日本金属工業
![]() 本社が入居していた新宿三井ビル | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 日金工 |
本社所在地 | ![]() 本社は長い間新宿三井ビルに置かれた。 |
設立 | 1932年6月15日 |
業種 | 鉄鋼 |
事業内容 | ステンレス・耐熱鋼の製造 |
資本金 | 134億08百万円(合併前) |
売上高 | ■1,691億円(2006年度) ■1,895億円(2007年度|最高売上高) |
経常利益 | 152億円(2006年度|最高経常益) |
従業員数 | 1700名程度 |
決算期 | 3月31日 |
主要子会社 | 日金工商事株式会社 100% 日金工鋼管株式会社 100% 日金加工株式会社 100% |
日本金属工業株式会社(にっぽんきんぞくこうぎょう、英文名称:Nippon Metal Industry Co., Ltd.)は、かつて存在した日本の鉄鋼メーカー。あえていうなら三井系である[1][2]。
概要
[編集]1932年、国内初のステンレス専業メーカーとして設立された。国内で初めて18-8系ステンレス鋼板の企業化および量産化に成功したとされる。
2012年10月、日新製鋼と経営統合し、日新製鋼ホールディングスの完全子会社となった。続く2014年4月1日には、日新製鋼ホールディングスおよび日新製鋼と合併し、解散した。
かつては、従業員数およそ1,700名(単独)、売上高1,000億円以上を計上する企業であった[3]。2006年度には、主力工場であった相模原製造所の売却益があり、経常益が過去最高となる。売上高1,691億円、経常利益152億円であった[3]。2007年度には、売上高が過去最高の1895億円を計上した[4]。
最終的に、愛知県碧南市にある、日本金属工業衣浦製造所に生産を一極集中し、本社も同所に移された。現在は、日鉄ステンレス衣浦製造所となっている。その製鋼工場だが、2015年12月に休止し、熱延工場は2020年11月に休止となった。2022年3月末には、最後まで稼働していた薄板工場(冷延工場)も休止となった[5][6]。
なお、日本金属株式会社は、圧延専門のメーカーであり、日本金属工業株式会社とは別の企業である。日本金属工業は、製鋼・熱延・冷延(薄板)・厚板までの一貫生産を行うメーカーであった。
同社は、日本製鉄のような高炉は持たず、電気炉で鉄やステンレスのスクラップ(屑)を溶解してステンレス鋼を製造していた。いわゆる、電気炉メーカーであった。
かつては、日本金属工業、日本ステンレス、日本冶金工業を、「ステンレス専業3社」と呼んでいた。どれも売上高1,000億円以上の規模であった。そのうち、日本冶金工業は現存する。ちなみに、日本ステンレスは、住友金属工業に合併され、その住友金属工業は、新日本製鐵とともに、現在の日本製鉄の母体となった。
ステンレスとは
[編集]ステンレス鋼とは耐食性を増す働きのあるクロムを添加した合金鋼であり、「ステンレス」・「ステン」としばしば略される。一般的に硬く錆びにくい特性を持つが、塩化物イオンには概して弱く台所のシンクに垂らした醤油などがもとで孔食を起こしがちである。また異種金属接触腐食も起きやすくステンレス製の浴槽に置いた剃刀の刃がもとでいわゆる「もらい錆」から孔食に発展することもしばしばである。日本金属工業ではかつてステンレス鋼管の水道管配管システムを製造し販売し、朝日新聞東京本社ビル(築地本社ビル)などで採用された[7]。その際、鉄製、黄銅製の水栓金具とステンレス鋼管とを接続する場合には必ず「絶縁パッキン」を挟み込むよう注意喚起した[9]。
ステンレス鋼は、鋼の金属組織状態によりマルテンサイト系、フェライト系、オーステナイト系、二相系、析出硬化系の5つに大別される。洋食器で一般的な18Cr-8Niステンレス鋼(18-8ステンレス、SUS304)はオーステナイト系に属し、磁石にくっつかない非磁性体[10]としても知られるが、溶接等の入熱や冷間加工により磁性を帯びる。注射針の一般的な素材は洋食器と同じSUS304だがMRI装置の発する強大な磁力のもとではその影響を受けることが知られており入室の際はしっかりと固定するなど注意が必要である[11]。骨折時の固定に使用される髄内釘の素材や手術用ワイヤーとして用いられるSUS316も同様に磁石にくっつかない非磁性体であるが磁場の影響により使用部位の周辺画像が歪む可能性がある[11][12]。
ステンレス鋼のパイオニア
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かつて存在した日本金属工業横浜工場の跡地に記念碑が残っている。同社は1932年に日本で初めてステンレス鋼を製造した。横浜工場はステンレスワイヤー(ステンレス鋼線)製造の精線工場として稼働していた。1987年(昭和62年)4月、川崎工場とともに廃止となり、跡地には大型マンションが建っている。
