斎藤大輔
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名前 | ||||||
愛称 | ダイスケ | |||||
カタカナ | サイトウダイスケ | |||||
ラテン文字 | SAITO Daisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1974年11月19日(49歳) | |||||
出身地 | 愛知県名古屋市 | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 78kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | 愛知FC | |||||
1993-1996 | 中央大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | ガンバ大阪 | 63 | (0) | |||
2000-2002 | セレッソ大阪 | 61 | (5) | |||
2002-2009 | ジェフユナイテッド千葉[注 1] | 197 | (10) | |||
通算 | 321 | (15) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
斎藤 大輔(さいとう だいすけ、1974年11月19日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手。大学時代は、ユニバーシアード日本代表にも選ばれている。中央大学法学部卒。
経歴
[編集]ともにスキーの国体選手という両親のあいだに生まれる[2]。小学2年生のときに千種少年団でサッカーを始め[2]、中学、高校年代では愛知FCに所属[2]。高校生のころよりディフェンダーとしてプレーするようになる[2]。中央大学3年生時にはユニバーシアード日本代表の一員としてユニバーシアード福岡大会に出場、優勝した[2]。
卒業後の1997年にガンバ大阪入り[2]。1年目から3バックのストッパーとしてレギュラーを確保して31試合に出場した[2][3]。しかし2年目以降は怪我もあり出場機会は減った[3]。
2000年にG大阪からセレッソ大阪に期限付き移籍[2]、2001年に完全移籍[2]して同シーズンのキャプテンを任された[4]。チームは同年のJ1リーグで最下位に終わりJ2に降格した。
2002年5月、C大阪からJ1・ジェフユナイテッド市原(2005年以降はジェフユナイテッド市原・千葉)に移籍[5]、そのシーズンにリーグ戦18試合に出場してレギュラーの座を掴む[2]。2003年に就任したイビチャ・オシム監督にもストッパーとして起用され続け、2005年、2006年にヤマザキナビスコカップを連覇した。
2008年途中より千葉の監督に就任したアレックス・ミラーの下ではボランチとしても起用された[6]。2009年11月25日に同シーズン限りでの現役引退を発表した[7][1]。
引退後は千葉のクラブスタッフ入りし、アカデミーとジェフリザーブズのコーチ、企画・地域部門担当[8]、チーム統括[9]を歴任している。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 千種サッカー少年団
- 1990年 - 1992年 愛知FC
- 1993年 - 1996年 中央大学学友会サッカー部
- プロ経歴
- 1997年 - 1999年 ガンバ大阪
- 2000年 セレッソ大阪(期限付き移籍)
- 2001年 - 2002年 セレッソ大阪
- 2002年 - 2009年 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 中大 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||
1997 | G大阪 | 3 | J | 31 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 37 | 0 |
1998 | 18 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 23 | 0 | |||
1999 | J1 | 14 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 | ||
2000 | C大阪 | 15 | 27 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 32 | 3 | |
2001 | 3 | 28 | 2 | 2 | 0 | 5 | 0 | 35 | 2 | ||
2002 | J2 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | ||||
市原 | 32 | J1 | 18 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 22 | 2 | |
2003 | J1 | 28 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 35 | 1 | ||
2004 | 3 | 25 | 1 | 5 | 1 | 1 | 1 | 31 | 3 | ||
2005 | 千葉 | 33 | 1 | 8 | 1 | 1 | 0 | 42 | 2 | ||
2006 | 28 | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 32 | 1 | |||
2007 | 27 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 29 | 1 | |||
2008 | 24 | 1 | 8 | 1 | 0 | 0 | 32 | 2 | |||
2009 | 12 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 17 | 2 | |||
通算 | 日本 | J1 | 315 | 15 | 58 | 3 | 25 | 2 | 398 | 20 | |
日本 | J2 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | ||||
日本 | 他 | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||||
総通算 | 321 | 15 | 58 | 3 | 27 | 3 | 406 | 21 |
その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
チームタイトル
[編集]- ジェフユナイテッド市原・千葉
代表歴
[編集]- 1995年 ユニバーシアードサッカー日本代表
指導歴
[編集]- 2009年 - ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2009年 - 2010年:アカデミーコーチ
- 2011年:リザーブズコーチ
脚注
[編集]- ^ 2004年までは「ジェフユナイテッド市原」
出典
[編集]- ^ a b c “斎藤大輔選手 現役引退のお知らせ(09.11.25)”. J’s GOALアーカイブ. Jリーグ.jp (2009年11月25日). 2015年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 「ウイークリー・インタビュー『止める・蹴る・しゃべる』 斎藤大輔(市原)」『週刊サッカーマガジン』ベースボール・マガジン社、2003年9月2日号 NO.937、57-59頁。
- ^ a b 『ガンバ大阪20年史』 ベースボール・マガジン社、2011年、48頁。
- ^ “記者会見のコメントについて”. 2005年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月3日閲覧。
- ^ “斎藤大輔選手の移籍のお知らせ”. 2005年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月3日閲覧。
- ^ 『2008Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2008年、123頁。
- ^ “千葉DF斎藤が引退J1通算313試合出場”. nikkansports.com (2009年11月25日). 2015年12月3日閲覧。
- ^ “キャンプ地石垣島にて「夢の教室」実施”. ジェフユナイテッド市原・千葉 (2012年2月1日). 2015年12月3日閲覧。
- ^ “ジェフユナイテッド市原・千葉レジェンドマッチ開催について”. ジェフユナイテッド市原・千葉 (2015年9月24日). 2015年12月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 斎藤大輔 - Soccerway.com
- 斎藤大輔 - FootballDatabase.eu
- 斎藤大輔 - WorldFootball.net
- 斎藤大輔 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 斎藤大輔 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 斎藤大輔 - J.League Data Siteによる選手データ
- ジェフユナイテッドトークバトル Vol.2 - ウェイバックマシン(2007年12月23日アーカイブ分) @ぴあ (本人出演)