MIYASHITA PARK
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MIYASHITA PARK | |
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屋上の渋谷区立宮下公園、後方にホテルが見える(2020年8月2日撮影) | |
情報 | |
用途 | 都市計画公園、店舗、ホテル[1] |
設計者 | 竹中工務店 日建設計(プロジェクトアーキテクト)[1] |
施工 | 竹中工務店[1] |
建築主 | 渋谷区、三井不動産[1] |
管理運営 | 宮下公園パートナーズ(渋谷区立宮下公園)[2] 三井不動産商業マネジメント(RAYARD MIYASHITA PARK) 三井不動産ホテルマネジメント(sequence MIYASHITA PARK) |
構造形式 | 鉄骨造一部鉄骨鉄筋コンクリート造(主体構造) 一部鉄筋コンクリート造(北街区) 鉄骨造(南街区) 鉄骨造(ブリッジ)[3] |
敷地面積 | 4,519.29(北街区) 6,225.18(南街区) m2[1] |
建築面積 | 3,855.76(北街区) 5,100.76(南街区) m2[1] |
延床面積 | 29,764.51(北街区) 16,193.81(南街区) m2[1] |
状態 | 完成 |
階数 | 地下2階 地上18階 塔屋1階(北街区) 地上5階(南街区)[3] |
高さ | 75,089mm(北街区) 21,355mm(南街区)[3] |
駐車台数 | 286台(北街区) 102台(南街区)[3] |
着工 | 2018年6月[3] |
竣工 | 2020年4月[3] |
開館開所 | 2020年7月28日(渋谷区立宮下公園・RAYARD MIYASHITA PARK)[4] 2020年8月1日(sequence Miyashita Park)[5] |
所在地 | 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号(RAYARD MIYASHITA PARK・sequence Miyashita Park) 東京都渋谷区渋谷一丁目26番5(渋谷区立宮下公園) |
渋谷区立宮下公園 | |
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ボルダリングウォールとスケート場 | |
分類 | 都市計画公園 |
所在地 | 東京都渋谷区渋谷一丁目26番5 |
面積 | 1.27 ha |
設計者 | 竹中工務店、日建設計 |
運営者 | 宮下公園パートナーズ |
現況 | 8:00 - 23:00(開園時間) |
設備・遊具 | 芝生広場、ボルダリングウォール、スケートボード場、多目的運動施設(サンドコート) |
バリアフリー | 優先トイレ・AED |
RAYARD MIYASHITA PARK | |
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2階エントランス | |
店舗概要 | |
所在地 | 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号 |
開業日 | 2020年7月28日 |
建物名称 | ミヤシタパーク |
土地所有者 | 渋谷区 |
施設管理者 | 三井不動産商業マネジメント |
設計者 | 竹中工務店、日建設計 |
施工者 | 竹中工務店 |
店舗数 | 90店 |
営業時間 | 店舗ごとに異なる |
sequence MIYASHITA PARK | |
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北東側外観 | |
ホテル概要 | |
ホテルチェーン | sequence |
設計 | 竹中工務店 |
施工 | 竹中工務店 |
運営 | 三井不動産ホテルマネジメント |
階数 | 4 - 18階 |
レストラン数 | 3軒 |
部屋数 | 240室 |
開業 | 2020年8月1日 |
所在地 | 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号 |
MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)は、東京都渋谷区渋谷から神宮前に所在する低層複合商業施設である。
