小山長規
小山 長規 こやま おさのり | |
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生年月日 | 1905年6月10日 |
出生地 | 宮崎県西諸県郡小林村 (現・小林市) |
没年月日 | 1988年1月31日(82歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
前職 | 三菱銀行労組委員長 |
所属政党 | (国民協同党→) (民主自由党→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 | 勲一等旭日大綬章 |
第3代 環境庁長官 | |
内閣 | 第1次田中角栄内閣 |
在任期間 | 1972年7月7日 - 1972年12月22日 |
内閣 | 第3次池田改造内閣 第1次佐藤内閣 |
在任期間 | 1964年7月18日 - 1965年6月3日 |
選挙区 | 旧宮崎2区 |
当選回数 | 12回 |
在任期間 | 1949年1月24日 - 1953年3月14日 1955年2月28日 - 1976年12月9日 1979年10月8日 - 1986年6月2日 |
小山 長規(こやま おさのり、1905年6月10日 - 1988年1月31日)は、日本の政治家。民主自由党・自由党・自由民主党衆議院議員(12期)。
略歴
[編集]宮崎県出身。1929年東京帝国大学法学部卒業後、三菱銀行入行。労組初代委員長を経て[1]、1949年の衆議院議員総選挙に旧宮崎2区から吉田茂率いる民主自由党公認で立候補し初当選。通算当選12回。その後は自由党を経て、1955年保守合同による自由民主党結党に参加。
自民党内では宏池会に属し、防衛政務次官、衆議院農林水産委員長などを歴任後、1964年第3次池田改造内閣の建設大臣として初入閣。同年池田勇人首相の病気退陣に伴い発足した第1次佐藤内閣でも再任された。その後も環境庁長官、裁判官弾劾裁判所長、衆議院予算委員長などを歴任。1986年政界から引退。宏池会の最長老だった。
1988年1月31日死去。82歳没。
当選同期
[編集]佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・床次徳二・有田喜一など
脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)
議会 | ||
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先代 田村元 | 衆議院予算委員長 1980年 - 1981年 | 次代 栗原祐幸 |
先代 吉川久衛 | 衆議院農林水産委員長 1960年 | 次代 坂田英一 |
公職 | ||
先代 大石武一 | 環境庁長官 第3代:1972年 | 次代 三木武夫 |
先代 河野一郎 | 建設大臣 第23-24代:1964年 - 1965年 | 次代 瀬戸山三男 |
党職 | ||
先代 坊秀男 | 自由民主党税制調査会長 第6代 : 1963年 - 1964年 | 次代 坊秀男 |