日本金属工業は、ステンレス鋼の製鋼から冷延加工まで一貫製造でき、また電熱線向けにニクロムも供給した企業でもある。素材であるステンレス薄板・厚板のみならずステンレス製の水道管や屋根材・サイディングなどの建材、そして浴槽(ブランド名「ジャブロン[14]」)も製品ラインアップに擁していた。
沿革
[編集]- 1922年7月 - 横浜工業株式会社設立。横浜工場操業開始。
- 1926年6月 - 日本電熱線製造合資会社設立。
- 1927年4月 - 日本電熱線製造合資会社 仙台工場操業開始。
- 1932年6月15日 - 資本系統を同じくする横浜工業株式会社および日本電熱線製造株式会社の事業発展のため、田沼義三郎が井坂孝、植村澄三郎の支援をえて資本金12万円をもって、日本金属工業株式会社を設立。本社は、東京都中央区銀座6丁目2番地5。
- 1932年6月 - 大阪市に営業所を設置。
- 1932年9月 - 横浜工業株式会社横浜工場の敷地の一部を借用し製鋼工場の建設に着手。
- 1932年12月 - 製鋼工場完成。167 kVA高周波電気炉1基を設置しステンレス鋼の材料を横浜工業に、電熱線および電熱帯の材料を日本電熱線製造に供給。横浜工業の圧延機を利用してわが国最初のステンレス鋼板の製造に成功。
- 1934年9月 - 東京第二陸軍造兵廠王子火薬製造所へ18-8ステンレス鋼板試作納入。
- 1935年3月 - 横浜工業㈱と日本電熱線製造㈱を吸収合併。
- 1938年6月 - 川崎工場完成、操業開始。
- 1940年3月 - 川崎工場、鋼板工場生産開始、鋼板の一貫生産体制を確立。
- 1943年4月 - 海軍航空本部の要請により新所原工場の建設開始。
- 1945年8月 - 終戦により新所原工場の建設工事中止。
- 1949年 - 東京証券取引所に株式上場。
- 1952年 - 日本染色機械株式会社を連結子会社化。
- 1955年 - 日金加工株式会社の株式を取得。
- 1955年 - 仙台工場を閉鎖、設備を横浜工場に集約。
- 1956年6月9日 - 大阪証券取引所に株式上場。
- 1957年 - 浪速ステンレス工業株式会社の株式を取得。
- 1960年 - 相模原工場が操業開始。
- 1964年 - 金星工業株式会社の株式を取得。
- 1965年 - 金星工業の商号を金星ステンレス株式会社に変更。日本引抜工業株式会社の株式を取得。
- 1970年1月 - 第2号ゼンジミア20段冷間圧延機完成。
- 1970年3月 - 相模原熱延工場に4段熱間粗圧延機およびステッケル式4段熱間仕上圧延機完成。
- 1970年4月 - 相模原工場を相模原製造所と改称。新人事管理制度採用。
- 1970年6月 - 第2号50トン レクトロメルト式電気炉[18]完成。これらの完成によって世界最高水準のストリップフォームによるステンレス鋼板の一貫生産体制を確立。
- 1970年7月 - 愛知県碧南市衣浦臨海工業地帯約100万平方メートルに新工場建設計画を公表。豊田自動織機株式会社碧南工場の隣接地。
- 1972年 - 衣浦製造所が操業開始。
- 1985年 - 金星ステンレスの商号を日金工商事株式会社に変更。
- 1986年 - 日本染色機械の商号を株式会社ニツセンに変更。
- 1987年4月 - 相模原製造所、横浜工場及び川崎工場を廃止。
- 1990年 - 日本引抜工業の商号を日金工鋼管株式会社に変更。
- 2000年1月 - 川崎製鉄(JFEスチールの前身)と提携。
- 2002年6月19日 - 新日本製鐵と提携。
- 2004年9月 - 日新製鋼とステンレス事業で提携。
- 2005年 - 浪速ステンレス工業を日金加工に統合。
- 2006年 - 相模原事業所を閉所。
- 2007年1月18日 - ニッセンを日金加工に統合。
- 2009年
- 2012年10月1日 - 日新製鋼との共同株式移転により日新製鋼ホールディングスを設立。販売機能を日新製鋼に統合。
- 2014年4月1日 - 日新製鋼ホールディングスを存続会社とし、日新製鋼及び日本金属工業を消滅会社とする吸収合併を実施し法人格消滅。なお存続会社の商号は日新製鋼株式会社に復した。
製品
[編集]- ステンレス鋼板
- 塗装ステンレス鋼板
- 建材関連商品
- 極薄鋼帯(ステンレス精密圧延品)
- メンブレンシート(LNGタンカー内張)
機能材料
- クラッド鋼
- メタルラス
関連企業
[編集]子会社
[編集]国 | 企業 | 事業内容 | 資本金 |
---|---|---|---|
