斉藤大介
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | サイトウ ダイスケ | |||||
ラテン文字 | SAITO Daisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1980年8月29日(44歳) | |||||
出身地 | 大阪府高槻市 | |||||
身長 | 179cm[1] | |||||
体重 | 74kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-1998 | 金光第一高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2008 | 京都サンガF.C.[注 1] | 202 | (7) | |||
2008-2011 | ベガルタ仙台 | 71 | (1) | |||
2011-2015 | 徳島ヴォルティス | 120 | (0) | |||
2016 | 栃木SC | 5 | (0) | |||
2017 | 高知ユナイテッドSC | 14 | (2) | |||
2018 | おこしやす京都AC | 12 | (0) | |||
通算 | 424 | (10) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
斉藤 大介(さいとう だいすけ、1980年8月29日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。
来歴
[編集]高校時代、大阪選抜で稲本潤一とダブルボランチを組んでいたことがある。林卓人は金光大阪高等学校の2年後輩にあたる。
1999年、京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。3年目の2001年までは出場機会に恵まれなかった。
2002年も序盤は途中出場の1試合のみの出場(その試合も本来はベンチ外で、当日に他の選手の負傷によって急遽ベンチ入りしたもの)にとどまっていたが、転機が訪れたのはリーグ戦中断中に行われたこの年のナビスコカップ予選リーグであった。当時、ボランチのレギュラーであった朴智星が2002 FIFAワールドカップで韓国代表に合流するためチームを離れたことによりレギュラーに抜擢され、展開力と正確なロングパスで彼の穴を埋める活躍を見せる。ワールドカップ終了後に朴が合流した後は、黒部光昭、松井大輔らと組む3トップの一角として起用された。この年チームは過去最高の年間5位、天皇杯初制覇を達成した。
2003年に背番号を16に変更。チームは怪我人や移籍した朴智星の穴を埋められず低迷、再びJ2に降格した。このシーズンは、途中から監督に就任したピム・ファーベーク監督の下ではセンターバックで起用されることも多かった。2度目のJ2となった2004年、シーズン当初はレギュラーとして起用されていたが第2クール以降はポジションを失い、サブにすら入れないことも多かった。J1昇格も逃したが、シーズン終盤に調子を取り戻した。
副キャプテンに就任し迎えた2005年は石井俊也、米田兼一郎らボランチの選手が新加入し、チーム内での争いも激しくなったが、開幕から大黒柱といえる活躍で不動のレギュラーを獲得。この年、J1昇格を達成した京都の躍進を支えた。2006年も攻守の要として奮闘したが、チームは1年で降格した。この年はキャプテンマークを巻くことも多かった。
2007年はキャプテンにも任命され、48試合全てに出場し、1年でのJ1復帰に貢献した。
2008年7月、ベガルタ仙台へ期限付き移籍。高校の2年後輩に当たるGK林卓人(コンサドーレ札幌より期限付き移籍)とチームメイトに。同年シーズン終了後、仙台への完全移籍が発表された。
2009年夏頃から調子を崩し、長く試合に出られない日々が続いたが、翌2010年8月、千葉直樹の負傷により先発出場の機会を得ると、リーグ戦15試合ぶりの勝利に貢献。これ以降レギュラーに復帰。
2011年7月5日、徳島ヴォルティスに完全移籍で加入。移籍以後の全リーグ戦に出場し活躍した。2012年、最終ラインに怪我人が続出したシーズン途中よりセンターバックにコンバートされ出場していたが、8月22日の湘南ベルマーレ戦でアキレス腱断裂の大怪我を負い[2]、以降試合には出られなかった。2013年シーズンはキャプテンに就任。開幕戦は欠場したが先発に復帰し、中盤戦からは本職のボランチでプレー。J1に昇格して迎えた2014年は前年と比べて出場試合数こそ減少したが、21試合に先発出場して苦戦を強いられたチームを支えた。
2015年12月、Jリーグ合同トライアウトに出場[3]。2016年より栃木SCに完全移籍したが[1]、2016年シーズンをもって契約満了に伴い退団[4]。
2017年、高知ユナイテッドSCに加入[5]。
2019年1月15日、現役を引退して京都の普及部コーチに就任すると発表され、19日の練習試合(おこしやす京都ACvs京都サンガF.C.)が引退試合となる[7]。
所属クラブ
[編集]- 高槻第八中学校[1]
- 金光大阪高等学校[1]
- 1999年 - 2008年 京都パープルサンガ
- 2009年 - 2011年6月 ベガルタ仙台
- 2011年7月 - 2015年 徳島ヴォルティス
- 2016年 栃木SC
- 2017年 高知ユナイテッドSC
- 2018年 おこしやす京都AC
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | 京都 | 25 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2000 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | |||
