主翼面積:22.0 m2
- 自重:560 kg
- 全備重量:977 kg
- エンジン:シラス ハーメスMk.IV 空冷倒立直列4気筒(最大135 hp) × 1
- 最大速度:180 km/h
- 巡航速度:155 km/h
- 実用上昇限度:4,500 m
- 航続距離:620 km
- 乗員:4名(含患者2名)
脚注
[編集]- ^ 「陸軍小型患者輸送機」と呼ばれることもある。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]- フォッカー患者輸送機
- KR-1/KR-2 - 東京瓦斯電気工業がフォックス・モスをベースに開発した小型旅客機。海軍によって連絡機としても用いられた。