霧の摩周湖

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霧の摩周湖
布施明シングル
初出アルバム『布施明デラックス 恋』
B面 ひとりぼっちのブルース
リリース
規格 17cmシングルレコード
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル キングレコード
作詞・作曲 水島哲(作詞)
平尾昌晃(作曲)
布施明 シングル 年表
銀の涙
(1966年)
霧の摩周湖
(1966年)

1967年
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霧の摩周湖」(きりのましゅうこ)は、布施明の楽曲で、5枚目のシングルレコード1966年12月1日に発売。

1965年に、日本テレビ系ドラマ『青春とはなんだ』の主題歌「若い明日」を歌うなど、その当時のお茶の間で知られるようになっていたデビュー2年目の布施のさらなるステップアップを期すために、作詞家で讀賣新聞記者でもあった水島哲が書いた作品である[1]。累計売上は60万枚に達した[2]

作曲を担当した平尾昌晃は、同曲で第9回日本レコード大賞1967年度)作曲賞を受賞した。

日本一透明度が高いの「摩周湖」を舞台にした、北海道川上郡弟子屈町道東地区)のご当地ソングとしてもよく知られている。

収録曲[編集]

  1. 霧の摩周湖(BS-545)
  2. ひとりぼっちのブルース

エピソード[編集]

  • 作曲・平尾昌晃、作詞・水島哲、歌手・布施明の3人が揃って、平尾が住んでいた茅ヶ崎で杯を酌み交わしながら曲作りが行われた。布施のマネージャーが「海の歌はどうか」と言ったところ、平尾が「布施に海は似合わない。湖がいい」いう発想から始まり、水島が「摩周湖はどうか」と提案した。摩周湖は当時無名だったが、その魅力を水島が語ると「それはいい」と意見が一致した。酒で興の乗った水島が一行ずつ詞を書き、平尾がギターでメロディをつけ、布施が歌うという作業を繰り返し、夜中に完成したという[3][4][5]
  • 本曲を発表するに際して、布施が当時所属していた渡辺プロダクションのスタッフが「誰も知らないような場所の歌なんて売れるはずがない」と反対すると、渡辺晋(渡辺プロダクション創業者)が、「都会の人間が知らないような場所だからこそ、夢が広がっていいんじゃないかい」と言い、本曲の発表を後押ししてくれたという[1]
  • 本曲のレコードジャケットを撮影するために布施とスタッフの一行が、摩周湖がある北海道・弟子屈町へ向かい、展望台で霧が出るのを待ったが、一向に霧が出ず困っていたところ、下からもわもわと霧が出てきたため、ジャケット用写真を撮影したが、その“霧”は炭焼き小屋の煙であったことを布施が回想している[1][6]
  • 弟子屈町は1992年から1996年までの4年間、「ふるさと霧の摩周湖音楽祭」を開催した[7]
  • 作曲の平尾昌晃は2017年7月21日肺炎により79歳で逝去した。同年10月30日に平尾の音楽葬が営まれ、布施は五木ひろしと共に「霧の摩周湖」と「よこはま・たそがれ」をデュエットで熱唱、平尾の霊前に捧げた[8][9]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『霧の摩周湖』 この歌この歌手―運命のドラマ120 現代教養文庫
  2. ^ 平尾昌晃『気まま人生歌の旅』廣済堂出版、1994年、99頁。ISBN 4-331-50453-0
  3. ^ 武田鉄矢の昭和は輝いていたBSジャパン 2016年12月9日放送
  4. ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(11)布施明に「おもいで」譲る、スポーツ報知、2017年2月21日14時0分。
  5. ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(12)「霧の摩周湖」大ヒット!、スポーツ報知、2017年2月22日14時0分。
  6. ^ フジテレビ「三宅裕司と春風亭昇太のサンキュー歌謡曲一座」2017年11月12日放送
  7. ^ ご当地ソング「霧の摩周湖」 弟子屈町教育長日記 弟子屈オフィシャルサイト 2013年8月9日付
  8. ^ 布施明ら、平尾昌晃さんの葬儀・告別式で「霧の摩周湖」熱唱、スポーツ報知、2017年10月30日15時20分。
  9. ^ 平尾昌晃さん歌唱葬で送る 2200人にぎやかに、日刊スポーツ、2017年10月31日7時42分。

カバー[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]