全長約330 mからなる[6]。立体都市公園制度を活用して整備され、施設屋上に移設された「渋谷区立宮下公園」、その下層に位置するPark-PFI制度を活用して誕生した商業施設「RAYARD MIYASHITA PARK」、および原宿側端部に開業したホテル「sequence MIYASHITA PARK」で構成される[7]。渋谷と原宿・表参道の中間地点に位置している[6]。
概要
[編集]1953年(昭和28年)、梨本宮の邸宅地に隣接していた「宮下町」(当時)に平地の宮下公園として開園し[8]、66年には折からの高度成長期によるモータリゼーションの影響から、1階に都市計画駐車場を持つ東京初の空中公園として整備し直された[8][9]。
1990年代以降は多数のホームレスが住み着き、老朽化が進行した。このため区は2009年(平成21年)6月、公園の命名権をナイキ・ジャパンに売却するとともに公園の改修費用の全額を同社の負担とし、有料公園として改修する方針を公表。2011年(平成23年)4月30日にリニューアルオープンするが、この際には反対運動が起こり、訴訟に発展するなどした(下記参照)。
その後、躯体老朽化による耐震性の問題や経年劣化、バリアフリー動線の確保が不十分であるとの課題を抱えこむことに至り、区は東日本大震災や熊本地震を経て高まった防災機能の必要性や、増加する渋谷への来街者に対して公園に求める機能の変化に対応するため、PPP(パブリックプライベートパートナーシップ)として官民連携による30年間の定期借地権で公園の建て替えを行う方針を定め[10]、2017年(平成29年)から始まったPark-PFI制度を活用し、公募型プロポーザルの結果、三井不動産を事業者に指定した。
MIYASHITA PARKは、JR山手線と明治通り、渋谷川暗渠に挟まれた幅35m、長さ330mの公園全体を区が初めて立体都市公園制度を活用して地上17mに浮かせ、三井不動産が下3層に商業施設、原宿側端部にホテルを整備した[9]。また南北両端に大階段を配置し、渋谷側、原宿側からスムーズな動線を確保。加えて中央では美竹通りに公園をかぶせ、通りを見下ろせる象徴的な大階段も設けた[9]。加えて、各街区の歩道橋やキャットストリート(旧渋谷川遊歩道路)がぶつかる部分にも建物をえぐる形で縦動線を配し、来街者に商業施設やホテルからも自由に公園に至ることができる快適なアクセスが提供されている[9][4]。2024年には、日本建設業連合会が主催する第65回BCS賞を受章した[11]。
渋谷区立宮下公園
[編集]元々はJR山手線渋谷 - 原宿間の線路と明治通りに囲まれた細長い形状の土地にあった公園であり、公園は近接する鉄道の築堤とほぼ同じ高さに持ち上げられた人工地盤上に整備されていた。下層の一階部分は駐車場となっていた。
1953年、平地の宮下公園として開園し[8]、66年に、近接する渋谷川(穏田川)の暗渠化[12][13]とともに公園を高架の人工地盤とされ、その下の地上部分に駐車場が設置された。この際には、「東京初の空中公園」として話題になったという[14]。
2006年(平成18年)にはフットサルコートが新設、10年9月からは再整備のために一時閉鎖の後、翌年4月に再開した。再整備によってエレベーターが設置されるなどバリアフリー化され、有料のクライミング用ウォールやスケート場が新設されるとともに、人工芝2面のフットサル場も改修された。また、開園時間を毎日正午から午後10時半とし、深夜から午前中にかけては閉鎖される形態となった[15][16]。
再整備(2011年)
[編集]宮下公園は再整備を経て、2011年に新装開園したが、ここに至る経緯には紆余曲折があった。
公園は近隣地区において貴重な緑地となっていたものの、1990年代以降には多数のホームレスが住んでいた[17]。また、各所の老朽化もあることから再整備が計画された。渋谷区は2009年6月、公園の命名権をナイキ・ジャパンに売却するとともに公園の改修費用の全額を同社の負担とし、有料公園として改修する方針を公表した[18][19]。10年間の契約で命名権を取得したナイキ・ジャパンは、公園を「宮下ナイキパーク」と命名、さらにスケートボード場やクライミング施設、エレベーターなどの整備費として年間1,700万円を支払うこととなった。一方、渋谷区はそれまで公園に住んでいたホームレスのシェルターへの入所支援や、立ち退きの手伝いを行った[17]。