2001 | 22 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2002 | J1 | 22 | 1 | 5 | 0 | 4 | 0 | 31 | 1 | ||
2003 | 16 | 27 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 1 | ||
2004 | J2 | 21 | 0 | - | 2 | 0 | 23 | 0 | |||
2005 | 42 | 2 | - | 1 | 0 | 43 | 2 | ||||
2006 | J1 | 33 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 39 | 1 | ||
2007 | J2 | 48 | 2 | - | 0 | 0 | 48 | 2 | |||
2008 | J1 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | 3 | 0 | |||
仙台 | 31 | J2 | 16 | 1 | - | 1 | 0 | 17 | 1 | ||
2009 | 36 | 0 | - | 1 | 0 | 37 | 0 | ||||
2010 | J1 | 16 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | ||
2011 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | ||||
徳島 | 16 | J2 | 23 | 0 | - | 1 | 0 | 24 | 0 | ||
2012 | 22 | 0 | - | 0 | 0 | 22 | 0 | ||||
2013 | 31 | 0 | - | 0 | 0 | 31 | 0 | ||||
2014 | J1 | 22 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | ||
2015 | J2 | 22 | 0 | - | 3 | 0 | 25 | 0 | |||
2016 | 栃木 | J3 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | |||
2017 | 高知U | 2 | 四国 | 14 | 2 | - | 1 | 0 | 15 | 2 | |
2018 | O京都 | 7 | 関西1部 | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | |
通算 | 日本 | J1 | 132 | 3 | 26 | 0 | 7 | 0 | 165 | 3 | |
日本 | J2 | 261 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 245 | 5 | ||
日本 | J3 | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
日本 | 四国 | 14 | 2 | - | 1 | 0 | 15 | 2 | |||
日本 | 関西1部 | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | |||
総通算 | 424 | 10 | 26 | 0 | 18 | 0 | 468 | 10 |
その他の公式戦
- 2003年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2013年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- Jリーグ初出場 2000年3月25日 対ガンバ大阪戦
- Jリーグ初ゴール 2002年7月20日 対ヴィッセル神戸戦
タイトル
[編集]- 天皇杯優勝 2002年
脚注
[編集]- ^ 2006年までは「京都パープルサンガ」
参考・出典
[編集]- ^ a b c d e 『斉藤 大介選手 徳島ヴォルティスより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2016年1月4日 。2016年1月4日閲覧。
- ^ 斉藤 大介選手の負傷について
- ^ 【Jリーグ】トライアウトで垣間見えた"ベテランの価値と矜持" サッカーダイジェストweb(2015年12月12日)
- ^ “J2復帰逃した栃木 ベテラン斉藤、佐々木ら6選手が契約満了”. スポニチアネックス. (2016年12月7日) 2016年12月7日閲覧。
- ^ 新入団選手のお知らせ(2/4) 高知ユナイテッドSC、2017年2月4日
- ^ 斉藤 大介選手(高知ユナイテッドSC) 新加入内定のお知らせ アミティエSC京都公式サイト、2018年1月24日
- ^ 『斉藤大介氏 普及部コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2019年1月15日 。2019年1月15日閲覧。
- 京都サンガF.C. オフィシャルサイト[リンク切れ]、京都サンガF.C.
- 『2007 J1&J2 リーグ選手名鑑』ベースボール・マガジン社、2007年3月9日付
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 斉藤大介 - Soccerway.com
- 斉藤大介 - FootballDatabase.eu
- 斉藤大介 - WorldFootball.net
- 斉藤大介 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 斉藤大介 - J.League Data Siteによる選手データ