![]() | 日金工商事(現・日新ステンレス商事) | 鉄鋼・金属・加工製品の販売 | 1億8,000万円 |
日金工鋼管(現・日新製鋼ステンレス鋼管) | 溶接鋼管の製造 | 2億5,000万円 | |
日金加工(現・日新加工) | 鋼材の加工 | 8,000万円 | |
![]() | NIPPON METAL SERVICES(S) PTE LTD. (現・NISSHIN METAL SERVICES(S) PTE LTD.) | ステンレス製品の製造・販売 | 21万S$ |
![]() | NIPPON METAL SERVICES(M) SDN.BHD. (現・NISSHIN METAL SERVICES(M) SDN.BHD.) | ステンレス鋼材の加工・販売 | 900万RM |
脚注
[編集]- ^ https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4820&query=&class=&d=all&page=4 渋沢社史データベース>日本金属工業(株)『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)の昭和21年(1946)4月の欄に、「制限会社令により、三井本社系制限会社に指定さる」との記述がある。
- ^ https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4820&query=&class=&d=all&page=2 渋沢社史データベース>日本金属工業(株)『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)の昭和12年(1937)8月の欄に、「ステンレス鋼の一貫作業を目的とする川崎工場(高周波電気炉、弧光炉、蒸気鎚)建設のため、三井、三菱、住友、古河、山下の旧財閥より資本的援助を得て、資本金を350万円に増額」との記述がある。
- ^ a b “上昇気流「ステンレス鋼のパイオニア日本金属工業」”. 株式会社日刊工業新聞. 2022年3月9日閲覧。
- ^ “株探(かぶたん)>日本金属工業”. 株探(かぶたん). 2023年9月22日閲覧。
- ^ “日鉄の愛知・衣浦製造所、来春全面休止 コロナで需要減”. 朝日新聞デジタル. (2021年3月6日)
- ^ “【独自】日鉄ステンレス衣浦製造所、22年3月閉鎖へ”. 中日新聞. (2021年3月6日) 2022年3月31日閲覧。
- ^ 朝日新聞東京本社新社屋に使用されたステンレス配管
- ^ 『ステンレス鋼鋼管と異種金属とを接続する場合の絶縁施工について』(レポート)ステンレス協会 配管システム普及委員会、2015年9月 。2025年2月21日閲覧。
- ^ 業界団体であるステンレス協会においてもステンレス鋼管と異種金属とを接続する場合の絶縁施工について注意喚起している[8]。
- ^ オーステナイト相に起因する「常磁性体」である。
- ^ a b 松村明、江橋敏男、文蔵克己 ほか「MRI検査で使用されるステンレスの磁性・安全性に関する検討」『日本磁気共鳴医学会雑誌』第10巻第6号、1991年2月、558–562頁、文献情報 - J-GLOBAL、2025年2月21日閲覧。
- ^ 土橋俊男、鈴木健「体内金属・・・安全性とMR画像への影響」『放射線撮影分科会誌』第32巻、1999年4月5日、42–46頁、doi:10.18973/photographingjsrt.32.0_42、2025年2月21日閲覧。
- ^ “ステンレス浴槽ジャブロン「父と娘」”. 放送ライブラリー. 2025年2月21日閲覧。
- ^ テレビCMを流したことが放送ライブラリーにて確認できる[13]。
- ^ 林達夫「最近に於ける製鋼用電気弧光炉の進歩」『鉄と鋼』第41巻第5号、1955年5月1日、536–550頁、doi:10.2355/tetsutohagane1955.41.5_536、2025年2月21日閲覧。
- ^ W. B. Wallis「アメリカ合衆国製鋼業における電気炉の最近の進歩について」『鉄と鋼』第44巻第7号、1958年7月1日、808–812頁、doi:10.2355/tetsutohagane1955.44.7_808、2025年2月21日閲覧。
- ^ 野田浩「製鋼用アーク炉の進歩について」『電気化学および工業物理化学』第32巻第6号、1964年6月5日、465–467頁、doi:10.5796/kogyobutsurikagaku.32.465、2025年2月21日閲覧。
- ^ アメリカの Lectromelt Furnace Corporation の開発による三相交流アーク炉[15][16][17]。