これらの渋谷区の方針に対して、「説明が不十分である」「公共の場である公園を私企業たるナイキのための閉鎖空間化・宣伝媒体として使用している」[20]「ホームレスの強制排除をおこなった」と主張して[19]これらを問題視するアーティスト[17]や市民団体が2010年4月ごろから反対運動を行っている[20][18]。反対派はホームレス立ち退き後の公園を占拠し、カフェと称してコーヒーなどを振舞っていたほか[21]、破れた傘や壊れた自転車などをオブジェと称して公園内に設置していた[17][20]。反対派による動画共有サイトなどでの宣伝を通して海外の一部反グローバリゼーション運動団体がこの動きを支持し、各国の日本大使館前やナイキ店舗前でデモを行った[17]。
これらの反対運動により改修工事は延期され、渋谷区は反対派の公園占拠により区民が公園を利用できなくなっていると反対派を批判した[17]。区は2010年9月15日に公園の出入り口9箇所のうち7箇所を閉鎖し、同月24日に行政代執行を実施してテントなどを撤去し[22]改修工事を開始した。10月14日になり、ナイキは命名権料を支払った上で宮下NIKEパークの名称を使用せず、改修後も宮下公園の名称を存続させることを表明した[23]。
2011年4月21日に反対派の3団体とホームレス1名が渋谷区を相手取り、路上生活者の生活とアーティストの表現活動の場を奪った行政代執行は違法であり、また精神的苦痛を受けたとして、600万円の賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した[24]。2015年3月13日、東京地裁は「代執行による撤去前に男性を担ぎ上げて退去させた」点を執行の許容範囲を超えて違法と認めこの男性に11万円の損害賠償を命じ、また区がナイキ社との間で改修費負担を対価として命名権を与える契約を結んだ点を「一般競争入札を実施していない上、必要な議会の議決を得ておらず、地方自治法違反」としたが、行政代執行自体は適法とした[25][26]。
改修工事が終わり、2011年4月30日に公園はリニューアルオープンした。再オープン当日は多くの利用者でにぎわったが、改修反対派が公園前でデモを行い、警察が出動する騒ぎになった[27]。
なお、新宮下公園等整備事業による公園閉鎖に伴い、ナイキは2017年3月31日をもって命名権協定を途中解約している[28]。
屋上に移設
[編集]新・宮下公園は、MIYASHITA PARKの屋上に移設され[4]、鉄のツインアーチ構造を持つ緑の天蓋で覆われている[9]。三井不動産と西武造園で構成される宮下公園パートナーズが指定管理者となり、緑地や各施設の維持管理、イベントの企画・誘致などを行っている[2]。
ビーチサッカーのコートに加え、旧・宮下公園に存在したスケートボードパーク・ボルダリングウォール・ダンスウォールといった機能を南街区に再構築し、北街区には1,000 m2に及ぶ芝生広場を設置[2]。また中央にはスターバックスコーヒーが店舗を開設した[29]。災害発生時には、帰宅困難者の一時退避場所となり、さまざまな防災面の課題に対しても官民が連携して機能する施設となる[10]。
利用時間
[編集]- 公園: 8時 - 23時
- スポーツ施設: 9時 - 22時
施設利用料金
[編集]渋谷区民ではない人は料金が倍になる。
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RAYARD MIYASHITA PARK
[編集]三井不動産が手がける都市公園内の商業施設ブランド「RAYARD(レイヤード)」シリーズの第一号で、ららぽーとや三井アウトレットパークなどの大型商業施設を手がける三井不動産商業マネジメントが管理運営を行っている。
施設は美竹通りを境に北街区と南街区で分かれており、北街区は明治通りの賑わいと繋がるアウトモールを、南街区は「多種多様なブランドが集まったマーケット」をイメージしたインモールとし[30]、屋上にアクティビティが出来る公園があるため、adidasなど公園と親和性の高い店舗が出店した[30]。北街区にはルイ・ヴィトンやグッチ、バレンシアガ、プラダ、コーチといったラグジュアリーブランドが充実していることが特徴である。
1階の南街区には三井不動産から「横丁をつくってほしい」との話を受け、小規模飲食店(飲み屋)を集積した渋谷横丁があり、19店舗が軒を連ねる[31]。渋谷横丁は恵比寿横丁など「横丁」のプロデュースを手掛ける浜倉的商店製作所が運営している。横丁には北海道から九州・沖縄地方に至る全国各地方や朝鮮料理のお店が立ち並ぶ[32]。
- 2階店舗
- 同左
- 1階渋谷横丁
sequence MIYASHITA PARK
[編集]原宿側端部に位置するホテルで[9]、三井不動産ホテルマネジメントが運営する新ブランド「sequence(シークエンス)」の第1弾として開業する。地上4 - 18階に展開し、客室数は240室。4階、5階と18階の飲食店はホテル宿泊者以外も利用可能で、4階は公園からつながるフロアとなりカフェ&バーとロビーが一体となっている[5]。
沿革
[編集]- 1953年 - 平地の公園として開園。
- 1966年 - 1階に駐車場が設けられ、空中公園化される。
- 2009年 - ナイキ・ジャパンが命名権を取得し、公園の改修費用の全額を同社の負担とし有料公園として改修する方針が明らかとなる。
- 2011年 - 公園がリニューアルオープン。
- 2014年8月 - 新宮下公園等整備事業の公募型プロポーザルで三井不動産を事業者に指定[33]。
- 2015年12月 - 基本協定を締結[33]。
- 2017年
- 3月31日 - ナイキ・ジャパンが命名権協定を途中解約。
- 1月20日 - 2月3日、縦覧および意見書の提出。
- 3月27日から工事のため既存公園の使用を停止[34]。
- 2019年1月20日 - 渋谷区、三井不動産は「Miyashita Park」を2020年6月にグランドオープンすることを発表[35]。
- 2020年
- 2月27日 - 三井不動産は「Miyashita Park」を6月18日に開業すると発表[36][37]。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で延期となる。
- 7月28日 - 公園が開園[38]。商業施設、ホテルも段階的に開業する[39]。
宮下町
[編集]MIYASHITA PARKのある一帯はかつて宮下町と呼ばれ、宮下公園の名称もこの地名に因んでいる。宮下町は1932年(昭和7年)の渋谷区成立時に定められた町域で、渋谷川(現在の旧渋谷川遊歩道路、通称キャットストリート)に沿った南北に細長い低地部が相当し、その東側の高台である美竹町には当時、広大な梨本宮邸があったことから「宮下」の名が付いた。
「梨本宮邸の下の区域[14]」を意味したこの町名は1966年(昭和41年)の住居表示の実施とともに消滅、現在は渋谷区神宮前六丁目と渋谷一丁目のそれぞれ一部となっている。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 新建築 2020, p. 184.
- ^ a b c 新建築 2020, p. 113.
- ^ a b c d e f 新建築 2020, p. 185.
- ^ a b c “渋谷「ミヤシタパーク」、7月28日から段階的に開業へ 商業施設名は「レイヤード」”. シブヤ経済新聞 (2020年7月2日). 2021年1月6日閲覧。
- ^ a b “渋谷「ミヤシタパーク」の新業態ホテル、8月開業へ コロナで2カ月遅れに”. シブヤ経済新聞 (2020年6月17日). 2021年1月6日閲覧。
- ^ a b “「ミヤシタパーク(MIYASHITA PARK)」宮下公園×商業施設×ホテルの新スポット渋谷~原宿に”. www.fashion-press.net. 2021年12月2日閲覧。
- ^ 『公園と商業施設一体型の新商業施設ブランド「RAYARD(レイヤード)」誕生 第1号物件「RAYARD MIYASHITA PARK」が渋谷の新たなランドマーク「MIYASHITA PARK」内に7月28日(火)から段階的にオープン ライフスタイルブランド「KITH」の日本初上陸も決定!』(PDF)(プレスリリース)三井不動産、2020年7月2日。オリジナルの2020年7月19日時点におけるアーカイブ 。2020年8月13日閲覧。
- ^ a b c “東京おでかけ日和 渋谷・ミヤシタパーク 4階建てに「緑の天蓋」 新たな複合施設オープン 東京”. 毎日新聞. (2020年10月27日) 2021年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e f 新建築 2020, p. 112.
- ^ a b 新建築 2020, p. 121.
- ^ “第65回受賞作品(2024年)MIYASHITA PARK”. 日本建設業連合会 (2024年8月8日). 2024年8月22日閲覧。
- ^ 「春の小川」の流れた街渋谷 pp. 83 - 86
- ^ このときに暗渠化、下水道化されたのは、明治通りの宮下公園と反対側の地点までで、その地点から明治通り下に建設された下水道に流路が変更された。公園脇から宮益橋(東急百貨店前)までは、そのまま雨水渠とされ、1970年(昭和45年)になって暗渠化された。
- ^ a b 今尾恵介 「失われた地名を手がかりに東京町歩き」 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社) 第20巻第5号 平成17年5月3日発行
- ^ 再開直前の2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災にともなう節電の必要性から、当初は午後6時半までに制限されていた
- ^ 渋谷・宮下公園が30日改修オープン、産経新聞、2011.4.28
- ^ a b c d e f “渋谷ナイキパーク計画、反対運動で立ち往生 東京”. AFP. (2010年5月15日) 2020年9月5日閲覧。
- ^ a b 「宮下公園」の命名権をナイキに譲渡計画 渋谷区 産経新聞、2009年6月11日、[リンク切れ]
- ^ a b 渋谷区立宮下公園のネーミングライツをナイキジャパンが獲得 - 日経BP[リンク切れ]
- ^ a b c “ナイキ公園化”で反対派が宮下公園占拠 渋谷区が出入り口部分閉鎖
- ^ “小川てつオ著 「このようなやり方で300年の人生を生きていく - あたいのルンルン沖縄 一人旅」”. 2020年9月5日閲覧。
- ^ “行政代執行:宮下公園のテント撤去 東京・渋谷”. 毎日新聞. (2010年9月24日) 2010年9月24日閲覧。
- ^ “使用料払っても…ナイキ、宮下公園命名権使わず” (日本語). 読売新聞. (2010年10月15日) 2010年10月15日閲覧。
- ^ 渋谷区行政代執行は違法と提訴 ナイキによる宮下公園整備で、共同通信2011年04月21日[リンク切れ]
- ^ 公園生活者のテント強制撤去「一部違法」 東京地裁判決 - 朝日新聞デジタル2015年3月14日
- ^ 東京・渋谷区に賠償命令 公園退去強行は「やり過ぎ」 東京地裁 - 産経ニュース2015年3月13日
- ^ スケート場やクライミングウォールも完備 渋谷・宮下公園が改修オープン、オリコン、2011年04月30日
- ^ 「宮下公園」 渋谷区とナイキ、命名権協定途中解約 名称変更実現せず 公園は閉鎖、産経新聞、2017年4月1日
- ^ “新・宮下公園に「スタバ」 藤原ヒロシさん率いる「フラグメント」プロデュース”. シブヤ経済新聞 (2020年7月28日). 2021年1月6日閲覧。
- ^ a b 『ヒト・モノ・コトとの新たな出会い、コミュニケーションが生まれる 渋谷の新たなランドマーク「MIYASHITA PARK」2020年6月18日(木)グランドオープン 公園と街を遊びつくす個性豊かな約90店舗の出店が決定!』(PDF)(プレスリリース)三井不動産、2020年2月27日。オリジナルの2020年8月13日時点におけるアーカイブ 。2020年8月13日閲覧。
- ^ “ミヤシタパークに「渋谷横丁」オープン迫る 郷土料理など19店、当面は時短営業”. シブヤ経済新聞. 2021年12月2日閲覧。
- ^ “渋谷横丁 in RAYARD MIYASHITA PARK 公式サイト”. 渋谷横丁 in RAYARD MIYASHITA PARK 公式サイト. 2021年12月2日閲覧。
- ^ a b http://www.city.shibuya.tokyo.jp/news/oshirase/miyasita_prop2.html
- ^ http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/park_miyashita_teishi.html
- ^ “『公園・商業・ホテルが一体となった新しいミクストユース型プロジェクト「MIYASHITA PARK」2020年6月グランドオープン 立体都市公園として渋谷周辺エリアをつなぐ全長約330mの低層複合施設が誕生』”. 三井不動産 (2020年1月20日). 2020年3月10日閲覧。
- ^ “「MIYASHITA PARK」グランドオープン(2020年6月18日)”. 三井不動産 (2020年2月27日). 2020年5月15日閲覧。
- ^ “宮下パーク/6月18日開業、渋谷のファッション・グルメ体現90店”. 流通ニュース 2020年9月5日閲覧。
- ^ “渋谷区立宮下公園開園日のお知らせ”. 渋谷区立宮下公園. 宮下公園パートナーズ (2020年7月16日). 2020年7月19日閲覧。
- ^ “公園と商業施設一体型の新商業施設ブランド「RAYARD(レイヤード)」誕生”. 三井不動産 (2020年7月2日). 2020年7月19日閲覧。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 宮下公園
- MIYASHITA PARK (@miyashitapark_) - Instagram
- MIYASHITA PARK (@miyashitapark_) - X(旧Twitter)